難しい言葉が多いが、ハルヒを見ていれば大筋は理解できる。
特に、長門の経験したエンドレスエイトループは15000回程度ではなく、その何千兆倍という説が面白かった。
これは、なぜアニメのエンドレスエイトは、分岐せずに同じルートばかり辿ったのかという疑問への解答に繋がるのですが。
そして、この途方も無い時間をかけた人間としての生活により、長門は「壊れた」のではなく「感情に目覚めた」という考えに発展する。
面白い!!じつに面白い!!
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エンドレスエイトの驚愕 ハルヒ@人間原理を考える 単行本(ソフトカバー) – 2018/1/23
三浦 俊彦
(著)
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アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」で大激論を巻き起こした「エンドレスエイト」とは何だったのか。人間原理や複雑系,デュシャンの概念芸術など多彩な道具立てで真の意義を解明。
- 本の長さ424ページ
- 言語日本語
- 出版社春秋社
- 発売日2018/1/23
- 寸法18.9 x 12.9 x 2.6 cm
- ISBN-104393333608
- ISBN-13978-4393333600
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商品の説明
出版社からのコメント
話題沸騰、たちまち重版!
著者について
1959年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。現在、東京大学文学部教授。和洋女子大学名誉教授。専門は、美学・分析哲学。
著書に『天才児のための論理思考入門』(河出書房新社、2015年)、『改訂版 可能世界の哲学――「存在」と「自己」を考える』(二見書房、2017年)など。
著書に『天才児のための論理思考入門』(河出書房新社、2015年)、『改訂版 可能世界の哲学――「存在」と「自己」を考える』(二見書房、2017年)など。
登録情報
- 出版社 : 春秋社 (2018/1/23)
- 発売日 : 2018/1/23
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 424ページ
- ISBN-10 : 4393333608
- ISBN-13 : 978-4393333600
- 寸法 : 18.9 x 12.9 x 2.6 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 266,642位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,403位漫画・アニメ・BL(イラスト集・オフィシャルブック)
- - 10,110位哲学・思想 (本)
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上位レビュー、対象国: 日本
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- 2021年2月18日に日本でレビュー済みAmazonで購入本書ではエンドレスエイトについて色々な角度で書かれたもので人間原理や宇宙定数やらの普段使わない言葉が頻繁に出るためその分野のある程度の知識がある人は面白いと思えるかもしれませんがエンドレスエイトという名前に釣られただけの人は考え直した方がいいかもしれません。因みに私は後者の方だったのでなかなか苦労しました。ただ中には「そんな解釈が」と素人から見てもわかるところはあるのでそういった点が面白いです。エンドレスエイトに否定的な人は見てみるといいかもしれません。考えが変わるかも?
- 2018年2月25日に日本でレビュー済みやたら長文でパッと見で引くかもしれないが、それは感動の証として受け取っていただきたい。
1 帯
個人的な話で大変恐縮だが、本書を購入した際のささやかなエピソードを書いておきたい。
見るまでもないと思うが、帯を見てほしい。ハルヒがこちらをジト目でみている。
それだけならいいとしよう。
けれどもこの本はいつ出た本か、西暦2018年である。
この本はどこに置かれていたか。久々に足を運んだ大型書店の「哲学」コーナーに面陳列されていた。分析哲学や論理学の本がずらりと立ち並び、知的な雰囲気を醸し出している中、ハルヒがこちらを向いていたのだ。
なんで今? なんでそこ?
