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2016年12月17日
誰かの言葉で「仏教は宗教というより、考えるための哲学の体系」というのがありました。その言葉を思い出しながら読みました。
釈迦がどのようにして自分なりの「悟り」を得たのか。じゃあ悟りを得れば誰だって仏じゃん、という疑問にどう答えようとしたのか。どこで「神様」が混入されたのか。

インドで生まれた仏教が中国に伝わり、日本に伝わった時点でどのような変貌を遂げたのか。なぜナミアミダブツだのホーレンゲーキョーだのひたすら唱えさせるのか。哲学なんぞ気にするのはほんの一握りの人たちだけ。そんなことを考えもしない目の前を人を救うにはどうすればいいのか。

そんな仏教の歩みが順を追って書かれます。学校で散々覚えさせられた空海が真言宗で最澄が天台宗ですけど、それがどんな教えだったのかを知ったのは初めてでした。そりゃ詳しい人や本職からみればいろいろ言いたいこともあるんでしょう。でも誰もが「ちょっと待て」というところには著者が親切にツッコミを入れてくれる。それに対して仏教がどう答えているかも。教科書でしか仏教を知らない私にはとても楽しく読めました。

ゲロばかり吐き、ベースの弾けないパンクロッカーは最後に何を悟ったのか。いつもと変わらない光景でいつもと変わらない行動をする彼の中では何が変わったのか。私の解釈はこうです。仏教の歴史とは考え続ける歴史だった、と。パンクロッカーがいく先々でぶちのめされるのは対話し、考えろという問いかけだった。そして彼は最後に自分から殴り始める。行為自体は「パンクロッカーの反射運動」と変わらないけど、その動機は違っていたと。

読み終わり、少しすっきりした気持ちになったことは確かです。
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2013年2月17日
伝統宗教としての日本仏教には抹香臭いイメージがつきまとい、本来の仏教が持っていた筈の発想のラディカルさが覆い隠されている。そんな既存仏教のベールを剥ぎ脱がし、歴史の中の仏教徒たちがこんなにスゲー発想をしていたことを再認識させてくれる好著である。

・パンクロッカーvs釈尊
 悟りを「マジどうでもいい」境地として切り取るところからスタート。そんなに何もかもどうでもよくなっちゃっていいんすかお釈迦様!
・パンクロッカーvs龍樹
 仏教思想のスーパースター、ナーガルジュナ登場。「無」とは異なる「空」。有も無も超えた「どうでもよい」の徹底。
・パンクロッカーvs玄奘三蔵
 仏教の伝達について。唯識、華厳もさらさらと解説。たくさんの人の手に触れることで仏教は巨大な文化現象に膨れ上がる一方、夾雑物も入り込む。「仏の呪い」って原始仏教視点から見ればそりゃねえよとは思うが「これも文化です」か。全体としての仏教を捉える姿勢。
・パンクロッカーvs最澄
 最澄を萌えキャラ化して天台思想と密教を解説。五時教判の阿含時の解説笑いました。釈尊の立場がねえ。
・パンクロッカーvs法然vs日蓮
 浄土宗の極論に、日蓮のエネルギー絶対値。パンクスピリットで仏教やるならこれは外せないよね!
・パンクロッカーvs禅僧
 やっぱ最後はZENで締めますか!
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2013年8月14日
 この本については、評価が変な意味で難しいですね。
 解説部分に関しては、まあ、かなりぶっ飛んでいますが、面白く読めました。人によるでしょうけどね。
 ただ、パンクロッカー云々については、まったく意味が分からないというより、意味がなかった気がします。パンクロッカーの部分を除いて、解説部分だけでも何の問題もない構成だったと思います。
 で、解説部分ですが、次のような文章を許せて笑えたりするなら、まあ、読んでみても良いのではないでしょうか?

<p.29 第一章>
 「生きるとかマジどうでもいい」。この境地に達すれば何もかも「どうでもいい」ので、何かうまくいかなくっても「どうでもいい」。よって、フラストレーションが溜まることもなく、毎日楽しくヘラヘラしていられるのです。これが最初期の仏教の基本的なアイデアです。
 と、言うと、「おいおい、なんかロクでもねえなあ」と思われる方もいるかもしれません。では、カッコ良く良い直しましょうか。「煩悩を断ち切り」「執着を離れる」のです。どうです? ほら、カッコイイでしょ?

