カスタマーレビュー

2020年5月10日に日本でレビュー済み
これまでのあらゆる賢治研究を無視し、専ら自己本位なスピリチュアリズムだけを展開した独善的な賢治論。

 いまさらこの岩手県、イーハトーヴで、こんな古いうやむやな、半分幽霊のような(例えばp.175~p.179)賢治本が、大手をふって罷り通ってはまことに心外なことである。どだい熊楠と賢治の(30才違い)親子ほどの世代の違いを同じ論理、時代背景で分析するなど無理なのだ。一世代違うのである。著者もこのイーハトーヴからひと言あってしかるべきとご期待であろう。まあしかし、さすがにキャッチコピーの名人という鎌田氏だけあって第一章の賢治についての目次の論点と配列だけは正に適切であると思うので、私もその目次の論点に沿って反論を企て、批評、批判としたい。

  1.「縦一筋男・宮沢賢治」(p.11~p.16)
  2.第四次延長と認識(p.36~p.40)
  3.わたくしという現象(p.40~p.45)
  4.透明な幽霊の複合体と複心(p.45~p.48)
  5.或る心理学的な仕事と実験(p.48~p.53)
   宮沢賢治の心理学(p.175~p.179)
  6.宇宙感情とすきとおったたべもの(p.53~p.56)
  7.宇宙意思と多元意識(p.56~p.65)

1.「縦一筋男・宮沢賢治」(p.11~p.16)
 序論のこの「農民芸術概論綱要」は、賢治の独創ではないことは周知の事実だ。この構想と芸術理論は森鴎外訳出のエドヴァルト・ハルトマンの『審美綱領』がベースになっている。(『四次元』の編集・発行人の佐藤寛氏および賢治研究家の佐藤勝治氏の「準志」の研究がある。(この『四次元』第3号(昭和24年12月)の『農民芸術概論綱要 解説3』には「準志」が6つしかない、驚いてよく見たら「準志」のつく3行目がすっぽり抜けていたよヨ・・)。鴎外が岡倉天心の後を継いで東京美術学校の嘱託で美学の教師を務めた時の講義用ノート(明治32年、春陽堂で発行されている)だったが、後に今度は賢治が農学校の特別講義用に自分流に潤色して使用したのだ。本著の著者の書きぶりはこういう背景は一切カット、この手の手法は本書全体に及ぶのだが・・・。これでは先人の諸研究者に対して無礼ではないか。AIやビッグ・データの活用は大いに重要です。私も以下随所で国会図書館のディジタルデータを活用しました・・・。
 ついでに言っておくと『農民芸術概論綱要』の「農民藝術の本質」の章の上欄に「Kant」(カント)ほかの11名の哲学者、美学者の名前が書き連ねられていたことをご存じだろうか(全部欧語、下図)。この中にそのハルトマンもいるのだ。みんなあのカントの『判断力批判』の「美学」に列なる人脈である。後年の賢治の蔵書であった『世界大思想全集』(春秋社)に頻出する名前がこのなかに数人はいる。この関連ではかって『四次元』の編輯・発行人の佐藤寛氏が、創刊号(昭和24年10月1日)から連載した9編の「農民藝術概論解説」があるが、その創刊号の「農民藝術概論解説1」にはこの「Kant(カント)・メモ」はしっかりと書き込まれていてさすがであった。(さきの「準志」の指摘はこの第3号、昭和24年12月にあった)。
 昭和32年の筑摩書房版から、この「カント・メモ」が「農民藝術の本質」の本文の近傍から離れて、後記や凡例、雑纂に廻されて人目にもつきにくくなって忘れられてきているのではないか。草野心平編別巻『宮澤賢治研究』(昭和44年8月)には、旧版では唯一であった「総索引」にこの全員が「アルファベット」欄に載っていた。それがいつの間にか消えてしまって『[新]校本全集』の『補遺・索引』編は6種の索引があるにもかかわらず、11名全員が一切出てこないのだ。私はつい最近古本屋で入手した、昭和26年の新潮社版『宮澤賢治集』(草野心平解説)でこの「Kant(カント)・メモ」に気づいた。
Plato
Winkelman
Kant
Schiller
Schopenhauer
Fechner
Hartmann
Folkelt
Lipps
Cohean
Croze
こういうところにも眼を光らせないと無能な編集者が全集を出すたびに削除されるものがあるのだ。

2.第四次延長と認識(p.36~p.40)
3.わたくしという現象(p.40~p.45)
4.透明な幽霊の複合体と複心(p.45~p.48)

 第一章の目次に連なるこれらの言葉は「春と修羅序」の基軸をなすキーワードだ。当然だが「春と修羅序」の完全な読解が必要である。以前に図書館で調べたことがあるが1000冊を超える「賢治本」のうちで肝心な「春と修羅」序にコメントしている本はたった20冊もあるかないかだ。大部分の本は臆面もなく素通り、パスしてヘラヘラと語り出す有様だ。もし何らかのコメントがあっても、いずれの本も『春と修羅』の序詞を三つ四つに切り刻んでズラズラと並べるだけでこの手法は何年経っても変わらない。思想的で逐条的な解釈を誰もしたことがない。いやできないのだ。私は新しい本が出るたびに漢文の読み下し文のように、逐条解説のような、多少は詩的な行文で解釈ができないものだろうかと思ってきた。ずっともっと違った手法のものが出ないか探してきたが皆無だった。この鎌田氏もズラズラ型で、どこが、なにを、どう言っているのかが皆目分からない、何十年やっても全く新味はないわけだ。
下記に私の主張の一例を示しておく。その後に私の解釈の詳細な本論を展開し批判・批評としたい。

