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カスタマーレビュー

ベスト1000レビュアーVINEメンバー
2013年3月10日
言わずとしれた日本を代表するスペースオペラだが、さて、本作は何によって他のSF作品と一線を画しているのか。
恐らく、それは共和政治と専制政治の比較得失をメインに据えていることにある。
日本のSFで、政治体制をテーマに据えた作品はほとんだなかったと思う。
大概は主人公は共和制国家の軍隊に属して帝国、つまり独裁制国家の侵略に立ち向かうというのがパターンだ。
それは単純な勧善懲悪の図式に収まりやすく、読む側も安心して楽しめる。
本作も一見するとそういうお決まりの構図に見える。しかし実際に読み始めるとそんな単純なものではない。

恋愛とか友情とか謎解きとか小説ではおなじみのテーマは脇に置かれている。
もちろん、本作も小説である以上、人間を描いており、ほとんどのエピソードの主題として表向きは据えている。
しかし多くは悲劇的な結末を迎え、その原因は政治体制に結び付けられてる。
ただ、ここで悩ましいのは共和政治でも独裁政治でも悲劇的な結末からは逃れらないことだろう。
それは政治は腐敗するというもう一つの命題を読者に突き付けている。

整理すると、本作は普遍的な価値観を考証する一方でストーリー展開のために二次的なテーマを設定している。
こういう構造は名作といわれる大作に多い。
本作ではラインハルトが専制政治、ヤン・ウェンリーが共和制の体現者として登場する。
専制政治は主権者個人と国家に一体性がある。だからラインハルトは政治体制について論じることが少ない。
彼が打倒すべきは姉を奪った皇帝であり、それを支える大貴族であって帝国の専制体制ではない。
簡単に言ってしまえば、政治体制の選択で悩むことがない。
そもそも銀河帝国を起こしたルドルフ自身が民主政治を利用して合法的に皇帝になりおおせた。民主政治の先にあるのが専制政治だっただけで、わざわざ後戻りをする選択をする必要がない。その独裁体制を簒奪しようと志すラインハルトが共和制に関心がないのは当たり前だった。
反面、人間の行動への美醜には敏感だ。ヤン・ウェンリーを高く評価し、その先達であり共和制の再建者であるアーレ・ハイネセンには敬意を表している。

一方のヤン・ウェンリーは味方であるはずの政治家に足を引っ張り通され、うんざりした表情で艦隊の指揮座にある。
民衆を害する権利は国家になく民衆にしかなく、それを反映する唯一の政体が民主政治なのだから専制政治は否定されると周囲に説く。
だが、どう見てもいささかレトリックに偏りすぎている。自分自身を納得させられているのだろうか。
だからではあるまいが、後継者達は単純にヤン・ウェンリーの遺志を継ぐという言葉に全てを包み込んだ。
中にはシェーンコップのように独裁政治でも良いからヤン・ウェンリーが主権者となりより良い政治体制を再建するべきだという意見もあるからだ。
それどころか、その方が多数派だったことは間違いない。ビュコック提督や、ホワン・ルイ財務委員長ですら同じ思いだった。
ヤン・ウェンリーは独裁者となった自分と独裁者ローエングラム公ラインハルトが対決するのは不毛だと返答した。
なんといこじなことか。歴史上、独裁者同士が対峙して建設的な結果を生み出したことは珍しくない。
そして独裁者が共和制への橋渡しをした例も結構多いのに、ヤンはそのことに触れることはなかった。

結果、民主政治に依拠する自由惑星同盟は敗北し、宇宙はローエングラム朝銀河帝国によって統一される。
やがて独裁者ラインハルトは死期を悟り体制は危機を迎えるが、それを制度的に救済する方法として立憲君主制が複数の陣営から提案される。
一つはヤンの後継者ユリアン・ミンツであり、事実上、ヤンからの助言として独裁者皇帝ラインハルトは熱心に耳を傾ける。
最終的な結論はその死後、ヒルデガルド皇妃の判断にゆだねれたが、そのこと自体がラインハルトの同意に等しい。
独裁者が条件付きとはいえ立憲君主制という形で、権力の自律制御を組み込むことになった。
自由惑星同盟最後の国家元首ヨブ・トリューニヒトも同じ構想を持っていたことは皮肉なことであり、同時に権力の腐敗の原因を示唆している。

権威と権力が分離することで安定した継承と運営が保証されるという発想は古代から存在する。
ローマ帝国では皇帝は元老院の同意が必要だった。そもそもが複数の官職の兼帯に始まるのだから当然だ。
イギリスでは王権と貴族や庶民の抗争の末、権威と権力が分離され立憲君主制が成立したし、日本ではごく天皇と摂関、将軍に権威と権力が分立した。
これがうまくいかないとムスリムや中国の各王朝のように前代からの禅譲くらいしか権力継承方法がなくなってしまう。
体制としては連続していないから、内戦状態に陥るのが通例だ。
共和制の良いところは権力行使の主体だけを交代させるので混乱が少なくて済む。少なくとも内戦の危険は回避できることにある。

政治システムのリソースの配分は誰が考えても落ち着くところに大差はない。そのため物語の終局では登場人物達の政治的思考は一つに落ち着く。
紆余曲折の末、という割には足して二で割るような結論だ。
かつてフランスとドイツ、カソリックとプロテスタント、武家と公家、キリスト教とイスラム教など、いずれも激しく争ってとうとう勝負がつかなかった。
人口の半分以上を犠牲にして、野山は死体に満ち、池泉は血に染まるに至る。
結局そこまでして、どの陣営も相手を屈服させるのをあきらめてしまい、お互いの主張を認めないが否定しないことで折り合った。思想及び信教の自由はここに始まる。
そこまでしないと、折り合えないのかというのではなく、そこまでしたからこそ折り合えた。自由は自律性を内包することを双方が理解して初めて共通認識になる。
物語の最後に、エル・ファシルに共和制が残されることになり、ユリアンとカリンが「たった、それだけ」と述懐するシーンがある。
ゼロよりはまし、という感じだが、立憲君主制と共和制の意義をラインハルトが認めたことのおまけみたいなものだ。
滅亡した自由惑星同盟の採用していた共和制というシステムは何億リットルの血と引き換えに存続した。

ただ、ラインハルトは政治体制の優劣に感心があったわけではない。
そのことはこの物語の特異な点だ。彼が尊重したのはヤン・ウェンリーが命を懸けて守ろうとしたものであって共和制ではない。
立憲君主制もシステムとしての合理性に関心をもったに過ぎない。その証拠に直前までロイエンタール等に簒奪を使嗾するような発言を残している。
もし、2人の二度目の会見が実現し和平が結ばれ、その後の交流のなかでヤン・ウェンリーがラインハルトに立憲君主制を勧めていたらあっさりと同意しただろう。
個人の英雄的な行為が共和制を存続させるという構図にはもともと矛盾がある。本来なら共和制は市民が支えるべきだからだ。
仮定の話ではあるが、だが、それこそがヤン・ウェンリーという個性の輝きなのだと思う。

すでに時代の変化を経て各国の政治体制は劇的な変化をみせてきた。本作にはそれらを示唆する部分も多い。
作者が歴史学の学究を志したことは良く知られているが、本作はその知見に支えられた傑作だ。
キャラクター展開で経済効果で勝る作品は多いが、本作を超えるスケールと緻密な構想の作品は少ない。
100年後に日本のSF10作が選ばれるとしたら、本作は間違いなくその候補だろう。
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