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曲目リスト
| 1 | 彗星 |
| 2 | 流動体について |
| 3 | フクロウの声が聞こえる(魔法的オリジナル) |
| 4 | 失敗がいっぱい |
| 5 | いちごが染まる |
| 6 | アルペジオ |
| 7 | 神秘的 |
| 8 | 高い塔 |
| 9 | シナモン |
| 10 | 薫る(労働と学業) |
商品の説明
内容紹介
2017年に19年ぶりのシングル「流動体について」を突如リリース。オリコン・ウィークリーチャート2位という過去最高位を記録して、華麗に日本の音楽界に舞い戻った小沢健二。
90年代を代表する名盤『LIFE』をはじめ、数多くのヒット曲を輩出。音楽的クオリティの高さ、強靭さは多くのフォロワーを生み、「強い気持ち・強い愛」や「ラブリー」、「ぼくらが旅に出る理由」等、最近も映画やCMで使用されるなど、
いまだ根強い人気を誇るオザケンが放つ、ボーカル入りのアルバムとしては『Eclectic』(2002年)以来、実に17年ぶりとなるオリジナル・アルバム!
【完全生産限定盤】
【収録内容】(予定)
・流動体について
・フクロウの声が聞こえる(オリジナル・バージョン)
・アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)
・彗星
・薫る
・失敗がいっぱい
and more……
メディア掲載レビューほか
2017年に19年ぶりのシングル「流動体について」を突如リリース。オリコン・ウィークリーチャート2位という過去最高位を記録して、華麗に日本の音楽界に舞い戻った小沢健二。90年代を代表する名盤『LIFE』をはじめ、数多くのヒット曲を輩出。音楽的クオリティの高さ、強靭さは多くのフォロワーを生み、「強い気持ち・強い愛」や「ラブリー」、「ぼくらが旅に出る理由」等、最近も映画やCMで使用されるなど、いまだ根強い人気を誇るオザケンが放つ、ボーカル入りのアルバムとしては『Eclectic』(2002年)以来、実に17年ぶりとなるオリジナル・アルバム! (C)RS
登録情報
- 梱包サイズ : 14.2 x 12.4 x 0.5 cm; 54 g
- メーカー : Universal Music =music=
- EAN : 4988031355732
- 時間 : 46 分
- レーベル : Universal Music =music=
- ASIN : B07YYBKHTX
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 18,650位ミュージック (の売れ筋ランキングを見るミュージック)
- - 7,139位J-POP (ミュージック)
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
5つ星のうち4.6
星5つ中の4.6
298 件のグローバル評価
評価はどのように計算されますか?
全体的な星の評価と星ごとの割合の内訳を計算するために、単純な平均は使用されません。その代わり、レビューの日時がどれだけ新しいかや、レビューアーがAmazonで商品を購入したかどうかなどが考慮されます。また、レビューを分析して信頼性が検証されます。
紙ジャケットに、丸いキラキラの歌詞カード音だけならダウンロードもできるようになっているけど、こだわって作っているCDで色々考えさせられます。息子さん、大きくなったしかわいい笑顔で、こちらまで幸せを感じます。オザケンがこんなふうに子どもを喜ばせながら音楽を作っているって素敵だなぁ。凝ったジャケットなので保存方法が、まいか悩ましいです!でも、手にとって欲しいです。こういう日本語の歌を聴ける幸せに浸って欲しいのでとてもオススメします。
このレビューの画像
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年11月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
長い長い(実質的な)沈黙を破り、2017年2月発表したシングル「流動体について」で小沢健二が活動を再開したときは、衝撃を受け、興奮するとともに、その一方で、彼らしい気まぐれにつられて、また不意に隠居してしまうのではないかと危惧していた。