   ズバリ、カントによる『春と修羅』序

わたくしといふ現象は             カントが「現象の世界」といい、ショーペンハウエルが「
假定された有機交流電燈の           世界は私の表象である」とした、この自然的世界。有機生
ひとつの青い照明です             命体として、この世界に生きるわれわれは、あらゆる生物
(あらゆる透明な幽霊の複合体)        と共に、広大無辺なこの自然界で、それぞれの生態系を形
風景やみんなといっしょに           成しています。この生態系は、合目的性を有する、無駄の
せはしくせはしく明滅しながら         ない、美しいものです。
いかにもたしかにともりつづける        多様な有機生命体の生長のロゴスは、目に見えぬ相互因果
因果交流電燈の                に満ちていて、みんながせはしくせはしく、たしかにとも
ひとつの青い照明です             りつづける、複合体としての、共生の存在なのです。
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)     (滅びても、その輝きは残るでしょう)。

これらは二十二箇月の             この詩集は、過去22ヶ月間のわたくしと対象との出会い
過去とかんずる方角から            わたくしの身に起こったさまざまな出来事のその時々の思
紙と鑛質インクをつらね            考と経験を書き留めたものです。
(すべてわたくしと明滅し           (すべての対象はいつどこでという、アプリオリな時間・
みんなが同時に感ずるもの)          空間の形式をもち、みんなに共通です)。
ここまでたもちつゞけられた          絶えず湧き出す今という現象、その明暗のひとくさりづつ
かげとひかりのひとくさりづつ         「感性的直観」と「時空のアプリオリな形式」による「現
そのとほりの心象スケッチです         象」であり、そのとおりのスケッチです

これらについて人や銀河や修羅や海膽は      有機生態系の多様な生命世界、有機体は発生するとなぜか
宇宙塵をたべ、または空氣や塩水を呼吸しながら  各有機体にとっての世界が開かれるのだ。その一部は見え
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが     るようになる。そしてさらにその一部は言語を学ぶ。私た
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です      ちは正しい認識、リアルな認識とは、私たちが本当にある
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは     と思っているもの、緑の木々や光り輝く太陽や青い空、こ
記録されたそのとほりのこのけしきで       れらは、私たちとは無関係にまずちゃんと実在していて、
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで     だから私たちはそれらを見たり聞いたりすることができる
ある程度まではみんなに共通いたします      と考えています。しかしカントは「外界をそのままの客観
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに   として認識できるのではなく、対象がわれわれの認識に従
 みんなのおのおののなかのすべてですから)   う」という「超越論的対象」の領野を拓いたのでした。

けれどもこれら新世代沖積世の         ところで、私がこれまで書いてきた童話に見るように、私
巨大に明るい時間の集積のなかで        の感性と思考の対象は、もともと自然や人間のみではなか
正しくうつされた筈のこれらのことばが     った。よだかやカラス、熊や鹿、自然の風景や木々、小さ
わづかその一點にも均しい明暗のうちに     な草花などの、有機体の生命をもつものの一切と、言葉を
  (あるひは修羅の十億年)         交わすことが出来た。そればかりではない。無機物の石こ
すでにはやくもその組立や質を變じ       ろや土壌、岩石やその下の地層さえもがわたくしには、か
しかもわたくしも印刷者も           って命あったものいまも生命ある者のごとく見えていた。
それを変らないとして感ずることは       さらに太陽や銀河や星、、宇宙、コスモスさえもが生命体
傾向としてはあり得ます            であるかのごとくに見えたのだった。『よだかの星』や『
けだしわれわれがわれわれの感官や       烏の北斗七星』、あれらの物語は、ひとりわたくしだけの
風景や人物をかんずるやうに          「アプリオリな総合判断」に過ぎなかったのか。まさか、
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに    そんな筈はない。あのトランクいっぱいの、イーハトヴの
記録や歴史、あるひは地史といふものも     ほんとうの物語は、世界の真理の論料として、確かにわた
それのいろいろの論料といっしょに       くしが書き残したものだった。
(因果の時空的制約のもとに)         デカルトによって中世のスコラを脱し、明晰さを取り戻し
われわれがかんじてゐるのに過ぎません     た理性の力。「ひとそれぞれ」、私たちのだれもがもつこ
おそらくこれから二千年もたったころは     の主観という場所は、近代になって人間が手に入れた、自
それ相當のちがった地質學が流用され      分で考えるための大切な足場だ。このとき人間は「わたく
相當した證據もまた次次過去から現出し     し」から「世界」を考える力を獲得した。これは人間にと
みんなは二千年ぐらゐ前には          って、古代ギリシャ2000年来の、第2の火の獲得と言
青ぞらいっぱいの無色な孔雀が居たとおもひ   っていい。斯くして、単なる純粋悟性や純粋理性からする
新進の大學士たちは気圏のいちばんの上層    物の認識は、すべて単なる仮象にほかならず、真理は経験
きらびやかな氷窒素のあたりから        のうちにのみ存する。真理は体系のうちに存するのではな
すてきな化石を發堀したり           く、経験のうちに、対象との出会いによって得られるもの
あるひは白堊紀砂岩の層面に          であり、認識にとって感性的契機がぜひとも必要なのであ
透明な人類の巨大な足跡を           る。この度、新進の哲学士のこの小論が、膨大な賢治論料
発見するかもしれません            のなかで小さな発見の足跡になればと願うばかりです。

