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kantiさんが書き込んだレビュー (東京都世田谷区)

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ロシアン・ダイアリー―暗殺された女性記者の取材手帳
ロシアン・ダイアリー―暗殺された女性記者の取材手帳
アンナ・ポリトコフスカヤ著
エディション: 単行本

62 人中、56人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 もう一冊の『ロシアン・ダイアリー』に寄せて, 2007/7/3
 本書はあるロシア人ジャーナリストの遺作である。彼女の名はアンナ・ポリトコフスカヤ。ロシア国内からチェチェン戦争を告発し、プーチン政権を辛辣に批判してきた彼女は、何者かに暗殺された。2006年10月7日、プーチン大統領の誕生日だった。

 本書の序文にはこうある。「アンナの『ロシアン・ダイアリー』を読むと、なるほど彼女は生きるのを許されるはずはなかったのだと納得がいく。彼女が本書やこれまでの著書で明らかにした事実は、ウラジーミル・プーチンの政権にとってあまりにも打撃が大きい」。

 その認識には同意しつつも、私は次のようなことを考えた。アンナはどうすれば殺されずに済んだのか?すぐに思いつく答えは二つある。一つは、彼女がプーチンのロシアに迎合すればよかったということ。そしてもう一つは、彼女以外の人間が彼女の言論の自由を守るために戦うべきだったということだ。世界が彼女を「ロシアの良心」と呼んだ理由が彼女の孤立ゆえだとすれば、それを許してしまった世界に彼女の死を悼む権利はあるのだろうか?

 私たちはアンナの死を悼むとき、その死の理由の一端に自らが連なっているかもしれないと考えることはあるだろうか?彼女の代わりはもういないと嘆くとき、私たちは自分たちの良心を代弁してくれる新たな「アンナ」の出現を待望し、再びクレムリンへ生贄を捧げようとしていないと言えるだろうか?

 アンナにロシアの良心を預けていた世界と、すべてをプーチンに委ね、彼に服従しているロシアは、互いの鏡像であると思う。そして、鏡が一枚であるという真実の中に、希望と絶望が混在しているのかもしれない。鏡のどちら側にいるにせよ、私たちにはそれを壊すことができるという希望と、私たちには「彼ら」がそうするのを待つことしかできないかもしれないという絶望が。私たちは今、アンナ・ポリトコフスカヤ亡き後の『ロシアン・ダイアリー』という鏡の裏面にいる。


新自由主義―その歴史的展開と現在
新自由主義―その歴史的展開と現在
デヴィッド ハーヴェイ著
エディション: 単行本
価格: ¥ 2,808

101 人中、84人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 新自由主義カルトから脱会するために, 2007/5/7
新自由主義−ネオリベラリズム−とは、市場での自由競争によって個人や企業、社会、国家、さらには世界全体の富と福利が最も増大すると主張する政治経済的実践の理論である。本書は、市場原理主義とも言えるこの「特殊な教義」が、どのように発生し、あたかもそれが常識あるいは唯一の選択肢であるかのように世界中で受け入れられていったのかということを、1970年代以降の政治経済史を読み解きながら明らかにしてくれる。

 著者の結論から言えば、新自由主義とは「支配階級の権力回復という(成功した)プロジェクトを偽装するための(失敗した)空想的レトリック」である。新自由主義は、あまりに日常的な価値判断に組み込まれているために、私たち自身がそうと認識できなくなっているカルトのようなものかもしれない。お金にまつわる様々なことを個人の能力と結びつけて、社会的経済的な不公平を「自己責任」の名のもとに許してしまうこと。職場で不当な扱いを受けても自分が我慢をすればよいのだと不条理に適応してしまうこと。…新自由主義は、経済成長ではなく格差の拡大を真の目的としたプロジェクトであり、私たちのそうした思考は新自由主義によって誘導され、そのことによって新自由主義が正当化される回路も完成する。

 では、その回路を断ち切るために、私たちには何ができるだろうか。著者は、実践と分析をフィードバックさせる対抗運動を展開することで、新自由主義に代わって新保守主義が台頭してくる流れを止め、それらとまったく異なった価値体系、すなわち社会的平等の実現に献身する「開かれた民主主義」を選び直すことができると主張する。日本でも小泉政権の「構造改革」によって非正規雇用者が急増し、多くの人の不安を餌場にする形で「愛国心」を掲げる安倍政権が登場した。

「美しい国」?ホワイトカラーエグゼンプション?…そろそろやられっぱなしは終わりにしませんか?