そして約二年半待ち、こうしてニューアルバムが届けられたことを"完全復活"として受け止めるとともに、何回も何回も繰り返し聴いて、喜びを噛みしめている。
実際は「流動体」の後もシングルを数枚発表したり、ライブをおこなったり「彗星」がリリース直前に先行配信されてはいたものの、こうしてアルバムという形で一枚の作品として届けられること自体に深い意味があると思う。
やたら偉そうにコキ下ろすだけのレビューが散見されるが、本当に"わかっているのか"問いただしたくなってくる。
やれ"既発の曲が大半を占めている"だの、"全般的にポップ感に欠ける"だの、"曲調が一辺倒"だの、はたまた"才能が枯れ果てた''まで、それぞれの感じ方で受け止めるのは各個人の勝手だが、(サブスクの風潮に毒されたか)たった数回アルバム通して聴いただけでわかった気になっていること自体に違和感を禁じ得ない。
少しは一昔前みたいに聴き込むという作業を怠ってはいないか。少なくとも元来、小沢健二は紐解いていくタイプのアーティストだということを忘れたのか。
確かに小沢健二というアーティストは、それこそ25年ほど前、王子様のような佇まいをもって、また万人が胸躍る跳ねたリズムに豪奢なストリングスを合わせ耳馴染みの良さという"大衆性"をまとって「LIFE」と一連の甘く切ないシングル連作をヒットチャートにぶち込んだ確信犯である。
そして普段音楽を聴かない一般市民のカーステにも入り込むほど敷居を低くしながらも、様々なジャンルの名曲、果ては日本のシティポップスの系譜を継ぐ良質なクオリティを保っていた稀有なミュージシャンでもある。
そんな全盛期のパブリックイメージだけを、持ってして"在りし日のオザケン"の幻影を追う時点でピントがズレているし、この四半世紀、自身の感性や感受性自体が何ら進歩も、成長すらしていないことを恥ずかしげもなく露呈しているに過ぎない。
前置きが長くなり過ぎたが、当方なりに聴き込んで感じたことをいくつか言わせてもらえば、今回の復活第一作アルバムは
1曲目「彗星」の歌い出しにあるように、まさしく"2020年の小沢健二にしか創れない力強い作品"だと思った。
また、加齢による声量その他の若干の劣化は否めなくとも、長いブランクがあったことなど、微塵も感じさせない、これまでのキャリアの集大成であると信じてやまない。
アルバムの要所を占めるのはサウンドプロダクションは、既発表シングル群に顕著なように、上述した「LIFE」に顕著な小沢流フィリーソウル、ゴージャスポップである。
(実際は、けっして当時のサウンドをなぞった単純な焼き直しではなく、今の時流に合わせ、ホーンセクションは抑えたり、スネアのチューニングを曲によって高めにしたりと、細かい音創りがなされているが、字数に限りがあるため、この場では割愛させていただく)
何度か聴き込めば、単に"昔取った杵柄"な王子様時代の小沢節をなぞったアルバムではないだけでなく、他の収録曲の断片などからも、ストイックなまでに自身の視点で目を凝らし街を映した「犬キャラ」の要素や、「球体」でアプローチしたジャズ的なモチーフ、また「Eclectic」でトライしたヘビーなファンクネスの片鱗が垣間見ることができるはずだ。
単純に「LIFE」の続編みたいなアルバムを期待していた輩はこの時点でフィルターにかけられて仕方ないのだ。(好きなだけ、思い思い「自分だけの小沢像と異なる」だの、「駄作」だの吠えていればいい)
また、特に「既発のシングル曲ばかりで新しい発見がない」と嘆いてた輩は、アルバムを通して改めて聴き直して欲しい。(アルバム単位で堪能することも出来なくなり、既発曲が大半だからコスパが悪いと言い出すようになった日本の音楽業界、いやリスナーのリテラシーの低下はもはや救いようがない)
冒頭一曲目、日本で書き上げたという彼の今後の指針、意思表明の如き「彗星」から続けざまに収められた「流動体について」の流れは圧巻。
「流動体について」という曲は、全盛期に一旦、"表舞台"から退くことを示唆した「ある光」のセルフ・アンサーソングであるが、この本アルバム内でこの位置に収められたことにより、シングルとして聴いてたとき以上にカラフルかつパワフルに心に鳴り響く。
暫く居を構えてたアメリカから、日本に生活の拠点を移し、またメインストリームで活動を再開した小沢健二。
敢えて言うまでもなく、聡明な彼の目には、目を覆いたくなるほど堕落し、明るい未来は微塵も感じられない両国の有様、そして彼だけでなく我々を取り巻く環境が大きく変化した現状は痛々しく映っているに違いない。