……明らかに浮いている。
ハルヒが周囲から浮いている。
ああ、この感じ。めっちゃ懐かしい。この帯をみたというただそれだけで、俺は衝撃を受けてしまった。
それだけではない。ハルヒにつられて本書を手に取り帯の裏面を確認すると、長門がこちら(キョン)をみつめているわけで、俺の琴線に触れすぎだ。長門の位置としてまさに完璧。とりわけ「ハルヒにつられて読んでいくうちに、結局長門に打ちのめされた」という俺のような人種を狙い撃ちである。しかも「射手座の日」のあのシーンだよ!! (ちなみにハルヒも「射手座の日」から。キョンに自信を注入しているシーン)
もちろん、俺のこのセンチメンタルなノスタルジーを、帯の作り手は考えていないだろう。当たり前の話ではあるが、作品というのは往々にして制作者の意図を超えた意味を発するものだ。
――制作者の意図を超えた意味
それらの象徴的な表現物が、他ならぬ『ハルヒ』に存在する。「ミステリックサイン」でハルヒが何気なく描いたSOS団のエンブレムがそれだ。キョンには「酔っぱらったサナダムシが管を巻いている」ようにしか見えなかったようだが、同エンブレムは分かる連中(例:長門、コンピ研部長氏にとりついた情報生命体)にだけ圧倒的情報を伝達していた。本書の著者は、まさにここでいう分かる連中といえそうだ。それこそ管を巻いているようにしか見えないあの「アニメ版エンドレスエイト」から、圧倒的情報を読み取ってくる。読了した後、ひょっとすると読者はこう思うかもしれない。
「エンドレスエイトはあれで良かった! あれはあって良かったんだ!」
そんなわけない? そうかもしれない。
だが、宗旨替えする人が出ておかしくない。そのレベルの考察がなされている。
2 内容レビュー
本書が扱う論点と観点は数が多い上、論点相互が影響し合っているので、無理やり全体を取り上げようとするとレジュメみたいに無味乾燥な箇条書きになりそうだ。俺の選択バイアスが多分にかかってしまうが、俺の心に響いたところを中心にレビューをさせていただこう。
なお俺は哲学、芸術、物理のどれにおいても素人なので、ところどろころ誤解しているかもしれないから注意。俺の論理が崩壊していても、それは本書の論理が崩壊していることを意味しない。
さて、本書における「アニメ版エンドレスエイト」の本格的検討(第4章以降)は、その失敗ぶりについて克明に描き出すことから始まる。大筋全く同じ話を8回も無駄に描き下ろしたのだから、ダメ出し要素はそりゃもう山盛りである。その労力、もっと有効に使えましたよね。
まったく、なされるダメ出したるや、鋭い上に執拗である。制作陣の間違いを4つ(プラス1)の観点に分けて、「これら全部で間違えている!」と緻密に論証していく様はもはや爽快の域に達しており、いちいち共感を誘ってくるが、中でも重要なのが「物理学的誤謬」と称されるそれ。これは大変共感できるし、深いし、失敗の中核を狙い撃ちしてるし、「本書的重要論点」の一つといえるだろう。
簡潔にいうとこういうことだ。
「せっかくハルヒたちの水着やら浴衣やらが8回毎回違っていうのに、キョンの言動さえほぼ変化なしっておかしいだろ!!」
この指摘には、ほんとそれな! と心から頷いた。俺は長門の浴衣と水着、みつける昆虫が異なる度にテンションも言動も大分変化した(それだけを救いに観ていたのもあるが)。それなのにSOS団諸氏といったら、発言すらさほど変わらないのだ。特にキョン! お前それでも主人公か! いや、まあおかしいのは全員だけど。
こういう描写は何よりキャラクターの「心理」を軽視しているのではないだろうか。
物理学的観点からしても、ミクロな違いがマクロな違いを生み出しまくるのがむしろ当たり前(カオス理論、バタフライエフェクト)。ミクロに違うのにマクロに同じというのは「異常に不自然」なことなのだ。たかが1万5千回ほどのループだったなら、8回もあんなに「違わない」シークエンス(Eシークエンス)が生じているのはおかしすぎる。この調子だと、1万5千回全てについて同じようなシークエンスだったのではとさえ疑われる。まるでキャラクターが操り人形だ。