フィデル・カストロ後のキューバ―カストロ兄弟の確執と「ラウル政権」の戦略
フィデル・カストロ後のキューバ―カストロ兄弟の確執と「ラウル政権」の戦略
ブライアン ラテル著
エディション: 単行本
価格: ¥ 2,592

7 人中、5人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0 「もうひとつの世界」の羅針盤として, 2007/1/18
本書は、米国CIA出身のキューバ情勢の専門家が、豊富な情報やカストロ兄弟の心理分析を通じてキューバの内幕を読み解き、「カストロ後」のキューバ体制の行方を的確に予測した羅針盤的一冊である。

正直なところ、私には本書が冷徹に解剖する「二〇世紀最大のカリスマの一人」フィデルにも、フィデルの影であり彼と相互補完関係にある新指導者ラウルにも、特別な共感や好感を持つことはできなかった。キューバ革命後のキューバでは、バティスタ独裁政権からの解放と、カストロ独裁政権による抑圧が同時に進行していたわけで、世界はキューバとカストロを理想化することでキューバ内部の人権侵害を不可視にしてしまった。本来なら、本書のようなカストロの偶像破壊は、キューバ革命に連帯する人々によってなされるべきだったと私は思う。

著者自身どこまで意識しているかは解らないが、フィデルが憎む米国はキューバの鏡像でもあり、著者が批判するキューバはCIAに象徴される米国自身が作り出したものでもある。「革命か死か」というフィデルのプロパガンダは、「我々の側につくか、テロリストの側につくか」というブッシュ・ドクトリンをあまりにも彷彿とさせる。確かなことは、米国がなければカストロはカストロにはなりえなかったということだ。

いま、「もうひとつの世界」というオルタナティブを志向する運動の中で、ベネズエラのチャベスやボリビアのモラレスなどの南米左派政権が注目されている。けれども、どんなに変革の可能性に満ち溢れた運動にも、必ずその内部には矛盾と限界が存在する。彼らを正当に評価すると同時に、その矛盾と限界を冷静に分析することが、彼らを新たな偶像に仕立て上げないために私たちがするべきことではないか。

地上に楽園などないし、理想は誰かが与えてくれるものではない。本書が教えてくれるのは、現実を批判的に見据える視点であり、そこから先の選択は読者に委ねられている。


チャベス―ラテンアメリカは世界を変える!
チャベス―ラテンアメリカは世界を変える!
ウーゴ チャベス著
エディション: 単行本
価格: ¥ 2,160

41 人中、37人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0 ブッシュが最も倒したい男, 2006/8/31
 「ブッシュが最も倒したい男」という言葉を聞いて、あなたが最初に思い浮かべる人物は誰だろうか?もし、即座にウーゴ・チャベスの名を挙げられたとすれば、あなたには本書はおそらく必要ないだろう。もし、あなたの答えがマイケル・ムーアだったとすれば、本書は『アホでマヌケなアメリカ白人』の100倍ほど堅苦しい本だが、一読をお勧めしたい。もし、あなたが条件反射的にオサマ・ビン・ラディンやサッダーム・フセイン、その他テロリストと呼ばれる有名人を思い浮かべてしまったとしたら、ウーゴ・チャベスとは誰かということを知るためだけにでも、本書を手に取ってみることは悪くないと思う。

 ウーゴ・チャベスとは誰か?「ブッシュが最も倒したい男」という本書の宣伝文は、彼をメディアの死角に追いやってきた日本では過大評価のように見えるかもしれないが、本書を読み終えてみると、実に簡潔にして的を射た表現だと思う。南米の産油国ベネズエラの大統領であるチャベスは、選挙によって民衆に選ばれた革命家であり、新自由主義的グローバリゼーションに対抗する「もう一つの世界」を象徴する存在でもあるからだ。米国は、OPECやラテンアメリカ諸国の団結、スラム住民への所有権の授与、土地改革、識字教育、先住民の権利保障といった改革を推進するチャベスを政権の座から引きずり降ろそうと必死になっているが、民衆の圧倒的支持を得た彼を「倒」すことはできずにいる。

