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2011年9月1日
北アルプスや南アルプスに行くと、百名山にチャレンジしている人に出会うことがある。
話をしてみると、自分はもう70座登った、80座登った、次はこの山、その次はあの山、と話は尽きない。
しかし、よく聞いていると、この人、「日本百名山」を読んでいないな、と気づくことがある。
その度に、「日本百名山」のブームってなんだったのだろうと思う。
深田久弥の文章に憧れて山に興味をもったのではなくて、百名山のリストに振り回されているだけなのではないかと思ってしまう。
そしてその度に、「日本百名山」の山岳文学としての価値と、百名山リストに振り回されている素人登山家の行動とを混同してはいけないと思う。

この本はいい本だと思う。日本の山の中から、百山を選んで紹介するという企画もいいと思う。
こういったコンパクトなガイドブックや旅行記を作ることは、日本人のお家芸なのではないかと思う。

(こういった本に対して日本人の精神の貧困さを嘆く評論家がいるが、そのとおりかもしれない。いい車に乗ること、いい大学に入ること、いい会社に入ること、出世すること、ブランドものの洋服を着ること、煎じ詰めれば、これらのことは貧困なる精神のなせるわざだと思う。そして私は、自分を含めて、貧困じゃない精神の持ち主に出会ったことがない。また、貧困じゃない精神の国が、有史以来存在したためしがないことを確信している。)

本書に対する批判としてよく言われるのは、百名山に選ばれた山だけに登山者が殺到し、選ばれなかった山は寂れていくというものがある。
しかし、本書によって山の格差が生まれたのだとしても、その責任は、深田久弥だけが負うべきものだろうか。

葛飾北斎の「富嶽三十六景」を見て、世界中のどれだけの人が、富士に憧れ、富士を描き、富士を訪れたか。
(そして富士山ばかりを描いているからといって、北斎を非難する人がいるだろうか?)

十返舎一九の「東海道中膝栗毛 上 (岩波文庫 黄 227-1)」を読んで、江戸の人々は、どれほど旅に憧れ、旅に出て、珍道中を経験したか。
(そして東海道ばかりを書いているからといって、一九を非難する人がいるだろうか?)

芭蕉の「おくのほそ道(全) (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)」を読んで、どれだけの人が松嶋や平泉を訪れ、つわものどもの夢の跡を眺めながら、一夜漬けの風流人になり、慣れない俳句をひねったか。
(そして東北・北陸ばかりを書いているからといって、芭蕉を非難する人がいるだろうか?)

深田久弥の「日本百名山」を読んで、どれだけの人が山に興味を抱き、山の面白さに開眼し、山に入っていったか。
(そして、百の山だけを書いているからといって、深田久弥を非難する人は、・・・・・なぜか絶えない。)

しかし問題は、本書自身にあるのではなくて、この本に匹敵する本がまだ出てこないという点にあるのではないか。
田中澄江(花の百名山 (文春文庫 (313‐1)))や岩崎元郎(ぼくの新日本百名山 (朝日文庫 い 63-1))をはじめ、いろんな人が本書に類する本を書いているが、本書には及ばないと思う。
つまり、深田久弥の1人勝ち、対抗馬がいないことに批判される原因があるのではないか。

(この本を非難している暇があったら、深田久弥が選ばなかった素晴らしい山を一山でも多く紹介すれば良いのにと思ってしまう。そういった努力をせずにいるから、本書が絶対的な権威になってしまうのだと思う。)

深田自身、本書が日本の百山リストの決定版であるとは考えてはおらず、叩き台のつもりで書いたのだと思う。
彼もきっと、自分の後を継ぐ人が、続々と出ることを望んでいるはずだ。

