カスタマーレビュー

2017年7月11日に日本でレビュー済み
「ポーの一族」全5巻を読んだのは、12歳のときだったと思う。

岬の家、海に降る雨、室内で踊る少女、小川にかかる水車、髪に絡みつく沈丁花、中洲の学校、暖炉で燃やされた薔薇、公園に棲む大人びた少年、女の子にはキスしてポイ、赤い子鬼がピョイピョイ――異世界に一気に放り込まれ半覚醒で浮遊していたわたしの夢は、「ご飯よー」と階下から呼ぶ母の声に無惨に破られた。…なぜなぜわたしは食べなければ生きられないの。なぜここは日本なの。とんかつは好きよ、お漬物も味噌汁もね。でもね、薔薇のお茶を、せめてコールドチキンを…うう(涙。でも食べる。おいしい)。当時の日本には薔薇ジャムどころか「コールドチキン」さえ存在しなかった。クリスマスの鶏モモをわざと残しておいて翌朝「こんな風かしら」と食べてみたりしたものだ。

当節吸血鬼をモチーフにした作品は数え切れないほどあるけれど、わたしの中の吸血鬼はいつも「ポーの一族」で不動だ。わたしは夢見がちで馬鹿な少女だったが、萩尾作品、わけても「ポーの一族」に「しあわせでいる能力」をたくさんもらった。異世界に繋がる能力。異界で遊ぶ能力。異文化と異種に開いている能力。美しいものを愛でる能力。かなしむ能力。自然の営みとじぶんのこころを観る能力。内省を言語化しようとする能力。詩や韻律を感じ取る能力――感動する能力。わたしは春の夢を見ていた。
あの頃より難しさと残酷さを増したこの現実世界の中で、それらの力はたゆまずわたしを支え続けてくれた。

40年ぶりの伝説の再開。当時「エディス」を読み終えて呆然としていたわたしに「2017年に続編が出るよ」と云ったら、彼女は信じるだろうか。この多死時代、読まないままに他界した人たちだって大勢いる。身体を喪ったひとたちはわたしたちにくっついて読んで欲しい。
エドガーもアランも起きることも、以前よりはるかに現実的で生々しい。エドガーは「他者に語る言葉」を持つようになった。あの頃、抒情ロマンの靄の中で「重力を感じてない」みたいに半分浮いていた彼らの足はしっかりと地面に結びつけられ、身体がすこし重そうでつらそうだ。涙と叫びが放たれる。それは萩尾先生とわたしたちが同じ時代を過ごして蓄積してきた重さでありつらさであり、涙と叫びでもあるだろう。

それでもわたしたちは「しあわせでいる能力」「夢を見る能力」「現実を夢に近づける能力」を獲得し続ける。「感動するこころ」「柔らかいこころ」を持ったままでいること。それはときどきとても痛くて苦しいことだけど、萩尾先生とわたしたち読者の間に見えない糸でつながれた約束だから。

いまになって再びこの伝説のものがたりを再開してくれた萩尾先生に、心からの愛と感謝を捧げます。
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