<p.32 第一章>
 伝説によれば生まれたばかりのゴータマさんはいきなり立ち上がって七歩歩き、「天上天下唯我独尊(全世界で一番偉いのはオレ!)」と言ったそうです。リアルパンクですね。ちなみにこの台詞、そのまま受け取ると全く鼻持ちならない代物なので、これをなんとかポジティブに解釈しようと多くの仏教者が頑張っていますが、常識的に考えて赤子が喋るわけないので、私たちはとりあえず放っときましょう。

 思わず笑っちゃいました。
 この文章にむかつく人は、読まない方が良いと思います。
 まあ、そういう人は、題名からして手に取らないでしょうけど。
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ベスト500レビュアー2016年12月31日
仏教は聖書やコーランにあたる根本経典すらみあたらない。呉智英が文藝春秋(SPECIAL ニュースがわかる!三大宗教)の記事で書いていたが「仏教ではそもそも何を読んだらいいのか分からない」という問題がある。以下引用。「仏教では宗祖釈迦の覚ったことが郷里であり、これが書かれている書物を『経』と言う。・・・このお経が、聖書やクラーンとはちがい、一冊ではない。お経を集成したものを『大蔵経』と呼ぶが、最も網羅的とされる『 大正新脩大蔵経[一切経]』は・・・大判サイズで実に全八十八巻・・・」。私たちが仏教の教典として定番と思っているのは各宗派の開祖や中心人物の著した書物であり、日本の仏教というのはこうしたを二次教典、三次教典を基に成立している「祖師仏教」なのだ。しかも仏教が途中から大乗と小乗に分かれたのち、日本に入ってきて広まったのは原型から遠い方の大乗仏教で、さらにこれが本地垂迹説により神仏混交の文脈のなかで発展してきたので、日本人の仏教観は自由すぎて、釈迦が覚った内容からはかなり遠く離れてしまっている。いま西洋から禅が逆輸入されて日本でも禅再発見の動きがあるが、じゃあ釈迦の悟りと禅ってどうつながってるのと聞かれてまともにこたえられる人はほとんどいないだろう。

そこでこの本の出番だ。釈迦の悟りを「全体ドカーン」という一種の生理現象と説明し、その体験から得られる世界観、宇宙観が仏教をかたちづくっていくという見立て。その過程で多くの宗派が離反融合を繰り返していった。仏教の最初の大きな分岐点にいた超重要人物が、日本ではきっちり習うことがない龍樹(ナーガールジュナ)である。龍樹は「大乗仏教を代表する凄まじい論客」として紹介される。本書の表現をかりれば大乗仏教は「ストリートでライブしているコピーバンド」のような存在で、大乗経典は「ファンタジー小説」のようなものだった。つまり、偽物感いっぱいの胡散臭い教えであったというわけだ。龍樹はあらゆるものは他との依存関係でできているという「縁起」の「空」という非常にわかりにくい思想に理論的肉づけをした。その相互依存のなかでしかなにごとも存在しないのでなにもかもそれ自体に価値はなくどうでもいい(空)となるが、一方で相互依存そのものが世界だとしたらあれもこれもどれも大切(利他行)となる。まあ、そういうことを龍樹が言って、自分の内面を追究する自分のための慈悲行が利他と結びついて、現代日本人がイメージする仏教のとらえかたに近づいた、と本書では説明している。