この本を叩き台にして山について話をすることは楽しい。
しかし、そのような経験は、これまで、ほとんどなかった。
百名山ハンターのほとんどは、「日本百名山」を読んでないからだ。
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2015年5月9日
はじめは、『山と高原地図』のような読み物かと思っていたのですが、全然違いました。
親しみのある登った山や知っている山だけしか読んでおりませんが、読んでいて面白いです。
登山好きなら手にとって損はないのではないでしょうか。
今でこそ、登山口までのアプローチが車で乗り入れできることがほとんどであり、
また登山道が整備されておりますが、昔は相当自分の足を頼りにし、地元の村の人に
お願いをしていたことと想像します。
きっと、まだほとんど人の手が入っていない本当の自然を目の当たりされていたことでしょう。
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2016年8月8日
私は若いころに本核的な登山(北アルプスやロッククライミングを含む)を経験していますが、今は仕事の都合で山に入ったり、家族を連れて日帰りハイキングをする程度で、「登山が趣味」とは思っていません。当然、百名山踏破!なんて夢にも思わないです。
本書を手に取ったのは、百名山に挙げられ、百名山ハンターたちが全国からやってくる地元の山・祖母山について何て書いてあるのか、また深田久弥氏はどういう視点で百名山を選んだのかを知りたかったから。だから祖母山の項とあとがき以外はほとんど読んでいません。読んでみて、著者の古文学や神話への造詣の深さに驚きました。また山の品格や歴史を重んじた選定というのも興味深かったです。こういう価値は単にその山を登っただけでは理解できません。いわば、登山家としての深い教養がなせる技だと感じました。
その点、百名山を踏破しようとするみなさんはどうなのでしょう?本書を読まないまま百名山踏破を目指す方々も少なからずいらっしゃるように聞きます。せめて登ろうとする山の項くらいは読んで、なぜそこが選ばれたのかは理解しないとね。
ひとつ残念なことに深田氏が祖母山に登ったのは3月中旬の一度きりだったようです。地方の山ではそういうことも多々あったんではないかと思いますが、もう少し後の季節にもう一度来てほしかった。そうすれば、様々な花が咲きほこる山として異なる印象が残ったことでしょう。
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2003年1月5日
本書の初版は1964年に出版されたが、深田は当時既に、山が開発され、人々が列をなして定食コースを歩いている姿を嘆いている。その本書が新たな登山ブームを引き起こし、山の俗化を助長したのは皮肉であった。

登山は元来、都会を離れて自然の中に孤高を求める脱俗的な行為であるが、深田にあってはこの脱俗性は旧制一高で吸収したエリート的教養主義に裏打ちされていた。深田は、精神的エリートの登山を、「大衆」の物見遊山から区別していた。しかも彼の登山は、スポーツとして特殊技能の向上を目指す「専門登山」ではなく、山を総合的に経験することを目標とする「教養登山」であった。古今東西の古典の読破が「教養」を育むように、全国各地の頂を極めることが人生での財産になる。深田はそんな肩苦しい書き方をしていないが、彼が名山巡りに向かった背景には、そのような考えがあったのかもしれない。

こうした思想は、西洋哲学を基盤とする教養主義の産物だが、それは同時に、修験道や巡礼の伝統に根ざす思想でもあった。だからこそ深田は自分の登山歴を、古くからある名所集成の形を借りて、「日本百名山」という形で表現しえたのだ。

名山巡りが専門的な「荒行」でない以上、百名山が、富士講や八十八ヶ所と同様に俗化することはいずれ避けられぬ運命であり、その意味で、深田の脱俗的教養主義は矛盾を孕んでいた。しかし、深田の山登りに含まれた淡い求道性と、日本の伝統と西洋の近代を融合しようとする姿勢は、日本登山史上の大きな遺産である。百名山が俗化しても、深田の目指した山登りは、今日なお我々に訴えかける魅力を持っている。

「日本百名山」は、近代登山が日本に輸入される過程で、誰かが書かねばならなかった本である。それが山に俗化をもたらしたにせよ、本書が深田によって書かれ、百の山々がそれぞれに個性的な肖像画を得たことは、日本の登山者にとって幸いであった。
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2012年2月14日
日本百名山は 大きいサイズの本を持っていて愛読書ですが、持ち歩くには大きすぎるので文庫本を購入しました。
旅行へ行く時、出張へ行く時などバッグに入れて車窓から見える山を この本で再確認しています。
筆者は 植物にも詳しく 登山時に花の説明があったりし、また本を書いた時期の時代背景と 現在の登山道と比べたり
何度読んでも 味わい深い本です。
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ベスト500レビュアー2015年7月28日
登山をやるなら読んだことはなくとも誰でも耳にしたことがある本です。最初から読むのではなく、文庫なので百名山にテント泊する際はもって行って登ってる山の部分をテントの中や外でコーヒーを飲みながら読んでいます。やはり山で読むとその山を選んだ筆者の想いが描かれていて気持ちが入ります。
百名山に漏れた山のことも書いてあるのも興味深い。何度読んでも山に行ったらまた読み返して楽しめる本です。
Kindleで出てくれると山でもケータイから読めるので便利なのですが、、、
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2011年1月12日
90年代半ばにNHKで日本百名山が放送されて以来、
百名山ハンターもすっかり定着した感があります。
一方でそれは山の俗化を呼んだという指摘も数多く聞かれます。
そしてそれを「深田久弥の百名山の功罪である」とする声も。