すべてこれらの命題は             すべてこれらの命題は感性的直観と時間・空間のア・プリ
心象や時間それ自身の性質として        オリな「現象」として、私の理性が的確に判断、処理し、
第四次延長のなかで主張されます        四次元連続体という相貌の図式をもって、主張されます。
                  [別訳]すべての現象は時間のうちにあり、現象の変易( 量、質、
                       関係、様相=第四次延長)は時間的諸相として先験的図式
                       (カント)をもって主張される。

[第一聯]
わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
・・・・・
 この「わたくしといふ現象は・・・」の「現象」がそもそもの問題なのであった。この「現象」の解釈に躓き「假定された有機交流電燈の・・・」の「有機交流電燈」に躓いてしまっては、「透明な幽霊」の正体はおろか解読の気力をほとんど失ってしまうのである。
 この「現象」は、カント(1724~1803年)が『純粋理性批判』でコペルニクス的転回をなし遂げた「認識論」の重要概念である「現象」なのである。繰り返すがカントの「現象」(『純粋理性批判』の「超越論的感性論」)であることが重要なのである。(ただの文学的な現象であったり『宮沢賢治語彙辞典』のフッサールの「現象学」であったりでは不分明である。カントの「現象」以外では第5聯へのブリッジ、5聯自体の時空(時間・空間)の解釈が難しい)。また、次の「假定された有機交流電燈の・・」の「有機交流電燈」は「有機体」、「有機生命体」のことであり、「透明な幽霊の複合体」は「有機生態系の現象」のことだ。カント哲学特有の「現象」と「物自体」という二元論が「透明な幽霊の複合体」という、絶妙な表現となっているのだ。これはカントの第三批判書である『判断力批判』の第2部の「目的論的判断力批判」の「有機体」に関連していることとなる。

[第五聯]
すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます
      大正十三年一月廿日  宮澤賢治
 すべての現象は時間のうちにあり現象の変易は時間の諸相(量、質、関係、様相=第四次延長)として表象される。現象(直観=心象)と命題(カテゴリー)の包摂は時間規定の先験的図式(カント)をもって主張される。

