中江兆民の世界観を普及する上で、最も広く親しまれた一冊です。
兆民の明治の思想家としての側面を理解する上では必要な一冊と思います。変化の激しい人生を生きた兆民の1887年(明治20年)当時のものです。
兆民の建設には不向きな個別・具体的課題への回答はさて置いた思想運動家として側面が強く出た一冊と思います。兆民の経歴から窺える「山師」的部分も、本書からは読み取れます。
文筆家としての兆民の人気を支えた才能の迸りを味わう事が出来ます。
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三酔人経綸問答 (岩波文庫) (Japanese) Paperback Bunko – March 16, 1965
by
中江 兆民
(著),
桑原 武夫
(翻訳),
島田 虔次
(翻訳)
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中江 兆民
(著)
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ISBN-104003311019
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ISBN-13978-4003311011
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Publisher岩波書店
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Publication dateMarch 16, 1965
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LanguageJapanese
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Print length268 pages
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Product description
内容(「BOOK」データベースより)
一度酔えば、即ち政治を論じ哲学を論じて止まるところを知らぬ南海先生のもとに、ある日洋学紳士、豪傑君という二人の客が訪れた。次第に酔を発した三人は、談論風発、大いに天下の趨勢を論じる。日本における民主主義の可能性を追求した本書は、民権運動の現実に鍛え抜かれた強靱な思想の所産であり、兆民第一の傑作である。現代語訳と詳細な注を付す。
Product Details
- Publisher : 岩波書店 (March 16, 1965)
- Publication date : March 16, 1965
- Language : Japanese
- Paperback Bunko : 268 pages
- ISBN-10 : 4003311019
- ISBN-13 : 978-4003311011
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Reviewed in Japan on October 9, 2010
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Reviewed in Japan on February 10, 2019
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専門学校の夏休みの宿題でこの本の感想をレポートにまとめると言うのがありまして買いました。感想:なんかよく分かんなくて気付いたら夏休み終わってた。
Reviewed in Japan on October 12, 2006
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基本的な政治形態やその思想を学べる問答本とはいいながら、それら以上に時に言葉のひねりに思わずニヤリとし、時にその深みのある文学的表現に感心できる本は、これをおいてまずほかにないだろう。