そんな窮状を目の当たりにして、小沢健二は"お花畑"の能天気なポジティブどころか、自らの知を結集させ、しつこいまでに考察を繰り返し、マクロな視点で、"宇宙"と"子供"と"魔法"といったキーワードを散りばめた歌詞に祈りを込める。
そしてこんな今だけど"未来は変えられる"という信念、その想いを寓話やエピソード、モノローグの形態で織り交ぜ、作品として昇華させたのが本作ではないか。
ありがちなキャッチーなカタカナ英語サビのリフレインを一切、排し、それを"縛り"、"足枷"とも感じさせないぐらい奔放に言葉を紡ぐ作業を繰り返し、同時に日本語の響きにも細心の注意を払いつつ、本作では独自の世界観を構築している。
つまり、彼は今でも"言葉"という目に見えないモノの力を信じているのだ。
先ほどこれまでの活動の集大成と書いたが、
一つ大きく違うのは、彼の脳内イメージの拡がりが止まることなく、はじけ飛んでいるがため、歌詞の絶対量(情報量)が極端に増してしまい、符割りを越え字余りとなっているところか。
いずれにせよ、小沢健二というアーティストの活動本格的再開は現在の日本の音楽業界に於いて、紛れも無いエポックメイキングな出来事であることを忘れてもらっては困る。
彼が今回の新作アルバムの中で、言葉をあらゆる方法で紡ぎ、表現する世界は、フィクションめいているが、基本的には私小説に近いほど"日常"を起点にしたアメイジングワールドである。
その立ち位置は、ジャケットに映る男の子(りーりー)の父親としての立場であり、そんな息子と一緒の目線からみた少年の目線の高さをも共有、維持している。
形而上学的な言い回し、歌詞が目立つがゆえ、宗教がかっているという人もいるかもしれないが、アルバムを通底して貫いているのは至極シンプルで、真っ当なこと(真理)を柔らかい言葉を持って言い当てている現実主義の先鋒にいると改めて感じた。
加えて「我々人間はもう一度"個"に立ち返り、周りを見渡し、もっと謙虚になるべきであるし、反面もっと"精神的には自由"になっていい」という言霊の如きメッセージを受け取った気がする。
けっしてそれは説教臭くもなければ、哲学的な小難しいものではないのだ。
今、地球上に住む誰もが改めて噛みしめるように思い返さなければいけないシンプル(だけどひどく難しい)な「だだっ広いこの宇宙の片隅で、今、皆が大人子供、人種問わず、この地球という小さな惑星上で、こうして息をして、暮らしを営んでいること。つまり"日常"という何気ないものこそが、奇跡的でかけがえのないものである」ということである。(これは時を越えながらも「LIFE」のときと何ら変わらない、ブレていない彼のメッセージ、アティテュードである)
まずここに気づけよ、自分では何一つ出来やしないくせ、やたら首を突っ込んできては酷評して、いっぱしの評論家気どっているレビュアーさん達よ。
謙虚と博愛が売りの国民性だったはずが、衰退の一途を辿り始めた途端、化けの皮が一気に剥がれはじめた日本。国の最優先は既得利権であり、市井の我々の生活の至るところで"自分たちさえ良ければ"という風潮がじわじわと蔓延している。
今のところ、かろうじて行政が機能しているが、国政自体が、近い将来、増え続ける"老人"という弱者だけでなく未来を託すべき"子供"という弱者にも実は冷淡で何も考えていないことに早く気づくべき。
やがてパンすら与えなくなっていくのは目に見えている。
「オザケンの新譜と国政⁉︎」と言うなかれ。
今の空気感を感じていない輩は辛気臭く思うかもしれない。
嗅覚が人並みであれば気づかない筈がない、知らないうちに搾取され始めている、この息苦しい閉塞感こそ、今のこの国に住むリアルな日常だという悲しい現実を小沢健二はちゃんと直視している。
そして一見、高揚感に満ちた本作のなかでも、随所に於いて、彼は確かに危機感を感じつつ、意味深なヴァースを忍び込ませ、アラームを鳴らしている。
だから、本作品はフィクション度合いが強すぎて、リアルな現実に即していないという指摘はまったく的外れである。
どんどん住みにくい国になっていく、そんな絶望と虚構だらけのこの国で、ラストナンバー「薫る(労働と学業)」で我々や子供たちの日常に根差した未来に対して魂のエールを送ってくれている。
そんなアーティストは、今、日本の音楽業界とやらを見渡してみても、残念ながら、小沢健二しかいないことに気づいて欲しい。
下手な社会学教授や、下世話なTVのコメンテーターの語る言葉に踊らされるな。
敢えて付け加えるなら、自分では何一つ行動を起こそうともせず、"小沢健二"を安直にこき下し、いい気になっているだけの小市民のレビューに惑わされることなかれ。自分の耳と感性をもっと大事にしよう。
