上位の批判的レビュー
5つ星のうち1.0この戦略こそ当時の日本の楽観論に基づいた実現不可能なもの
2018年12月5日に日本でレビュー済み
当時の多数の軍人が「あの戦争は無謀だった」と明言しているのに、何故戦後生まれの著者が「あれは勝てる戦争だった」と言えるのか不思議だ。著者は歴史学者ではないらしく、突飛な主張も致し方無いのかもしれないが。
著者が依拠しているのは、「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」である。戦争が始まる直前の昭和16年11月15日決定されたものである。全容は、以下の通りである。
方針
一、
速やかに極東における米英蘭の根拠を覆滅して自存自衛を確立すると共に、更に積極的措置に依り蒋政権の屈服を促進し、独伊と提携して先ず英の屈服を図り、米の継戦意志を喪失せしむるに勉む。
二、
極力戦争対手の拡大を防止し第三国の利導に勉む
要領
一、
帝国は迅速なる武力戦を遂行し東亜及び南太平洋における米英蘭の根拠を覆滅し、戦略上優位の態勢を確立すると共に、重要資源地域竝主要交通線を確保して、長期自給自足の態勢を整う。
凡有手段を尽くして適時米海軍主力を誘致し之を撃滅するに勉む。
二、
日独伊三国協力して先ず英の屈伏を図る。
(一)帝国は左の諸方策を執る
イ、濠洲印度に対し政略及び通商破壊等の手段に依り、英本国との連鎖を遮断し其の離反を策す。
ロ、ビルマの独立を促進し其の成果を利導して印度の独立を刺戟す。
(二)独伊をして左の諸方策を執らしむるに勉む。
イ、近東、北阿、スエズ作戦を実施すると共に印度に対し施策を行う。
ロ、対英封鎖を強化す。
ハ、情勢之を許すに至らば英本土上陸作戦を実施す。
(三)三国は協力して左の諸方策を執る。
イ、印度洋を通ずる三国間の連絡提携に勉む。
ロ、海上作戦を強化す。
ハ、占領地資源の対英流出を禁絶す。
三、日独伊は協力し対英措置と並行して米の戦意を喪失せしむるに勉む。
(一)帝国は左の諸方策を執る。
イ、比島の取扱は差当り現政権を存続せしむることとし、戦争終末促進に資する如く考慮す。
ロ、対米通商破壊戦を徹底す。
ハ、中国及び南洋資源の対米流出を禁絶す。
ニ、対米宣伝謀略を強化す。
其の重点を米海軍主力の極東への誘致竝米極東政策の反省と日米戦無意義指摘に置き米国与論の圧戦誘致に導く。
ホ、米濠関係の離隔を図る。
(二)独伊をして左の諸方策を執らしむるに勉む。
イ、大西洋及び印度洋方面における対米海上攻勢を強化す。
ロ、中南米に対する軍事、経済、政治的攻勢を強化す。
四、支那に対しては、対米英蘭戦争特に其の作戦の成果を活用して援蒋の禁絶、抗戦力の減殺を図り在支租界の把握、南洋華僑の利導、作戦の強化等政戦略の手段を積極化し以て重慶政権の屈伏を促進す
五、帝国は南方に対する作戦間極力対ソ戦争の惹起を防止するに勉む。
独ソ両国の意向に依りては両国を講和せしめ、ソ連を枢軸側に引き入れ、他方日ソ関係を調整しつつ場合によりては、ソ連の印度、イラン方面進出を助長することを考慮す。
六、佛印に対しては現施策を続行し泰に対しては対英失地恢復を以て帝国の施策に協調する如く誘導す。
七、常時戦局の推移、国際情勢、敵国民心の動向等に対し厳密なる監視考察を加えつつ、戦争終結の為左記の如き機会を捕捉するに勉む。
イ、南方に対する作戦の主要段落。
ロ、支那に対する作戦の主要段落特に蒋政権の屈伏。
ハ、欧州戦局の情勢変化の好機、特に英本土の没落、独ソ戦の終末、対印度施策の成功。
之が為速やかに南米諸国、瑞典、葡国、法王庁等に対する外交竝宣伝の施策を強化す。
日独伊三国は単独不講和を取極むると共に、英の屈伏に際し之と直ちに講和することなく、英をして米を誘導せしむる如く施策するに勉む。
対米和平促進の方策として南洋方面における錫、ゴムの供給及び比島の取扱に関し考慮す。
全文を読めば分かるが、この戦略、当時の同盟国のドイツの勝利、あるいは優勢に完全に依存しているのである。ドイツがヨーロッパ戦線でイギリス相手に有利に戦況を進めていた頃に立案された戦略だからだろう。日本の軍人の間では、「バスに乗り遅れるな」がスローガンとして広まっていた。戦略案では、当時の同盟国の「ドイツ、イタリアが~を行う」といった類のものが多いが、当然日本はそれらの国と全く協議していない。例え協議しても、ドイツ、イタリアは日本の作戦に従わなかっただろう。(ちなみにドイツは日本の希望を無視して「ソ連を攻撃しろ」とだけ要求し続けた。日本は日ソ中立条約を理由にその要求を拒絶した。)また、この戦略の骨子であるイギリス屈服は、1943年にその実現が難しいとの理由で軌道修正を余儀なくされている。
次に、アメリカに短期決戦を仕掛けてダメージを与え、講和に持ち込もうという作戦だが、アメリカはその程度では屈服しないだろう。日本との国力、生産力の差がある事は当然認知していたし、アメリカの戦略は長期戦の末に日本を占領する事であったから。実際日本はレイテ戦後に講和を求めたが、アメリカににべもなく拒否された。