 こうした個別の解釈を提示するよりは、序の全文とその解釈を示す方が簡便であろう。以下に私の解釈と補注の全文を記す。

[第一聯]
わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)
[意訳]
カントが「現象の世界」といい、ショーペンハウエルが「世界は私の表象である」としたこの自然的世界。有機生命体としてこの世界に生きるわれわれは、あらゆる生物と共に、広大無辺なこの自然界で、それぞれの生態系を形成しています。この生態系は合目的性を有する、無駄のない美しいものです。
 多様な有機生態系の生長のロゴスは、それぞれが自らを形成する力を有し、相互因果に満ちていてせはしくせはしくたしかにともりつづける、複合体としての共生の存在なのです。
(滅びても、その輝きは残るでしょう。)
[補註]
①この序の第一聯、第二聯はいわゆる賢治の時空(時間・空間)のリフレインから構成されている。「わたくしといふ現象は・・・」、冒頭のこの宣言はデカルトの「我思うゆえに我あり」に倣った力強い宣言となっている。この「現象」はカントの『純粋理性批判』(当時57才)の「認識論」の「現象」のことである。カントが「空間あるいは時間において直観されるすべてのもの、つまり我々にとって可能的な経験のすべての対象は「現象」以外のなにものでもない。」と宣言したあの「時空のア(*)・プリオリな形式」の「現象」のことだ。
②また、同じく冒頭の「假定された有機交流電燈の・・」の「有機交流電燈」は「有機体」、「有機生命体」のことであり、カントの第三批判書である『判断力批判』(当時66才)の、第2部の「目的論的判断力批判」の「有機体」に関連していることとなる。この『判断力批判』でカントは、自然界の有機生態系のメカニズム、生長のロゴスの解明に、目的論的自然観を導入している。 この有機体についての考察が後に『永遠平和のために』の著作として結実したという。
[第二聯]
これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鑛質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケッチです
[意訳]
 この詩集は、過去22ヶ月間のわたくしと対象との出会い、わたくしの身に起こったさまざまな出来事の、その時々の思考と経験を書き留めたものです。
 (すべての対象はいつどこでという、ア・プリオリな時間・空間の形式をもち、みんなに共通です。)絶えず湧き出す「いま」と言う現象、その明暗のひとくさりづつ、「感性的直観」と「時空のア・プリオリな形式」による「現象」であり、そのとおりのスケッチです。
[補註]
③「時間・空間は主観の性質、ア・プリオリな感性的直観である」、カントが沈黙の十年を懸けて生み出したこの思想が、物自体と思われていた対象が、実は「現象」であるという発見となった。「時間と空間が感性の形式」として作用する領域がカントの「現象」なのであり、これのみが、われわれにとって有意味な認識の領域にほかならない。なぜなら認識の内容は、センスデータとして与えられなければならないが、それは常に我々に固有の空間と時間という窓口をとおしてしか与えられないからである。
[第三聯]
これらについて人や銀河や修羅や海膽は
宇宙塵をたべ、または空氣や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)
[意訳]
 有機生態系の多様な生命世界、有機体は発生すると、なぜか各有機体にとっての世界が開かれるのだ。その一部は見えるようになる。そしてさらにその一部は言語を学ぶ。私たちは正しい認識、リアルな認識とは、私たちが本当にあると思っているもの、例えば、緑の木々や光り輝く太陽や、青い空、森のささやきと静けさ。これらは、私たちとは無関係にまずちゃんと実在していて、だから私たちはそれらを見たり聞いたりすることができる、という風に考えています。しかしカントは、「外界をそのままの客観として認識できるのではなく、対象がわれわれの認識に従う」という「超越論的対象」の概念によって、経験的認識の客観性を基礎づけ、「超越論的真理」の成立する「経験の地平」という領野を拓いたのでした。
[補註]
④これまでの「認識論」では「真理とは、認識とその対象との合致」、すなわち観念の秩序と事物の秩序との間の一致という理念に基づいていた。この主観と客観との間の調和の理念に、対象への主観的な能力である「現象」の概念を導入して、客観への従属の原理を置き換えてしまったこと、これがカント本人が自ら命名した「コペルニクス的転回」であった。これは「主観‐客観」図式の転換であり、古代ギリシャのプラトン以来の英知、価値観の逆転であった。
[第四聯]
けれどもこれら新世代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
記録や歴史、あるひは地史といふものも
それのいろいろの論料といっしょに
 (因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたったころは
それ相當のちがった地質學が流用され
相當した證據もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいっぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
わづかその一點にも均しい明暗のうちに
  (あるひは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を變じ
しかもわたくしも印刷者も
それを變らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
新進の大學士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を發堀したり
あるひは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
發見するかもしれません
[意訳]
 ところで、私がこれまで書いてきた童話に見るように私の感性と思考の対象は、もともと自然や人間のみではなかった。よだかやカラス、熊や鹿、自然の風景や木々小さな草花などの、有機体の生命をもつものの一切と言葉を交わすことが出来た。そればかりではない。無機物の石ころや土壌、岩石やその下の地層さえもがわたくしには、かって命あったもの、いまも生命ある者のごとく見えていた。さらに太陽や銀河や星、コスモスさえもが生命体であるかのごとくに見えたのだった。『よだかの星』や『烏の北斗七星』、あれらの物語はひとりわたくしだけの、「ア・プリオリな総合判断」に過ぎなかったのか。まさかそんな筈はない。あのトランクいっぱいのイーハトヴのほんとうの物語は、世界の真理の論料として、確かにわたくしが書き記したものだった。
 デカルトによって中世のスコラを脱し、明晰さを取り戻した理性の力。「ひとそれぞれ」、私たちのだれもがもつ、この主観という場所は、近代になって人間が手に入れた、自分で考えるための大切な足場だ。このとき人間は「わたくし」から「世界」を考える力を獲得した。これは人間にとって、古代ギリシャのプロメテウスの火に次ぐ2000年来の、第二の火の獲得と言っていい。斯くして、単なる純粋悟性や純粋理性からする物の認識は、すべて単なる仮象にほかならず真理は経験のうちに存する。真理は体系のうちに存するのではなく経験のうちに対象との出会いによって得られるものであり、認識にとって、感性的契機がぜひとも必要なのである。
 この度、新進の士のこの小論が、膨大な賢治論料のなかで、小さな発見の足跡になればと願うばかりです。
[補註]
⑤「ア・プリオリな総合判断」、これこそカント哲学の主導概念なのである。学問的真理や科学的命題はこの「ア・プリオリな総合判断」とされる。カントによるとあらゆる認識は判断の形をとる。判断は主語と述語で構成され、二種類に分類される。
1).すでに主語概念に含まれている概念を述語としてもつ判断を「分析判断」という。この種の判断が「分析的」と呼ばれるのは、主語概念を分析すると、述語がおのずと出てくるからである。たとえば、「物体は広がりをもつ」という判断の場合、「広がり」という述語は「物体」という主語概念の定義の中にすでに含まれており、従って「物体」を分析すれば「広がり」はその中に見いだされうる。
2).それに対して、もともと主語概念には含まれない述語を、主語概念と結びつける判断があり、それを「総合判断」という。これが「総合」と呼ばれるのは、互いに含意しあわない二つの異なった概念を結びつけるからである。たとえば、「海は青い」という判断の場合「青」は「水」や「塩分」その他の概念とちがって「海」という概念に本質的に含まれているわけではなく、この概念の外から取ってこられたものであるから、それは総合的である。「海は青い」が意味ある命題として成りたっているのは、「海」に「青」を正当に結びつけることを保証する直観の助けによる。この命題にかぎらず、一般に有意味な命題はそれに対応する直観によって裏づけられる。理性の誤謬や仮象、二律背反によって、それぞれの主張が無意味で空虚な、しかも自己矛盾する結果に陥るのは煎じつめれば、判断の有意味性を保証する直観、経験という契機を欠いていたからにほかならない。その意味では、総合判断が「総合的」と呼ばれるのは、右に述べたように単に主語に含まれていない概念を主語と総合するからというにとどまらずより積極的には、概念と直観の総合を実現するから、ということができるであろう。
[第五聯]
すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます
      大正十三年一月廿日  宮澤賢治
[意訳]
 これらの命題は、感性的直観と時空のア・プリオリな「現象」として、私の理性が的確に認識、処理し、四次元連続体という相貌の図式をもって主張されます。
[別訳]
 すべての現象は時間のうちにあり現象の変易は時間の諸相(量、質、関係、様相=第四次延長)として表象される。現象(直観=心象)と命題(カテゴリー)の包摂は時間規定の先験的図式(カント)をもって主張される。

