ZEROの第4話からたまたま深夜放送を見てファンになり、BD(中古ですが)まで購入して、折に触れ見返しています。
続きが気になってはいましたが、元々コアなジャンルのゲームだと聞いていたし、学園物が苦手で、学校が舞台になると見るのが途端に辛くなります。
しかし、これはそこに目をつぶり、中2病をこじらせてしまった切嗣の呪いを、成り行きとはいえ引き継いでしまった士郎君が、どう克服していくかの一点に集中して見ると、ご都合主義も説明不足も気にするのは無粋というもので、なかなか考えさせられるものがあります。
私自身も切嗣と同様、いまだ正義の味方になりたい中2病をこじらせて大人になってしまった人間です。そして自己犠牲の上に他者の幸福を築こうと人生の半分を捧げて生きてきました。だから、切嗣の怒り、悲しみ、苦しみが胸を締め付けたまま、士郎君に引き継がれてしまったことに、安心と同時に不安を覚え、複雑な心境のままZEROの最終回、Silver Moonのシーンで時間が止まっていました。
それはまるで父親の願望を息子に押し付けてしまった罪悪感のようなものでした。それがこのUBWで一応の決着として描かれていることに安堵しました。
終始問う、凛の自分の幸せと自己犠牲、アーチャーの問う正義の味方の行き着く先、それに対する回答は、受け取る人によって違ってもよいのだと、私は思います。
少なくとも私は「幸せな正義の味方」がいてもよいと思いました。切嗣のたどり着けなかった不毛な正義の在処。そのまだ先にあるものを、士郎君には掴み取ってほしい。
そんな親心から、私は切嗣の眼差しで見終えました。若い子たちに、いつしか正義をあきらめて自分さえよければ幸せだという冷めた大人になるよりも、正義と幸せは矛盾しないのだと、そう思える人生を送ってほしい、それは私にも言い聞かせたい願いです。