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榎戸 誠さんのプロフィール > レビュー

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榎戸 誠 "榎戸 誠"さんが書き込んだレビュー
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明治維新という幻想 (歴史新書y)
明治維新という幻想 (歴史新書y)
森田 健司著
エディション: 新書
価格: ¥ 1,026

5つ星のうち 5.0 江戸幕府は悪、明治維新は善という歴史観に異議あり, 2017/8/20
『明治維新という幻想――暴虐の限りを尽くした新政府軍の実像』(森田健司著、洋泉社・歴史新書y)は、封建制に庶民が苦しめられた江戸時代、その軛から解放したのが明治維新という歴史観に真っ向から異議を唱えています。

「重い年貢と、固定された身分による差別。悪しき封建制度によって、生まれながらの権利を奪われていた庶民たちが、ついに解放される時が来た。それこそが『明治維新』である。日本は、新たに確立された先進的な明治政府の導きによって、西洋列強と同じ、『近代』という輝かしい時代に突入することになったのだ――。・・・『旧き悪しき江戸時代を克服して、希望あふれる明治の世になった』という見方である。しかし、このような歴史観は、正しいものと見てよいのだろうか」。

「本書は、『明治政府』の真の姿を、幕末や戊辰戦争、それに対する庶民の反応、そして当時を代表する人物たちの発言や行動を用いて、浮き彫りにしようとするものである。その際に採用した方法は、多分に思想史学的である」。

旧幕府側では、勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟、榎本武揚、徳川慶喜のプラス面が、明治政府側では、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文のマイナス面にスポットが当てられています。

例えば、西郷はこのように断罪されています。「徳川慶喜が『大政奉還』を申し出た慶應3年の秋頃から、江戸市中では、長らく高い水準で維持されていた治安が急激に悪化した。具体的に言うと、集団強盗が頻発したのである。・・・この盗賊たちのバックにいたのは薩摩藩だった。慶喜の『大政奉還』によって、倒幕戦争の口実を失った薩摩の志士たちは、江戸をはじめとする関東の治安を悪化させることによって、民衆のなかに不安を生じさせようとしていたのである。こうすれば、危機感を持った幕府が自分たちを制圧するため、武力を行使するのではないかと目論んでのことだった。この計画のために江戸に派遣されたのは、相楽総三や益満休之助、伊牟田尚平らで、命じたのは西郷吉之助、つまり、後の西郷隆盛である。西郷は、様々な政治的理想を語ったが、その実現のためならば、無関係の人々を傷つけたり、彼らの私財を奪ったりしても問題なしと考えていた。少なくとも、この時点の彼は至極単純なテロリストである。この西郷の計画は、庄内藩士による薩摩藩邸焼き討ちという結果につながる。それによって薩摩側に戦の理由が生まれ、目論見は見事に成功した。しかし、数々の犯罪行為によって、江戸の民衆のなかに、薩摩に対する否定的な感情が沈潜したのも確かである」。

著者の主張は世の少数意見かもしれないが、歴史を学ぶ上で、こういう考え方に触れることは意味があると、私は考えています。


日本人のこころの言葉 蕪村
日本人のこころの言葉 蕪村
藤田 真一著
エディション: 単行本
価格: ¥ 1,296

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5つ星のうち 5.0 蕪村は絵師が本業で、俳諧は趣味の延長だった, 2017/8/19
『蕪村――日本人のこころの言葉』(藤田真一著、創元社)を読んで、芭蕉と比較して、私が蕪村についてはほとんど何も知らなかったことを思い知らされました。

蕪村は、町絵師が本業で、趣味が昂じて俳諧師となり、宗匠にまで至ったというのです。そして、常に顧客や門人たちに気を使いながら、絵を描き、句を作っていたというのです。「顧客の好みや視線を意識しながら絵筆をふるい、門人・仲間たちといっしょに吟詠を楽しみつつ、蕪村にしか描けない絵をかき、蕪村にしかよめない句をつくったのです。そしてそれらが今なお、多くのひとを引きつけてやまないのです」。蕪村の絵は、本式の絵・南画だけでなく、俳諧的な画風の絵・俳画や刷物の絵まで広範囲に亘っています。

蕪村の神髄に迫るべく、著者は蕪村の手紙を道しるべとして考察を進めています。

古庭に鶯啼きぬ日もすがら――蕪村29歳、初めて「蕪村」と名乗っての俳句です。「『古今集』の仮名序に、『花に鳴く鶯、水に住む蛙(かわず)』という一節があります。芭蕉の『古池や蛙飛びこむ水の音』の向こうを張って、古庭の鶯をよんでみせたともみられます。とすれば、なかなか油断のならないねらいが見え隠れするといえるでしょう」。

京都画壇で、蕪村が池大雅と並び称されるほどの絵師であったとは、不勉強の私は知りませんでした。

俳諧は、支援者たちに絵を買ってもらうツールだったというのです。「(絵の支援者との)縁をつなぐ有力な武器が俳諧だったのです。俳諧という文芸は、人と人を結びつけるにうってつけの絆でもあったのです。地方の名士たちが蕪村門で俳諧をたしなむ真のねらいは、絵にあったといっても過言ではないでしょう」。

宗匠ともなると、一門の俳諧活動を世間にアピールする責任が生じ、蕪村もこの作業に力を入れています。「一門の人びとが日々の鍛錬でいちばん目標とするのは、撰集に自作が入集することです。撰集とは、さまざまな俳人の作品を一定の編集方針のもとに集成した句集のことです。一門の俳諧活動の成果を世間にアピールする最高の舞台なのです」。

