上位の肯定的レビュー
5つ星のうち5.0胸糞の理由と信仰心の欠如
2022年3月2日に日本でレビュー済み
本当は続刊で書きたかったのですが、休載から一年経ち、このモヤモヤを吐き出す場所が他にないのでやむなくここに。
読者の誰もが胸糞悪い、辛いという最近(?)の展開、なんで作者はこんな話を描くのだろうと考えたり忘れたりし、
結局この物語の生き物すべてに『信仰心』がないからではと思い至りました。
エクメアは金剛に祈らせる存在として人間を作ることを考え、その適任者にフォスを選びました。
言葉では『人間』と言うけれど、その役割は『救世主』と同義です。
フォスは救世主。膠着した現状を打破する存在。
その比喩が似合わないのは、月人や宝石達の誰一人も彼を敬わないから。
そこに敬愛や尊び、信仰心の元となる感情が皆無なのです。
ついでに言うと、フォス自身にも救世主に見合う能力やカリスマ性といった素養がありません。
それでも無理矢理周囲を巻き込み、誰かが痛めつけられても前進をやめないから、次第に皆離れていく。
作中でも「救世主」のタイトルがついた72話以降、この傾向は顕著になっていきます。
そんな彼を救世主に仕立て上げるため、エクメアは『変化』を与え続けて成長を促す。
フォスにとっては『試練』の連続ですが、当のエクメアにも信仰心はないから、その間カンゴームとイチャラブしたり優雅にお茶なんか飲んでいる。
まるで利用しているかのように思いやりがありません。
地球の宝石達も同様。対話もせず打ち砕いたフォスを放置し、自分達は無為に過ごし続ける二百年。
月の宝石も月人達も、フォスが失敗したと聞いても誰も助けに行きません。
もっとも当人の知らないところで、その他大勢が深刻に悩んだり信じ続けても『救世主』の役には立たないのだから、ある意味彼らは冷静で賢い。
でも主人公に感情移入してその有様を延々見続ける読者には、ひたすら胸糞悪い感情が積もり積もるわけです。
この『救世主』と『敬わない被救済者』の関係、実は金剛先生の頃から続いています。
月人達は、無に帰るために金剛先生に祈ってほしくて様々な方法を試みてきました。
その最終型は、金剛が大事にしている宝石達をさらうこと。月に連れ去って粉にして、月の表面に散布する。
そんな真似をされたら望みなんて叶えるわけないと普通は考えるのですが、
月人には信仰心がないから「金剛に刺激を与える」というやり方しか思いつかない。
そして刺激の最上級は苦痛です。
ちなみに金剛先生にも信仰心はありません。
愛とか壊れたとか色々言ってるけど、金剛先生は「数多の宝石に魅入られて祈ることが出来なくなった僧人」です。
言葉のまま解釈すれば、世俗に堕ちて信心を失くした生臭坊主で、「壊れた」というより「救済の力をなくした」方が近いかも。
フォスはと言うと、
〈最初〉無能だが、根拠のない自信で300年生き続ける。
〈合金の腕後〉自分のせいで仲間を失い、一時自信を無くすが立ち直る。
〈ラピスの頭後〉知恵を得て承認欲求に飲まれる。
〈ボロボロ河童〉自分を認めてくれなかった宝石達をすべて破壊する。
……と、数百年の間に様々な変容を遂げますが、彼が信じているもの、周りに認めてほしいものは一貫して『自分自身』です。
作者さんは仏教系の学校出身だそうなので、こうした図式は意図して描かれてるのだろうと思います。
でも伝え聞く短編集の嗜好から「主人公を痛めつけたいだけの加虐趣味な漫画」だったら嫌だなと思う今日この頃。
これは再開してくれないとわからないですね。