「剣をふるって風を斬れば、剣がいかに鋭くても、ふうわりとした風はどうにもならない。私たちは風になろうではありませんか。」
「世の中万事、みな理論と技術の区別がある。討論の場で力をふるうのは理論です。現実の場で効果をおさめるのは技術です。」
「時代は絹、紙、思想は絵具、事業は絵です。一時代の社会は、一幅の絵なのです。」
登場人物3人それぞれの言い分や表現の仕方にただ目を開かれるばかりだ。
また、書を補う桑原氏の解説がいい。こちらも必読である。
「剣をふるって風を斬れば、剣がいかに鋭くても、ふうわりとした風はどうにもならない。私たちは風になろうではありませんか。」
「世の中万事、みな理論と技術の区別がある。討論の場で力をふるうのは理論です。現実の場で効果をおさめるのは技術です。」
「時代は絹、紙、思想は絵具、事業は絵です。一時代の社会は、一幅の絵なのです。」
登場人物3人それぞれの言い分や表現の仕方にただ目を開かれるばかりだ。
また、書を補う桑原氏の解説がいい。こちらも必読である。
Reviewed in Japan on November 18, 2015
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三酔人経綸問答 (岩波文庫)中江 兆民 は、期待どおりの商品でした。
Reviewed in Japan on January 31, 2014
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現代は拘束される事柄が多く、なかなかこの本のようには行かないが、述べることは必要である。
選挙に行かないで、ブツブツ言うなら、まず選挙にいけ。それから考えろですか。
選挙に行かないで、ブツブツ言うなら、まず選挙にいけ。それから考えろですか。
TOP 100 REVIEWER
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『3人の思想の異なる登場人物、洋学紳士(紳士君)、豪傑君、南海先生が酒席で議論する物語。紳士君は人類史を3段階に区分し、明治10年代に日本へ紹介されていた社会進化論を用いて、進化を発展の原動力とした。フランス、ドイツなどヨーロッパ列強を批判し、完全民主制による武装放棄や非戦論などの理想論を展開する。これに対して豪傑君が反論し、中国進出を主張。両者の論争を現実主義的立場に立った南海先生が調停する構成である。』(Wikipedia)
本書の概要は、上の「Wikipedia」の引用で御勘弁願うとして、登場人物三人について、さらにわかりやすく紹介するならば、
・ 洋学紳士(紳士君)は、理想主義的個人主義者
・ 豪傑君は、地政学的英雄主義者
・ 南海先生は、状況論的現実主義者
ということにでもなろうか。
洋学紳士は、個人の幸福を重視し、かつ戦争を無くすという理想をいかに実現するかと考える、誠実な理想主義者で、その無抵抗主義は「たとえ命を奪われようとも」という覚悟に立った立派なものである。しかし、この理想は、万人向けではない、という決定的な弱点を持っている。
豪傑君は、「人間の歴史は、戦争の歴史」だという現実を否定できないものとして認めるところから出発する人であり、その意味では、歴史的事実の裏付けがあり、相応の説得力はあるものの、しかし、戦争には勝ち負けがあって、負ければ悲惨な末路が待っているという現実は否定しえない。そこで彼は、英雄主義的に負けることも覚悟した上での、栄誉ある決断としての主戦論を語る。だが、この場合は、そういう英雄主義に否応なく巻き込まれる庶民への配慮(想像力)が決定的に欠けていて、自己陶酔の独り善がりという謗りを免れない。
南海先生は、前記二人の意見が、それぞれに立派ではあるけれども、他者への配慮を欠いている点に問題があり、そのような「極論」は採用できない、と否定する。では、どうするのかと言えば、状況に応じて、是々非々の判断と選択をするしかない、という当たり前と言えば当たり前すぎる立場を表明する。
岩波文庫版の「解説」で桑原武夫が、本書の三登場人物のいずれが、著者の中江兆民自身の立場なのかという問題について、一般には南海先生だとする説が多いようだが、ことはそう単純ではなく、この三人のいずれもが、否定しがたく兆民の中に存在し、葛藤していたのであろう、という理解を示している。
