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カスタマーレビュー

5つ星のうち4.4
13
同時代ゲーム (新潮文庫)
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2016年7月25日
日本史上、二人目となるノーベル賞作家、大江健三郎さんの大長編小説です。

他のレビュアーさんの中には、読みにくいとおっしゃっている方もいますが、それは最初の10ページ、20ページほどのことで、本題の『手紙』の章に入るやいなや、怒涛の物語がはじまります。
(『個人的な体験』や『飼育』などの実存主義文学の時代からは考えられないほど、超エンタメ級のストーリーが展開されます)

物語は、主人公が数百年に渡る自分の産まれた村の歴史と神話を妹への手紙の形で語り、分析していくという形で、途方もない時間と規模を描いてゆきます。

巻末の四方田犬彦さんの解説でもあるように、この作品はレヴィ・ストロースなどの文化人類学や神話分析理論が縦横無尽に駆使され、大江さんは、自ら創造した架空の『創世神話』を自ら分析するという、一種の大江流メタ文学を提示しています。

これだけで、圧倒的なはなれ業ではないでしょうか?

しかもストーリー自体もガルシア・マルケスやカルペンティエールのような、まるで魔術のようなドラマを矢継ぎ早に繰り出してきます。
(特に、村vs日本陸軍の戦いの章があまりに凄まじく、私は読むのを止めることができませんでした)

一方で、もしこの作品を難解だと感じた方は、山口昌男さんの新書『文化人類学への招待』やレヴィ・ストロースの著作(『やきもち焼きの土器作り』がわかりやすくて名著!)などを読んでから再読すると、喉のつっかえみたいなのがすんなり取れて納得出来ると思います。

もっとも、難しく考えずに一気読みするほうが、かえって楽しめると私は思います。

超エンタメ作家の大江健三郎さんが、ここにいます。
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2017年3月12日
大江健三郎さんの作品を読むのは久しぶりになる。学生時代は短編集などの凄みに圧倒されたものだ。そして『万延元年のフットボール』の圧倒的な迫力には相当な感銘を受けた記憶が鮮明だ。
 さて本作だが、結論からいうとあまり面白くはない。著者の熱心な読者ではないのだが、活動後半期には文章が悪文になり、その事でかなり批判をされていたが、そうなる前の貴重な作品だと思う。
 冒頭のメキシコの件は何の事かわけがわからず、「何のこっちゃい?」と感じていた。だが、読み進めていくとこれは村落共同体と近代化の軋轢ではないかと読めてきた。特に『村』と『大日本帝国軍』との戦争は、近代化に取り込まれず、過去から連綿と続いてきた村落の神話性を死守しようとする村落側からの抵抗と読めるのではないか?
 本書で展開されるテーマは大きい。『森』は著者の作品にかなりの頻度で頻出するモチーフだ。大江さんの昨今の作品はほとんど読んでいない為、いつから『森』が作品のコアを占めるようになったのかは知らない。
 だが、ラストの主人公の子供時代の森の中での彷徨は圧巻だった。それは『壊す人』とその再生を狙う旅のように思えた。
 ただ、幾つかのレビューにも散見されるよう、全体のストーリテリングが冗漫で、観念的な描写が多少読みずらい。
 しかし、僕は本書のラストに心の高揚を覚えた。
 ストーリテリングが冗漫で、無条件に面白いとは言えない作品だという事は否定しない。だが、本書は人間の根源に迫るテーマを描いた逸品であり、著者は剛腕で本作を普遍の地平へと導く。
 結論として---執拗なのだが---無条件に面白い小説ではないのでその点を引いて星四つなのだが、本書に潜在している深いコアと貴重なテーマを伺い知るためにも、一読する価値のある大力作だと思う。
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2015年11月25日
非常に読みにくい作品です。前半はあまりよくわからない。後半すぎからなんとなくわかりかけ、最後まで読むと霧がはれ、全容が見えてきます。大江作品は難しいと聞いていましたが、M/Tを読んでからゲームを読んだのてすが、M/Tのほうがま だ読み やすく、読後感もよかった。ゲームはひたすら我慢して読まないと最後まで辿り着けないくらい難しい。ただ、6割くらい読むと内容に引き付けられてどんどん読んでいけます。くじけそうでも最後まで読んでみて初めて、この作品の良さがわかり、達成感もあじわえます。短編と違って長編はとにかく難しく、読みにくい。苦労して読まないと最後の独特な読後感もあじわえません。これが大江作品の良さなのかも?独特の味のある、まか不思議な作品です。一度読んでみてください。おすすめします。
             