28歳の青春絶頂の賢治が書いた『春と修羅序』はおそらくこんなものでしょう。これでこそ識者に見せても恥ずかしくありません。カント哲学の核心はまず第一に「直観によって現象の多様が与えられ、悟性がこれを思惟する」、それともう一つ、もう一度言いますがカント哲学特有の二元論「物自体と現象」=「透明な幽霊の複合体」これです。70歳の爺ッコではこういう哲理の読解はとても無理でしょうか。
ではカントについてはまた次回・・・。しかしこれだけカントに比重がかかってくると日本の哲学史について大凡のお勉強を必要とします。最適な本は大項目主義ながら精細な『現代哲学辞典』三木清編、昭和11年、日本評論社でしょう。

5.或る心理学的な仕事と実験(p.48~p.53)
 宮沢賢治の心理学(p.175~p.179)
 冒頭で断っておくが賢治のいう「心理学」とは、根源的には旧来のカント哲学の「特殊形而上学」の「心理学」を指す。そこに至るには格別の哲学的素養が必要なのだが、それは後回しにしてずばり当時の岩波書店発行の「哲学書目」を検索してみるのが一番である。正解はまさにズバリ国会図書館のビッグディジタルデータのなかに見つかりました。
 それでは順を追って説明してゆきましょう。この「心理学」ではいつも引き合いに出される賢治の2通の書簡がある。一通は①森佐一あての書簡(大正14年2月9日)であり、もう一通は②岩波書店の岩波茂雄(1881~1946年)あての書簡(大正14年12月20日)である。この2通の書簡をまず予断を排して正確に読み取ることが必須である。それぞれの書簡は次のようである。(部分)

①「・・・前に私の自費で出した「春と修羅」も、亦それからあと只今まで書き付けてあるものも、これらはみんな到底詩ではありません。私がこれから、何とかして完成したいと思って居ります、或る心理学的な仕事の仕度に、正統な勉強の許されない間、境遇の許す限り、機会のある度毎に、いろいろな条件の下で書き取って置く、ほんの粗硬な心象のスケッチでしかありません。私はあの無謀な「春と修羅」に於て、序文の考を主張し、歴史や宗教の位置を全く変換しようと企画し、それを基骨としたさまざまの生活を発表して、誰かに見て貰ひたいと、愚かにも考へたのです。・・・」。

②「・・・わたくしは岩手県の農学校の教師をして居りますが六七年前から歴史や論料、われわれの感ずるそのほかの空間といふやうなことについてどうもおかしな感じやうがしてたまりませんでした。・・・。わたくしはあとで勉強するときの仕度にとそれぞれの心もちをそのとほり科学的に記載して置きました。その一部分をわたくしは柄にもなく昨年の春本にしたのです。心象スケッチ春と修羅とか何とか題して、関根といふ店から自費で出しました。・・・。辻潤氏、佐藤惣之助氏は全く未知の人たちでしたが新聞や雑誌でほめてくれました。そして本は四百ばかり売れたのかどうなったのかよくわかりません。二百ばかりはたのんで返してもらひました。それは手許に全部あります。わたくしは渇いたやうに勉強したいのです。貪るやうに読みたいのです。もしもあの田舎くさい売れないわたくしの本とあなたがお出しになる哲学や心理学の立派な著述とを幾冊でも取り換え下さいますならわたくしの感謝は申しあげられません。わたくしの方は二、四円(註 二円四十銭)定価ですが一冊八十銭で沢山です。あなたの方のは勿論定価でかまひません・・・」。

 ①と②の間にはおよそ10ヶ月の差があるが「心理学」についての賢治の主張には両者に差異はないようだ。①の「私がこれから、何とかして完成したいと思って居ります、或る心理学的な仕事の仕度」こそが賢治のいう「心理学」なのである。②の岩波茂雄あての手紙は、岩波書店の哲学、心理学の本と自身の『春と修羅』(定価2円40銭を80銭に値引きしてまで)とを交換して欲しいという、突拍子もない依頼なのである。この賢治の意図は一体何なのだろうか。おそらく内心、自分の『春と修羅』の詩集の序詩がカントの哲学を深く敷衍したものであることの自負心が滾っていて仕方がなかったのだ。詩集を読んで誉めてくれた辻潤氏、佐藤惣之助氏らやほかの誰からも、賢治にとっては肝心の序詩については反応がなかった。そこで専らカントで売り出し中の天下の岩波に、岩波茂雄に「どうだ!、岩波書店は、岩波茂雄は、俺のカントが判るか!!・・・」というつもりだったのだろうか。(こういう賢治の心理は世知に長けて次々と余計な本ばかりを書くようなこれまでの、賢治研究家らには金輪際分からない)。交換を申し出たのも賢治の自負であろう。賢治にして自分が欲しければ買えなかった筈はないからだ。
 岩波茂雄の哲学への傾倒はあの華厳の滝で投身自殺した(1903年(明治36年)5月17才)「人生不可解」の藤村操が親友だったことによるという。その藤村操はわが旧盛岡藩士の裔で(札幌出身)1896年、啄木と同年生まれであった。
 当時岩波書店は既に述べたように、カント生誕二百年記念に向けてすでに大正11年10月に『岩波哲學辭典』(定価18円、1200余頁)を出版していた。そればかりではなく、「カント著作集」(全18巻)というカント全集の出版に取りかかっており、第1巻の天野貞祐著『カント純粋理性批判』(上巻)が出版されていた。大正2年に創業したと言う岩波書店は、大正6年には日本で初めてのカント書である、桑木厳翼の『カントと現代の哲学』を出版しているし、この大正13年には田邉元の『カントの目的論』(大正13年10月、これは『判断力批判』の注釈書であり、あの自然界の有機体の合目的性を論じている書である。)も生誕二百年記念出版と序文に付記されて出版されている。(米田利昭氏の『宮沢賢治の手紙』のなかにある同じ田邉元『数理哲学研究』は大正14年の出版である)。なおこの『岩波哲學辭典』の哲学部門の執筆者の中にこの田邉元氏がおり、また認識論も同氏が単独分担執筆しているのであるが、小野氏は自著の後記でこの田邉元氏を恩師と呼びながら『岩波哲學辭典』についても『カントの目的論』にもなんらのコメントもないことを付記しておく。