龍樹によってもともとかなり怪しい思想だった大乗仏教はそれなりに理論づけをされて日本に入ってきたようだが、その手前にもう一人キーパーソンがいる。『西遊記』の三蔵法師こと玄奘三蔵。彼が国禁を犯してまでインドまで行って、お経の原典を持ち帰り、漢訳した。彼の最大の関心は唯識思想であり、中国を経て日本にはこの唯識思想が仏教のメインストリームとして入ってくる。本書では唯識を「言語で区分される以前のありのままの世界全体をドカーンと感じようぜ」という修業理論であると非常にわかりやすく説明しているが、「全体ドカーンこそ悟り」というのは「大乗仏教の勘違い」であると指摘することも忘れない。釈迦は苦行の果てに「全体ドカーン」に到達するが、持続性がないとしてこれを捨てた結果「なにもかもどうでもいい」という悟りの境地に至るが、なにせどうでもいいというのが仏教の根本にあるので、大乗仏教的な考えも完全には否定されず、むしろそちらのほうがわかりやすく救いがあるということで広まった(という解釈でいいんだろうか?)。ものすごくざっくりいうとインドで生まれた釈尊の思想が龍樹によって大乗仏教というより大衆受けするかたちに変換され、それを玄奘三蔵が中国語にしたものを日本から留学した僧たちが学んだ、というのが仏教伝来の大きな流れである。

ここからがやっと「歴史教科書にも出てくるビッグネーム」が登場する。『仁義なきキリスト教史』に出てくるキャラとして最強だったのが伝道師パウロで、その描写には著者の並々ならぬ愛情が感じられたが、本書でそのVIP扱いを受けているのが最澄だ。「最澄は日本仏教界を代表する萌えキャラ」とまでいっている。そんな解釈聞いたこともないが、とにかく著者のなかではそうなっているらしい。この「最澄たん」はエリート僧だったが、一説によると東大寺に権力闘争に嫌気がさして比叡山にひきこもったが、それでかえって泊がついて出世してしまい、遣唐使として中国に渡り、天台思想を持ち帰る。

一方最澄とともに中国に渡った同時代のもう一人の天才空海は素性も知れないクソ生意気な「ぺらっぺらのルーキー」あがりというキャラで描かれている。萌えキャラとクソ生意気野郎。これからは最澄と空海のことをそんなふうにしか思い出せない気がする。クソ生意気な空海は中国語もサンスクリット語もマスターしていて、密教をスピードラーニングして帰国。高野山と東寺を下賜され、真言宗の開祖としてその後の人生を送った。その天台宗と真言宗はどちらも基本的には「世界はキラキラ輝いているんだ!」というポジティブな思想であると本書では述べている。

釈迦の悟りからかなり遠くにきてしまったような気がするが、そこは気にしないで読み進むと、さらに日本人になじみの深い法然、親鸞、日蓮ら鎌倉新仏教のスターたちが登場する。もっとも著者にかかると鎌倉仏教は「庶民にも分り易いヘンテコリンな仏教」となる。日本人の仏教観というのは宗教というよりもっと世俗的な倫理観に繋がっているような気がするのが、それはバージョン変更しすぎた「ヘンテコリンな仏教」だからなのかもしれない。この三人の立場だは、法然:「念仏さえ唱えてればオーケー、他全部やるな」、親鸞:「法然大好き!もう念仏唱えなくてもいいかも!」、日蓮:「法然ファック! 法華経サイコー。題目だけ唱えてろ」であると簡潔にまとめられている。そして法然と親鸞がナムアミダブツで日蓮がナムミョーホーレンゲキョー。それぞれが排他的で単純明快なところが共通していたという。法然と親鸞は専修念仏によって仏教を庶民化させたが、その40年後『立正安国論』を携えて登場した「ギャングスタラッパー」のような日蓮が、法然を強烈にディスった。法華経をリスペクトしていた日蓮は、法然の「強引な読み替え」が我慢ならなかったそうだ。手当たり次第同業者をディスったかどで島流しになった日蓮だが、結局修業法としては「南無妙法蓮華経」を唱えるという、あれ、法然の念仏とかわらないじゃん・・・と思うような「唱題」を推奨。このあたりになると教えも悟りもあまり関係なく、現世における救いへのニーズにこたえることが仏教の目的になっているように見える。WHATやWHYではなくひたすらHOWに走っているような。著者がそのあたりをうまく総括している。

「法然、日蓮になると・・・とにかく『阿弥陀仏を信じろ』『法華経を信じろ』という『信仰』が要求されます。単純化により彼らの仏教は「信仰」抜きでは成立しないものとなり、それはつまり、現代人の多くにとってリアリティの伴わないものとなったのです」
信仰という行為が大事であって、世界観や人間観などは脇に追いやられ、よって日本の仏教は日本人の思想的バックボーンにはなりかねてしまったといえるのではないだろうか。