そもそも「原作のエンドレスエイト」をみてみよう。あんな非カオス理論的画一ループが起きていたとは別に書いていない。原作的には、もっとバラエティ豊かなループだったと理解するのが自然だろう。
そう。アニメ版は「極めて不自然」な、非カオス理論的画一ループを描いてしまった。これが致命的欠陥だ。
もちろん他にも問題だらけで、娯楽としては失敗だったし、芸術にしては娯楽に妥協しすぎの中途半端な代物だったことがきっちり立証されてしまう。挙句の果てに、ありえた改善策さえ具体的に指摘されるのだから、もはや「エンドレスエイト」には逃げ道さえなく、あとは地縛霊として成仏できぬまま永遠に彷徨う他ないようにみえてくる(可能的エンドレスエイトⅠ、Ⅱ)。
とはいえ本書。「だから駄作だったね」とはならない。それどころか、ここからすべてが始まる。著者が望むのは除霊ではなく、「エンドレスエイト」の復活だ。
a 非エンタメ解釈
第8章は「エンドレスエイト」の芸術論とも呼べる部分だが、著者はかなりすごいことをしようとしている。最終的には「エンドレスエイト」どころか、『ハルヒ』というプロジェクトを再構成し、復活させた上、強化までしてしまおうというのだ。ここはとりわけ、議論の「筋」を見失わないことが重要なところだから、若干詳しく紹介しよう(なお、ここは個々の議論内容こそが楽しいところなので、筋を知ったところで、ネタバレによる萎えは生じないと思う。問題はレビュアーたる俺が大筋を理解できているかだ)。
アニメ版エンドレスエイトを、エンタメとして味わえた人も存在はするだろう。美的にみても労作ではあり、「アート」として楽しめた人もいただろう。実際に8回も通してみることで、自身のアニメ観等を見直した、すなわち「ミニマムアート」として経験した人もいるだろう。別に彼らを否定はしない。
けれど、これらの視点だけだと、やっぱりあの大暴走を正当化しがたい。なんだか負け惜しみ感が強い。エンドレスエイトに「異常な不自然」と「欠陥」があるのは一見して明白であり、そこから目を逸らしたままの評価は説得力に欠けるのだ。
ではこのエンドレスエイトを前衛芸術の一大潮流たるコンセプチュアルアート(概念芸術。現物鑑賞の必要はない)として捉えることはできないだろうか。それも、きちんと理論化して、大真面目にそうするのである。
村上隆はキャラ(娯楽)をアート(芸術)にすんなり接合し、芸術的と評価された。エンドレスエイトはどうか。アート(芸術)をキャラ(娯楽)に無理やり接合させている。超大規模に、超コストをかけて。しかも超大人気コンテンツを炎上爆発させたわけで、村上氏のそれより無謀な暴走だ。無論、ヤバイ点はそれだけではない。本書でエンドレスエイト欠陥とされる観点は、ざっと10ほど存在する(笑) それがコンセプチュアルアートの文脈においては美点として捉え返されうるのである。
これが著者による「陰謀」となる。
その作業はそう簡単ではない。以下の問いに答える必要がある。
問い1:コンセプチュアルアートとして捉えることは可能なのか(消極的陰謀1)。
→ 失敗作が自動的にコンセプチュアルアートになるわけではない。また、製作者の意図の中でも「ジャンル的意図」は尊重されるべきだろう。絵画は絵画として、アニメはアニメとして評価すべきだ。
問い2:可能だとして、そう捉えると何か得られるのか(消極的陰謀2)。
→ 単なる駄作の再提示ではコンセプトが弱く価値がない。
問い3:何か得られるとして、そう捉えるべきなのか(積極的陰謀1と2)
→ 『ハルヒ』の形式構造・物語構造がコンセプチュアルアート化を要請するか検討が必要だ。要請しないなら著者の試みはやりすぎである。
本書の真価が発揮されてくるのは、この陰謀が始動してから。つまり「第8章 第2節 消極的陰謀1」からといえる。本文では手厚い論証がなされているが、以下は大筋だけ。
まずは『ハルヒ』が単なるアニメではなく、「プロジェクト」として捉え返される。確かに制作陣は『ハルヒ』を「プロジェクト」と標榜していた。監督はあくまで「超監督ハルヒ」。広告も、主題歌も、アニメ各話も、プロジェクト『ハルヒ』(全体)の部分である。いわばジャンルは「アニメ」でなく「プロジェクト」。部分(アニメ本編含む)が何を意味しているかの解釈は、受け手の裁量の範囲内である。これによりエンドレスエイトをコンセプチュアルアート視することが越権行為ではなくなる。
