江戸時代の伝記作者たちは、信長が非業の死を遂げたことを知っており、それを信長の性格がもたらした必然と考えた(因果応報)。仏教に儒教の影響が加わり、ある信長像が創りだされた。
それが『甫庵・信長記』に代表される”疑い深く、義に欠け、孝心薄く、傲慢無礼な”信長像だ。
「孝行の道厚からず、殊に無礼におわせしによって、果して冥加なく早く過させ給なるべし」(甫庵・信長記)
我々が小説やTVを通じて知る信長は、江戸時代にでっち上げられた様々な史料によっても汚染されている。春日局が、斎藤内蔵助の娘であるという事実を軽くみてはいけない。
しかし、太田牛一の『信長公記』には、近臣(お弓衆)が直接見た”信長”がいる。それが『信長公記』の最大の魅力だ。
本書には丁寧な注釈が付いているが、どうかと思う箇所があるので星一つ減とさせて頂いた。
例えば、本書は、注釈で特段の説明もせず平手汎秀を政秀の3男としている。確かに『信長公記』の記述に従えば3男と考えるのが自然だ。
しかし、平手家には系図が現存しており、その系図によれば汎秀は政秀の孫である。系図の信頼性を問題とする向きもあるが、"三方ヶ原の戦い"で死んだとき、まだ若かったことを示す史料もある。
"3男"とするにしても"孫"とするにしても、補足説明が欲しい。
以下、若干の補足をさせて頂く。
"奥書"で太田牛一自身がはっきりと書いているように『信長公記』は私的な記録であって公的なものではない。編纂されたのは秀吉の時代だが、太田牛一が書き溜めていた覚え書きが元になっていると考えられている。史料としての信頼性は非常に高く、特に天正三年以後の記述については、ほぼ100%信頼出来ると言われている。
《個人的には、書き下し文ぐらいには挑戦したいので、桑田忠親・校注の『信長公記』(人物往来社)を読んでいて、どうしても意味が取れなかったときの参考書として利用している。》
最後に、蛇足ながら『信長公記』を読んでいるとはとても思えない”信長公記に描かれない信長の姿”というレビューがあったので以下の様なコメントを書き込まさせて頂いた。気を悪くされたら申し訳ない。
>
>『信長公記』を読んでませんね
>
>信長は天下統一を目指していた
>既得権益を持つ寺社勢力と対立し解体した
>朝廷など中世的権威を否定した
>野望の為に足利義昭を利用した
>神仏を否定する近代的合理主義者だった
>楽市楽座など時代を先取りする政策を実施した
>そもそも、こういう次元の主張を『信長公記』はしていません。
>要所、要所で信長の功績を称えてはいますが、もっぱら信長の事歴を淡々と綴っているところが特徴です。
>「吉法師殿十三の御歳・・・・古渡の御城にて御元服、織田三郎信長と進められ、御酒宴御祝儀斜めならず」という調子で書き進められています。
>義昭や寺社との対立については、具体的な争いを記述しているだけです。
>楽市楽座令は、永禄11年(1568年)岐阜で、天正5年(1577年)安土で発行されていますが、私の知る限り『信長公記』にまとまった記述は無いはずです。あると言うなら指摘して頂ければ幸いです。
>『信長公記』の欠点は信長の政策面に関する記述が欠けていることにあります。
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