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2014年11月12日に日本でレビュー済み
1970年代に、赤軍派系テログループ(よど号赤軍・日本赤軍)によるハイジャック事件・乱射事件・占拠事件といった空港絡みの国際テロ事件(1970年:よど号ハイジャック事件、1972年:テレアビブ空港乱射事件、1973年:ドバイ日航機ハイジャック事件、1974年:シンガポール・クウェート事件、1974年:ハーグ事件、1975年:クアラルンプール事件、1977年:ダッカ日航機ハイジャック事件)について、日本警察から見た対応が主な内容で、日本の公安警察幹部だった佐々淳行の視点で語られています。佐々氏は赤軍派系テログループによるテロ事件が1970年代がたびたび起こったことについて「七年戦争」や「ロアリング・セブンティーズ(吼える1970年代)」と表現しています。

それ以外にも日本で発生した5件のハイジャック事件(1972年:日本航空351便ハイジャック事件、1974年:日本航空124便ハイジャック事件、1989年:中国民航機ハイジャック事件、1995年:全日空857便ハイジャック事件、1999年:全日空61便ハイジャック事件)について数ページの記述がされています。そして、巻末に日本絡みの航空機ハイジャック事件の一覧があり、計20事件が時系列に配置され、事件の簡単な解説及びハイジャック対策の法律の制定・改正についても書かれています。

1970年のよど号事件当時は、「航空機乗っ取り」という犯罪は当時は刑法にもその他の法令も想定していない新しい犯罪であったため、事件発生当初は警察内部でどこが担当するかについて「強盗や不法逮捕監禁だから刑事部捜査一課」「赤軍派による犯罪だから公安部公安第一課」「犯人たちは北朝鮮へ亡命を希望しているから公安部外事課」「飛行機を財物強取ではなく飛行手段として乗っ取ったから使用窃盗にあたるから刑事部捜査三課」と役人的な議論がされていたとのこと。

佐々氏はハイジャック等の施設を占拠をして人質の殺害を示唆しながら獄中メンバー奪還や身代金支払いを要求するテロ事件について、対処方法は「(1)犯人射殺を視野にした強行突入」「(2)犯人の要求に従う」「(3)要求には拒否するものの犯人側に安導権(セイフ・コンダクト)と政治庇護(ポリティカル・アサイラム)を与えて人質を解放しつつも第三国に亡命させて生命と自由を保障する」があるとし、(3)を「引き分け」であるが人命尊重と法の尊厳を両立させるプラクティカルな道とし、クアラルンプール・ダッカ両事件のような(2)の日本政府の対応は「全面降伏」として厳しく非難しています。

その後、数々のハイジャック事件が発生したことで、世界中の先進国がハイジャック対策を講じるようになりました。1988年のトロントサミットにおける「ノン・テイク・オフの原則(ハイジャックされた飛行機を一度着陸したら原則離陸させない)」がサッチャー英国首相によって提唱され、可決されました。

また、20世紀末に日本ではハイジャック対策委員会で議論の中身は、犯人に手の内を見せないために非公開とされているものもあるが、佐々氏の本で公開可能情報として書かれていることによると「到着客の出発点の物理的分離」「機内持ち込み荷物の制限と禁止物のリストアップ」「機長の機内警察権」「エア・マーシャル(航空保安官の搭乗)」「クルーの事前準備した用具使用による実力でのハイジャック早期鎮圧」「SATがある大都道府県へ着陸」などがマニュアル化されたとのことです。ただし、このハイジャック対策委員会について、佐々氏の別の著書『後藤田正晴と十二人の総理たち―もう鳴らない“ゴット・フォン” (文春文庫)』(P277〜282)に重複するとして詳述しなかったのは、ハイジャック関連の本としては不親切だったと思います。
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