続いて「コンセンプチュアルアート・エンドレスエイト」のあく抜き作業だ。放送8話分を丸ごと引用符でくくり、「失敗作」ではなく、「失敗作を引用した作品」としてレディメイド化(自己対象化)する。簡単に言うと「再放送版エンドレスエイト(2017年)」を「エンドレスエイトを丸ごと再提示した概念芸術」と見なすのである。「ある戦争」は害でも、「その戦争を引用した映画」に害があるとは限らないように、レディメイド化された「再放送版エンドレスエイト」は元作品「エンドレスエイト」の失敗成分を引き継がない。結果、概念芸術的価値のみをプロジェクト『ハルヒ』に組み込むことが許可される。
それでは「エンドレスエイト」に高い概念芸術的価値は認められるか。これは簡単。当然認められる。上にも書いたが、本書によればエンドレスエイト独自の大失敗はざっと10ほど存在する。これらの概念的質量は大きい(正確には10のうちの1つは単なる失敗として、反転は不可能とみなされている)。
そして最後にプロジェクト『ハルヒ』(全体)には、「エンドレスエイト」(部分)をコンセンプチュアルアート化して取り込むべき、積極的な根拠があると判明する(積極的陰謀1と2)。このあたりは「おおっ」と感心する根拠や解釈が次々投入されてくるのでクールにしてアツい。
以上の賢い戦略によって「エンドレスエイト」は傑作コンセンプチュアルアートというだけではなく、極めて『ハルヒ』らしい(!)作品として生まれ変わる。むしろ、「エンドレスエイト」をそのように取り込むことに伴って、『ハルヒ』全体が、「ときには部分のメタ解読を要請する多彩で柔軟なプロジェクト」に変身するといってもいい。著者と共にこの地点までたどり着くと、「エンドレスエイト」どころか、「『ハルヒ』自体が高度なアート性を宿していたのか……」と感嘆することになるだろう。恐るべき情報操作能力という他ない。
が、まだ終わらない。既に満腹でもまだまだ終わらない。
なんと、『ハルヒ』には「エンドレスエイト」の「反コンセンプチュアルアート化」を促す積極的契機さえ見出せると明かされる。その契機とは「長門有希」である。作品をコンセンプチュアルアート(概念芸術)化するというのは、世界をもっぱらそれが与える情報に還元する情報統合思念体的観点ともいえる。しかし、それに反逆したのが、影のヒロイン長門有希だ。長門は知覚や経験の価値を学び、「私」によるかけがえのない人生を望んだではないか。彼女の存在に促されつつ、著者は「エンドレスエイト」を物語論的に捉えかえす。ここから8つ(プラス1)の「長門〇〇説」が発見されるのだが、こちらの読み筋だと、「エンドレスエイト」は、『ハルヒ』世界とキャラクター達に新たな角度から光を照射する物語作品として復活する。「エンドレスエイト」があのように存在したおかげで、『ハルヒ』(原作を含む)の物語世界観に奥行が与えられるのである。しかもそのトリガーは長門の人間化への意思なわけで、どことなく帯のあのシーンとダブってくるような気がするぞ(笑)
b エンタメ解釈
エンドレスエイトの欠陥を挙げてみよう。とりあえずこう表現してみる。
「1万5千回ほどのループで、あんなに「違わない」のはおかしい。これではキャラが操り人形にみえてしまう」
とはいえ、この批判。実は的外れだったのかもしれない。
1万5千回のループだったなら?
ループ内容が8回同じ?
操り人形にみえる?
それらの仮定が誤りなのでは? 例えば、「キャラが操り人形にみえる」ことを取り上げよう。「みえる」ではないかもしれないじゃないか。キョンたちは、「実際に」操り人形だった。そう考えてはどうだろうか。とすれば誰の操り人形だったか。
――長門のだ。
これが「モノループ説(長門介入説)」として展開される。ループを起こしたのはあくまでハルヒだが、長門は積極的にシークエンスを調整したというのである。長門にそんな動機があるか?