そして私も、この解釈が正しいと思うし、それしかないとも思う。
と言うのも、どれか一人の意見というのは、見てのとおり、それぞれに美点もあれば欠点もあって不十分なものであり、その欠点が見えている者は、到底それらに安住し得ないからである。
つまり、著者の中江兆民が、この三人のうちの「誰か一人」ということは、あり得ないのだ。
兆民のなかにはこの三人が存在し、その時々の状況にあわせて侃々諤々の議論をし、それぞれが優勢になったり劣勢になったりしながら、最終的な落としどころが探られてきた、というのが、兆民の現実なのではないだろうか。
実際、洋学紳士(紳士君)あるいは豪傑君の考えでは、いずれにしろ非現実的に極端だし、南海先生の立場は「無原則的」であり、状況に引き摺られるだけ、ということになりかねない。その意味では、この三者が揃ってこそ、初めてそれなりにバランスのとれた判断も可能なのではないか。
つまり、この三人がいずれも必要なのは、じつは何も作者・中江兆民だけではなく、私たちも同じなのではないか。私たちは、それぞれのなかに「洋学紳士(紳士君)、豪傑君、南海先生」の三人を飼っているべきなのではないだろうか。
言い変えれば、この中の誰か一人しか持っていない人というのは、大変わかりやすくてご立派な意見の持ち主だとは言えようが、所詮は、そんな自分に陶酔しているだけの、現実が見られない、単なる「酔っぱらい(酔人)」なのではないか。
「三人寄れば文殊の知恵」と言うが、一人ひとりは酔っぱらい(不完全な認識者)でも、違ったタイプが三人よって、真剣に議論するならば、完全正解ではないにしろ、それなりに誠実で真っ当な「より良き道」を見いだす蓋然性が高まるということを、この三人は示しているのではないだろうか。
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『3人の思想の異なる登場人物、洋学紳士(紳士君)、豪傑君、南海先生が酒席で議論する物語。紳士君は人類史を3段階に区分し、明治10年代に日本へ紹介されていた社会進化論を用いて、進化を発展の原動力とした。フランス、ドイツなどヨーロッパ列強を批判し、完全民主制による武装放棄や非戦論などの理想論を展開する。これに対して豪傑君が反論し、中国進出を主張。両者の論争を現実主義的立場に立った南海先生が調停する構成である。』(Wikipedia)
本書の概要は、上の「Wikipedia」の引用で御勘弁願うとして、登場人物三人について、さらにわかりやすく紹介するならば、
・ 洋学紳士(紳士君)は、理想主義的個人主義者
・ 豪傑君は、地政学的英雄主義者
・ 南海先生は、状況論的現実主義者
ということにでもなろうか。
洋学紳士は、個人の幸福を重視し、かつ戦争を無くすという理想をいかに実現するかと考える、誠実な理想主義者で、その無抵抗主義は「たとえ命を奪われようとも」という覚悟に立った立派なものである。しかし、この理想は、万人向けではない、という決定的な弱点を持っている。
豪傑君は、「人間の歴史は、戦争の歴史」だという現実を否定できないものとして認めるところから出発する人であり、その意味では、歴史的事実の裏付けがあり、相応の説得力はあるものの、しかし、戦争には勝ち負けがあって、負ければ悲惨な末路が待っているという現実は否定しえない。そこで彼は、英雄主義的に負けることも覚悟した上での、栄誉ある決断としての主戦論を語る。だが、この場合は、そういう英雄主義に否応なく巻き込まれる庶民への配慮(想像力)が決定的に欠けていて、自己陶酔の独り善がりという謗りを免れない。
南海先生は、前記二人の意見が、それぞれに立派ではあるけれども、他者への配慮を欠いている点に問題があり、そのような「極論」は採用できない、と否定する。では、どうするのかと言えば、状況に応じて、是々非々の判断と選択をするしかない、という当たり前と言えば当たり前すぎる立場を表明する。
岩波文庫版の「解説」で桑原武夫が、本書の三登場人物のいずれが、著者の中江兆民自身の立場なのかという問題について、一般には南海先生だとする説が多いようだが、ことはそう単純ではなく、この三人のいずれもが、否定しがたく兆民の中に存在し、葛藤していたのであろう、という理解を示している。