 本書は、キューバ革命の英雄であるチェ・ゲバラの娘アレイダによる、チャベスへのインタビューという形式を取った贅沢な作品でもある。決して読みやすい種類の本ではないが、世界を変える人物の対話を記録した、読まれるべき一冊。


子どもと話す 言葉ってなに?
子どもと話す 言葉ってなに?
影浦 峡著
エディション: 単行本
価格: ¥ 1,296

10 人中、9人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 私たちはどこから来て、どこへ行きたいのか?, 2006/8/23
 最初の感想は、ずるいくらい面白い本だな、というものだった。『子どもと話す言葉ってなに?』という題名が表すように、本書は言語学の専門書でもないし、外国語学習やスピーチ技術を磨くための実用書でもない。といって、言葉に関する子供向け解説書といった、題名通りの一冊というわけでもない。では何なのかと訊かれると、少し困る。確かなのは、本書が言葉について語っていながら、実は私たち自身、そして私たちの社会を映し出す鏡になっていることだ。それは、言語学の専門書が観察対象として、実用書が技術として、言葉を扱い、私たちと言葉との間に一定の距離を置こうとするのとまったく対照的である。本書では、言語の習得から運用、言葉と意味といった問題から、政治や経済、福祉、人権、アイデンティティといった問題までもが、縦横無尽に語られる。そうした意味では、本書は鏡というよりむしろ万華鏡のようなものかもしれない。言葉という万華鏡を著者の視点で覗き込んだときに見えてくる世界。そこでは、言葉は世界と不可分で、言葉について考えることは、私たちと世界との関係を結び直すことである。

 ・・・などと書くと、何だか小難しい本のように思われるかもしれないが、本書で語られていることの多くは極めて日常的な事柄で、特に著者が最近の「ネイティブのように英語を」ブームに淡々と冷水をかけているあたりの文章は、かなり爽快なものがある。

 当たり前のことだが、言葉について語ったどんな言葉も、言葉でしかそれを語ることはできない。言葉とは何かという問いに言葉でしか答えを返せないのだとすれば、言葉の本質は誰かが学問的に証明してくれる類のものではなく、私たちがそれを使い続けていく過程の中にしかないのだろう。本書は、その過程を豊かにしてくれる、貴重な道標だと思う。


ピーク・オイル -石油争乱と21世紀経済の行方-
ピーク・オイル -石油争乱と21世紀経済の行方-
リンダ・マクウェイグ著
エディション: 単行本
価格: ¥ 2,592

15 人中、12人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 「石油中毒」, 2005/12/23
 ピーク・オイルとは、一言でいえば「石油生産の増大が遠くない将来ピークを迎え、それ以降は減少に転ずるという予測」である。本書は、石油を切り口にイラク戦争やグローバリゼーションを論じると同時に、石油企業と個人との魅力的なエピソードを通じて人間の弱さと強さを綴った、石油をめぐる果てしない物語の一編だ。いわゆる石油メジャー陰謀史観に終わらない著者の目線に好感の持てる良書で、訳者あとがきも抜群に面白い。

 だが、私たちはそろそろ気づいてもよいはずだ。ピーク・オイルを目新しい危機として語ることが、石油のための戦争を容認する「先進国」に生きる人間に許された特権だということに。安価な石油はもうすぐなくなるかもしれない?石油の生産がいつか需要に追いつかなくなる?自国の天然資源へのアクセス権を奪われたイラクやアチェ、コロンビア、チェチェン、そのほか私たちが名前さえ知らずに一生を終えるであろう多くの地域では、石油をめぐって人間が殺されることなど日常茶飯事だ。なぜなら、私たちが手放したくないと思っている石油―身のまわりに溢れかえる車やプラスチック製品に象徴される富の源泉―は、本来なら彼らのものなのだから。

 世界の富の80%をわずか20%の人口が独占する非対称の世界では、初めから自分たちのものを失うことさえできない人々が多数を占める。私たちが当然の権利として享受している物質的な利便性は、失うことすらも実は一つの特権だ。本書で紹介されている「なぜ我々の石油が、奴らの砂の下にあるのか?」という秀逸なフレーズは、私たちの石油依存症が末期症状であることを冷徹に告げている。処方箋を手に入れるためには、石油のための戦争を続ける藪医者たちに見切りをつけ、私が、あなたが、石油文明の申し子であることを止めなければならない。