あると読める。ラブコメ的動機が発見できるのである(詳細は読むべし)。長門はループを危機とは捉えず、心地よく受け入れていた可能性さえある(詳細は読むべし)。「エンドレスエイトなどのストレスによって長門は壊れ『消失』に至る」という定説も覆されている(これは第5章で先に明かされる。キョンの欺瞞、長門の悲哀の分析は見事。詳細は読むべし)。
著者はもちろん根拠を提示し、想定される異論に応じながら論を進める。論証過程では興味深い話が次々繰り出されるので快感がすごい。第9章以降から本書の中核概念「人間原理」が本格的に炸裂してくるので、話のスケールも大きくなる。
ともあれ、このような「〇〇ループ説(長門〇〇説)」が合計で8つ(プラス1)提出される。しかも、そのどれもが『ハルヒ』という作品を全く新たな観点から眺めることを可能にするとともに、キャラクター(特に長門)に一層の深みを与えていくのである。
ネタバレは避けたいので内容は伏せるが、どの説も斬新にして説得力があり、実に良い! それぞれの説を理解してから、その説に基づく世界を自分なりに想像してみると高揚するはず。
ここは本当に面白いところなので、ハルヒファンなら第9章から第11章を是非読んでほしい。ハルヒファン的視点からすると、最終3章を深く理解するためにこそ、それまでの章があるといっていい。
392頁に説のまとめが載っているのだが、面白かった説はどれかといわれると全部というしかない。強いていえば(4)、(5)、(7)説が俺的に特に気に入った。
(4)説は『ハルヒ』世界がとてつもなく厚みを増すのでワクワクするし、(5)説は「現実世界」の壮大さに震えると同時に、『ハルヒ』の続編(が、あるとして)はどこへ向かえばいいのかと眩暈がしてくる。(7)説は著者の言う通り驚愕な上、実に妄想をくすぐってくる。著者は××の〇〇の動機について「仲間に合わせようとしたからではないか」と書くが、俺は「ジョーク」だった、あるいは「ジョーク」も兼ねていた線もあると思う。「△△△△△・△△」(アニメ版タイトル)でのそれと対比しながら(7)説を味わうのはどうだろう。要は××のジョーク能力が向上したという説明である((6)説とは相性が悪いし、キョンの推測を信頼しすぎ、言葉通り取りすぎ感もあるが)。
……ネタバレが過ぎると勿体ないので、内容紹介は、この辺にさせていただく。大雑把に雰囲気と魅力が伝われば幸いである。ハルヒから切り離してさえ興味深い論点(例えば「第4章 第2節」のメディア表現適性論、「第5章 第1節」の美学芸術学論、「第11章第1節」のグルジエフ原理、本書の中核「人間原理」)もたくさんあるが、触れる余裕がない。
3 読み方について等何点か
・本書の論理は明快である。著者が次に何を主張したいのか、主張の根拠として何を挙げるのか、その都度丁寧に明示されている。ただし、本書をしっかり理解するにはある程度の集中力と工夫がいるだろう。なぜかといえば理由は単純で、まず扱われる論点と観点が多く、そして一度論証が済んだ論点が頁を隔てて別の文脈で参照されることもあるからだ。気になった論点については軽くメモをとるといいかもしれない。
・なんだか論理の筋を追うのが大変な本だと思われたかもしれない。確かにそういう面はあるが、興味があるところをつまみ食い的に読んだとしてもなかなか面白い本だと思う。かくいう俺もきちんと理解できているか実は心許ない状態なのだが面白く読めている。
・一読して頭がパンクしそうになった場合、331頁の図をよくみることをお勧めする。
・俺は本書をハルヒ論として読み、このレビューでもそちらに比重を置いてきたが、芸術論を中心点として読んでもいいだろう。実際、エンドレスエイトがコンセンプチュアルアートとして芸術界に飛んできた場合、芸術サイドは何をもってその剛速球を打ち返すのだろうか。
・本書は帯だけではなく、カバーにも表紙にもセンスを感じる。帯をはずすと背景の白に「エンドレスエイト」の黒字が縦横に続いておしゃれな感じだが、カバーを外すと背景ダフニレッド(?)に字はピンクとなり縦横の「エンドレスエイト」密度が高まるので異様な感じになる。
