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2016年4月16日に日本でレビュー済み
『大般涅槃経』は、釈尊が王舎城の霊鷲山に滞在していた時から始まる。その頃、マガダ国の阿闍世王は、隣国ヴァッジ族を征服しようと野望に燃え、釈尊の許に大臣ヴァッサカーラを使者として遣わし意見を求めた。釈尊は、まずアーナンダにヴァッジ族の様子を種々尋ねた。これは以前に都ヴェーサーリーで説いた七つの衰退しない教え「七不退法」(七不衰退法、七種族法ともいう)が今でも守られているかどうかを尋ねたのであった。そして、その教えを彼らが全て守っていることをアーナンダから聞いた釈尊は大臣に、「この教えを守っている限り、ヴァッジ族に繁栄はあれど衰退はないであろう」と答え、征服し難いことを示唆した。

その「七不退法」を『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』(中村元訳)から引用する。
(1) しばしば会議を開き、多くの人々が会議に参集する間は、繁栄し、衰亡は無い
(2) 協同して集合・行動し、協同して為すべきことを為している間は、繁栄し、衰亡は無い
(3) 新たに定めず、既に定められたことを破らず、昔から伝わる法に従う間は、繁栄し、衰亡は無い
(4) 古老を敬い・尊び・もてなし、彼らの言葉を聴くべきものと思う間は、繁栄し、衰亡は無い
(5) 良家の婦女・童女を暴力的に捕らえて同棲を強いることが無い間は、繁栄し、衰亡は無い
(6) 内外の霊域を尊び・崇め・支持し、法に適った供物を絶やさない間は、繁栄し、衰亡は無い
(7) 真人に正当な保護・防御・支持を与え、真人が集まり定住する間は、繁栄し、衰亡は無い

七項目に釈尊の具体的な説明はなく、その意図も良く分からない。そこで、次のように分類した。
(1) (2) =精神共同体(私たち)/現在
(3) =世俗諦(欲界)/コモン・ロー(伝統、慣習)
(4) =祖先/過去
(5) =子孫/未来
(6) (7) =勝義諦(仏界)/聖者(阿羅漢)
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(1) (2) ・ (4) ・ (5) は現在・過去・未来に対応させ、(3) はコモン・ローに対応させた。すると、本書冒頭(p.3)の下記説明がまるで、これら五項目を解説しているかのようになる。
「国家とは過去の祖先と未来の子孫と現在の国民とが同一の歴史と伝統を共有する精神の共同社会(Spiritual Unity)であるから、国家が魂を再生して永遠に存続するには過去と未来と現在の国民とがいつもパートナーシップの絆で結ばれていなくてはならない。」

しかも、この表現は儒教の世界観とも一致する。『沈黙の宗教 ― 儒教』『儒教とは何か』『家族の思想 ― 儒教的死生観の果実』等で、仏教と儒教が融合するプロセスを解明した加地伸行氏によれば、『先祖供養を重視する中国人は「過去世=先祖」・「来世=子孫」・「現在=自分」と捉え、しかも「人間が死ねば魂・魄に分かれてこの世にとどまる」から、「魂・魄を融合(招魂再生)する」ための先祖供養が大切だ。』と考える。儒教の先祖供養がインド仏教に無理なく組み込まれたのは何故か?
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その答えは、<釈尊の教法の真義>である。
<釈尊の教法の真義>とは、「凡夫が聖者になり、聖者は釈尊と同等のブッダ(阿羅漢)になる」ことである。その聖者とは「凡夫の心」に「ブッダの心」が共存する者である。「凡夫の心」である「欲界の痴」が、「ブッダの心」である「欲界の智」に置き換われば、第一段階の聖者「預流(シュダオン)」に進化する。この「預流」にならなければ<釈尊の教法の真義>は絶対に理解出来ないのである。

凡夫を聖者にするのは、『心の量子トンネル現象』である。「ブッダの心」が「凡夫の心」に染み込む心の量子トンネル現象は、「欲界の痴」=「身見+疑惑+戒取」=「三結(三煩悩)」に気づいた瞬間に始まる。「身見」は『私』および『私のもの』という自尊心(自己中心の思い込み)のこと、「身見」に迷うことで生じる「疑惑」は「懐疑心・偽善心に基づく失敗への怖れや不安(焦燥感)」のこと、「身見」に頼ることで生じる「戒取」は「古い固定観念(迷信や過った先入観)」を絶対視することである。一旦、『心の量子トンネル現象』が開始すれば、その影響が継続し、やがて「戒取」がもたらした「欲界の貪ぼり(欲貪)」と「疑惑」がもたらした「欲界の怒り(瞋恚)」が減少して第二段階の聖者「一来(シダゴン)」となる。さらに、「欲界の貪・瞋・痴」=「身見+疑惑+戒取+欲貪+瞋恚」=「五下分結」が消滅すれば第三段階の聖者「不還(アナゴン)」になる。「不還」になれば、欲界との縁が切れるので、人間界(欲界)への輪廻転生はない。欲界との縁が切れた「不還」は、間もなく、第四段階の聖者「阿羅漢」(=第一段階のブッダ)になる。
***

聖者に進化する凡夫の第一歩は「三結」の断から始まる。しかし、「三結」の断は仏教の世界観である「無常・無我」やバラモン教の世界観である「輪廻転生」に依存しない。むしろ「三結」の断は、儒教が重視する「八徳」=「五常(仁、義、礼、智、信)+三徳(忠、孝、悌)」と「五倫(父子の親愛、君臣の仁義、夫婦の役割、長幼の序、朋友の信頼)」の実践で実現する。
だから、「七不退法」を初めて読んだ時、本当に釈尊の言葉なのだろうか?と疑ったほどである。

最後に、(3) をコモン・ローに分類したが、これも本書の下記説明(p.62~63)そのものである。
『英国でのみ発展したのが、英国の憲法原理である「法(コモン・ロー)の支配」である。「法」は人間の意志から独立してそれを超越するものであった。「法」は、人間が「発見する」ものであって、人間が「変更」したり「創る」ことは許されていない「永遠の真理」のようなものであった。つまり、「法」とは人間が律法する(法律として制定する)ことは出来ない、と考えられていた。』
これほど、釈尊の意図を明確にする説明はないと思われる。
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