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なぜ日本人はとりあえず謝るのか―「ゆるし」と「はずし」の世間論 (PHP新書) 単行本 – 2011/2

5つ星のうち 4.0 5件のカスタマーレビュー

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商品の説明

内容(「BOOK」データベースより)

日本人はだれしも「世間」にとらわれている。世間という人的関係の中で、「ゆるし」や「義理」「人情」といった原理に庇護され、安心を得る。故に、日本人は世間からの「はずし」を強く恐れる。犯罪や不祥事を起こした日本人は、ただちに謝罪しなければならない。日本では真摯な謝罪によって、世間からの「ゆるし」を得て「はずし」を回避することができるのだ。ところが近年、日本の刑事司法が厳罰化する傾向にある。これは「世間」の寛容さが失われつつあることのあらわれなのか?日本「世間」の現在を問う意欲作。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

佐藤/直樹
1951年、宮城県に生まれる。九州工業大学大学院教授。九州大学大学院博士課程修了。専攻は刑事法学、現象学、世間学。1999年「日本世間学会」創立時に、初代代表幹事として参画(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


登録情報

  • 単行本: 216ページ
  • 出版社: PHP研究所 (2011/02)
  • 言語: 日本語
  • ISBN-10: 4569795528
  • ISBN-13: 978-4569795522
  • 発売日: 2011/02
  • 梱包サイズ: 17 x 10.6 x 1.4 cm
  • おすすめ度: 5つ星のうち 4.0 5件のカスタマーレビュー
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カスタマーレビュー

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トップカスタマーレビュー

投稿者 Edgeworth-Kuiper-Belt 殿堂入りレビュアートップ10レビュアー 投稿日 2011/4/29
形式: 単行本
内容と比べて大きくずれているという程ではないかもしれないが、タイトルでアピールしようとしすぎたのではないだろうか。日本の刑法と文化の関係について説明している本である。著者は刑法などの専門家。

日本には「世間」がある。日本における世間と人の関係や「うち」「そと」の感覚は、欧米の社会と個人の関係とは異なっている点があることを説明し、日本では世間が人を「ゆるす」と「はずす」という関係があることを指摘する。謝ることや同情される理由があることで「許され」、世間に睨まれることで「はずす」という力が働く。個人主義が広まった現代においても、この感覚は日本に生きており、実は刑法にもそれが反映しているという。逮捕された犯罪者が深々と頭を下げるシーンもその象徴として説明されている。

日本の刑法厳罰化の流れについても「はずし」からの説明を試みている。精神障害者による犯罪や少年法の趣旨とその変化についても、「ゆるし」や「はずし」と関係があるという。特に、刑法39条の条文や適用例と「ゆるし」の関係は興味深かった。ただ、被告の犯罪という人生固有の意味を奪っているから改正すべき反対という主張は、趣旨自体についてはともかく、その根拠の説明はこの著者の他の本を参照となっていてちょっと物足りない。
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投稿者 絶學無憂 トップ1000レビュアー 投稿日 2013/8/12
形式: 単行本
鴻上尚史氏の名著「空気」と「世間」 (講談社現代新書)にひき続いて読みました。どちらも阿部謹也氏の『世間』の理論に基づいたものなので、視点が共通していますが、この考え方の導入という意味では、鴻上尚史氏の本のほうがより噛み砕いて丁寧かつ綿密に説かれており、ずっと飲み込みやすいのではないでしょうか。

本書は、著者が刑法の研究者であることから、日本における刑法と『世間』との関係を、『ゆるし』と『はずし』という視点から論じたものです。未だに欧米的な意味での『個人』というのは言葉しかなく、『世間』の中で生きる日本人は(鴻上説なら『空気』の、と言ったほうが良いかもしれませんが)、『世間』から『はずされ』、ソトへ追い出されることを極度に恐れている。『世間』は『ゆるし』によって、『世間』を乱し
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形式: 単行本 Amazonで購入
近年の日本の厳罰化が、多くの論者が言うように「世間」が解体して「排除型社会」に移行したためではなく、もともと「世間」が持っている「ゆるし」と「はずし」という構造のうち後者が前景化したことによるものであるという主張が、本書の骨子である。明確で説得力のある主張であり、評者はこれに同意する。著者が言う通り、現代にあっても「世間」は少しも弱体化していないと評者も思う。
著者は、刑法39条、すなわち精神障害者に対する心神喪失・心神耗弱の規定が、実際には意思責任の有無を判断する道具という本来の意味でではなく、世間的な意味の「ゆるし」として用いられてきたという。これも興味深い指摘であった。しかし著者はここから飛躍して(唐突に別の根拠をあげて)刑法39条は廃止されるべきだと主張する。これには評者は同意できない。評者は、刑法において意思責任の有無は可罰性の重要な根拠であり、はずすことはできないと考える。責められるべきなのは、精神鑑定における診断および意思能力判断の曖昧さと、裁判実務におけるその杜撰な扱われ方である。筆者とは逆に、評者は精神医学者と裁判実務者がともにこの条文の刑法学的意義を改めて見直し、理念に則った運用を心がけるべきだと思う。
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形式: 単行本
なかなか面白く読めた。佐藤氏の主張のひとつひとつは首を傾げたくなるようなものもありが、まずは氏の展開する世間論が巧みに日本人の性格を俯瞰している。
これを読んだ後だと、何故ブログを炎上させる人がいるのか、風評被害が起きるのか、それに対してまた逆の批判が起きるのか、メディアがかくも指向性を持つのか、などと事のいった理由が、まとめて世間論で片付いてしまう。少なくともそういう気になる。
ネットしててイライラする事が多い人は読んでみる良いかも(笑)
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