最終章は禅。日本人の仏教の完成形といっていいだろう。「ありのまま」を大事にして修業さえいらないとする天台本学思想に対して、何もしないのはさすがにだめだけど庶民に修業は酷なのでそれにかわる簡単な方法を提示したのが法然や日蓮だったが、むしろさらに厳しい修行をするべきととなえたのが禅の人たち。その一人がやはり天台宗から出てきた道元だった。彼らは「いつも修業していることが悟り」とうスタンスで、これが修証一等という考え方だ。修業をしている状態がありのままだとすると、「ありのまま」を大切にする天台宗の教えとも矛盾しないというわかったようなわからないような話だけれども、本書にはそうある。

禅は坐禅(もとはヨガからきている?)の実践と中国の老荘思想の影響を特徴としているらしいが、要は達磨大師を始祖とする「坐禅を通して自分の心がキラキラしていることに気付く」という教えである、というのが本書の見解。禅はのちに南宗禅と北宗禅に二分されるが来たが滅んで、南だけがのこり、そこから分派したのが曹洞宗や臨済宗などの宗派。曹洞宗はひたすら坐禅する黙照禅、臨済宗は公案などを用いる看話禅。最後のエピソードは良寛の話で、悟ったあと悟り臭さを抜いて自然体になるための「悟後の修行」を経た良寛は動植物にも惜しみなく愛情を注いだ聖人のような人物として伝えられるが、伸びてきた筍のために家の床や屋根を切ってやるような行為をふつうのオッサンがやったらたんなる奇行じゃないか(良寛だから褒められる)というなんとも回収しづらい落としかたで終わっている。

全編を通じて仏教を揶揄するような書きっぷりはもちろん意図的で、むしろわざわざそれをするために書かれたのが本書であるわけで、そこには著者の宗教は必ずしも「聖なる」もの」でも「正しいもの」でも「ありがたいもの」でもないという考え方がある。どんなに理論武装しても美化しても、人間が作り出したものには歪みや汚れがある。それも含めて地上にあるもっとも人間性が営みとして宗教ほどダイナミックで面白いものはない、パンクでロックであり、極道な世界なんだよ、ガッデム!ということになるのだろう。仏教の重要人物などあげればきりがないなかで、釈尊、龍樹、玄奘三蔵、最澄&空海、法然&日蓮、道元など・・・と、インドから日本に仏教がわたってきて定着する流れの結節点となる人物の選択と、キャラクター設定が秀逸だった。パンクロッカーと謎のジジイのくだりは最初と最後だけでもよかった気もするが、膨大な文献を読み込んでその内容を抽象化してエンタメ作品として再構成する能力には脱帽。
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2017年9月25日
ネタに走っているようでいて実は真面目に解説してるのか、実用性は捨てて全力でネタに走っているのか、両極端に見えますがどっちに転んでもやっぱりネタに投球していることに変わりはない架神恭介の実用書/宗教解説書シリーズのひとつです。

ふざけていることに変わりはないのでやっぱりすごく真面目な方にはお勧めしがたいんですが、案外政治的に色はなく注意を払っているのがわかるので意外と慎重かつ丁寧、誠実に論を進めているかなといった印象です。
「シリアスな笑い」と「謎の感動」が同居する作家架神恭介の作風にハマれる人には実用書としての枠組みを越えた物語としての面白ささえ提供できるかもしれません。

仏教思想についてどう語ってくれてるのかなー? って疑問については他の人が回答してくれていると思うので、その辺の説明は放棄して別のプレゼンをします。

この本、架神恭介って作家を読む上では結節点に当たるかもしれない結構重要な著作です。
後年に出た代表作である『戦闘破壊学園ダンゲロス(ダンゲロス・シリーズ)』はこの本でも語られた仏教の縁起観(言葉による世界の切り分けが認識だとかうんらかかんたら)が世界観の構築に密接に関わっています。
漫画版、小説版を読んだ後、手ごろな本はないかなーって見つけて読んでみたところ、そっかー! って腑に落ちました。元ネタはこれか、って言うと不誠実な動機かもしれませんがそういう切っ掛けもあるということでご容赦を。