けっして深読みではなく、本作を通じ、彼は下手に連帯するより、"個"に立ち返れとも言っているではないか。
確かに「LIFE」よりは馴染むまでに時間は掛かるかもしれないが、研ぎ澄まされたポップミュージックの稀有な伝道師、オザケンの言葉に端々に耳を傾けて見よう。
そして、いつ終わるともしれないながら、かけがえのない(一見何気ないが、何よりも尊い毎日という)瞬間の積み重ねを皆、大事に暮らしていこう。
*そんなありきたりな毎日を、少しばかり楽しみたいだけなのに、その権利すら、少しずつ搾取されてきているから、嫌になってくるよな、まったく…
本当の意味で"嫌なことはイヤだ"とモノを言えるという"自由"だけは守りたいから、また連中が勝手にさ、横暴かつ強引に法律で縛ろうとしてきたら、絶対声を上げようよ、一緒に。
皆気づかないけど、見えないさるぐつわはめられかけてるから、声も出しづらくなってきてるけど。。
そして約二年半待ち、こうしてニューアルバムが届けられたことを"完全復活"として受け止めるとともに、何回も何回も繰り返し聴いて、喜びを噛みしめている。
実際は「流動体」の後もシングルを数枚発表したり、ライブをおこなったり「彗星」がリリース直前に先行配信されてはいたものの、こうしてアルバムという形で一枚の作品として届けられること自体に深い意味があると思う。
やたら偉そうにコキ下ろすだけのレビューが散見されるが、本当に"わかっているのか"問いただしたくなってくる。
やれ"既発の曲が大半を占めている"だの、"全般的にポップ感に欠ける"だの、"曲調が一辺倒"だの、はたまた"才能が枯れ果てた''まで、それぞれの感じ方で受け止めるのは各個人の勝手だが、(サブスクの風潮に毒されたか)たった数回アルバム通して聴いただけでわかった気になっていること自体に違和感を禁じ得ない。
少しは一昔前みたいに聴き込むという作業を怠ってはいないか。少なくとも元来、小沢健二は紐解いていくタイプのアーティストだということを忘れたのか。
確かに小沢健二というアーティストは、それこそ25年ほど前、王子様のような佇まいをもって、また万人が胸躍る跳ねたリズムに豪奢なストリングスを合わせ耳馴染みの良さという"大衆性"をまとって「LIFE」と一連の甘く切ないシングル連作をヒットチャートにぶち込んだ確信犯である。
そして普段音楽を聴かない一般市民のカーステにも入り込むほど敷居を低くしながらも、様々なジャンルの名曲、果ては日本のシティポップスの系譜を継ぐ良質なクオリティを保っていた稀有なミュージシャンでもある。
そんな全盛期のパブリックイメージだけを、持ってして"在りし日のオザケン"の幻影を追う時点でピントがズレているし、この四半世紀、自身の感性や感受性自体が何ら進歩も、成長すらしていないことを恥ずかしげもなく露呈しているに過ぎない。
前置きが長くなり過ぎたが、当方なりに聴き込んで感じたことをいくつか言わせてもらえば、今回の復活第一作アルバムは
1曲目「彗星」の歌い出しにあるように、まさしく"2020年の小沢健二にしか創れない力強い作品"だと思った。
また、加齢による声量その他の若干の劣化は否めなくとも、長いブランクがあったことなど、微塵も感じさせない、これまでのキャリアの集大成であると信じてやまない。
アルバムの要所を占めるのはサウンドプロダクションは、既発表シングル群に顕著なように、上述した「LIFE」に顕著な小沢流フィリーソウル、ゴージャスポップである。
(実際は、けっして当時のサウンドをなぞった単純な焼き直しではなく、今の時流に合わせ、ホーンセクションは抑えたり、スネアのチューニングを曲によって高めにしたりと、細かい音創りがなされているが、字数に限りがあるため、この場では割愛させていただく)
何度か聴き込めば、単に"昔取った杵柄"な王子様時代の小沢節をなぞったアルバムではないだけでなく、他の収録曲の断片などからも、ストイックなまでに自身の視点で目を凝らし街を映した「犬キャラ」の要素や、「球体」でアプローチしたジャズ的なモチーフ、また「Eclectic」でトライしたヘビーなファンクネスの片鱗が垣間見ることができるはずだ。
単純に「LIFE」の続編みたいなアルバムを期待していた輩はこの時点でフィルターにかけられて仕方ないのだ。(好きなだけ、思い思い「自分だけの小沢像と異なる」だの、「駄作」だの吠えていればいい)