そして私も、この解釈が正しいと思うし、それしかないとも思う。
と言うのも、どれか一人の意見というのは、見てのとおり、それぞれに美点もあれば欠点もあって不十分なものであり、その欠点が見えている者は、到底それらに安住し得ないからである。
つまり、著者の中江兆民が、この三人のうちの「誰か一人」ということは、あり得ないのだ。
兆民のなかにはこの三人が存在し、その時々の状況にあわせて侃々諤々の議論をし、それぞれが優勢になったり劣勢になったりしながら、最終的な落としどころが探られてきた、というのが、兆民の現実なのではないだろうか。
実際、洋学紳士(紳士君)あるいは豪傑君の考えでは、いずれにしろ非現実的に極端だし、南海先生の立場は「無原則的」であり、状況に引き摺られるだけ、ということになりかねない。その意味では、この三者が揃ってこそ、初めてそれなりにバランスのとれた判断も可能なのではないか。
つまり、この三人がいずれも必要なのは、じつは何も作者・中江兆民だけではなく、私たちも同じなのではないか。私たちは、それぞれのなかに「洋学紳士(紳士君)、豪傑君、南海先生」の三人を飼っているべきなのではないだろうか。
言い変えれば、この中の誰か一人しか持っていない人というのは、大変わかりやすくてご立派な意見の持ち主だとは言えようが、所詮は、そんな自分に陶酔しているだけの、現実が見られない、単なる「酔っぱらい(酔人)」なのではないか。
「三人寄れば文殊の知恵」と言うが、一人ひとりは酔っぱらい(不完全な認識者)でも、違ったタイプが三人よって、真剣に議論するならば、完全正解ではないにしろ、それなりに誠実で真っ当な「より良き道」を見いだす蓋然性が高まるということを、この三人は示しているのではないだろうか。
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Reviewed in Japan on July 28, 2018
南海先生の元を訪ねてきた紳士と豪傑はそれぞれ意見を述べ、最後に南海自身が下男でも思いつく結論を述べるという内容。
紳士や豪傑の意見は南海自身が言うようにあまり大した内容ではない。自由は酵母であるとか革命の暴力によだれを流すだとか酔っ払いの戯言以上のものではないだろう。ただ豪傑と紳士の意見が最終的にガンを切り取る点では一致にしている点には注目すべきである。
南海自身の意見もよくある俗論で、これが中江兆民の意見に一番近いのだろうが立憲制を維持しつつ民主主義を「漸進的」に実現するというもの。西欧列強の侵略には絶対平和主義でもなく個別的自衛権で対応し隣国(中国)とは同盟関係を結ぶらしい。
自分が気になったのは恩賜の民権(欽定憲法)も民主主義の一部を含んでおり、育てていけば回復の民権(革命によって得た憲法)に匹敵するくらい「肥える」という南海の甘い見通しである。
たしかに日本では帝国議会を舞台に政党政治がなされた期間がある。原敬(1918年)から犬養毅(1932年)に至るまで政党人が総理大臣でこの時代は政党政治がおこなわれていたとされるが、32年の515事件で犬養毅が殺害されて以降は軍人や官僚が総理になっている。
18~32年の政党政治が最終的には大政翼賛会に行きついてしまったのは重要産業統制法(31年)から始まる総動員体制の結果であり、欽定憲法上の天皇大権をどう解釈するか、統帥権干犯問題が政党政治家の立場を弱め軍部・革新官僚の力を増大させたのである。
中江兆民は見ることがなかったその後の日本の歴史を見る限りでは、南海先生のように恩賜の民権が肥え太り回復の民権となることを現代に生きる我々は信じることができない。
現在も日本国憲法があるが、これを恩賜の民権とみた場合、その中にある「民主主義」とは戦前の欽定憲法と何ら変わることがないのであり、国民が本当に民主主義=回復の民権を望むのであれば、進化の神を実現させるために思想上の専制=革命を行う必要があるだろう。
紳士や豪傑の意見は南海自身が言うようにあまり大した内容ではない。自由は酵母であるとか革命の暴力によだれを流すだとか酔っ払いの戯言以上のものではないだろう。ただ豪傑と紳士の意見が最終的にガンを切り取る点では一致にしている点には注目すべきである。