政治面から成立する宗教の観点については『完全教祖マニュアル』で補完されていると思うので、その辺が弱いと思った既読者はそちらをご参照を。

あと、この本のストーリーラインの主人公は『よいこの君主論』で覇権確立を阻むライバルのひとり「まなぶ」くんと同一人物かはともかく同名だったりします。
同一人物だと仮定して、彼がパンクロックに走ったきっかけはネットの海のどっかに転がっていると思うのでお手隙の時にでも探してみてください。

パンクロックについてはセックス・ピストルズを軸に精神性を語った『完全パンクマニュアル』があります。
実用性?(パンクロックに実用性なんざ求めんな、タコ!)はともかく、その辺作者の中で噛み砕いて乱暴でも自分のモノにしているので、説得力は大いにあります。
たぶんその結果、この本でパンクロックと仏教思想ってものを精神論として同列に並べて語ることになったと考えると、あっちの方も必読かはともかく、楽しむ上では外せないかなと思います。

この後に世に送り出すことになる『仁義なきキリスト教史』など一連のキリスト教と謎要素のハイブリッド本もこの『もしリア』の文脈を踏まえ、加えて仏教への架神流理解を踏まえてのものと考えると興味深いです。

で、ほかの紹介もそこそこに、この本に戻りますと。
この手の本にしては意外と字が多いですが、ストーリーパートと解説パートのメリハリが意外とついてるのと、太線表記とかQ&Aのやり取りが親切なこともあって他の著作の例に漏れずとても読みやすいです。

気楽に仏教のことを学べるじゃなくて知ることが出来るので、単純な知識のみならず、物事の観点が変わります。ちょっぴり怪しい言い方をすれば世界が広がるってのはこのことなのかもしれません。どっかーん!
詳しく「まなぶ」のはのちほど、とりあえず知るってことで。

で、最後に繰り返しますと。
この本、おふざけとおまじめの境界線がすごくあいまいですが、「そんなのいいじゃねーか」「ありのままに」って作者のメッセージは否応なしに伝わってきます。
そんなパワーあふれる一冊だと思うので、むしろダンゲロス関係なくいろんな接点から読んでほしいかなーって思う次第です。
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2016年11月8日
不真面目な登場人物、笑いを狙った文章、バイオレンス…パッと見はとにかく仏教書とは思えない程、ラディカルな内容。でも読み進めて行くうちに、あら不思議、他の仏教書を読んでも分からなかった仏教の大筋が把握できてしまう。そして悩み深い時に読むと意外と心が癒される方法論も盛り込まれてたり。一筋縄ではいかないけど、この道に興味のあるお方は一読の価値あり。(追伸)どうもプロの仏教者の方々にはカチンと来る部分もあるようで、実際に解説者の方もお嫌いなようです。まあ人の考え方も色々、仏教のアプローチ方法も色々って事で。
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2011年1月4日
極めて軽薄なノリの仏教入門書。
パンクロッカーまなぶが歴史上の名僧たちと殴り合いながら、悟りの境地を開いてゆく。
同時進行で仏教の歴史と思想をなでるように解説。
難解な仏教思想がこれ以上ないというくらいシンプルに、かつ分かりやすく説明されている。
なお、分かりやすさを重視するために、必ずしも正確ではない書き方をしている部分もあるようなので、まじめに勉強したい人は専門書で理解を深めるのがよろしいかと。

以下、劇中における各名僧の描かれ方について、感想。

・釈尊
「クーッキャッキャッキャーッ!」
完璧にイッてる。
世のお釈迦様のイメージを完全に振り切っていた。
本作を執筆するにあたっての筆者のスタンスを如実に物語っているキャラクターといえるだろう。
本作を読み終えて、「色々なヤツが出てきたが、やはり釈尊が一番ヤバかった」と思わせてくれる強烈さ。

