NHK「その時歴史が動いた」コミック版 昭和史 太平洋戦争編 (ホーム社漫画文庫) (日本語) 文庫 – 2007/7/18
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本の長さ504ページ
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言語日本語
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出版社ホーム社
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発売日2007/7/18
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ISBN-104834273881
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ISBN-13978-4834273885
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ベスト1000レビュアー
Amazonで購入
「ゼロ戦の運命」や「沖縄戦の現実」には、考えさせられた。戦争はしてはいけない。
役に立った
2017年6月28日に日本でレビュー済み
昭和16(1941)年12月8日
日本は真珠湾攻撃によってアメリカと未曾有の戦争に突入した。
日本の主力戦闘機は零式艦上戦闘機
通称 ゼロ戦。
零式とは、皇紀2600年制式という意味である。
昭和14年の完成当時、
驚異的スピードと航続力に抜群の空戦能力を併せ持った
文字通り世界最高の戦闘機だった。
ゼロ戦の卓越した性能の裏には
設計にあたった堀越二郎技師と三菱設計班の長い苦闘があった。
中島「栄」発動機(中島飛行機は富士重工の前身)。
信頼性の高い傑作エンジンだったが、
当時の最先端の航空機エンジンの8割程度の出力しかなかった。
非力なエンジンを使って海軍の厳しい要求に応える。
堀越のたどり着いた答えは徹底した軽量化だった。
「これで十分に軽くしたと言えるか?
この横にも穴をあけられるじゃないか。
1グラムでも無駄があってはいかん。
このところは1列に10本枕頭鋲を打つようになっているが、
もう少し粗く打てないか。
それに3.5ミリの鋲はいらんだろう。
3ミリで大丈夫ではないかね。
どうして厚さ1ミリの板が必要なのかね。
0.8ミリにしなさい。」
機体重量の10万分の1までは徹底的に管理する
堀越はチームの全員にそう言明していた。
試験飛行中の重大な事故は昭和15年3月11日と翌年4月17日に発生した。
いずれも急降下試験中の空中分解であり、操縦員は死亡。
「軽量化による強度不足が空中分解の遠因であることは間違いない。
然るにゼロ戦の強度は許容限界ギリギリのところで設計されている。」
主翼外板の厚さを増し、急降下速度を360ノット(時速650キロメートル)とする。
当初の想定より250キロメートルも遅い急降下速度。
突っ込みがきかない
これが後に零戦の決定的弱点の一つとなる。
昭和17年6月4日。
ゼロ戦の運命を左右する出来事が起きる。
アリューシャン列島のダッチ・ハーバーを攻撃した1機のゼロ戦21型が被弾。
緊急の不時着地点とされたアクタン島に着陸を試みるものの失敗する。
操縦員は死亡。
この機体は7月9日に米軍機に発見され、
8月12日にはサンディエゴのノース・アイランド米海軍基地に運ばれる。
ゼロ戦は部品のひとつひとつまで徹底的に調査された。
その結果、
ゼロ戦は驚くほど軽量で、多くの性能は極めて優れているものの
急降下性能に弱点があり、
防弾装置はないなど、
その限界はすっかり暴かれてしまった。
昭和19年10月25日
神風特別攻撃隊が出撃。
追い詰められた海軍がとったいわゆる外道の統率。
最初の特攻に選ばれたのはゼロ戦だった。
その胴体には250キロ爆弾が懸吊されていた。
特攻に用いられた航空機2400機以上。
ゼロ戦と共に多くの若い命が散華していった。
ゼロ戦の設計主務者 堀越二郎は自著「零戦」でこう結んでいる。
「ゼロ戦を通じて我が国の過去を省みるとき
幾多の貴重な経験は
自らの有する武器が優秀なればなるほど
これを統御する より高い道徳心と科学精神とを必要とすることを
教えているように思われる。」
日本は真珠湾攻撃によってアメリカと未曾有の戦争に突入した。
日本の主力戦闘機は零式艦上戦闘機
通称 ゼロ戦。
零式とは、皇紀2600年制式という意味である。
昭和14年の完成当時、
驚異的スピードと航続力に抜群の空戦能力を併せ持った
文字通り世界最高の戦闘機だった。
ゼロ戦の卓越した性能の裏には
設計にあたった堀越二郎技師と三菱設計班の長い苦闘があった。
中島「栄」発動機(中島飛行機は富士重工の前身)。
信頼性の高い傑作エンジンだったが、
当時の最先端の航空機エンジンの8割程度の出力しかなかった。
非力なエンジンを使って海軍の厳しい要求に応える。
堀越のたどり着いた答えは徹底した軽量化だった。
「これで十分に軽くしたと言えるか?
この横にも穴をあけられるじゃないか。
1グラムでも無駄があってはいかん。
このところは1列に10本枕頭鋲を打つようになっているが、
もう少し粗く打てないか。
それに3.5ミリの鋲はいらんだろう。
3ミリで大丈夫ではないかね。
どうして厚さ1ミリの板が必要なのかね。
0.8ミリにしなさい。」
機体重量の10万分の1までは徹底的に管理する
堀越はチームの全員にそう言明していた。
試験飛行中の重大な事故は昭和15年3月11日と翌年4月17日に発生した。
いずれも急降下試験中の空中分解であり、操縦員は死亡。
「軽量化による強度不足が空中分解の遠因であることは間違いない。
然るにゼロ戦の強度は許容限界ギリギリのところで設計されている。」
主翼外板の厚さを増し、急降下速度を360ノット(時速650キロメートル)とする。
当初の想定より250キロメートルも遅い急降下速度。
突っ込みがきかない
これが後に零戦の決定的弱点の一つとなる。
昭和17年6月4日。
ゼロ戦の運命を左右する出来事が起きる。
アリューシャン列島のダッチ・ハーバーを攻撃した1機のゼロ戦21型が被弾。
緊急の不時着地点とされたアクタン島に着陸を試みるものの失敗する。
操縦員は死亡。
この機体は7月9日に米軍機に発見され、
8月12日にはサンディエゴのノース・アイランド米海軍基地に運ばれる。
ゼロ戦は部品のひとつひとつまで徹底的に調査された。
その結果、
ゼロ戦は驚くほど軽量で、多くの性能は極めて優れているものの
急降下性能に弱点があり、
防弾装置はないなど、
その限界はすっかり暴かれてしまった。
昭和19年10月25日
神風特別攻撃隊が出撃。
追い詰められた海軍がとったいわゆる外道の統率。
最初の特攻に選ばれたのはゼロ戦だった。
その胴体には250キロ爆弾が懸吊されていた。
特攻に用いられた航空機2400機以上。
ゼロ戦と共に多くの若い命が散華していった。
ゼロ戦の設計主務者 堀越二郎は自著「零戦」でこう結んでいる。
「ゼロ戦を通じて我が国の過去を省みるとき
幾多の貴重な経験は
自らの有する武器が優秀なればなるほど
これを統御する より高い道徳心と科学精神とを必要とすることを
教えているように思われる。」