「蕪村の本心がどこにあったかは別にして、絵の分野でも、俳諧の世界でも、ますます売れっ子になっていきました。引っ張りだこで、超過密スケジュールになっていたようです。その状態は、亡くなる年まで持続してゆきます」。「扨(さて)も近年、画と俳とに諸方よりせめられ、ほとんどこまり申事に候」と、俳友に宛てた手紙でこぼしています。

「三日翁(おきな)の句を唱えざれば、口むばらを生ずべし(3日も芭蕉翁の句を声に出して唱えないでいると、口中に荊が生えるにちがいありません)」と、芭蕉没後100年に自ら編集・出版した『芭蕉翁付合集』の序に記しています。

しかし、一方では、「わたくしの俳諧は、芭蕉翁の排風をそっくりそのまま真似するわけではありません(現代誤訳)」と、ある俳人への手紙で表明しています。

著者は、「又平花見図」を蕪村俳画の最高傑作と高く評価しています。

私にとって興味深いのは、蕪村が俳友への手紙の中で、京都人に不満を漏らしていることです。「京の人びとの心根は、日本第一の悪性でございます。つね日ごろはさほどにも思わなかったのですが、俳諧の宗匠となってから、つくづくとそう思い当たることが多々あることでございます(現代語訳)」。

蕪村が上洛した上田秋成と同席することがあったという記述にも、興味を惹かれます。

「春の海終日(ひねもす)のたりのたり哉」、「青梅(あおうめ)に眉あつめたる美人哉」、「鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分哉」ぐらいしか知らなかった蕪村の世界が、本書のおかげで大きく、深く広がりました。


夜中の電話 父・井上ひさし最後の言葉
夜中の電話 父・井上ひさし最後の言葉
井上 麻矢著
エディション: 単行本(ソフトカバー)
価格: ¥ 1,296

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5つ星のうち 5.0 井上ひさしの体験を踏まえた人生訓が心に沁みてくる, 2017/8/18
『夜中の電話――父・井上ひさし 最後の言葉』(井上麻矢著、集英社インターナショナルナル)は、肺がんで死期が近づいたことを自覚した井上ひさしが、劇団「こまつ座」を託した末娘に夜中にかけ続けた電話の内容をまとめたものです。

「私はけっしていい娘ではなかった」。「15年間、父との確執が続いて、最後の最後に和解がきた」。「(父と心が通い合ったのは)数えるほど。父は私にとってはずっと冷たい森の住人で、そこで戯曲や小説を書いて暮らしていた。その森の住人が、私に必死で教えようと、明るい日向に出てきてくれた時のことを、本にまとめてみたいと思った」。「命を削って、毎日のように夜中に電話がかかってくる。必死で伝えてくれた。それを思うと、父がくれた電話の一つひとつが、命の会話だったと気づかされる」。

夜中の電話で、父が娘に伝えたかったことが77挙げられています。

●人生はなるべくシンプルに生きる。複雑にしてはいけない。複雑になっていると感じたら、どうしたらシンプルになるか考える。
●人間は誰でも頭の中にやっかいな不安の虫を飼っていて、それが暴れ出して、不安を作り出す。その虫を飼い慣らして、騒ぎを抑えること、人生はその連続。
●自分という作品を作っているつもりで生きていきなさい。
●幸せの形はそれぞれ違うものであり、実はささやかなことだ。
●背筋がまっすぐな女性になってほしい。コスモスの花のように風に揺れているけれど、根はしっかりしているような女性に。
●何かにとりかかる前に脳みそがおかしくなるくらい考える。考えて考えて、これ以上は考えられないと思って進みだしたらもう考えない。
●いつもなぜ? そう問い続けていること。
●むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに書くこと。
●悪いことばかり考えて進むと、必ずそちらに傾いてしまう。絶対に成功すると信じること。
●生きていくために必要なのはバランス。バランスがいい人になるように心がける。
●一番大事なのは、想像力。相手の立場になって考える癖を徹底的に身につけること。
●20歳までに、世界の名作をしっかり読んでおくこと。
●笑いというのは財産である。
●自分の中に『人間としてのルール』を作る。自分を律するルール。
●大事なのは、後始末。
●種を蒔くこと。たとえ今、芽が出なくても、ひょんなことで花を咲かせる。
●どんな仕事も一個一個片づけていけばいい。
●朝、目が覚めた時、『眠いし疲れているけれど、今日も一日がんばろう!』と思えないのであれば、今の生活、どこかで自分に嘘をついて我慢している。その我慢がどこにあるのかを逃げないで見つめること。
●人の批判は自分を律するいい機会。むしろ観察するつもりで聞いておいて損はない。
●プロデューサーは3年先を見てものを決める。だから勉強して、いろいろなことに精通していなければ、間違った決断をすることがある。
●仕事に出かける前に、『今日はこのために行く』と確認して出かける。なんとなく仕事をしない。なんとなく行ってしまうと、自分の立ち位置がわからない。立ち位置がわからないと、必要以上に笑ったり、ごまかそうとしてしまう。
●何事も基本形を作ることが大事。
●新しいものを古く、古いものを新しく。
●仕事は先手。後手に回ったらかき回される。
●過去(整理)現在(対応)未来(希望計画)というタイムスケジュールを整理する。