また、特に「既発のシングル曲ばかりで新しい発見がない」と嘆いてた輩は、アルバムを通して改めて聴き直して欲しい。(アルバム単位で堪能することも出来なくなり、既発曲が大半だからコスパが悪いと言い出すようになった日本の音楽業界、いやリスナーのリテラシーの低下はもはや救いようがない)
冒頭一曲目、日本で書き上げたという彼の今後の指針、意思表明の如き「彗星」から続けざまに収められた「流動体について」の流れは圧巻。
「流動体について」という曲は、全盛期に一旦、"表舞台"から退くことを示唆した「ある光」のセルフ・アンサーソングであるが、この本アルバム内でこの位置に収められたことにより、シングルとして聴いてたとき以上にカラフルかつパワフルに心に鳴り響く。
暫く居を構えてたアメリカから、日本に生活の拠点を移し、またメインストリームで活動を再開した小沢健二。
敢えて言うまでもなく、聡明な彼の目には、目を覆いたくなるほど堕落し、明るい未来は微塵も感じられない両国の有様、そして彼だけでなく我々を取り巻く環境が大きく変化した現状は痛々しく映っているに違いない。
そんな窮状を目の当たりにして、小沢健二は"お花畑"の能天気なポジティブどころか、自らの知を結集させ、しつこいまでに考察を繰り返し、マクロな視点で、"宇宙"と"子供"と"魔法"といったキーワードを散りばめた歌詞に祈りを込める。
そしてこんな今だけど"未来は変えられる"という信念、その想いを寓話やエピソード、モノローグの形態で織り交ぜ、作品として昇華させたのが本作ではないか。
ありがちなキャッチーなカタカナ英語サビのリフレインを一切、排し、それを"縛り"、"足枷"とも感じさせないぐらい奔放に言葉を紡ぐ作業を繰り返し、同時に日本語の響きにも細心の注意を払いつつ、本作では独自の世界観を構築している。
つまり、彼は今でも"言葉"という目に見えないモノの力を信じているのだ。
先ほどこれまでの活動の集大成と書いたが、
一つ大きく違うのは、彼の脳内イメージの拡がりが止まることなく、はじけ飛んでいるがため、歌詞の絶対量(情報量)が極端に増してしまい、符割りを越え字余りとなっているところか。
いずれにせよ、小沢健二というアーティストの活動本格的再開は現在の日本の音楽業界に於いて、紛れも無いエポックメイキングな出来事であることを忘れてもらっては困る。
彼が今回の新作アルバムの中で、言葉をあらゆる方法で紡ぎ、表現する世界は、フィクションめいているが、基本的には私小説に近いほど"日常"を起点にしたアメイジングワールドである。
その立ち位置は、ジャケットに映る男の子(りーりー)の父親としての立場であり、そんな息子と一緒の目線からみた少年の目線の高さをも共有、維持している。
形而上学的な言い回し、歌詞が目立つがゆえ、宗教がかっているという人もいるかもしれないが、アルバムを通底して貫いているのは至極シンプルで、真っ当なこと(真理)を柔らかい言葉を持って言い当てている現実主義の先鋒にいると改めて感じた。
加えて「我々人間はもう一度"個"に立ち返り、周りを見渡し、もっと謙虚になるべきであるし、反面もっと"精神的には自由"になっていい」という言霊の如きメッセージを受け取った気がする。
けっしてそれは説教臭くもなければ、哲学的な小難しいものではないのだ。
今、地球上に住む誰もが改めて噛みしめるように思い返さなければいけないシンプル(だけどひどく難しい)な「だだっ広いこの宇宙の片隅で、今、皆が大人子供、人種問わず、この地球という小さな惑星上で、こうして息をして、暮らしを営んでいること。つまり"日常"という何気ないものこそが、奇跡的でかけがえのないものである」ということである。(これは時を越えながらも「LIFE」のときと何ら変わらない、ブレていない彼のメッセージ、アティテュードである)
まずここに気づけよ、自分では何一つ出来やしないくせ、やたら首を突っ込んできては酷評して、いっぱしの評論家気どっているレビュアーさん達よ。
謙虚と博愛が売りの国民性だったはずが、衰退の一途を辿り始めた途端、化けの皮が一気に剥がれはじめた日本。国の最優先は既得利権であり、市井の我々の生活の至るところで"自分たちさえ良ければ"という風潮がじわじわと蔓延している。
今のところ、かろうじて行政が機能しているが、国政自体が、近い将来、増え続ける"老人"という弱者だけでなく未来を託すべき"子供"という弱者にも実は冷淡で何も考えていないことに早く気づくべき。
やがてパンすら与えなくなっていくのは目に見えている。
「オザケンの新譜と国政⁉︎」と言うなかれ。