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2016年1月16日
この作品は全てにおいて抽象的である。そして抽象的なもの、つまり実際には永遠にわからることの無い境地を、どこまでも写実的に描いている。
物語の舞台となる「村=国家=小宇宙」は、おそらく何かのメタファーになっているのだろうという事実のみはわかる。しかし、その何かとは何かが、読者には永遠にわからない。どの文芸評論家でもわかったという人物はいなかった。わからないことを忌避する人はたくさんいる。大江健三郎の作品は未来には読まれることがないだろうという憶測があるのは、大江が悪いのではなく、読者が、わからないというものから逃げるということから来ていると思う。
わからないならわからないなりに考えればよい。私は大江作品を読んだのはこれが初めてであるが、「村=国家=小宇宙」や「壊す人」や「メイスケサン」などが登場する作品はまだまだあるらしい。個人的には最終章の宇宙から来る塊と言語についての挿話が気になった。読書なんてものは、そんな感じでいいのではないだろうか?
大江健三郎には小説家としては行き過ぎなぐらい政治的発言が多い。それを左翼だとか反日だとかいう、いわゆるポジショニングトークで位置づけようとする人もいる。確かに大江は戦後民主主義者を自認しているのだ。ただ、悪を悪と自認しない者こそが本当の悪なのではないか。そうした場合、脳足りんのネトウヨさん達は前提の時点で大江に敵うことはなく、つまり同じフィールドに立てることは無い。
その根拠はある。この本である。この本でもいわゆる「自虐史観」的な価値観が垣間見える箇所が、おもに「五十日戦争」と呼ばれる章に点在している。ただ、語り手である「僕」はあくまで当事者ではないのである。それはまるで大江の世代のコンプレックスを表しているような気がしてならない。戦争が身近にありながら戦争に関わることが永久に無いというコンプレックスであろう。
安部公房は、戦時中にすでに一つの己の秩序が形成され、それが終戦と共に全て否定された為、あのように「なにものでもない自分」を目指し、全てが否定され全てから解放されるのを目的とした。一方その一つ後の世代である大江の場合は、急速な戦後民主主義教育によって形作られた、ガッチリとした秩序の元から、それを肯定しながらも超越しようとしているのだ。その超越の根本に肯定があるから、ポジショニングトークに於いては左と目されてしまうのではないだろうか。安部の『壁』が芥川賞を受賞した時の選評として、宇野浩二が、
〈写実的なところなどは、ほとんど、まったく、ない。〉
と書き、また大江の『死者の奢り』が芥川賞候補になったとき宇野は、
〈人間というものが殆ど書かれていない〉
と書いている。しかし思うに安部や大江は、現実として事物にないものを写実的に書いているのではないだろうか。

少し話は変わるが、この本は歴史というものが書かれている。それもまた象徴的なものなのだが、古代から、歴史を書くということは、実は事実に象徴的な考察を加えて書かれていることが多い。古代の歴史書には大概神話というものから始まるというがそれを表している。つまり、物理や科学を歴史の中で否定しているという面では、この作品を読み始めて2ページで投げ出した小林秀雄と変わらないのではないだろうか。
これを見るに、昨今現実主義者達が「保守」を名乗っているが、現実を見て現実を変えようとしている面では、解放を目指した安部公房のようなリベラルとまるきり同じである。真の保守とは、夢想したその概念に生命を捧げることができる人間なのだろう。となると、この『同時代ゲーム』ではある意味保守的な啓発をしているの本なのかもしれない。これは大江の意図したものだとは思えないのである。

長い長い旅路のような読書であった。一ヶ月くらいかかってようやく読み終えた。これは凄まじいものである。しかし一回読み始めると止まらなくなるぐらい面白い。長い時間、深く物事を考える余裕のある人には是非オススメしたい。
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2011年10月1日
これほど読みにくい本はない。大江健三郎の文章はそもそも読みにくいのだが、英語を直訳したかのような生硬な文体は大江の他の小説よりもさらに顕著であるような気がする。さらに、「壊す人」「村=国家=小宇宙」といったキーワードで表される独特の世界観が何の解説も無しに本の冒頭から展開される。しかも、最後まで読み進めないとこの世界観を理解することができない。本書は大部ということもあり、本書を手に取って読破したのはごくわずかなのではないだろうか。