・本書をぐるぐるぐるぐるループしたりワープしたりし続け、「こんなこと考えてる俺ってなんなんだ」「なんでこんな奇妙な作品が生まれたんだ」「そもそもなんだこの本」と思い至ったら、342-56頁を読もう。諦めがつくだろう。本書のキー概念「人間原理」を理解しておくと、「アニメ版エンドレスエイト」「それを鑑賞する者たち」「本書を読む自分」などを多宇宙的観点からメタ的に捉え返すことが可能となり、かつてない謎境地に達するのだ。エンドレスエイトによって証明される(!)多宇宙に存在する無数の芸術史、その中には俺たちと似た憂鬱や動揺を共有する芸術史が多数存在し、超意識高い生命による驚愕の芸術史が少数聳え立っているだろう。だが、それぞれの芸術史は相互に独立、類似も相違も確率的結果論に過ぎない。芸術を貫く普遍法則などは存在しないから、俺たちは彼方に思いを馳せつつもあくまで俺たちの道を行くしかないのだ……。(意味が分からないだろうが、たぶん読めば分かる。俺の誤読でなければそう書いてある)
4 感想
それにしても非常識で、論理的で、凄まじく面白い本だった。2500円+税は高めの設定だなと思ったが、内容を考えると安いと断言できる。ハルヒの続編を読んだような気分。本書を読み始めてからは自分流の妄想がひたすら広がっていくので楽しい。
「1」において俺は「アニメ版エンドレスエイト」をSOS団エンブレムに喩えてみたが、もっと適当な例はないか。
当初、なぜエンブレムを持ち出したかといえば、俺にとっての「エンドレスエイト」は現実世界の制作陣が中途半端に芸術にかぶれたために作られてしまった奇妙な異物で、それが地上波で流されたのは大人気コンテンツゆえの傲りを複数企業が共有していたからで、偶然に著者が現れたからこそ、その含意が解明されたと思ったからだった。
まことに常識的な考え方だが、本書を読み終えると、別の可能性を妄想したくなってくる。制作陣による説明、プロジェクト『ハルヒ』説を今こそ全面的に受け入れたくなるのだ。
監督はあくまで超監督ハルヒ。むろんハルヒは自身の作品の意味など丸っきり理解していなかっただろう。それでもはちきれんばかりの憂鬱を燃料に、あえて無謀な暴走を演じてみたのではないか。そうだとするなら、何気なく、ちょっぴり芸術っぽく描いただけのSOS団エンブレムではなく、もっと切実で、大掛かりなものが、ハルヒの始まりたるあの事件こそが、エンドレスエイトにふさわしいだろう。
ハルヒが学校の校庭に描いた、というか実はキョンに「描かせた」謎の絵文字を思い出そう。あれは暴挙として新聞に載った。結構大きな騒ぎにはなった。だがハルヒ本人はといえば誰にも真意を伝えていない。教員総出で問い詰められようが、ハルヒは決して何も白状しなかった。
ハルヒは目立ちたかったのではない。
その辺の普通人が騒ごうが騒ぐまいが、ハルヒにとってはどうでもいい。
ハルヒは単に「見つけて欲しかった」。自分の絵文字がなぜか読めてしまう「普通ではない連中」に。
こう考えると「アニメ版エンドレスエイト」、超監督ハルヒらしい作品ではないか。
製作陣はハルヒの手足として必死に働いてやったというのに、ハルヒは暴走の真意を一切、彼らに伝えていない。ハルヒ自身、「エンドレスエイト」の論理構造は知らないと思って差し支えない。それこそ絵文字のときのように、「なぜかその意味が分かる奴」に伝われと、思うがままに作っただけだ。果たせるかな、ハルヒパワーは今回も炸裂。エンドレスエイトは、普通とは少々言い難い著者(例外中の平凡?)を引きよせ、ついには解読されたのである。
……われながら流石に強引な妄想を展開してしまったが、ともかく本書のおかげで久々にハルヒ的世界に浸れた。俺の迷走からも本書のパワーを感じて欲しい。
素晴らしい読書体験だった。いや、だったとは言えないだろう。ここまで長々レビューした割に、俺は本書を消化しきれていないから、まだまだ楽しめそうである。
はじめて俺が原作を読んでから既に10年以上が過ぎた。
身体は大人になった俺だが、ハルヒのあの言葉は全然色あせない。たぶん一生忘れないだろう。
- 2022年3月15日に日本でレビュー済みこの本は、簡単にあらすじを書くと、
・そもそもエンドレスエイトとは?
・ここがダメだよ!エンドレスエイト(怒涛の指摘)
・しかし、本当にただのクソアニメとして良いのだろうか?(もったいない精神)
・いったん哲学と芸術の話しますね(今後の予備知識)
・無理矢理エンドレスエイトを評価してみたよ(コンセプチュアルアートとして)
・無理矢理じゃなくてちゃんとエンドレスエイトを評価する方法あるよ!(ここから本題)
・長門について新たな解釈をしてみよー
・作中における世界はどんな構造なのか?(バタフライ効果の影響など)
・エンドレスエイトのループ構造はこんな説が考えられる
・「エンドレスエイトの見方」に関する思考はエンドレスなループへ...
