上位の批判的レビュー
5つ星のうち1.0これを保守主義のバイブルと言って良いものか
2016年9月4日に日本でレビュー済み
問題点が非常に多い本です。
全てを挙げることは出来ないので、本当なら挙げたいくらいですが
その一部を批判してみます。
先ずハミルトンや制憲会議、そしてそのメンバーたちは「アメリカに民主主義を作ろうとしたのではない」とこの筆者は言います
大きな間違いです
制憲会議のメンバーは「民主主義の行き過ぎ」について懸念を表明し、個人の財産についての明確な保障が必要だと感じており
そして各邦があまりにもバラバラなのでそれを統合するべきだという事で、幾つか段階を踏んで制憲会議に臨んだのです
重要なのは民主主義の行き過ぎの部分であり、民主主義を否定していたわけではありません
「民主主義という言葉が使われていないではないか」と筆者は言います
当時の思想的な状況においては、民主主義というのは「多数の暴走を起こすもの」で、安定した政治体制ではないという認識が一般的でした
それは当然です
貴族制、王制の国が圧倒的に多かったのですから、彼らからすれば「民主主義は暴走するが、その民衆の暴走を統制することが出来るのは、巨大な権力を持つ王と貴族の権力分立である」という図式を作りたかったわけです
そしてこのような状況下にあっては、制度としては民主主義制度であっても言葉として民主主義というのを大きく取り上げる政治家も思想家もいないわけではないのですが、稀でした
実際、ハミルトンと共にフェデラリスト・ペーパーズを執筆した初代連邦最高裁判所長官のジョン・ジェイは、当時の判決の中で
「主権は人民に存する」とはっきり明言しています
ちなみにこのジェイは、ジェイ条約を締結したハミルトンと同じ連邦主義者、この筆者的に言うならば「保守主義者」です
合衆国憲法は、民主主義を否定していません
行き過ぎた、暴走した民主主義を否定し、どうすれば多数による暴走を抑えることが出来るのかと苦心していたのです
そしてその結果が、チェックスアンドバランスや三権分立などの制度になるわけです
このような建国の父たちの苦心とその結晶である合衆国憲法を、筆者の身勝手な解釈で捻じ曲げることはさすがに許せません
そして筆者はさらに「人権という言葉も合衆国憲法にないではないか」、と言います
呆れ果ててしまいます
重要なのは人権という文字ではなく、人権という言葉の意味です
合衆国憲法に権利章典の修正がついたわけですが、というかこの修正なくしては合衆国憲法は成立しなかったわけですが
その修正こそが、権利の章典であり、これは「意味的に人権」に類するものです
人権という文字を使ってないからどうたらって話ではなく、人権という意味が重要なのです
例えば、ゲリラなどという言葉は近世に生まれたものですが、それ以前にゲリラ戦術はなかったのかと言えば当然ありました
つまりはそういう事です
他にも、バークやコーク、ブラックストンなどについても山ほど批判したいことがありますが
文字制限上書き込めないのが残念でなりません
これは学者個人による解釈の問題ではありません
思想家や偉人の発言などを自分の考えに合う部分だけを切り取って、そこから強引に理論を進めているところに問題があるのです
実際、ハミルトンの政敵であり、よりリベラルな思想を持っていたジェファソンにしても民主主義の行き過ぎに対しては懸念を表明しています
つまり「そこだけを抜き出せば」、この筆者の主張だとジェファソンですら「保守主義者」になってしまうわけです
とにかく、何も知らない人が読んでこれを「バイブル」だといってしまうこの状況を良いとは思えません