ただ、辛抱して読み進めると次第に物語に引き込まれて行く。特に半ば以降からは、登場人物や「村=国家=小宇宙」の歴史が暴かれ、目が離せなくなる。6つの手紙によって物語を作るという手法、複数の時代を混然と提示しつつ物語を進めて行く手法、メキシコ、四国、東京、ハワイと舞台を目まぐるしく変えることで物語の普遍性を高める手法が本書ではとられており、大江が前衛的な現代文学の手法に対して貪欲だったことが良く分かる。読破すると、世界観の壮大さに圧倒されてしまう。ここまで壮大な世界観を表現した文学作品はそうないだろう。読み手を選んでしまう小説だが、間違いなく世界最高峰のレベルに達している作品だと思う。
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2015年12月12日
約45年前に読みかけで挫折した本書を今回読了しました。途中まで読んだ時の印象の種が発芽して、また読みたくなったのだと思います。次にまた読む日が来るような気がします。そのように発酵させながら浸透する読書の楽しみを与えてくれる作品です。
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2013年8月27日
 ある集落を追放された人々が、四国の山奥に小国家を創造した。外来者どうしの両親から生まれた「僕」が、双生児の妹へと向けて書簡の形式でしたためた、《村=国家=小宇宙》の神話と歴史のすべて。
 どの語がどの語にかかっているのかわかりづらい、英文を逐語訳したような独特の文章で綴られる、現代におけるあまたのエピソード。そのそれぞれが僕の記憶と結びついて《村=国家=小宇宙》の神話や歴史を語らせる……

 つまりは日本の中にあるもう一つの小国家の創建以降の伝承を語った物語。その意味で小説内において一つの国家を造りあげるような試みを作者は行なっている。それだけでも、まずはこの厖大な想像力に敬服する。
 また、場所・時間が複雑に交差し合うエピソード群を読み終えたのち見えてくる、歴史のパースペクティブが無意味なものとなるような《村=国家=小宇宙》の超越的な有り様は、新鮮な読書体験を提供してくれるだろう。
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2008年5月19日
たしかに読みづらい作品であるかもしれない。
作品の内包する世界が重層的で、しかもそこへの入り方
がわからずに戸惑ってしまう、それが読みづらさとなって
いるように思う。
しかし、自分の表現したいことはこの形でしか描き得ない
という確信の下に筆を進めていることは、最後まで読めば
必ず感じることができると思う。
「同時代ゲーム」という題名に込められた世界観。
広げた風呂敷をラストで見事にたたむ作品構成。
そして、書き手である「少年」の叫び。
何故大江氏が小説を創り続けるのか、その深層に触れる
思いがする。
何ヶ月かかっても、ぜひ最後まで読むべき作品だと思う。
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2016年2月24日
発刊後すぐに読んだので、三十数年ぶりに再読したことになる。
まず、感じたことは、直接の影響を受けないように注意しようということだ。私は、盗作者を激しく軽蔑し憎みさえする。直接の被害さえ受けた。従って、盗作者と受け取られかねない語句や文章を書かないように細心の注意を払ってきた。大江のこの作品も同様の注意の対象だ。もっとも、全集あるいは著作集を全て読んだ日本人作家十名ほどの中に、大江は入っているので、彼の影響はぬぐえないし、私に肉化している部分さえある。たとえば、連載中のネヴァーランドにおいて、集団が川を遡り上流に定住するという構想はこの作品からヒントを得ているだろう。しかし、そこ以外は、類似する所は自分ではないと思っている。そもそも、小説の形式と、その内容と、双方とも、その神話化に、私は真っ向から対立する立場をとっている。大江は後に構造論的な知のもろもろがこの小説に流入したという意味のことを書いている。私は、構造論、構造主義にも対立する。学生時代、あからさまな構造主義的教育を受け、大いに反発したという思い出もある。森毅が、典型的な構造主義的教科書であるブルバキ叢書について、詳しく自らの体験したところを書いている。森はブルバキの翻訳者の一人でもあるが、耽溺することなく、ブルバキは整理整頓はしたものの、新たなものは何も生み出さなかった、とクールに総括していた。事は数学に限らず、例えば、悲しき熱帯の悪名(?)高い親族関係の構造分析なども、私は整理整頓のための体裁のように思ったものだ。
さて、大江は、この作品自体を異化しようとたくらみ、M/Tと森のフシギの物語を書いたという。私は、M/Tを読んだ時、これは、同時代ゲームを子供向けに書き直したのかと思った。同時代ゲームは、七編の中篇を、一編を落として、長編に組み上げた作品である。確かに整合性とつじつま合わせに苦労した結果らしい文章も散見されるが、その過程で、大江は、みずからの作品を批評し、自己批判し、異化でもって応じた。同時代ゲームという作品自体が、分散した中篇内部での異化の後、長編への組み上げにおける第二の異化を経て成立したのだ。したがって、M/Tは必要がなかった。同時代ゲームそのものが異化につぐ異化の産物であるのだから。
神話あるいは構造と、それにいかにも見合うキャラクター設定を批判することはできるが、充分な異化の複合連鎖の結果出現した大迫力を持つこの傑作は、その種の批判をなぎ倒してしまう。
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2010年11月18日
はじめは「壊す人」が、たとえば神だとしても人のかたちをしているのか、というレベルにおいてすらイメージできず苦戦しましたが、そのうちぐいぐい引き込まれます。こういう作品は世界中を探しても珍しいと思います。次はチェンジリングを読みます。
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