難民を追いつめる国―クルド難民座り込みが訴えたもの
難民を追いつめる国―クルド難民座り込みが訴えたもの
クルド人難民二家族を支援する会著
エディション: 単行本

8 人中、5人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 「人間の資格」, 2005/7/26
この本を手に取ってくれる可能性が少しでもあるあなたに一つ質問をしたい。あなたは人間だろうか。もしそうなら、その理由をどうか教えてほしい。自分でもくだらない質問だと思う。だが、どうしても誰かに訊きたくなった。人間であることを訴え続けているにもかかわらず人間として見なされない人々と、人間であることを忘れていられるほど人間として扱われ続けてきた人々との、本書は出会いと別れの記録だから。
2005年1月18日、国連によって難民認定を受けた2人のクルド人が、日本政府によってトルコに強制送還された。本書によって明らかにされるのは、「自由と民主主義の国」日本のあまりにも醜悪な「難民鎖国」としての素顔である。結論から言おう。日本では、どうやら難民は人間ではないらしい(日本に逃れてきた難民の多くは基本的に無期限の強制収容状態に置かれ、自殺や自殺未遂が後を絶たないなど)。しかし、日本人であることの最大の特権の一つがこの醜さに向き合わないで済むことだとすれば、人間の名に値しないのは一体誰なのか。
クルド人難民家族の月一回の仮放免手続きに付き添って入国管理局に行ったとき、「お父さんと一年しか暮らせなかった」姉妹が「私たちも強制送還されればただでトルコに帰れるね」と言って周囲を笑わせたことがあった。そのとき、私は悟らざるを得なかった。極限の状況にあってなお他者への優しさを失わないその強さに対してこそ、日本人である私たちは確実に責任を負っている、と。彼女たちはまだ高校生。もっと我がままに生きて、周囲に迷惑をかけながら大人になっていくことだってできたはずなのに。
人間であることに理由のいらない、人間になることに資格のいらない、そんな日はいつ来るのか。本書には、難民問題を知ってしまった人たちの希望と絶望が詰まっている。人間の体温がそのまま伝わってくる一冊。ぜひあなたの手元に置いてほしい。


「国家と戦争」異説―戦時体制下の省察
「国家と戦争」異説―戦時体制下の省察
太田 昌国著
エディション: 単行本

8 人中、7人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 平和ボケワクチンの開発, 2005/4/29
「戦時体制下の省察」という副題を見たとき、間抜けにも歴史物かと思ってしまった。が、目次をめくり、自分が平和ボケであることを知った。「出兵兵士を見送って打ち振られる日の丸の小旗の戦慄と衝撃」を始め本書に収録されている文章は殆どが9.11以降に綴られたものだ。自戒を込めて思うが、平和ボケとは決してよく言われるような一国平和主義や危機管理の欠如などではなく、自らを安全地帯に置きながら戦争を支持あるいは批判することではないか。自宅のテレビの前に寝そべりながら戦争の「実況中継」をゲーム感覚で楽しむこと。自分もどこかでそれに荷担しているかもしれない戦争の野蛮に対する無謬の告発人になること。言ってみれば平和ボケとは戦争に対する完璧な傍観者なのだ。
「「国家と戦争」異説」という本書の趣旨をあえて一言でいえば、それは人間には国家が必要であるとか、世界から戦争をなくすことはできないといった「常識」を蹴散らせ、ということだ。実際、18世紀以降に誕生した国民国家という概念も、その起源に諸説ある戦争の歴史も、「600万年の人類史のなかではごく新しい出来事であ」り、「ヒトの歴史を六メートルとすると」国家の歴史は0.3ミリ弱、「戦争の歴史は一センチ強にすぎない」という。にもかかわらず、私たちはそれに肯定的であれ否定的であれ、国家や戦争に翻弄される。そして、振り回されることへの慣れが、両者を人間に不可避な属性として仕立て上げていく。まるで私たちが国家と戦争なしでは生きることも死ぬこともできないかのように。著者はこうした「「国家と戦争」定説」を容赦なく粉砕する。その論理は今ここを真摯に見つめる者ならではの優れた空間的歴史的射程をもって読者を挑発する。「おまえの敵はおまえだ」という言葉によって徹底した自己批判をも厭わない著者は、読む者に対しても傍観者であるという逃げを許さない。平和ボケワクチンにしたい一冊。


