カスタマーレビュー

2016年4月11日に日本でレビュー済み
星野道夫は、神話的英雄のように生きた。彼は、写真家でもあったし、作家でもあったし、冒険家でもあったし、神話的な英雄でもあった。星野が語ることばでは、自然や世界や人生の素晴らしさが讃えられている。『魔法のことば』に収められた彼の講演を読むと、ぜひ彼の肉声で聴いてみたかったと思わせられる。

神話学者のジョーゼフ・キャンベルによれば、英雄伝説の構造は次のようなものだ。「英雄はごく日常の世界から、自然を超越した不思議の領域へ冒険に出る。そこでは途方もない力に出会い、決定的な勝利を手にする。そして仲間に恵みをもたらす力を手に、この不可思議な冒険から戻ってくる」(『千の顔をもつ英雄』)。英雄伝説の構造は、旅立ちと通過儀礼と帰還の3段階からなる。

星野の人生は、まるでこの3段階をなぞったかのようだ。彼は、アラスカへと旅立ち、良い出会いに恵まれ、素晴らしい写真を撮り、見事な文章を綴り、日本の読者へ届けていた。

星野自身がジョーゼフ・キャンベルの読者であったことは、彼が著書で何度かキャンベルを引用していることから分かる。『旅をする木』で星野は、おそらくは『神話の力』においてキャンベルが「聖なる場所」について述べている言葉を引用している。そこでキャンベルが聖なる場所について述べているのは、「本来の自分、自分の将来の姿を純粋に経験し、引き出すことのできる場所」だということだ。星野にとってのアラスカは、キャンベルが述べていたような「聖なる場所」がある土地だった。実際、彼はアラスカを訪れることによって写真と文章の才能を引き出した。

星野が神話的英雄のような人物であったことを彼の死と結びつけることには慎重でなければならないだろう。なぜなら、悲劇的な死を遂げたからではなく、アラスカで生きることによって、彼は神話的英雄のような人生を生きることになったからだ。

星野がテーマとしていたのは、写真においても文章においても、アラスカの人間と自然だった。雄大な自然だけを取り上げるのでも魅力的な人間だけを取り上げるのでもなく、彼は自然と人間の両方に関心を向けていた。彼の写真にも文章にも、自然と人間に対する親愛に満ちた接し方が刻まれている。とはいえ、自然も人間も時代と共に変化していく。『ノーザンライツ』で彼が描いたのは、変化する時代の中でアラスカに生きてきた人物たちの姿だった。彼は、アラスカで出会った人々に対する敬意に満ちた聞き取りをおこなっている。しかし、彼にとっての時間は、現代にのみ限定されたものではない。「あらゆる生命が終わりのない旅をしている」(「クジラとともに生きる若きエスキモー」『ノーザンライツ』)と述べていたように、「終わりのない旅」という悠久な時間の流れのもとで彼は生命を捉えていた。彼にとっての時間は、あらゆる生命をまきこんで永遠に流れ続けるものでもあった。

彼は著書や講演で何度も「もうひとつの時間」や「もうひとつの場所」、あるいは「二つの自然」について述べている。池澤夏樹が『魔法のことば』のはじめに書いているように、星野は、「本当に大事なことは何度でも言った」。「もうひとつの場所」とは、キャンベルが述べていたような「聖なる場所」のことだ。そして、「もうひとつの時間」とは、日常に流れている時間とは別に流れている、悠久な時間の流れ、あるいは永遠性のことだ。彼が日常とは別の時間や場所のことを若いころから意識していたことは、山に登り始めた高校生の頃、自分が東京に暮らしているのと同じ時間に北海道でヒグマが生きていることが不思議だと感じていたという逸話から分かる。

英雄とは、自分の至福を追求した人物のことだ。キャンベルは、「必要なのは世界に生命をもたらすこと、そのためのただひとつの道は、自分自身にとっての生命のあり方を見つけ、自分がいきいきと生きることです」と述べている(『神話の力』)。星野は、神話的英雄のように生き、世界に生命をもたらすように、知恵を与えてくれた。彼が与えてくれた知恵は、「もうひとつの時間」という言葉で端的に述べられている。「二つの時間」や「二つの自然」といった言葉が用いられていることもあるが、述べられているのは同じことだ。彼は、日常の時間とは別に永遠性の時間が常に流れていることを何度も繰り返し述べた。つまり、永遠は、「今、ここ」にあるということだ。

神話的英雄のような星野の人生は、「もうひとつの時間」を意識しながら生きていくことの大切さを教えてくれる。彼は、写真や文章を通して、英雄の知恵として、永遠が「今、ここ」にもあることを教えてくれた。

永遠と今を結びつけることは宗教的な悟りに近い。しかし、星野は悟りの境地に達しようとしたわけではない。また、彼は、文明を捨てて大自然へと向かったのではない。どちらかを捨ててどちらかを選ぶといった考え方を彼が取ることはない。彼は、日常の時間と永遠性の時間というふたつの時間があることを述べ、実際にふたつの時間を生きた。彼が著作で取り上げた友人たちにはアラスカ以外の土地からアラスカへとやって来た人物たちが多く、彼らはふたつの世界を知っていた。彼が何度も繰り返し述べていたのは、「もうひとつの時間」があると知ることによって人は豊かになるということだ。彼には、世界や自然や人生に対する肯定的な態度が一貫してあった。

「魔法のことば」とは、神話的英雄のことばのことだ。『魔法のことば』には、神話的英雄のことばが語られている。
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