「麻矢くん 私ももう満74歳、自分の人生を(できれば円満に)閉じなければならない年令になりました。どうか自立してください。自分の将来・未来は自分で築き上げるしかありません。こまつ座で生きるには、こまつ座をいい会社にするしかありません。財務の立場から、こまつ座を冷静に見て、その上で、他の皆さんと冷静に話し合って・・・たいへんだと思いますが、がんばってください。こまつ座そのものも『自立』する必要があります。自立って、ほんとうに大変です。ひ」。ひさしは75歳で亡くなりました。

その作品に止まらず、その生き方も引っくるめて、私が尊敬している日本の現代作家は、松本清張と井上ひさしです。ひさしの体験を踏まえた人生訓が心に沁みる一冊です。


普及版 モリー先生との火曜日
普及版 モリー先生との火曜日
ミッチ・アルボム著
エディション: 単行本(ソフトカバー)
価格: ¥ 1,026

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5つ星のうち 5.0 16年ぶりに再会した恩師は難病の病床にあった、そして個人授業が始まった, 2017/8/17
『モリー先生との火曜日』(ミッチ・アルボム著、別宮貞徳訳、NHK出版)の著者、「ぼく」が16年ぶりに再会した大学時代の恩師、モリー・シュワルツ教授は難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症し、病床にありました。

「恩師の生涯最後の授業は、週に1回先生の自宅で行われた。書斎の窓際で、小さなハイビスカスがピンクの花を落としていた。毎週火曜日、朝食後に始まる。テーマは『人生の意味』。経験をもとに語られる講義だった」。

「モリーは今では一日じゅう車椅子で、椅子からベッド、ベッドから椅子へと、ヘルパーに重い袋同然の扱いで移されるのにも慣れっこになっていた。食事の間にも咳きこむようになり、ものを噛むのが一仕事だった。脚は死んでしまい、もう二度と歩くことはできない。それでも気持ちは負けなかった。それどころか、もろもろの考えを受け止める避雷針になった。思いついたことは、メモ用紙、封筒。広告、紙くずなど、何にでもメモしておく。こうして書いた、死の影落とす人生をめぐる一口哲学は、『できることもできないことも率直に受け入れよ』『過ぎたことにとらわれるな。ただし、否定も切り捨ても禁物』『自分を許すこと、そして人を許すことを学べ』『もうチャンスはないと思いこむな』などなど」。

「『ミッチ、さっき君、私が知りもしない人のことを気にかけているって言ったけれど、この病気のおかげでいちばん教えられていることは何か、教えてやろうか?』。何でしょう。『人生でいちばん大切なことは、愛をどうやって外に出すか、どうやって中に受け入れるか、その方法を学ぶことだよ』」。

著者の「ご自分が情けなくありませんか」という問いには、「必要なときには、まず思いっきり泣く。それから、人生にまだ残っているいいものに気持ちを集中する。会いに来ることになっている人のこととか、聞く予定の話とか。火曜なら、君のこと。われわれ火曜人だからね」という答えが返ってきました。

「『何でも質問して』とモリーはいつも言う。それでぼくはこんなリストをつくった。死、恐れ、老い、欲望、結婚、家族、社会、許し、人生の意味」。

「『誰でもいずれ死ぬことはわかっているのに、誰もそれを信じない。信じているなら、ちがうやり方をするはずだ』。みんな自分をだましているんですね。『そのとおり。しかし、もっといいやり方があるよ。いずれ死ぬことを認めて、いつ死んでもいいように準備すること。そのほうがずっといい。そうしてこそ、生きている間、はるかに真剣に人生に取り組むことができる』」。

「死に直面すれば、すべてが変わる? 『そうなんだ。よけいなものをはぎとって、かんじんなものに注意を集中するようになる。いずれ死ぬことを認識すれば、あらゆることについて見方ががらっと変わるよ』。そして、はあっと息をつく。『いかに死ぬかを学べば、いかに生きるかも学べる』」。

「問題の一つは、みなさん、ずいぶん忙しいってことだね。人生に意味を見いだせないので、年がら年じゅうそれを求めて駆けずり回っている。次はこの車、次はこの家と考えるんだが、それもやっぱり虚しいとわかって、また駆けずり回る」。

「先生、もし申し分なく健康な日が一日あったとしたら、何をなさいますか? 『24時間?』。ええ、24時間。『そうだな・・・朝起きて、体操して、ロールパンと紅茶のおいしい朝食を食べて、水泳に行って、友だちをお昼に呼ぶ。一度に2、3人にして、みんなの家族のことや、問題を話し合いたいな。お互いどれだけ大事な存在かを話すんだ。それから木の繁った庭園に散歩に出かけるかな。その木の色や、鳥を眺め、もうずいぶん目にすることのできなかった自然を体の中に吸収する。夜はみんなといっしょにレストランへ行こう。とびきりのパスタと、鴨えお――私は鴨が好物でね。そのあとはダンスだ。そこにいるすてきなパートナー全員と、くたくたになるまで踊る。そしてうちへ帰って眠る。ぐっすりとね』。それだけですか? 『それだけ』」。

自分に死が迫ってきたとき、モリーのような気持ちで生きることができるか、考えさせられる一冊です。


世界史を創ったビジネスモデル (新潮選書)
世界史を創ったビジネスモデル (新潮選書)
野口 悠紀雄著
エディション: 単行本(ソフトカバー)
価格: ¥ 1,836