次に、蒋介石政権を屈服させるとの事だが、そもそも日中戦争がこじれた結果、インドシナに侵略の手を伸ばしてしまい、その為に米英の反感を買った訳である。蒋介石に勝利する有効な手立てを日本は持っていなかった。もしあれば、太平洋戦争は起きなかっただろう。
スウェーデン、ポルトガル、法王庁に対し戦争終結の斡旋を期待するとの作戦だが、それらは国際社会における勢力が弱く、米英に対する牽制には到底なり得ない。実際、昭和20年にスウェーデンとの間で終戦工作を行ったが、実現はしなかった。
以上見てきた結果、どう考えてもこの戦略は実現可能とは思えない。正に、机上の空論である。戦略と呼べるものではなく、こうなったらいいなという夢想、願望のレベルである。日本は、こういった軍人達の楽観論を基に無謀な戦争へ突入していった、これが歴史的事実である。
追記
2015年12月の毎日新聞の記事では、歴史家の保坂正康がこの腹案の文章を起草した人物に取材した結果が掲載されている。「文章を起案した陸軍省軍務課の高級課員は後年、昭和史家の保坂正康さんの取材に対し、開口一番、「考えてみれば無茶苦茶な話ですよ」と語ったという。勝利の確信も持てぬまま上司に作れと命じられ、頭の中でこねくり回した文字通りの「官僚の作文」だったのだ」「その当人も驚いたのは苦しまぎれの文案がそのまま軍と政府の首脳の間で異議なく了承されたことという」この腹案を考えた人物ですら、戦争に勝てるとは思っていなかったのである。
追記その2
著者は、コミンテルンの工作によって日本が戦争に引きずり込まれたとする、いわゆる陰謀史観の持ち主であるようである。しかし、この史観には根本的な矛盾点がある。1つ目。コミンテルンはそもそも諜報機関ではない。陰謀論者はコミンテルン、NKVD、GRUの区別が全くついておらず、一緒くたに扱っている。例えば、リヒャルト・ゾルゲはGRU所属である。2つ目。コミンテルンが最後に大会を開いたのは1935年であり、以後も活動は続いたものの、形骸化が進み、1943年に解散している。(そもそもスターリン自身が一国社会主義を唱えており、世界革命には疑問を持っていた)3つ目。コミンテルンの日本支部であった日本共産党は、戦前、戦中も一貫して日本の戦争に反対し続けた。コミンテルンが日本を戦争に引きずり込もうとしているのに、その支部は日本の戦争に反対だった。この矛盾をどう説明するのか。4つ目。コミンテルンの陰謀を主張する人は、高い確率で日本は戦争でアジアを解放した、と主張する。著者も同じ考えを持っているようである。しかし、彼らによればコミンテルンによって日本は戦争に引きずり込まれたのだから、アジアを解放したのは、コミンテルン、ひいてはソ連のお蔭になってしまうが、この矛盾をどう考えるのか。陰謀論者は、以上の点について明確な答えを出せていない。
追記その2で触れた問題について、上の主張を裏付ける資料がある。以下に引用する。
『コミンテルン資料集』第4巻(大月書店)より1928年のコミンテルン第6回大会の決議について
「帝国主義戦争に反対する闘争と共産主義者の任務 A プロレタリアートは帝国主義戦争に反対してたたかう(中略)共産主義者は、帝国主義戦争が避けられないことを確信しているとはいえ、この戦争のために苛酷きわまる犠牲を強いられる労働者大衆とすべての勤労者との利益のために、全力をあげて帝国主義戦争に反対し、プロレタリア革命によって戦争を予防するために、ねばりづよくたたかうのである。」(同書380ページ)
以上のように、コミンテルンは明確に帝国主義戦争に反対している。支部である日本共産党も、この方針に則って、日本の戦争に反対していた訳である。コミンテルンの方針がこうなのだから、日本を戦争に引きずり込むなどという陰謀は成り立たない事が分かる。
ヴェノナ文書について
ヴェノナ文書の信憑性・資料価値については、アメリカのリベラル層から手厳しい批判を受けている。佐々木豊氏の論文を参考にすると、以下の人達が批判を加えた。
シナイアー夫妻「ヴェノナ文書が本当に動かし難い証拠であれば、何故FBIはソ連のスパイを巡る裁判でそれらを提出しなかったのか。裁判の証拠として使えるレベルではなく、断片的な証拠に過ぎないのではないか」(アメリカでは被疑者の取り調べを重要視しておらず、盗聴により得た情報も「非供述証拠」として有力な証拠となる)
「ヴェノナ文書を構成するソ連の外交公電がロシア語から英語に直されるまでの間には複雑な過程があり、オリジナルのやりとりが曲解されて英語に直されているのではないか」
ナヴァスキー「ヴェノナ文書にある349名は、一概にスパイとは言えず、事情を知らずに善意で協力した人や、今後の潜在的協力者として名前を挙げられた人もいたかもしれない」
シュレッカー「アメリカ人スパイがソ連の諜報機関に与えた幇助とはいかなるものか、また、アメリカ人スパイの渡した情報がソ連の外交政策にどのような影響を与えたかは解明されていない」
ヴェノナ文書を重視する研究者は以上の疑問にほとんど答えられず、佐々木氏も彼らが主張するほどヴェノナ文書の資料的価値は高くない事を認めている。