などなど、エンドレスエイトから様々な方向へと思考を飛躍させており、最後には「こんな本を書いた俺や、こんな本読んでるお前は意識高い系だ!」なんて言われちゃったり。まさかハルヒの話から自意識について考えさせられるとは思いませんでしたし、特に最後の章は勢いに圧倒されましたw
もちろん、人間原理などを含む哲学的な話が数多く登場し、素人の僕には難しいところばかりでしたが、それでも読んで良かったと思いました。
また読んだおかげでハルヒに限らず、その他の作品(特に時間SFや哲学チックなもの)についても理解が深まりましたので、ハルヒ信者のアニオタ以外も読もう!
最近になって原作の新刊も出ましたし、もし完結するような事があれば、改訂版を出して欲しいな〜と期待しております。
- 2018年1月23日に日本でレビュー済み当方「涼宮ハルヒ」は1期だけ視聴、エンドレスエイトは未視聴だが内容は知っている程度。
読後感は文句なしに面白い。社会現象と絡めたありふれた作品論(それはそれで面白さはあるのだが…)ではない。
エンドレスエイトを一つの作品として、ストーリー、表現、プロジェクトアート、コンセプリュアルアートと言った側面、哲学的考察を絡めて深く多面的に論じている。次から次へと飛び出す「超解釈」はスリリング!
エンドレスエイトの構造的欠陥を節操なしに次々と暴いていく場面もあるが、その中にも作品への愛情が溢れ出ている。超力作だと思う。
- 2018年6月14日に日本でレビュー済み難しかった ^^
ハルヒと聞いて思い浮かぶのは、遼河はるひ御姉様ぐらいのワタクシ( ^ω^)・・・
とはいえ、三浦センセの著作は一通り揃えているので、これも惰性で斜め読みしますた。
ところでセンセは、もう環境音楽に飽きてしまわれたのだろうか?
未だ捕猟中ならば、そろそろ、是非とも「環境音楽入悶」の続巻をお願いしたい。
来年は丁度「入悶」出版20周年にあたるので、増補版でも構いませんです。
春山茂雄の脳内革命のような似非セラピー系から、ヒーリング系、ニューエイジ系まで、
ちょっとでも環境っぽい匂いのあるCDをとことん掘りまくり、あくまでサウンドそのもので
評価するその姿勢は、SVやek周辺のカタログ本よりも、余程参考になるものでありました。
- 2018年7月7日に日本でレビュー済み漫画やアニメ、ラノベの、作品そのものを論じる書籍かと思ったのだが、期待外れであった。
この書は「エンドレスエイト」(以下「EE])を語っていない。「涼宮ハルヒの憂鬱」(以下「ハルヒ」)に熱狂し、「EE」に至って困惑、失望したフアンが、「EE」を了解し、納得し、受け入れるための論理を構築しようとしたというのが私の見立てである。
論拠を簡潔に:著者が「EE」否定の原点とする「バタフライ効果」は、通常その効果によってAとBと全く異なる世界が出現し、その修正、選択を図る物語が展開される。だが、これは「風が吹けば桶屋が儲かる」式の論理である。「EE」では平凡な夏休みが展開し、平凡なためにリセットされる。著者が熱意を込めて語るバタフライ効果は、だから浴衣の選択など些細な違いで十分出現している。毎回とんでもない異世界を招来しては、「ハルヒ」の世界が成り立たない。またバイトの件だが(ただ私は「ハルヒ」の第1期放映時を見ていないのだが)、夏以降、たとえば「サムデイ・イン・ザ・レイン」でも部室に着ぐるみがある。他のバイトを描いては、その回はループしてしまうことが話の途中で分かってしまう。
だいたい何故「EE」か。「エンドレス・オーガスト」や「エンドレス・サマー」の方が正しくはないか。もちろん「EE」ほ語呂も良く頭韻も踏んでいるので良い題である。だがそれよりも重要なことがある。著者は触れていないが、8は∞である。「EE」はだから8で無限のループを表象している。
私は初回放送時に見ていない。「EE」が8回というのも予め知った上で見ている。今後はそういった視聴者・読者をも納得させられる作品論が必要ではないか。ただ、最初の放映に熱中し、狂喜し、失望し苦しんだ人達を羨ましく思う。見ていたら、私の感想も違ったものであったかも知れない(バタフライ効果!)。「消失」を劇場で見られなかったことは私の一生の悔いである。






