カスタマーレビュー

2021年11月14日に日本でレビュー済み
私はかねて田中優子を「江戸幻想派」として批判し、田中の2002年の本『江戸の恋』を徹底批判したこともある(「中庸、ときどきラディカル」)。もともと、近世文化が遊里遊女という奴隷を女王として成り立っていたことは、大正末年に阿部次郎が『徳川時代の芸術と社会』で批判したことで、フェミニズムとは関係ない。田中はフェミニズムに加担しているふりをしているから、本書冒頭で「ジェンダー論」の視点から、遊廓は今後はあってはならないと書いていて処世術を窺わせるが、どうもここの書きぶりは、現代のソープやヘルスもいけないことになるらしい。ではセックスの相手がいない男はどうしたらいいのか、考えてからものを言うべきではないか。あとなぜ「遊女」が生まれたのかと考察しているが、娼婦は他国にももれなく存在するもので、ただ日本だけが近世文化において妙に重要な位置を与えられた。田中にはそこを比較考察する視点がない。女かぶきの禁止が遊廓を生んだと書いているが、吉原遊廓は女かぶきの禁止より前の元和三年ではないか、また中世にも遊女はいたのではないか。近代においてマリア・ルス号事件のために娼婦が(偽の)解放をされたように書いているが現在の研究ではマリア・ルス号以前から明治政府は遊廓の改革を考えていたことになっている。「鬼滅の刃」にあわせて急ごしらえしたような本で、あまりふだんからちゃんとものを考えていないことが分かる。
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