今の空気感を感じていない輩は辛気臭く思うかもしれない。
嗅覚が人並みであれば気づかない筈がない、知らないうちに搾取され始めている、この息苦しい閉塞感こそ、今のこの国に住むリアルな日常だという悲しい現実を小沢健二はちゃんと直視している。
そして一見、高揚感に満ちた本作のなかでも、随所に於いて、彼は確かに危機感を感じつつ、意味深なヴァースを忍び込ませ、アラームを鳴らしている。
だから、本作品はフィクション度合いが強すぎて、リアルな現実に即していないという指摘はまったく的外れである。
どんどん住みにくい国になっていく、そんな絶望と虚構だらけのこの国で、ラストナンバー「薫る(労働と学業)」で我々や子供たちの日常に根差した未来に対して魂のエールを送ってくれている。
そんなアーティストは、今、日本の音楽業界とやらを見渡してみても、残念ながら、小沢健二しかいないことに気づいて欲しい。
下手な社会学教授や、下世話なTVのコメンテーターの語る言葉に踊らされるな。
敢えて付け加えるなら、自分では何一つ行動を起こそうともせず、"小沢健二"を安直にこき下し、いい気になっているだけの小市民のレビューに惑わされることなかれ。自分の耳と感性をもっと大事にしよう。
けっして深読みではなく、本作を通じ、彼は下手に連帯するより、"個"に立ち返れとも言っているではないか。
確かに「LIFE」よりは馴染むまでに時間は掛かるかもしれないが、研ぎ澄まされたポップミュージックの稀有な伝道師、オザケンの言葉に端々に耳を傾けて見よう。
そして、いつ終わるともしれないながら、かけがえのない(一見何気ないが、何よりも尊い毎日という)瞬間の積み重ねを皆、大事に暮らしていこう。
*そんなありきたりな毎日を、少しばかり楽しみたいだけなのに、その権利すら、少しずつ搾取されてきているから、嫌になってくるよな、まったく…
本当の意味で"嫌なことはイヤだ"とモノを言えるという"自由"だけは守りたいから、また連中が勝手にさ、横暴かつ強引に法律で縛ろうとしてきたら、絶対声を上げようよ、一緒に。
皆気づかないけど、見えないさるぐつわはめられかけてるから、声も出しづらくなってきてるけど。。
ベスト500レビュアー
Amazonで購入
またも唐突ともいえるタイミングで発売された久々のニューアルバム。
ボーカル作としては17年ぶりだそうですが、ちょっと時が経ちすぎているからか、こうして今手に取ってみて、感慨はそれほどでもないです。
それよりも最もオザケン的な作風でありながら、このような作品をまたリリースしてきたことへの驚きがありました。
例えていうなら、コーネリアスが1st「The First Question Award」みたいな作品にまた立ち返ったかのようです。
「流動体について」以降の既発シングルが10曲中5曲(内1曲はバージョン違い)あり、新鮮さという意味ではそれほどでもないですが、全体としてコンパクト(45分)にまとめられており、シングル曲の配置、アルバム全体のバランスの取り方はさすがだなと感じます。
新曲や初収録曲が、うまいことシングルを、アルバム内に取り込んでいる感じです。
それにしても改めて小沢健二はやはり歌詞の人だなと感じました。
自分の言いたいことや伝えたいことが明確に出てきた時に、これでもかと歌詞に言葉を詰め込み、聴くものを唸らせる説得力があります。
今回は、未来に対する不安定な時代のムードに対し、それでも生きていくことの意味や決意みたいなものをリスナーに提示しています。
実は、そのメッセージを届けるために、今回のように分かりやすい往年のオザケンポップスの模倣をやってのけたのかと勘ぐるほどです。
ただそのメッセージが、大人になったオザケンなのかどうかというと、僕は変わってないなあという思いがしました。
感覚として、昔のオザケンが王子様と呼ばれたハイテンションな時代と同じタイプの極端さ、または青さを感じさせられました。
それがいいのか悪いのかは別として、音楽体験としての衝撃度は、これまでのどのアルバムよりも少なかったです。
ただ基本的に小沢健二の世界観は大好きで、最も影響を受けた一人なので、きっとじわじわと好きになっていく作品にはなるのだろうと思います。
あとは、価格設定が若いリスナーが手の出しやすい価格設定をしたほうが良かったのではと思います。
その辺はレコード会社との兼ね合いもあるので、何とも言えませんが、同時代に活躍した人たちが、今はインディーズで頑張っていて、アルバムを2500円とかで出している時代に、この価格は高すぎたのではないでしょうか?