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5つ星のうち 5.0 国も企業も個人も、失敗の歴史に学べ, 2017/8/17
【失敗の歴史に学べ】
歴史を学ぶことに価値があるのだろうか。歴史を知れば、成功できるのだろうか。「歴史を知り、その教訓に学んでも、成功するとは限らない。しかし、失敗の確率を減らすことはできるだろう。なぜなら、成功と失敗は非対称的だからだ。失敗するのは簡単だが、成功するのは難しいのである」。

『世界史を創ったビジネスモデル』(野口悠紀雄著、新潮選書)は、歴史に学べ、それも失敗の歴史に学べと言っている。

【ローマ帝国のケース】
具体的には、ローマ帝国に学べ、海洋国家時代のイングランドに学べと言っている。「ローマ帝国は成功した。それは、分権化した国家機能、小さな官僚組織、自由な経済活動、平和、強力な軍などの条件による。これらのすべてを満たすことは難しいから、ローマ帝国のような国を再現するのは難しいだろう。しかも、これらをすべて満たしたとしても、それで国家運営が成功するとは限らない。ローマは、(カエサルの後継者)アウグストゥスという政治の天才が様々な案件を適切に処理したから成功した。・・・ところで、ローマ帝国は永遠には続かず、崩壊した。・・・この意味において、ローマ帝国から教訓を得ることが可能である」。

【海洋国家のケース】
「海洋国家の時代において、(エリザベス1世の)イングランドがスペインを破って覇権を握った。イングランドの成功をそのまま真似るのは難しいだろう。だが、スペインの失敗を回避することはできる」というのだ。

【企業のケース】
「企業についても同じだ。IT時代において、グーグルは大成功した。しかし、そのビジネスモデルを模倣しても、成功はできない。同社のビジネスの根底には優れた検索エンジンがあり、これは他の企業には真似できないものだからだ。それに対して、失敗したビジネスモデルは、直接的な教訓を与えてくれる。・・・企業が失敗する条件もさまざまだ。新しい技術の価値を評価せず、古いビジネスモデルに固執すること。異質性を排除し、同質の人々のグループになってしまうこと。短期的利益にとらわれて、長期的見通しを失うこと、等々」。

著者は、歴史から学んだことを国家運営、企業経営に生かせと強調しているが、私は、個人も同様だと考えている。自分の経験に照らして、自分や他人の失敗から、あるいは、読書で知り得た歴史上の失敗から学ぶたびに、一段階上のステージに進むことができたからである。

【多様性の確保】
歴史から学べる最重要な概念は、「多様性の確保」と「フロンティアの拡大」だというのが、本書の結論である。「多様性を実現できた国や企業は、できなかった国や企業に対して優位になれることが多い。ただし、多様性を実現したからといって、必ず成功するとは限らない。混沌状態に陥る危険もある。だから、多様性は、成功のための十分条件ではない。その反面で、多様性を否定した国や企業が失敗する例はきわめて多い。失敗しなくても、徐々に衰退することはほぼ間違いない。つまり、多様性の確保は、組織の成功にとって、ほぼ間違いなく、必要条件である」。

【フロンティアの拡大】
「フロンティア拡大が可能な場合に、少なくともある段階までは、国や企業は、活力を得る。つまり、フロンティア拡大は、組織の成功にとって十分条件であることが多い。・・・歴史上の事例では、地理的な意味が強調されることが多い。ローマにおける領土の拡大、海洋国家における通商範囲の拡大などだ。これらが発展に寄与したことについて、疑う余地はない。しかし、フロンティアとは、地理的なものだけではない。・・・20世紀中ごろからの世界は、地理的拡大という意味では限界に達している。しかし、情報の面では、新しい技術の進展により、無限と言って良いほどのフロンティア拡大が可能になっている」。

この著者らしく、現在の日本が「多様性の確保」と「フロンディアの拡大」を実現するにはどうしたらよいかも、詳細に考察されている。


「0から1」の発想術
「0から1」の発想術
大前 研一著
エディション: 単行本
価格: ¥ 1,512

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5つ星のうち 5.0 「ヒト・モノ・カネ」は、今や、「3つのクラウド」に取って代わられた, 2017/8/17
レビュー対象商品: 「0から1」の発想術 (単行本)
『「0から1」の発想術』(大前研一著、小学館)は、ビジネスパースンが生き抜くために必要な最大のスキルは「0から1を創造する力」、すなわち、「無から有を生み出すイノヴェーション力」だと強調しています。

「SNSを使いこなしている、ネット検索に長けている――こうした事例を持ち出して、『自分はITに強い』と勘違いしている人は少なくない。プログラミング言語を駆使して、自分で検索サイトを立ち上げるような『創造』をした人間を『ITに強い』というのだ。SNSを使いこなす程度で自慢するのは、カラオケ上手と何ら変わらない。伴奏なしのアカペラでも上手に歌えるのか? 問われているのはそういうことなのだ」。大前は、相変わらず、辛口です。

「ケース・スタディは、まだ答えが出ていないリアルタイムの『生きた事例』を対象にして『もし、私が○○の社長だったら・・・』と、その人の立場で考え続けていなければ、実践的な問題解決能力を身につけることはできない。ただし、リアルタイムのケース・スタディは、決して『解』を見つけることが目的ではない。自分自身で情報を収集し、取捨選択し、分析し、事実に基づいた考察を重ねて『自分なりの結論を導き出す』能力を磨くことが重要なのであり、それを何度も繰り返すことによって発想力・問題解決力がついていくのである」。