・龍樹
「グ、フ、フ、フ、フ……」
こいつもヤバかった。
まるで「北斗の拳」の中ボス(ハートぐらい?)みたいなイメージ。
釈尊と違って龍樹なんてほとんど知らなかったから、私の中の龍樹のイメージがこれで固まってしまった。
どうしてくれるんだ。
なお、この辺りでジジイが只者でないことも判明。

・玄奘三蔵
ムキムキのオカマ。
西遊記よろしく孫悟空達を従えていた。

・最澄たん
最澄たんかわいいお。
空海がマジパねえ天才だということはよく分かった。

・法然
専修念仏を編み出すまでの過程は凄まじいの一言。
長い年月をかけて築き上げてきた仏教の理論をここまで強引にねじ曲げるとは、一週回って素晴らしい。
なお、この辺りでまなぶが名僧たちといい勝負をするまでに成長。
悟りを開く時も近いか・・・?

・日蓮
マジでリアルなギャングスタラッパー。
法然もぶっ飛んでたが、日蓮も相当ヤバイ。
なお、日蓮の発する韻を踏んだラップに実によくできている。
これには、作者の日蓮への愛を感じずにいられない。

・禅僧
何やらワラワラ出てきた。
まなぶをギタギタのボロボロにして、悟りの境地へといざなう・・・。

・ジジイ
で、結局ジジイは誰だったのか?
作中に答えは明記されていないが、ヒントになるような記述は散見される。
私は仏教に詳しくないので正確には分からないが、おそらく経典とかに出てくる有名な神様か何かなのかな・・・?
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2014年5月8日
仏教って何?っていう人向けに面白おかしく書いた軽いノリのライトノベル風入門書です。釈尊から龍樹、最澄、法然、日蓮など重要人物を章毎に解説していて、前半はパンクロッカーと重要人物との掛け合い、後半は解説というスタイル。

パンクロッカーとの絡みは、はっきり言って面白くない。本質を捉えたストーリーでもないし、ゲロやファックばっかりで、読んでも仏教イメージがまったくわかない。

解説もあまりにも多くの情報をさらっと解説していて、文章そのものは平易で読みやすくても理解はし難い。解説はしょりすぎ。表現もライトノベル的感覚表現で、軽いというよりはやや下品に感じる部分も多い。

そうはいっても仏教ってなんだろう、というのを軽い気持ちで触れて見る最初の一冊としてはありかも。この一冊で仏教分かった気になるのは危なそうですが。
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2010年10月24日
難しい仏教の専門書を読んだ後にこれを読むと、あれはこういう事だったのかとより理解が深まる。補助教材としてどうぞ。ファッキンシット!
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2013年6月9日
 ま、時流に当て込んだタイトルで、大した期待もせず読み始めたが、フットワークの軽いライトノベル調の文体で、読むのに殆んど努力感が不要であった。若干、通俗的紋切り型な表現がストーリー部分に見られたが、まあ我慢できる程度。
 当方、パンクロックには全く何の思い入れも大した背景知識も無く、仏教入門書の主人公がパンクロッカーである必然性やメリットは通読後も全く分からず、むしろ主人公はニートかフリーター、あるいは新型うつ病の若手社員くらいにした方が市場需要にもマッチしたのではないかと思う。

 さて、内容だが、仏教の解説部分は斬新且つ大変分かり易くVERY GOOD!特に仏教的解脱を「どうでもいい」、三昧体験を「ふしぎなきもち」「全体ドカーン」、出家者のセックス禁止に関連して「己のチンコをアナルに突っ込んではいけない」などの表現法は大ヒット。適菜収のニーチェ&B層解説に匹敵する天才的言語感覚だと思う。

 が、問題は肝心の主人公パンクロッカーのメインストーリーが単調すぎるし、発展も意外な展開も全く無く、釈尊⇒龍樹⇒・・・と次々と殴り合いしては、ゲロを吐くってパターンの繰り返しで、仏教ビッグネームを登場させている意味が殆んど無い。最澄だけが作者の萌えキャライメージ全開で、やや異例な展開したのみ。しかし、各キャラの教説はストーリーには全く反映されていない。で、ラストまで主人公は無明状態のまま、何の成長もせずじまい。

 いっそのこと「完全仏教マニュアル」みたいな、チャラい系解説本にした方が良かった気がする。
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