価格を抑えるために、ジャケットや歌詞カードは、もっとシンプルで良かった気がします。
ボーカル作としては17年ぶりだそうですが、ちょっと時が経ちすぎているからか、こうして今手に取ってみて、感慨はそれほどでもないです。
それよりも最もオザケン的な作風でありながら、このような作品をまたリリースしてきたことへの驚きがありました。
例えていうなら、コーネリアスが1st「The First Question Award」みたいな作品にまた立ち返ったかのようです。
「流動体について」以降の既発シングルが10曲中5曲(内1曲はバージョン違い)あり、新鮮さという意味ではそれほどでもないですが、全体としてコンパクト(45分)にまとめられており、シングル曲の配置、アルバム全体のバランスの取り方はさすがだなと感じます。
新曲や初収録曲が、うまいことシングルを、アルバム内に取り込んでいる感じです。
それにしても改めて小沢健二はやはり歌詞の人だなと感じました。
自分の言いたいことや伝えたいことが明確に出てきた時に、これでもかと歌詞に言葉を詰め込み、聴くものを唸らせる説得力があります。
今回は、未来に対する不安定な時代のムードに対し、それでも生きていくことの意味や決意みたいなものをリスナーに提示しています。
実は、そのメッセージを届けるために、今回のように分かりやすい往年のオザケンポップスの模倣をやってのけたのかと勘ぐるほどです。
ただそのメッセージが、大人になったオザケンなのかどうかというと、僕は変わってないなあという思いがしました。
感覚として、昔のオザケンが王子様と呼ばれたハイテンションな時代と同じタイプの極端さ、または青さを感じさせられました。
それがいいのか悪いのかは別として、音楽体験としての衝撃度は、これまでのどのアルバムよりも少なかったです。
ただ基本的に小沢健二の世界観は大好きで、最も影響を受けた一人なので、きっとじわじわと好きになっていく作品にはなるのだろうと思います。
あとは、価格設定が若いリスナーが手の出しやすい価格設定をしたほうが良かったのではと思います。
その辺はレコード会社との兼ね合いもあるので、何とも言えませんが、同時代に活躍した人たちが、今はインディーズで頑張っていて、アルバムを2500円とかで出している時代に、この価格は高すぎたのではないでしょうか?
価格を抑えるために、ジャケットや歌詞カードは、もっとシンプルで良かった気がします。
2019年11月13日に日本でレビュー済み
小沢健二の13年ぶりのアルバム。音楽性的には、『LIFE』のキラキラしていた華のある時期とその後の3枚のマニアックに走った時期の中間に当たるようなアルバムだろう。
小沢さんが最も脂の乗っていた時期である『LIFE』(1994年)。このアルバムはポップの結晶とでも言うべき、めくるめくポップ万華鏡な世界が展開する、渋谷系を代表する名盤だった。
そして、その後の3枚のアルバムでマニアックな音楽性に走る。この時期の小沢健二の音楽を指して、「大人のコスプレ」と評している人がいた。小沢さんが理想とする音楽を鳴らしていても、どこかしら着飾った感のある時期だった。
その点、本作『So kakkoii 宇宙』は等身大と言えるアルバムだろう。艶々としている訳ではないけれども、枯れている訳でもない、51歳の小沢健二の音が鳴っている。ボーカルもハリを失ったが、それでも全身全霊で歌い上げようとする姿にグッとくる。
そして、等身大から宇宙へと繋がっていくような飛躍感も魅力だ。等身大で宇宙を鳴らしているんですよ、小沢さんは。小沢さんの現実は、いつでも宇宙と繋がっている。そんな全能感が全肯定の思想へと繋がる。本作を聴いていると、自分を宇宙まるごと肯定してくれるような、そんな心地になる。
宇宙を歌っているのだが、宗教臭さはない。語り口はとても爽やかだ。宗教というよりも、小沢さんの「宇宙」は哲学かな。緻密に組み立てられた思想の上に成り立っている。
最初に#1「彗星」を聴いた時に、このご時世で躁すぎはしないか、バイブスが明るすぎはしないかと違和感を覚えた。だが、小沢さんの音楽は現実や時代とリンクしながらもそれらを飛躍していくものだ。何度も聴いているうちに、僕の周りのリアルがSo kakkoii 宇宙へと光景を変えていくような肯定感を覚えた。
#5「いちごが染まる」のスローでダルなビートの曲の後に、#6「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」の小さな花のように慎ましいギターのアルペジオが聴こえてきた時の感動といったら!