 ところでここに私の蔵書で2冊の大正10年代の岩波書店の哲学書がある。①1冊は『知識の問題ーカント認識論の解釈ー』村岡省吾郎、大正10年6月の初版本であり②もう1冊は『認識論』紀平正美、大正4年10月初版、大正14年10月改訂68版である。そして①、②とも「認識論」の文字がタイトルに含まれていることは象徴的である。この時代のこの日本では認識論=カント哲学といってもいいのであるがそれは後述することとなろう。それぞれの書籍の奥付の裏に「岩波書店刊行哲学書目」があり、目を見張るような哲学書がズラリと並んでいる。①の冒頭は先程挙げた『認識論』文学士紀平正美であり、28冊目の末尾は『善の研究』文学博士西田幾多郎である。②は3頁にわたり66冊(①との重複が22冊)の書目があり冒頭は①と同様『認識論』文学士紀平正美であり、その末尾は『古事記及日本書記の研究』津田左右吉である。いずれも最先端の一流の専門の研究者の研究書、学術書ばかりだ。私はこれに気づいたとき本当に驚いた。ともあれこの2冊の数十冊の「岩波書店刊行哲学書目」の学術書の総覧を見る限り、賢治がそれらを「哲学や心理学の立派な本」と言ったことはさすがに賢治であると率直に納得できる。なおこの書目にはすべて送料と定価が記入されていて圧巻である。これを確認しようと思えば国会図書館のオンライン→ディジタル検索で即座にべたコピーを入手できる。但し①の『知識の問題ーカント認識論の解釈ー』村岡省吾郎版は国会図書館には初版はなくて、昭和22年10月25日第18刷があるがこれには奥付の裏の書目がない。(初版本を購入するしかない)。②のほうはちょうど1年後の『認識論』紀平正美、大正4年10月初版、大正15年10月5日改訂71版が国会図書館にありこのオンライン→ディジタル検索で218~219のコマ番号が本書の「岩波書店刊行哲学書目」であるがこれは前出の68版と全く同様である。
 ところでこの国会図書館にはこの『認識論』紀平正美、大正4年10月初版が存在するのだがこちらの書目の224コマ番号を開いて吃驚・・・、ナントそこには岩波茂雄の「哲学叢書刊行に就いて」大正四年十月の1頁にわたる社告がありさらに発刊の陣容、全十二冊の著者、書目があるではないか。ここには岩波書店が大正4年秋に、社会の先端的な趨勢に鑑み社を挙げて「哲学書」に重点を置いたことが示されている。顧問に波多野精一、西田幾多郎、夏目金之助など7名、編輯者に阿部次郎、安倍能成など3名、全12冊は大正4年10月から配布、毎月各1冊1年間で予約割引付である。ここにも1番目は、文學士 紀平正美『認識論』、12番目は文學士阿部次郎『美學』である。『心理學』文學士小野穣があってほかも哲学の分野の錚々たる著者が列なっている。大正初年のこういう哲学事情は先に挙げた『現代哲学辞典』三木清編に詳しい。
 ところで米田氏の『宮沢賢治の手紙』の「岩波茂雄あて」の解説の後半は全く杜撰なものである。これでは天下の「岩波」の面目は丸潰れであろう。当時『岩波哲學辭典』を出版している岩波の出版界における主導性を米田氏は微塵もご存知ないのだ。米田氏の岩波書店についてのこの記述が、そのまま事実と誤認されては、日本の出版界に全くカントの登場のしようがないし、これでは賢治の序詩の哲学的研究は全く進展しえないわけだ。この辺の岩波書店の動向の詳細は『岩波茂雄傳』安倍能成著、岩波書店、昭和32年12月10日、p.137~p.165にさらに詳しい。それらを補完するものとして、再度当時の岩波書店、他店発行のカント書を定価も付して列挙しておこう。(詳細は前記の方法によって「岩波書店刊行哲学書目」を書籍によるか国会図書館のディジタルで精細に検索するのが最良であろう)。