南海自身の意見もよくある俗論で、これが中江兆民の意見に一番近いのだろうが立憲制を維持しつつ民主主義を「漸進的」に実現するというもの。西欧列強の侵略には絶対平和主義でもなく個別的自衛権で対応し隣国(中国)とは同盟関係を結ぶらしい。
自分が気になったのは恩賜の民権(欽定憲法)も民主主義の一部を含んでおり、育てていけば回復の民権(革命によって得た憲法)に匹敵するくらい「肥える」という南海の甘い見通しである。
たしかに日本では帝国議会を舞台に政党政治がなされた期間がある。原敬(1918年)から犬養毅(1932年)に至るまで政党人が総理大臣でこの時代は政党政治がおこなわれていたとされるが、32年の515事件で犬養毅が殺害されて以降は軍人や官僚が総理になっている。
18~32年の政党政治が最終的には大政翼賛会に行きついてしまったのは重要産業統制法(31年)から始まる総動員体制の結果であり、欽定憲法上の天皇大権をどう解釈するか、統帥権干犯問題が政党政治家の立場を弱め軍部・革新官僚の力を増大させたのである。
中江兆民は見ることがなかったその後の日本の歴史を見る限りでは、南海先生のように恩賜の民権が肥え太り回復の民権となることを現代に生きる我々は信じることができない。
現在も日本国憲法があるが、これを恩賜の民権とみた場合、その中にある「民主主義」とは戦前の欽定憲法と何ら変わることがないのであり、国民が本当に民主主義=回復の民権を望むのであれば、進化の神を実現させるために思想上の専制=革命を行う必要があるだろう。
TOP 1000 REVIEWER
フランスに留学し、自由に生きた著者だけあって、1887年に書かれたとは思えないほど、普遍的な本。カントの「永遠平和のために」的な洋学紳士、「社会の邪魔になる旧武士層で中国を侵略せよ」という豪傑の客、「思想が普及すれば100年後に実現するかも」という座主の南海先生の短い鼎談です。 トーマス・マン「魔の山」も、鼎談で効果を上げていましたが、この本にもそれに準ずるところを感じました。登場する3人とも丁寧に言説が書かれています。
小生の印象に残った点は以下です。
・洋学紳士:「軍備は殺人に繋がる。民主主義ならば、殺すのも殺されるのも嫌な、近代人は、戦争を起こさなくなる」
・洋学紳士:「同じ失敗を繰り返してはならない」
・豪傑の客:「近代人の邪魔をする、旧武士層で中国を侵略すれば、勝てば欧に対抗できるようになるし、今の日本は近代人に渡せる。負けてもゴミの一掃となる」
・南海先生:「独・仏や英・露がすぐ日本に攻めてくるというのはオーバー。戦争はそういう恐怖で起こるもの。隣国の中国で殺人をするのは×。仲良くすべき」
・南海先生:「洋学紳士一人が民主主義がいいと言っても、他の人もそう思うようにしなければ変わらない。100年後にそれが当たり前になっているかも」
洋学紳士が説く「進化の理法」という考えはヘーゲルからだと思いますが、今だったら「状況を見つつ人間が対話で進めていく」という方が、ベターかもしれません。洋学紳士の言う「軍を持たない」という実験は、戦後に憲法となり、この本が現代語訳されることにもなりました。
1965年の現代語訳が前半に、漢文調の原文が後半に印刷されています。お奨めの一冊です。
小生の印象に残った点は以下です。
・洋学紳士:「軍備は殺人に繋がる。民主主義ならば、殺すのも殺されるのも嫌な、近代人は、戦争を起こさなくなる」
・洋学紳士:「同じ失敗を繰り返してはならない」
・豪傑の客:「近代人の邪魔をする、旧武士層で中国を侵略すれば、勝てば欧に対抗できるようになるし、今の日本は近代人に渡せる。負けてもゴミの一掃となる」
・南海先生:「独・仏や英・露がすぐ日本に攻めてくるというのはオーバー。戦争はそういう恐怖で起こるもの。隣国の中国で殺人をするのは×。仲良くすべき」
・南海先生:「洋学紳士一人が民主主義がいいと言っても、他の人もそう思うようにしなければ変わらない。100年後にそれが当たり前になっているかも」
洋学紳士が説く「進化の理法」という考えはヘーゲルからだと思いますが、今だったら「状況を見つつ人間が対話で進めていく」という方が、ベターかもしれません。洋学紳士の言う「軍を持たない」という実験は、戦後に憲法となり、この本が現代語訳されることにもなりました。
1965年の現代語訳が前半に、漢文調の原文が後半に印刷されています。お奨めの一冊です。