ベイカーのこの本(1991年刊)は、何なのだろう?
アップダイクの追悼文集か?
違う。アップダイクが死んだのは2009年だから、この本が出た1991年には未だ生きていた。
この本は、アップダイクについての評論集です。ベイカー自身がそう書いているから。
「ナボコフの情け容赦ない性質がナボコフについて書いているアップダイクを支配し、アップダイクの借りものの傲慢さがいまアップダイク評を書いているぼくに影響している」(144頁)
読み終わった後の余韻では、この本は、アップダイクとベイカーの間の複雑な UI(友愛)の情、相互師弟のライバル関係の記録のように感じます。ベイカーが必要とした空想上の友情とは何か?
「そしてこれがぼくの必要とする空想上の友情のすべてだ」(211頁)
この本の最終行です。
最後の最後まで「空想上の友情」とは、いったい何なのか? 真実の友情なのか? フィクションの友情か?
アップダイクとベイカーの関係は、複雑で奇妙です。
二人は単に、仲のいい友だち、というわけではありません。むしろ、ライバル意識のほうが強いようです。
友であるとともに、互いにライバルなんて、なんとなく、めんどくさいですね。
お互いの存在を、批判的な見地から強く意識している。
尊敬しながらも、軽蔑の視点も読者に感じさせる、正直そうな不思議な文体で描かれる文章。
皮肉っぽい賞賛があったり、本音を逆説的に書いた文章があったり。読者は混乱してしまいます。
ベイカーは「アップダイクに感謝し、うっとり憧れているとは思ってもらえないのだということにも気づいている」(132頁)とは、どう理解すればいいのでしょう。
いじけちゃった、めんどくさい言い方をする作家ですね。
ベイカーは直接「アップダイクに感謝し、うっとり憧れている」なんては言っていないみたいです。
言わないうちから、「思ってもらえないのだということにも気づいている」なんて、めんどくさい。
フィクションなのか、ノンフィクションなのか、よくわかりません。
この本は、文芸批評家としてのベイカーによるアップダイク評論のようです。
また、アップダイクが亡くなってしまった現在では、アップダイクの死を悼む、心のこもった(敵対感情もこもった)追悼文集としても読めます。決まり文句ばかり多い、普通の面白くない追悼文ではありません。
ベイカーのちょっとピリ辛の批評精神は、アップダイクゆずりともいえそうな感じがしました。
ベイカーの口からあふれ出る、リズミカルにポンポン奏でられる批評の言葉。
協奏曲だとしても、不愉快な音もお互いに向けて平気でぶつけ合う、和音になっていない現代音楽のような一方的批評。
大御所の作品を「読まず語り」で批評してしまうという若気の至りの、薄い頭髪の新進作家のベイカーは、その時、34歳。「アップダイクじいさん」(132頁)に生意気に物申す若者ベイカー。二人の年齢差は、25年。
アップダイク 1932年生まれ。2009年没。
ベイカー 1957年生まれ。
この本の原本 “U and I: A True Story” が刊行されたのが、1991年。今から27年前。
これは、「ひとつの真実の物語」(A True Story)と Fiction 作家ベイカー自身は銘打っています。
「物語」ってそもそも、作り話なのでは?
もしも不愉快な作り話だったら、アップダイクは性格上、黙ってはいなかったでしょう。
その年(1991年)、アップダイクはまだ59歳。ベイカー34歳。
確かにベイカーから見れば、当時のアップダイクは白髪の「じいさん」に見えたのでしょう。
ベイカーは新進気鋭の作家で、一方、アップダイクは文壇の大御所。
「アップダイクは、こんな仁義にもとる行ないにおいても、ぼくらに教えている。アップダイクがかつて自分のヒーローだったナボコフをあれほど横柄に扱っていなかったとしたら」(141頁)とは、アップダイクはナボコフを横柄に扱っていた、ということになります。
ベイカーが、この本の中でもアップダイクに「いささか辛辣(rather acerb)」(124頁)と思われるのは、アップダイクゆずりなのかもしれません。
ベイカーのヒーローは、アップダイクとナボコフ。
「アップダイクとナボコフがぼくのヒーローだと数回のインタビューで言っていた」(207頁)
そして、アップダイクからは、文体的影響を深く受けていた、と書いています。
「ぼく自身の《感じ(傍点あり)》では、文体的影響を受けていた――深く受けていた」(207頁)
「全米批評家協会賞も、ビッグマックひとつさえも。ちゃちな賞ひとつすらくれないなんて! みんな、なくなってしまえ!」(206頁)
2001年、ベイカーは、ノンフィクション作品で全米批評家協会賞を受賞しました。
良かったですね。でも、なぜか、笑ってしまいました。ベイカーさんが好きになりました。
本棚から、古い『モンキービジネス』15号(2011年)を取り出して、ニコルソン・ベイカーの「K590」を読み直してみました。音楽的で軽く明るく、とても読んで楽しい作品でした。醜く痛い中指の《たこ(傍点あり)》の部分以外は。
アップダイクは1984年の小説で、チェロ奏者の「親指の」たこ(傍点あり)の話を書いています。
チェロ弾きは、本当に親指にたこができるのですか? 疑ってます。詳しい人に聞いてみようと思います。
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