著者は、例として、こんな問いを立てています。「もし、あなたが都道府県魅力度ランキングで3年連続最下位になった茨城県の知事だったら、どのようにして順位を上げるか」。

「無から有を生み出すイノヴェーション力」を身につけるための考え方が11挙げられています。この中で、私がとりわけ刺激を受けた考え方は、●「ニュー・コンビネーション――『組み合わせ』で新たな価値を提案する」(ウィキペディア、DeNAのモバオクが好例)、●「固定費に対する貢献――『稼働率向上』と『付加価値』の両立を」(熊本県の黒川温泉が好例)、●「RTOCS/他人の立場に立つ発想――『もしあなたが○○だったら』が思考を変える」(例えば、2つ上の立場で考える――具体的には、あなたが係長だったら2つ職位を上げて『部長』として、部長だったら同様に『社長』として考える)です。

個人的に勉強になったのは、この指摘です。「20世紀のビジネスの3要素は『ヒト・モノ・カネ』と言われたが、それが今や『クラウドソーシング』『クラウドコンピューティング』『クラウドファンディング』という『3つのクラウド』で代替できるようになり、少人数でも(極端に言えば1人でも)、あるいは設備や資金がなくても、新たなビジネスが展開できる時代になった」。

大前は、今も刺激の震源地であり続けています。


願わくは、鳩のごとくに (扶桑社文庫)
願わくは、鳩のごとくに (扶桑社文庫)
杉田 成道著
エディション: 文庫
価格: ¥ 702

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5つ星のうち 5.0 『北の国から』の演出家自身の、30歳年下の女性との愛のドラマ, 2017/8/16
『願わくは、鳩のごとくに』(杉田成道著、扶桑社文庫)は、22年間に亘りテレビ・ドラマ『北の国から』の演出を担当した杉田成道の、30歳年下の依里との再婚、そして3人の子育ての記録です。

本書は、再婚の経緯から、第一子誕生、第二子誕生、第三子誕生へと話が進んでいきます。

「変と言えば、まったく変であった。こんな秘密クラブのような場所で結婚披露宴をやるのも変なら、新郎57、新婦27、年齢差30、というのはもっと変であった」。

「ちょうど50の年に、女房が死んだ。病名は癌であった」。

「ある日、かくのごとく告白された。私(依里)は自立しなければならないと思う。お父さん(僕のこと)の老後を考えたら(食わせるつもりなのか)、どうしてもそうしなければならない。従って、いまの銀行は辞める。辞めて、数学の教師になる」。

「『・・・お医者様になろうと思うの・・・』。『・・・ハイ?』。ワイパーがカタカタと音を立てた。意味不明のハイ?が、ワイパーの音に消された。『小さいときからの夢だったし・・・いつもでも、お父さんがお金もらえるわけでもないし、それに・・・介護の問題だってあるし・・・』。・・・『ちょうど医者になるころは、お父さんは年金生活ね。これで、介護も十分ネ』」。

結婚式前日の依里からのメールの一節。「依里にとってあなたはとても大きな存在で、そんなあなたが幸せでいてくれたらいいなあ、と思います。まあ、私があなたに恋をしているあいだは、あなたも幸せだと思うので、あなたが90歳くらいまで長生きしても大丈夫でしょう。幸せにするからね。信じていてね」。

「そんなころ、僕のもう一つの人生は、重大な岐路を迎えていた。22年続いた『北の国から』が、終わろうとしていた。・・・(俳優と)同じように、僕らスタッフも、それぞれ『北の国から』と人生を交差させていた。出会い、別れ、結婚、離婚、出産、そして死。さまざまな出来事が『北の国から』とともに記憶に織り込まれた」。

「(第一子を出産した)産婦は3日目から学校(東京女子医科大学)に通いだした。病室から乳児をちょっと預け、授業を受けて、戻ってちょいっと受け取る。おかげで学校はほとんど休んでない。しかも、当たり前という顔をしている。どう見てもエイリアンだ」。

「これが、延々と続く『地獄の育児日記』の始まりになろうとは、いかな僕でも予期できなかった」。

遊園地などでは、しょっちゅう、「おじいちゃんと一緒でいいわねェ」と言われます。「すると、30直前の若き妻が、『いえ、夫です』と、きっぱりと言う。こういうときである、女が凛として美しく見えるのは。まったく、ウジウジと逃げ出そうとする男は弱い」。逞しい若妻と気弱な老兵のコントラストが笑いを誘います。

「我が家はただいま、6畳1間いっぱいに3つの布団を敷き、両端に僕と妻が防波堤となるように寝て、あいだに7歳、5歳、2歳の3人の子供が、夜中、縦横斜め、自由奔放に転がり回って寝ている。かつ朝になると、押し入れに首を突っ込んでいるのやら、蹴飛ばされて壁に押しつけられ藻掻いているのやらで、並べ替えるのに一苦労する」。

「徳川家康、最後の子供は62歳のときの子である。僕は63歳、1つ勝ったと喜ぶよりも、寂寥感の方が勝る」。

「家族も5人ともなると、4人のときと些か趣を異にする。とにかく忙しい。手が足りぬ。赤ん坊は母親がかかりきりになる。もちろん、病院勤務もあり、週に1度ほどの当直もある。よって、上の2人は我が手に一手に掛かってくる。朝の保育園、幼稚園の送りと、夜の寝かしつけはおおむね僕の仕事となる。ここにもう一つ、難事業が襲いかかった。お受験である。実は2年前、若妻は突然お受験に目覚めた」。

