カスタマーレビュー

2011年8月12日
わずかなページで8人のアスリートの復活を紹介しています。
特に「落ち込んでいた」部分を中心として相当はしょられた分があるかと思います。

その傷の大小に関わらず、またアスリートであるか否かに関わらず、
身体を壊した人は治るためには必死になるはずです。
ただアスリートの場合はその回復の程度が「動けばよい」ではなく
「元の常人離れしたパフォーマンス」を取り戻すということで遥かに難度が高いと思われます。
元々スポーツで才覚を発揮していた人たちだから、その頑張りも常人離れしています。
特に池谷氏、浜田氏、中野氏らなどはもうズタボロでこちらにも痛みが伝わりそうです。

ただ共通して感じるのは、怪我でいずれの人もどん底の気分と状態に陥るけれど、
「努力の方向」さえみえればそれが希望になって走り出せるということです。
結局全てのツケと責任は自分が負うしかない、それは怪我をすれば誰もが感じること
ですが努力の天才のアスリート達でも、道が見えない中では腐ったりもします。

本書を手にする人は、大なり小なりなんらかのヒントを得ようとしている人が多いと
思います。復活のための努力の方向は人により異なりますが、時間はかかっても
それを必ず見つけ出すという執念を燃やして欲しいです。本書はそれを後押ししてくれます。

※(個人的な想いをぶつけます。)
本文でも触れられているように患者の資質のみならず医療の発展も「復活」に大きく寄与
していることを感じます。ただ一方で佐藤氏の回顧の中の医師の台詞のように

「僕が君の父親だったら、もっと専門の病院に行って、きちんとした治療をすることを
勧めるよ」「例えば、国立がんセンターとか」

この台詞に私は激しい怒りを感じました。
文脈から、医師が自分の手に負えないことをやんわりと患者である佐藤氏に伝えている
ことがわかるのですが、不安だらけの患者、しかもこの場合相当重篤なケースに陥っている
人間にかける言葉かと感じました。「ここでは治療できない」「もっと高度な診断ができる
ところに行ったほうがいい」なぜこういう建設的な言い方ができないのか。
医師のプライドの問題なのか、なんらかの法的な責任を避ける意図なのか。
ただ業種を問わず、困っている人にかける言葉ではないと憤りました。

佐藤氏はその後手術を受け、片足を切断し人目を気にして劣等感と屈辱の日々を送ることに
なります。文では触れられていないしこれは完全に個人的な憶測にすぎないですが、
この医師の他人事な言い回し、傷を抱える人にはこういったことが積み重なって疎外感を覚え
させてしまうのではないのか。彼女に必要だったのはくだらない保身の台詞よりも今起きている
問題に対する解決の糸口だったはずです。患者と同じ目線に立てれば先のような表現には
絶対ならない。こんなことはありふれた日常ですがどうか皆さん負けないで欲しいです。
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