 大正6年11月 桑木厳翼『カントと現代の哲学』定価3円20銭
 大正10年2月 天野貞祐 『カント純粋理性批判』(上巻)カント著作集第1巻、定価4円、下巻は昭和6年
 大正10年6月 村岡省吾郎『知識の問題ーカント認識論の解釈ー』定価1円20銭
 大正11年10月 宮本和吉ほか『岩波哲學辭典』定価18円
 大正13年10月 田邉元『カントの目的論』定価1円80銭

その他このカント生誕200年記念の出版物は著明なものが多く、第一章で紹介した大西祝の『西洋哲学史』(大正14年再版)や波多野精一氏の『西洋哲学史要』(大正10年再版)、さらに尚文堂や他社の、松永材の『カントの哲学』(大正12年11月、菊判、1200頁)や『カントの道徳哲学』(大正13年6月)、大関増次郎の『カント研究』(大正13年、大同館書店)そのほか二、三にとどまらないのである。賢治はこの頃の東京在住時代に図書館に足繁く通っている。当然新刊のこれらの哲学書は眼にしていたはずである。
 こうして鎌田氏の「心理学」が潰えてしまっては、本体の「スピリチュアリズム」の根幹が崩壊に至りかねないと思う次第である。さも勿体ぶっていつもブルカニロ博士が登場するが、デカルトの延長に始まる実体把握、ガリレオに始まる実験は科学技術分野の真理の探求のことで形而上学の真理とは舞台が違うのですね・・・。ライプニッツの言う「連続の迷宮」というヤツですよ。分けて考える、ゴッチャはだめ、・・・、ということでそれほど大した理論ではありません。

 ところで全く信じられないことであるが、このイーハトヴの岩手県でも大正12年にカント生誕の大ブームがあった。佐藤泰平著の『宮沢賢治の音楽』の巻末近くに「玉置邁」への言及がある。賢治が「火の鳥」(ストラビンスキー作曲)のレコードを贈呈したという高農の恩師「玉置邁」(1880~1963)である。この玉置教授が大正12年の8月31日と9月2日(さすがに9月1日の関東大震災の日の掲載はなかった)の「岩手毎日新聞」の第一面に「認識論梗概」(上・下)を執筆している。そしてこの文中に「カント」の名前が11回出てくる。のみならずカントの『純粋理性の批判』の書名まで出てくるのだ。(この『純粋理性の批判』という「の」の入った言い方は大正10年代以前の東大文学部教授の大西克禮(美学担当、『カント『判断力批判』の研究』、昭和6年刊、岩波書店、カント著作集第4 判断力批判 1932年刊、岩波書店)の言い方だ。おそらく玉置は大学でこの大西の講義を聴いて卒業したのだ。盛岡で32歳で『西洋美術史』(明治45年6月、興文社)を出版している。日本で最初の美術書と言われているものであった。、
 さらに同年12月26日から1月5日にかけて、またも同紙上に「哲学小景」と題して5回にわたって哲学記事が連載された。ここには「カント」が10回出てくる。賢治はこれらを知っていて、まさにこの新年の1月20日に勇躍「カント」にちなんだ『春と修羅』の序を書いたのではないか。(大正13年はカント生誕200年で、カント書の出版ブームであった)。なにしろこの大正12年は4月から「岩手毎日新聞」紙上に賢治の「やまなし」をはじめ「シグナルとシグナレス」などが紙上を賑わした。それを上回って玉置教授の美学や哲学記事が掲載されている。二人の記事が同一紙面を賑わすことも再三あったのだった。大正12年は玉置教授にとっても賢治にとっても、このイーハトヴも一年中大変な「カント哲学ブーム」の年だったのだ。
 小野隆祥氏の『宮沢賢治の思索と信仰』によると、賢治は高農時代に大西祝(はじめ)(1864年生れ)の『西洋哲学史』を深く学んだという。小野氏が昔血眼になって探したその『西洋哲学史』は今大学図書館の蔵書を検索すると、上下巻1903年、明治36年出版高等農林蔵書としてしっかり存在している。全文語文、古代ギリシャ哲学からカント・ヘーゲルまで全49章、上下巻、全1,134頁、警醒社書店、第35章がライプニッツ(44頁)、、第47章がカント(122頁)である。(私は国会図書館のディジタルから「カント」と「ライプニッツ」の部分をコピーした。当然ながらカントの全哲学、生い立ちから、『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』まで)。また前述の『岩波哲學辭典』や天野貞祐 『カント純粋理性批判』(上巻)なども高等農林蔵書としてリストアップできる。なにしろ前記の玉置邁教授が図書館長をしていたというから万全である。大学の現在に続く「特設美術科」も玉置邁教授の功績ではないのか。
 現在「農業教育資料館」(重要文化財)として公開されている旧盛岡高等農林本館は赤絨毯が敷かれ、2階には賢治在学中の雰囲気が伝えられていて荘重である。在学中の各年次の賢治と高農生の写真が多数展示され最前列の教授陣のなかに玉置邁の顔が随所に見える。