著者から依里への手紙の一節。「そこに、思ってもいない新しい生命が誕生した。それだけで驚きだが、あなたはなんの苦もなく、ただ楽しげに、舞うが如くに、次々に3人もの命を産み落としました。それは、僕の世界を一気に変えました。もう一つの世界――未来――が生まれました。・・・『お父さんはこんな人だったのよ――って、私から伝えることできないから――そんなつもりで、書き遺して――』と、あなたから言われ、なにやら遺言めいて書き進めたものです」。

迂闊というか、読み終わって漸く、これは単なる育児日記ではなく、活字の世界に居を移した著者の演出による愛のドラマであることに気づきました。


雨月物語の世界 上田秋成の怪異の正体 (角川選書)
雨月物語の世界 上田秋成の怪異の正体 (角川選書)
井上 泰至著
エディション: 単行本
価格: ¥ 1,620

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5つ星のうち 5.0 掛け替えのない女を失って初めて、その大切さを噛み締める男の物語, 2017/8/15
『雨月物語の世界――上田秋成の怪異の正体』(井上泰至著、角川選書)によって、上田秋成という人物と雨月物語の世界を理解することができました。

9つの短篇から成る作品集「『雨月物語』が怪談小説の『古典』となった本質的な理由を、作品の成り立ちと、後世の享受の両方から照らし出そうというのが本書の目論見である」。

「(人間の)運命の気まぐれをにわかには承引しない心が『執着』である。逆説的な言い方になるが、この『執着』による運命への反抗こそが、かえって運命を運命たらしめるのである。そして、怪異は単なる素材ではなく、秋成の『執着』の心が『実体化』するための必然であった」。

「『雨月物語』に描かれた2つのタイプの女性像からは、怪異の奥に秘められた深層意識が見て取れた。そのひとつは、当時抑圧されることの多かった女性に対して男性が無意識に抱え罪の意識であり、今ひとつは、女性の身体的魅力に誘惑される『生』の感情と、実は表裏一体の関係にあった『死』への不安・恐怖である。これらの意識は、平和な時代に生まれてきたことへの贖罪意識と同一線上にあると見てよいだろう。『雨月物語』の怪異は、秋成自身の執念の『実体化』が普遍的な人間性の深奥に届き、それが独特の美学を以て描かれているため、単に人を怖がらせたり、そこから通俗的な教訓だけを読者に示そうというだけのものに収まってはいない。そのことが『雨月物語』を怪異小説の傑作にした」。秋成の怪異の根源には、死への不安があるというのです。

『雨月物語』に収められた9編のいずれについても鋭い分析がなされていますが、一番、私の印象に残ったのは、「浅茅が宿」です。「第3話『浅茅が宿』は、心の通じ合わない夫婦において、なお夫の心を求め続けた妻の孤独と悲劇を描いた物語である」。何と、夫婦の心の不通と妻の孤独とは、現代にも通じるテーマではありませんか。

「勝四郎は7年ぶりに妻と再会を果たしたはずが、同衾後覚醒してみると、たしかにあったはずの我が家は『廃屋』となっており、妻の姿は見えない」。「妻の不在に、昨夜の妻の存在をどう解釈すべきか、勝四郎は思いを巡らせる。・・・ようやく塚に残された辞世の筆跡から塚が妻のものであることを知り、なおその歌は、ひょっとしたら帰ってくるのではないかと思い返す自分の心に騙されたと、夫を責めないものであったことから、夫は妻の愛と不在に慟哭する」。勝四郎は妻の亡霊と一夜の契りを結んでいたのです。

「浅茅が宿」には、掛け替えのない女の存在を失って初めて、その大切さを噛み締める男の真情が描かれているのです。

「秋成が、心の一致は可能かという問題に強くこだわっていたことは間違いない。・・・心の一致にこだわるということは、現実にはいかにそのことが難しいかに関心を寄せ、そこで生じる悲劇に焦点をあてることを意味する。どうして、秋成にあっては、そのことがくり返し焦点化されてしまうのか。これはあくまで仮定でしかないが、秋成(自身)の孤独と薄幸の感情が大きく作用していたと想像しておく」。

「秋成の人生は、彼自身『藤簍冊子』の序で総括しているが、大坂町人の規範である親譲りの家業を守ることにも失敗し、中年から始めた医業も放棄し、学問の世界でも宣長のような体系・門流を残すことなく終わった。つまり、世間的な意味では、何者にもなることができなかった。そのことに彼自身も相当自責の念があった」。

個人的に興味深いのは、秋成の激しい本居宣長批判です。宣長が、70歳の祝いの際、自分の肖像に、「敷島のやまと心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」と書き付けて門人に配ったことは、よく知られています。「これに対して秋成は、『胆大小心録』で宣長のことを『尊大のおや玉也』と切り捨て、それでも飽き足らず、次のようにやりこめる。『しき島のやまと心のなんのかのうろんな事を又さくら花(敷島のやまと心をなんのかのといい加減な説を又ほざいているよ)』。『咲く』と『ほざく』をかけたところがミソなのだが、宣長に対する秋成の『悪口』は辛辣というほかはない。神話を全面的に肯定して、自己をカリスマ化する宣長の信念・信仰の世界に対して、秋成は嫌悪感を抱くほかなかった。古文献を信じきることのできない醒めた精神こそ秋成の真骨頂だったからである。さらに、秋成の宣長への批判は毒々しく、執拗である。『ひが事をいふて也とも弟子ほしや古事記伝兵衛と人はいふとも(嘘まで言って弟子がほしいのか。『宣長の代表作<古事記伝>と乞食をひっかけて』乞食同様の人物だと悪口を言われても)』と悪意丸出しの狂歌をも詠んで罵っている。じれも学問上の論争の問題だけではなく、晩年の宣長にみられる自己のカリスマ化が、秋成には鼻について仕方なかったのであろう」。秋成は、4歳年上の宣長と国学上の論争を繰り広げたのですが、秋成の肩を持ちたくなってしまうのは私だけでしょうか。