蜂起
蜂起
森巣 博著
エディション: 単行本
価格: ¥ 1,944

23 人中、19人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 「テロリストのレシピ」, 2005/4/24
レビュー対象商品: 蜂起 (単行本)
ものすごい本が世間様に出されてしまった。改めて読み返して、そう思う。表紙はライフルを片手に日の丸を振りかざすジャンヌ・ダルク。帯には「リストカットを繰り返す女子高生よ、セクハラに耐えるOLよ、懲戒免職された元警視よ、伝統的右翼集団塾長よ、そして野宿者たちよ。壊せ。壊し続けよ。憤怒の炎が首都を焼く。落とし前をつける相手は、「日本」というシステム。世情騒然、人心騒乱、現代を映す黙示録的戦慄!!」という煽り。不吉である。不謹慎である。でも、これがまたとんでもなく面白い。著者の言葉を借りれば、「失うものは住宅ローンしかなくなった奴ら」は「どこのガソリンスタンドでも購入可能な透明な液体によって、文字通り火を噴」けるのだ。「小泉純一郎日本国総理大臣流にいうのなら、――やればできる」、というわけ。感動した。
そんな本書は真面目な読者に叩かれた。掲載誌の週刊金曜日では抗議の意味で定期購読を中止してしまった人までいたとか。それでも「テロリストに希望はない。希望がないから、テロに走るのである」という本書の問題提起は、単なる有害図書として片付けてしまうには重すぎると私は思う。著者があとがきで告白している無力感と、小説全体を貫くシュールなリアルさは、実は表裏一体だ。なぜなら「失業革命家」が『不朽の自己責任』作戦で「われらがシンちゃんのおわす(もっとも、ほとんど不在だそうだが)都庁」を爆破しようとする小説の不謹慎さも、1日に100人の自殺者と1人あたり1000万の借金を生み出している日本の現実という不謹慎さの前には軽く「負け組」となってしまうから。
本書は誰でも作れるテロリストのレシピだ。あなたが気づかないうちに作っているその料理の、あなたに気づかれないうちに作られているその料理の、正体をこの本で確かめてみてください。


戦争の世紀を超えて
戦争の世紀を超えて
姜 尚中著
エディション: 単行本

30 人中、21人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0 「感性の賞味期限」, 2005/4/17
レビュー対象商品: 戦争の世紀を超えて (単行本)
「今日のイラクの犠牲者は八十人、米軍の犠牲者は六人でジャーナリストが三人首を切られました。パレスチナでは三十五人、イスラエル人も十一人死にました。ロシアとインドネシア、スペインと北朝鮮でも爆弾テロがあって、何人かが焼け死にました。日本人の被害者は今のところいないようです。それでは明日のお天気に続いて、お待ちかねの、今日のナイター速報と大リーグ情報です。」
あなたは今日見たニュースをいくつ思い出せるだろうか。3つ以上思い出せた人は、過去のニュースに遡って同じことを試してほしい。(ここに菓子パンがある。賞味期限は3日)。あなたは毎日どれくらいニュースを見るのだろうか。一日30分としても一年間で一週間以上をニュースに費やしていることになるのだが。
本書はテロや虐殺、戦争に共通するメカニズムを解読することで「戦争や虐殺の特異性を普遍化しながら、自分たちの問題にしてい」こうとする著者らが織り成す対談集だ。「私たちの感性は、世界の悲惨をどんなに見せつけられても、また浮き浮きとテレビ的な日常の世界に舞い戻ってしまう」現代では、他者の死は限りなく退屈な現象に成り下がる。あたかも私たちの感性にあらかじめ賞味期限が刷り込まれているかのように。本日中にお忘れください。期限を過ぎた思い出しはご遠慮ください。(ここに菓子パンがある。賞味期限は3日。大量生産・大量消費・いつでもどこでも同じ味)。
とはいえ、他者の死が日常に埋没した時代にも私たちを感性の眠りから解き放つ表現はどこかにあるはずだ。実際「そろそろ違う夢で目覚めたい」や「外なるオウム、内なる北朝鮮」、「記憶する罪」といった暗示的な言葉を持つ本書は良質な小説を思わせる。無論すべてがたった一冊の本によって変わるはずはないが、本書は一つのメモ箱になる。膨大な殺戮を繰り返しながらそれでも平和について語ることを止めない罪深い人間のための。


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