 また、『宮澤賢治語彙辞典』の「モナド」の項目には小野隆祥氏が、大西祝の『西洋哲学史』によって賢治がライプニッツを知り、「青森挽歌」ほかにこのライプニッツの「モナド」を多用したと解説されている。
 ところで、『春と修羅』の詩の書かれた、大正11年には、アインシュタイン(1879~1955)が来日(当時44才)したことは広く知られていて賢治の「四次元」の語釈などで相対性理論の「四次元」として再三指摘されているが、その前年の大正10年(一九二一年)に、バートランド・ラッセル(当時49才)が来日していたことは殆ど知られていない。このアインシュタインの来日は、実はラッセルの、改造社の山本社長への強力な推薦によるのだという。山本実彦(1885~1952年)社長に招かれて来日したラッセルの推薦によって、その翌年にラッセルと親交のあったアインシュタインが来日したのだ。
 ラッセルの来日は、大正10年7月16日、北京から神戸港へ到着。卵色の背広を着ていたという。7月30日まで約2週間日本に滞在した。京都、奈良の史跡を見物する傍ら、京都大学の錚錚たるカント学者らと会合している。当時の京都大学はすでに西田、桑木、和辻、天野らが京都学派を形成していた。
 一方、ラッセルには、ケンブリッジ大学時代の1900年に、28才の若さで出版した、気鋭な大部の『ライプニッツの哲学』(邦訳は細川董、1959年、弘文堂)があった。当然このラッセルの著作とともに、ライプニッツやカントが話題になったことであろう。ましてこの頃ラッセルはあのウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の序文を書いたばかりで、その出版の手配を秘書に委任してきていた。社会学者としてよりは哲学者、数学者がラッセルの本性であったはずである。 7月24日には上京。当時各新聞に大々的に報道されているので、おおかたの知識人には周知のことであっただろう。7月28日には慶応義塾大学の大講堂で3千人の聴衆を前に講演している。7月30日バンクーバーへ向けて横浜港を出港。後のラッセルに『西洋哲学史』という大著(市井三郎訳、1956年、みすず書房)があることもあまり知られていない。
 その「モナド」のライプニッツには次項に登場願うことになろう。「宇宙の生きた鏡」であるという「モナド」によって「宇宙感情」も「宇宙意思」も解読できるのではないか。

6.宇宙感情とすきとおったたべもの(p.53~p.56)
7.宇宙意思と多元意識(p.56~p.65)
 ライプニッツは宇宙の側から世界を創造したと言われる。大西祝(1864年~1900年)の『西洋哲学史』(1903年、04年)は日本語で書かれた最初の西洋哲学通史である。前述の通りライプニッツの項は第35章で44頁を占める。大西のライプニッツ解釈は前半の「充足理由律」、「矛盾律」などの認識論、存在論の根本定理などはほどよく解釈されながら不幸や悪を含む「現実の世界」が「神は最善を欲し最善の世界を創造した、現実の世界は可能世界の中の最善の世界である」 などのライプニッツの最善観、予定調和の思想の理解は不十分で誤解もあったようだ。「彼れの哲學組織の中に於いて最も不調和を感ずるは神といふ觀念なり。彼れの所謂神はモナドの調和を説かむが為めに止むを得ず外より附け加へたるが如き趣あり、蓋し彼れはその所謂衆多のモナドの想念する所が何故に相調和するかを解す可からざるが故に其の調和を豫定したる神ありと説きて謂はば、神てふ觀念をモナドの頂點に添へたるにて其の觀念の地位の甚だ安からざるは深く考へずして明らかなり。彼れはモナドを以て一切他によりて影響せられざる本軆と為しながら又それが奇跡的に神によりて創造せられたることを説かざるを得ず」といっている。これではライプニッツ哲學の次の段階、「予定調和」の世界である「自然の世界」と「恩寵の世界」に至る道は開かれてこない。大西はクリスチャンでありながらライプニッツ思想の神髄を正しく述べたとは言いがたいというのが専門学者の見解のようだ。賢治もこの大西の見解からだけではさらに議論に深入りはできずに中途半端に終わったわけだ。法華経も仏典も関係なし、ライプニッツのモナド以外の頼りがなかったという証左でもあろうか。これがライプニッツの「モナド」、「宇宙意思」と言われる一端だ。
 さてもう一方の賢治の「ほんたうのさいはひ」を捜して、昔からの愛読書であった山内修氏の『宮澤賢治研究ノート』を念入りに読み返していて、文中に「虚妄」の文字が散見することに気づいた。驚いた・・、吃驚した・・。同氏の『年表作家読本 宮沢賢治』の序の中にも「虚妄」が存在する。私は数年前に長年読みためた数十冊の「賢治本」を全て 売り払ったときに山内修氏のこの2冊と草野心平の1冊ほかを残したのみだった。しかも山内氏の2冊だけは何故かいつも机辺を離れることはなかった。「虚妄」に気づいたのは今回が初めてだ。迂闊だった。そういえば何故山内氏のこれほどの名著が賢治研究書の文献目録に載っていないことだけは以前からうすうす感じていた。なぜ山内修氏のこれほどの名著『宮澤賢治研究ノート 受苦と祈り』が必須文献ではないのかと・・・。今回始めて「虚妄」と「文献無視」とが同時に結びついて息が詰まってしまった。
 昔から直観的に賢治に纏わるうさん臭さの本性はこれであったかと・・・、清六から今に続く学会の隠微な統制はこれであったかとハタと直観できた。狡知な賢治研究者たちの追従がはじめて納得できた。専門の賢治関係者、研究者ほど実に驚くべき狡知に長けた人種の集団なのだ。アア・・・、なにが「ほんたうのさいはひ」だ。今の私にはこんな汚いところに止まる暇などない・・・、退散ダ、おさらばダ・・・、くわばらくわばらダ・・・。
(2020. 6.12 完)
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