モーツァルトの人生: 天才の自筆楽譜と手紙
モーツァルトの人生: 天才の自筆楽譜と手紙
ジル カンタグレル著
エディション: 大型本
価格: ¥ 5,184

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5つ星のうち 5.0 モーツァルトと妻・コンスタンツェとの関係の真実, 2017/8/14
雨がしとしと降っているので、散策を諦め、好きなヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのCDを聴きながら、『モーツァルトの人生――天才の自筆楽譜と手紙』(ジル・カンタグレル著、博多かおる訳、西村書店)を読みました。この大型本は、モーツァルトの人生を彼の自筆楽譜、手紙や肖像画、絵画を多用しながら丹念に辿っています。

「本書で見えてくるモーツァルトの顔は、たえず動き回り、情熱をもって音楽活動に没頭していた人間の顔だ。だが同時に、(時にはくだらない)冗談やおいしいものが好きで、愛するコンスタンツェとビリヤードにうち興じる、人間愛に満ちた人だった。栄光に包まれていた時も悲しみに沈んでいた時も、才能ある作曲家たちの仕事に感動し、決して慎重になったり怖じ気づいたりすることなく人生を歩んだ。この作曲家の姿が、死後、しばしば歪められたり理想化されたりしてきたことは否めない」。その点、本書では、モーツァルトという生身の人間が正確に、愛情を込めて再現されています。

モーツァルトは結ばれることを望んだ女性に受け容れられず、その妹のコンスタンツェ・ヴェーバーと結婚します。「彼女は20歳、彼は26歳だった。・・・結婚生活に時々暗雲がたちこめることがあっても、家の中が混乱しても、考えられないほどの浪費をされても、モーツァルトはコンスタンツェと強い絆で結ばれ、深い愛情を捧げつづけた。ついには彼女と本物の夫婦になったのである。最後の頃、コンスタンツェがバーデンに湯治に行っているときに書いた手紙すべてに、妻を細やかに気遣う夫の気持ちが表れている。・・・6人の子供を産んでくれたいとしい妻にモーツァルトが最後まで抱いていた深い愛情は疑いようがない。たとえ、妻が時には軽薄で、その天才的な夫が子供っぽい、あるいは自由奔放で浮気っぽい行動を取ることがあったとしても」。この6人の子供のうち、育ったのは2人だけでした。

モーツァルトは、結婚に反対する父への手紙に、こう書いています。「ぼくの愛するコンスタンツェの特徴をもっと詳しく知っていただかなければなりません。彼女は醜くはありませんが、けっして美しいとは言えません。彼女の美しさは、ふたつの小さな黒い瞳と、すらりとした体つきに集約されています。機知はありませんが、妻として、母としての役割をこなすに足りる健全な判断力をもっています。浪費家なんてことはありません、まったくの嘘です」。モーツァルトって、かなりいい奴ですね。

「博識なスヴィーテン男爵のおかげでモーツァルトは(ヨハン・セバスティアン・)バッハのフーガを発見した。モーツァルトにとって、それは大いなる啓示だった。モーツァルトはすぐさまバッハの対位法を研究し始め、それを糧に、自分の音楽言語を一気に豊かにした。バッハの音楽のおかげで、モーツァルトの音楽は骨組みがよりしっかりし、前から探し求めていたがいまだ成熟しきっていなかった重厚さを備えるようになったのだ。バッハの対位法の影響が深く刻まれた『魔笛』に至るまで、モーツァルトの音楽はそれ以前とすっかり様相を変えた」。これまた私の好きなバッハからモーツァルトが大きな影響を受けていたとは、嬉しいことです。

これだけでなく、モーツァルトはバッハの末子で20歳年上のヨハン・クリスティアン・バッハと長期に亘り親しい関係を結び、音楽上の影響を受けています。

「親子のようで兄弟のようでもある、お互いの信頼と尊敬に基づいた友情が、モーツァルトと、その父であってもおかしくない年のヨーゼフ・ハイドンを結びつけていた。この友情は、音楽史の中でもっとも美しいエピソードの一つである」。

「モーツァルトはいとも簡単に曲を書く才能を持っていたと語り継がれているが、実際のところそれは、時間をかけて心の中で音楽を練り上げた結果だった」。

「モーツァルトの人柄の根本にあってあまり知られていないのが、彼の冗談好きな性質だ。一般の子供と同じように、小さい頃のヴォルフガングは遊びが好きだった。そして陽気で、悪ふざけや大笑いをしたがる性格は、一生変わらなかった。人をからかったりおどけたりする癖が抜けず、娯楽好きで、九柱戯やビリヤードや射撃などに打ち興じた」。

