カスタマーレビュー

2016年3月3日
 本書によれば、満州に隣接する内蒙古の日本軍司令官・根本博陸軍中将は、終戦直後、在留邦人4万、配下の軍人35万を従えて、本国からの武装解除の命にあえて反してソ連軍と戦いながら、北京・天津を経由して日本への帰還を無事果たす。道中、助力してくれたのは蒋介石の国民党軍だった。   1949年、国共内戦に敗れた国民党軍は台湾に渡り、押し寄せる共産党軍と廈門・金門島を挟んで対峙するに至る。まさに破滅の淵に、根本博は少数の仲間とともに粗末な舟で危険を冒して渡海して参戦する。受けた恩義にただ報いんとするためである。戦神と呼ばれた根本博の活躍により、10月24日からの古寧頭の戦いで共産党軍およそ3万は壊滅し、共産党の台湾侵攻は挫折した。しかし、この激戦に旧日本軍将校が参与していたことはタブーとなり、いまや忘れ去られようとしている。
<コメント>
 蒋介石は日本留学経験者で日本高田連隊の隊付将校、国民党軍指揮幹部は日本の陸軍士官学校卒業者が多かったので、日本人の気質及び日本軍人の軍律の厳しさを熟知しており、天皇陛下の終戦ご聖断に真摯に従う姿が良く理解できたと思われる。 従って、蒋介石及び国民党軍指揮幹部側も武士道精神に則り、日本軍人の気持ちを忖度して丁寧な降伏調印式と武装解除の対応をしたと思われる。
 もしも根本博陸軍中将が満州駐留の日本軍司令官だったら正面のソ連軍との戦闘と無事帰還は困難であったと思われ、根本博陸軍中将が内蒙古の日本軍司令官であったことが内蒙古在留邦人と兵士にとって、また後の蒋介石にとっても幸運だったと思われる。
 そしてもしも、GHQ占領時の1949年に、家族には釣りに行くと告げて釣り竿一本携えて苦難の密航までして台湾援助に駆けつけた根本博の「戦神」と称えられた軍事貢献がなかったら、台湾は中共に占領され、戦後の日本及び北東アジアの運命も大きく変わっていたはずで、正に、根本博は戦後の日本と台湾の救世主の一人だったと思われる。 そして、これにより中国大陸のごく傍にある金門島が、何故今も台湾領土であるかの理由が理解できた。
 しかし、根本博陸軍中将のことを書かれたこの本を読み、震えるほど感動をしました。
まさに現代版「七人の侍」。 小生は根本博陸軍中将という武人の存在は恥ずかしいことに知らなかった。 70年前にこんなすごいサムライがいたなんて。。。根本博陸軍中将こそ大和魂を持った本当のラストサムライではないだろうか! そして、「この命、義に捧ぐ」の意味が理解できた。 正に、根本博は男の中の男だ!
 ところで、医学博士でもあった後藤新平は、インフラ整備をはじめ、台湾の衛生観念教育から病院・予防消毒事業団設立など衛生改善策を実施し、台湾からあらゆる伝染病が消滅し、台湾の発展に大きく貢献した後藤新平は「台湾近代化の父」と呼ばれる。
 また、それを引き継いだ明石元二郎総督は「台湾教育令」発布、水力電力事業、司法制度改革、縦貫道路の着工、鉄道などの交通機関の整備促進その他を実施した。 「余は死して護国の鬼となり、台湾民の鎮護たらざるべからず」と遺言して台湾の土となった。
 そして、根本博・吉村是二(通訳)の一行を台湾密航させるべく貢献したのは、明石元二郎総督子息の明石元長氏であり、台湾を愛し骨を埋めた明石元二郎総督の思いが彼らを動かし、その加護で無事に台湾に辿り着いたのかもしれない。
 ところで、ブログStud Dog Walke [・・・] において、「花瓶は、3組(2つで1組)作られ、皇室とエリザベス2世に送られ、1組は蒋介石が記念にとっておいたそうで、ひとつは蒋介石を記念する台湾・中正紀念堂に、他の一つを、感謝と友情の証として根本博に送りました。蒋介石については色々な面がありますが、この花瓶の秘話は日本人も台湾人も知っておいた方が良いと思います。」 とあるが、著者の動画「台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡」を注意深く見ると、蒋介石が感謝と友情の証として根本博に贈った花瓶の図柄は、釣り竿を持った老人であり、日本から釣り竿一本携えて苦難の密航までして台湾援助に駆けつけた根本博にまことに相応しい。 蒋介石も粋な人物だね! そして、蒋介石と根本博は真の漢だね! 
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