上位の批判的レビュー
5つ星のうち1.0この人に権力の監視は無理だと思った
2019年8月25日に日本でレビュー済み
基本的に時評であるからその性格上物事を深く探求した内容ではない。それゆえ少し物足りない気もするが、なるほどと思うところも多く世界情勢の勉強になる。あとは読者自身がそれをヒントにして考えるきっかけになる書であると思う。
個人的に思ったのは、門田氏は自身の使命として権力の監視を標榜しつつ、しかしながらそれができていないということだ。それは新潮45の休刊について書かれた章を読んで感じたことである。
ここで門田氏は大好きな自民党やその仲間たちを擁護するためにかなり強引に論を進めている。おそらくこの論調の苦しさは門田氏自身も分かってはいるが、大好きな自民党のためにしょうがなくやっている感じが伝わって来るように思える。
発端の杉田水脈氏の論文であるが、そもそも「LGBT支援の度が過ぎる」と銘打ちながら具体的にどの支援がどの程度に度が過ぎるのかが指摘できていない。その上で同性婚とは直接的関連の無い少子化対策を持ち出して、LGBTよりも少子化対策に税金を使う方が「生産的」であるとする。ここで杉田氏は同性婚に反対するための方便として無関係な少子化対策問題を取り上げるという論理のすり替えをしているだけなのである。杉田氏は別に少子化対策には大して興味ないのである。その証拠に例えば「今LGBTにかけているこの税金をこちらの少子化対策に回せばこれだけの効果がある」等の具体的提言が全く無いのだ。
それなのに門田氏は「これは政権や行政機関の少子化無策に対する猛烈な批判だ」などとおだててみせる。
また小川榮太郎氏についても苦しい擁護をしている。「(小川氏が)「痴漢をする権利を認めよ」と主張していると読んでしまった人もいたわけである」などと分析しているがさすがにそれは甘いだろう。小川氏が性的マイノリティーと性的犯罪者とを同列に扱っていることが問題視されているのだから。だいたい小川氏はLGBTの人々のことをあたかもまるで性欲変態モンスターであるとでも言いたげな偏見ばかり書き殴っているのだ。LGBTと一口に言っても、そこは異性愛者と同様に性的に奔放な人もいれば一生誰とも性交渉を持たない人たちも当然いるのだ。LGBTである条件に同性と性交渉をした経験の有無は十分条件であり絶対条件ではないのだ。門田氏は「もっと諧謔的な表現方法で書けばいいのに、と思った」などと言うがこれは諧謔的に書けばオッケーなどという軽い問題ではない。差別というのは差別する側にその自覚がないままに起きるもののだからそこは反省するべきであると思う。
門田氏はまずいことに「ここに出版社の社長が出てきて、「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられました」と、これを一方的に断じ、外部の批判勢力を勢いづかせるような声明を出してしまったのだ 」などと書いてしまっている。この新潮社社長の発言は至極もっともであって、小川氏の文はだいぶ常軌を逸していたのは事実である。それにこの発言によって「外部の批判勢力」が「勢いづ」いた事実は無い。だいたい、門田氏はもしも朝日新聞社長が従軍慰安婦等の捏造記事について上記のような発言をしたとしても、やはり「外部の批判勢力(この場合は保守派層)が勢いづく」などと書くであろうか?よもやそのようなことは書かないであろう。そもそもLGBTはその政治主張や国籍などに関係なくどこにでも一定数存在するのであり、LGBT=サヨク・パヨクなどという図式は成り立たないのであるが、同性婚反対派はなぜか右派対左派の対立構造を元に発言をするのだが、単なる誤認であろう。そもそも同性婚の議論のポイントは「法の下の平等」である。杉田氏小川氏や門田氏の同性婚反対論者はその点をはっきりと言及せずに論点のすり替えをくり返して煙に巻いていると思う。同性婚を認めないことが法の下の平等に反しないことを論理的に説明する以外にないのだが、それをせず論理のすり替えに終始している。
門田氏は権力の監視を標榜するのであれば、権力者のこうした「論理のすり替え」にはもっと敏感になるべきではないのか。