「彼は母語だったドイツ語の他に、フランス語、イタリア語、英語を話し、ラテン語も知っていた」。

未完成の「クラヴィーアに向かうモーツァルト」の肖像画と、コンスタンツェの肖像画を見ていると、二人は彼らなりに幸せだったのだということが実感され、ホッとします。


姉・米原万里 思い出は食欲と共に
姉・米原万里 思い出は食欲と共に
井上 ユリ著
エディション: 単行本
価格: ¥ 1,620

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5つ星のうち 5.0 妹が明かした米原万里の流儀, 2017/8/14
米原万里は私の好きなエッセイスト・書評家です。『姉・米原万里――思い出は食欲と共に』(井上ユリ著、文藝春秋)によって、米原の素顔に触れることができました。

「大学院を出たものの、定職のないまま、姉は通訳とロシア語講師の仕事で食いつないだ。経堂の日ソ学院(現・東京ロシア語学院)と御茶ノ水の文化学院で授業を受け持った。その文化学院の元教え子たちが言う。『教室で待っていると、万里先生が来るのが遠くからでもわかる。ハイヒールのコツコツ、という音と、アクセサリーのジャランジャラン、という音が響いてくるから』。万里のファッションは独特だった」。

「通訳の仕事は非常な緊張を強いられる。だからストレスも大きい。万里は、通訳で得る高い収入でおもいっきり買い物をしてストレスを解消していた。一気に百万円を超える買い物をしたこともあった。でも、高給ブランドには興味が向かない。そこそこの品質で、好きな色のものを大量に買うのが、万里の流儀だ。アクセサリーも、靴も。その大量の量がすごかった」。

「姉は、自分の気に入ったものがこれだ、と思ったら、他人がどう思おうが、気にしなかった。あまり興味がないものについては、世間的、常識的バランスではなく、自分の合理的理由でものを選ぶ。マイセンの器で紅茶を飲む人なら、お箸は漆塗りじゃないと、とは考えない。わずか100円で、ほしかった黄色のお箸が見つかったのだから嬉しい、というわけだ」。

「大学院を出てからは、踊る機会も、踊る場もなくなった。通訳の仕事も忙しくなっていたし。でも、たしか、1985年に国勢調査があったのだが、輩出した後で、『万里、職業欄に<踊り子>って書いちゃった』と白状した。さまざまな国の踊りに興味を持ち、研究していた姉だが、特に好きだったのは、ロシア舞踊とハンガリーのチャルダーシュだった」。

「ゴルバチョフが登場し、ソ連でペレストロイカが始まってから、それまで暇を持て余していたり、干上がったりしていた人たちの多かったロシア語通訳業界はにわかに活気づいた。このときからソ連崩壊をはさんだ10年の間、万里はめまぐるしい忙しさで、荒稼ぎした。いつ倒れてもおかしくないほどで、たとえば成田に帰国して、家に戻らないまま、数時間後またロシアに飛び立つ、なんてこともあった。そうして得た資金で、鎌倉に大きな家を建てることができた。通称『ペレストロイカ御殿』だ」。

「万里にはお酒を飲む習慣がなかった。コーヒーも飲まなかったし、たばこに興味を示したこともない。・・・そんな万里だが、40歳を過ぎてから抹茶にはまった。毎日お茶を点て、和菓子を楽しんだ」。

「動物たちは万里を大きく変えた。ヒトの機嫌がどうであれ、毎日ごはんはあげなければならないし、犬の放し飼いができる時代ではなくなったので、散歩にも連れて行かなければならない。姉はずいぶん我慢強くなり、生活も規則正しくなった。(以前は気が合わなかった)母の介護も、わたしよりよほど熱心に、優しくやった。ヒトのオスには、ここまで万里を変えることは決してできなかった、と思う」。

「毛深い家族(多くの犬や猫)たちについて書いた著書には、何人かの獣医や動物好きの隣人が登場する。好奇心の強い万里は、何事についても、一家言持つ人の話を聞くのが好きだ。そしてその理屈に説得力を感じると、コロッと信じる」。本書では触れられていないが、この「一家言持つ人」の中に、例の近藤誠が含まれていることは間違いないでしょう。近藤の影響を受けていた米原は、卵巣がんの手術や抗がん剤治療を拒否して、56歳でこの世を去ってしまったのです。

「万里は生涯ヒトのオスを飼わなかったが、わたしは、1987年に井上ひさしと結婚した。姉の大学院時代の友人たちが『唯研』という、哲学研究者向けの雑誌を作っていて、ひさしさんに取材した。その折に、『友だちを連れて、お芝居にいらっしゃい』と勧められ、それを聞いた万里が、井上ファンのわたしも連れて行ってくれたのがきっかけだった。わたしが結婚したとき、姉は友人に『妹さんが日本のシェークスピアと結婚したんじゃ、万里さんの相手は日本にはいませんね』と言われたそうだ」。

「『打ちのめされるようなすごい本』という書評集を読めばわかるように、姉はかなりの読書家だった」。

「人間だれしも、殻の中は個性的で面白い。でも、だれもがその殻を破って個性を表現できるわけではない。万里には殻がなかった。その要因はさまざまだが、姉は、持ち前のエネルギーで、精神を自由に全開させて生きることができた。その結果の困難も喜びも全て引き受けて、周囲に飛び火することもあったけど、それすら時間が経ってみると、なつかしい」。

本書を読み終わり、米原が私の親しい友人であったかのような錯覚に襲われてしまいました。


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