しかし僕は、その因を深田久弥その人に帰結させることは困難だと思うのです。
いわゆる百選による風景のコード化は、深田によらずとも、近現代の顕著な潮流です。
かつて歌枕や古跡名勝の地に意味の風景を感じていた日本人は、
近世の西欧文明の流入により、やがて科学的視点から風景を捉えるように変わってゆきます。
その始まりは、遡れば貝原益軒や古川古松軒などに代表される近世紀行文からも読みとることができます。
山もまた、同じようにその洗礼を受けました。

ウェストンの日本アルプス探訪記を読むと、彼が笠ヶ岳を登山を試みた際、
「山の神の居ます山だから」
という理由で、案内を拒絶されるくだりがあります。
日本人にとって、かつて山は神の宿る場所であり、
また今も大和の三輪山がそうであるように、神そのものでもありました。
かつて日本で行なわれていた修験道や仏僧による登山は、
山を征服するものではなく、むしろ精神的に山と一体となる、
という趣のものであったかと思います。
しかし山が聖性を失った近代登山は、あくまで山を対象として捉える傾向が強くなります。
主客の別が生まれたとき「100選」のような平滑化された風景概念が生まれるのは、
必然の流れではないかと思うのです。
事実「百選」は深田その人のみが考案したものでも敷衍したものではなく、
彼がやらなくても、恐らく誰かが「百名山」を作ったでしょう。

文字とは本当に不思議なものです。
一人の人間が主観的に「百名山」として綴った文章が読み継がれ、
多くの人々の中に概念を作ると、それが一種の権威となって、一般に定着してゆくのです。
僕はこういった不思議さも踏まえて、山を、風景を楽しみたいと思っています。
山の楽しみ方は千差万別人それぞれ。誰にも何にも縛られる必要はないから。
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2013年3月23日
百名山ブームと言われ、完登を目指したりする記事が
月刊誌を賑わしています。

著者はそういった喧騒を嫌い、静寂を好み、また、
山に登ることだけが登山ではなく、その土地その土地で
山がどのように人々の暮らしに影響を与えてきたか、
どのような恵み、災厄を与えてきたかを大切にして
います。

登山のガイドブックとしてだけではなく、そういった
文化や歴史、人が抱く山への畏敬の念を感じ取れる、
貴重な本であると思います。
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2015年8月17日
著者は『文學界』同人で、まず文筆家です。

『文學界』は編集陣が新体制で、若返ったメンバーで新たな文学上の夢の実現を図っていました。

深田氏は、本書を以て登山家の代表の一人と目されています。

これは元々雑誌『山と高原』に連載されたものだといいます。

『山と渓谷』、『アルプ』を読んでいる人々には、だいたい以上で説明は尽きています。

登山するという実際の行為が背後に在る描写が達意の文章で存在している、というものです。

読んでいるだけで楽しいです。
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2016年2月5日
百名山のどの山も素晴らしい。文章がいい。そして古事記や万葉集などで山がどう扱われているかの話も有って楽しい。例えば安達太良山は万葉集で読まれているとか富士山に最初に登った人は役の小角で西暦633年のことであった。そしてこのことは世界で最初に高峰に登った人物として紹介されているとある。開聞岳については開聞(ひらきき)が最初で枚聞(ひらきき)と変わったり、音読して開聞(かいもん)と変わり、さらに海門(かいもん)の字も現れたとある。現在は日本第2の高峰は北岳であるが昔は槍ヶ岳と思われていたとの記述もおかしかった。この本に万葉集、古事記、日本書記からの引用が多いのが予想外であったが「小林秀雄君と二人で登った」とあるのを読んで小林秀雄の友人ならさもありなんと思った。
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