カスタマーレビュー

2018年4月8日
『夜空はいつでも最高密度の青色だ』(石井裕也)
またしても。この映画を観た直後にに池松壮亮のナレーションをNスペ『失踪』で聞いてしまった。
ここんところこんな偶然が重なる。これは“引寄せの力”に通づるものなのだろう。より多くの刺激を受ければ(より分子を大きくすれば)÷世の中に存在する刺激(一定量の刺激)の数値は大きくなるという原理なのだろう。

さて、映画の印象だけど1日経過してこの映画を思い出そうとしているのだけど、どうにも映画のあとに観た『失踪』の印象が混ざってしまってストーリーが映画を観た直後の閉塞感に更にどうしようも無さが増幅されちゃったように思えてならない。
石橋静河は看護師とガールズバーのダブルワーク、池松壮亮は継続して働くことが約束されていない3Kの代表の様な工事現場働く。
死を多く目にする東京の街をのなかで、ふたりは偶然に出逢い、引寄せられていく。
彼らの言葉は、ストーリーを描くためのものというよりも、そのシーンごとに背景を切り替えていくようでもあり、観る者の心を言葉をとおして、ふたりの世界に引き込んでいくようでもある。(台詞ではなく、死を紡いでるようだ)
お互いを“自分たちは変なヤツ”であることを認めているふたり。
それは彼らの生活や存在が特殊だからじゃない。同世代の若者の誰もが感じている将来の不安や孤独、閉塞感を、言葉にしてしまうところであり、それと向き合ってしまうところにある。そういった言葉を口にしたり、声だかに叫ぶヤツは、“ウザイ”し“カッコ悪い”と切って捨ててしまう多くの同世代は、この閉塞感とは向き合わない。だから石橋静河や池松壮亮は“変なヤツ”と括られてしまう。
松田龍平に「うるさい!黙ってろ!」と言われ、妹に「お姉ちゃん。何かあったの?」「変だよ。そんなんじゃ…」と言われるふたり。

石橋静河の周囲はけっして、彼女が描くような閉塞感漂う世界とは思えない(いくらでも豊かな世界を覗くことができるチャンスがある)けれど、彼女自身がどんどんその孤独、不安を手繰り寄せていく。
池松壮亮の置かれた環境は経済的にはかなり深刻なんだけど、彼は物理的な貧しさで卑屈になるわけではない。ただ、ときおり襲ってくるどうしようもない孤独感に耐えられなくなって、この世の中を一緒に生きる同士である石橋静河を求めてしまう。
このふたりの寄り添う姿はぎこちないのだけれど、惹かれるものがある。

私はバブルも経験した。「明日は必ず今日より豊かになる」という約束された幻想の時代を生きたこともあった。だから、この今の閉塞感をその当時の世の中の空気感と比較対象しながら感じてしまう。

石橋静河や池松壮亮はものごころついた時から、この閉塞感のなかを生きている、だからどんどん空気が薄くなって息苦しさを感じても耐えていけるきっと。
確かに、「明日はまた空気が薄くなる」という時代しか知らないのはこの時代に生まれてきた悲劇と見る者もいるが、

「明日は今日よりも豊かになる」と明るい未来を観続けてきた男が体も頭も自由が利かなくなってから「こんな薄くなった空気の中では生きられない」と嘆く絶望感も耐え難いぞ
きっと。

ここは比較の問題じゃないけど、“時代”というものに纏わり付くイメージは変わるものだ。
ことにその時代のなかにいるときに感じるイメージと、過ぎてから眺めたときのイメージは大きく違う。歴史的な変遷のなかに据えたときには、振り返ったときの視点や状況によっても違う。
(そんな生きてもいない時空間のことを言っても無意味だという声が聞こえてもくるけど、生きるってそういう普遍的な価値が支えなんだよ)
ただ、言えることはどんな時代、どんな世の中も、生きてきた人間がいたから今があり、自分があるということだけが事実なんだ。

自分の信じること。その支えとなる自分を磨き続けることが尊い。

石橋静河は抑制の効いた良い存在感だった。
(石橋凌と原田美枝子の娘)
池松壮亮はいつもながら、ナチュラルで良かった。
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