上位の批判的レビュー
5つ星のうち2.0事象の観察・追究というよりは宗教的な割り付けだと思います
2018年12月7日に日本でレビュー済み
このタイトルを見て「臨死体験を信じないのだな」と思われた方には申しわけありませんが、わたしは再生不良性貧血で一回、悪性リンパ腫で一回、臨死体験をしています。共通項目 ----- 光のトンネルやお花畑 ------ は出てきませんでしたし、「幸福感」もありませんでした。直径10m、深さ100mくらいの深くて湿った穴の内側の凹凸(地下5mくらい)に足を踏ん張って転落しないようにしていました。後日偶然ラーゲルクヴィストの『バラバ』を読んで、ラザロが死後の世界について話すくだりで、この感じに近いなと思いました。この『臨死体験』でも立花氏は次々と被験者を連れてきて「ほら、同じでしょう」と主張していますが、いくら積み重ねてもそこからの帰納的証明はできていない。どれも「 ad hoc 」な一致だという気がします。わたしの「反例」はどう処理されるのでしょう。
20年以上も前でしょうか、NHKが立花さんと河合隼雄さんが臨死体験について話す番組を流していました。立花さんに「うん」「ウム」「ふん」「うん」「うん」とひっきりなしに相槌を打つ癖があるのが気になりました。田中康夫という人にもおなじクセがあって相手から「俺、いましゃべってるんだよ」と叱られていました。
最後に、「地獄の黙示録」。最終シーンを監督が削除したことについて。「みんな平和の大切さに気付いて剣を捨てたのである」。立花隆氏と村上春樹氏がこの解釈で合意したと聞いたときは驚きました。マーチン・シーンがマーロン・ブランドを殺して神殿の階に姿をあらわし、血塗られた蛮刀を力無く捨てると、神殿前の信者達は静かに跪いて剣を置きます。彼らに武器を置かしめたのは「平和の尊さ」ではなく「新しい王への恭順」であるとしか、わたしには見えない。こういうことを言うと「まあ、どう思うかは『人それぞれ』だから」みたいな「潰し」が来るのですが、そんなことなら最初から皆で茶話会でもしておればよい。この削除の理由は「外圧」だ、としか考えられません。そうでないとフランス人のプランテーションにおける対話も切られたことと整合が、つかない。
以上です。