僕が本作で最も好きな曲は、#6「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」。漫画家の岡崎京子さんとの絆を歌った、個人的だが普遍性を持ってリスナーの胸に響く曲だ。
しかし、シングル曲は素晴らしいのだが、アルバムで新たに加わった曲はもう少しポップにしても良かったのではないか。ストリングスやホーンセクションもあり、音楽性はカラフルではあるのだが、やや退屈にも感じられた。
ただ、新曲の#10「薫る(労働と学業)」は良かった。ギターのカッティングが渋谷系出自の小沢さんらしくオシャレ。「君が僕の歌を口ずさむ/約束するよ/そばにいると」という歌詞に、小沢さんとファンの幸福な関係をそこに見た。前作から13年も時が経ってしまったので、ファンに心配させたくないという小沢さんの思いがこめられているのだろう。
このアルバムには、リスナーとコミュニケーションを取ろうとする小沢さんの意欲を感じた。だからこそ、マニアックな音楽性のものにはしなかったのだろう。テレビ番組に出演したり、雑誌のインタビューに答えたりしているのも、コミュニケーションへの意欲のためだろう。
英語圏に長く暮らしていた影響が見られる「So kakkoii 宇宙」というタイトル。初めて目にした時、突き抜けたタイトルだと思った。アルバムの内容もSo kakkoii。小沢さんの新たな船出を僕も祝いたいと思う。
小沢さんが最も脂の乗っていた時期である『LIFE』(1994年)。このアルバムはポップの結晶とでも言うべき、めくるめくポップ万華鏡な世界が展開する、渋谷系を代表する名盤だった。
そして、その後の3枚のアルバムでマニアックな音楽性に走る。この時期の小沢健二の音楽を指して、「大人のコスプレ」と評している人がいた。小沢さんが理想とする音楽を鳴らしていても、どこかしら着飾った感のある時期だった。
その点、本作『So kakkoii 宇宙』は等身大と言えるアルバムだろう。艶々としている訳ではないけれども、枯れている訳でもない、51歳の小沢健二の音が鳴っている。ボーカルもハリを失ったが、それでも全身全霊で歌い上げようとする姿にグッとくる。
そして、等身大から宇宙へと繋がっていくような飛躍感も魅力だ。等身大で宇宙を鳴らしているんですよ、小沢さんは。小沢さんの現実は、いつでも宇宙と繋がっている。そんな全能感が全肯定の思想へと繋がる。本作を聴いていると、自分を宇宙まるごと肯定してくれるような、そんな心地になる。
宇宙を歌っているのだが、宗教臭さはない。語り口はとても爽やかだ。宗教というよりも、小沢さんの「宇宙」は哲学かな。緻密に組み立てられた思想の上に成り立っている。
最初に#1「彗星」を聴いた時に、このご時世で躁すぎはしないか、バイブスが明るすぎはしないかと違和感を覚えた。だが、小沢さんの音楽は現実や時代とリンクしながらもそれらを飛躍していくものだ。何度も聴いているうちに、僕の周りのリアルがSo kakkoii 宇宙へと光景を変えていくような肯定感を覚えた。
#5「いちごが染まる」のスローでダルなビートの曲の後に、#6「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」の小さな花のように慎ましいギターのアルペジオが聴こえてきた時の感動といったら!
僕が本作で最も好きな曲は、#6「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」。漫画家の岡崎京子さんとの絆を歌った、個人的だが普遍性を持ってリスナーの胸に響く曲だ。
しかし、シングル曲は素晴らしいのだが、アルバムで新たに加わった曲はもう少しポップにしても良かったのではないか。ストリングスやホーンセクションもあり、音楽性はカラフルではあるのだが、やや退屈にも感じられた。
ただ、新曲の#10「薫る(労働と学業)」は良かった。ギターのカッティングが渋谷系出自の小沢さんらしくオシャレ。「君が僕の歌を口ずさむ/約束するよ/そばにいると」という歌詞に、小沢さんとファンの幸福な関係をそこに見た。前作から13年も時が経ってしまったので、ファンに心配させたくないという小沢さんの思いがこめられているのだろう。
このアルバムには、リスナーとコミュニケーションを取ろうとする小沢さんの意欲を感じた。だからこそ、マニアックな音楽性のものにはしなかったのだろう。テレビ番組に出演したり、雑誌のインタビューに答えたりしているのも、コミュニケーションへの意欲のためだろう。
英語圏に長く暮らしていた影響が見られる「So kakkoii 宇宙」というタイトル。初めて目にした時、突き抜けたタイトルだと思った。アルバムの内容もSo kakkoii。小沢さんの新たな船出を僕も祝いたいと思う。
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