MMTはケインズ革命の失敗を乗り越えられるか?
『待望のMMT入門書が翻訳出版』
本著MMT現代貨幣理論入門の翻訳本の出版が漸く実現しました。今まで日本では、MMTの研究者は皆無、論文も皆無、専門書も皆無という惨状でしたが、私は、この本を読む前に、この本に書かれている内容を、概ね把握しています。これは、つまり、ある学問の分野において入門書が発売される前に、私の如き一般人が、専門分野の知識を有しているなどという事態は、日本の歴史始まって以来の珍事でしょう。
『プロセスが全て逆転したMMTブーム』
通常における学問の流れは、学者による海外の関連研究の紹介、専門家による研究論文の発表、研究者の学位取得、専門書の出版を経て、入門書が発売され、それらで得た知識を頼りに、私のような一般庶民が論考を深めるものですが、MMTでは、そのプロセスが、完全に逆転しています。先ず経済学者ではないブロガーが、海外の論文やエッセーを自主的に翻訳し、インターネット上での論考や議論によって読者の理解が深まり、それに学者やジャーナリストが追随して、漸く、この入門書が翻訳出版されたのです。
『日本の経済学は社会の害悪でしか無い』
現在の日本は20年も続くデフレ状態によって長期停滞が続いていますが、この失敗の原因の多くは、政治家や官僚機構の政策アドバイザーである経済学者にも、責任が有ると考えるのが当然です。実際、MMTによってケインズ登場以来の地殻変動が起きている経済学の世界において、この動きに追従できず惰眠を貪る日本の経済学者ほど、社会における無用の長物はないどころか、むしろ経済学者こそ日本社会の害悪である動かぬ証拠が、日本のMMT現象です。
『滑稽な松尾匡の解説文』
本著MMT現代貨幣理論入門の面白いのは、先ず巻頭に、大著「富国と強兵」で、MMTを文献資料で初めて日本に紹介した中野剛志さんと、巻末に左派の反緊縮運動を行っている松尾匡さんが、それぞれ解説文を寄せている点です。特に松尾さんは、自分はMMT論者では無いと断りを入れつつ、なぜか?MMTを語っているですが、実は、著者のランダル・レイが書いた序論を読むと、それに対する綺麗な回答となっています。仮にですが、松尾氏が序章を読み込んで文章を書いたなら、これ程、滑稽な解説文は存在しないでしょう。
『松尾匡への著者ランダル・レイのメッセージ』
レイは序章で書いています。曰く『銀行システムへの希望を失ってしまった人もいる。私もその悲観的な見方には共感できる。リンカーン大統領の「グリーンバック紙幣」(註:政府紙幣発行)や、1930年代のシカゴ・プランの「ナローバンク」案(註:信用創造禁止)にまで戻ろうと言う者もいる。民間の貨幣創造をやめようと言う者さえいる!政府に「債務なしの貨幣」(註:MMTでは貨幣は負債)を発行させようと言う者さえいる!共感するところはある。しかし、たとえその目的は支持するとしても、ここまで極端な提案を私は支持しない。このような提案は、我々の貨幣制度に対する根本的な誤解に基づいている。』(P47〜48)と松尾さんの思想を完全否定です。
『MMTとのシンクロ率0%なのにナゼ擦り寄るのか?』
松尾さんの仲間に、駒沢大学をクビになったらEXILEでも入るか?とパフォーマーを小馬鹿にしている井上智洋さんという目下売り出し中の経済学者がいるのですが、彼は、MMTでは全く相手にされていない、信用創造禁止と、ベーシックインカム導入を主張しているのに、MMTとのシンクロ率は65%と語っており、来日したレイの教え子であるケルトン教授のシンポジウムにも参加しています。どう見ても、MMTとのシンクロ率は0%なのですが、松尾さんを含め、彼らのMMTへの擦り寄り方が、私は不気味で仕方ないのです。本著の松尾さんの解説も、MMTと松尾さんの考えの違いは、「同じことを別の表現に置き換えているだけ」と苦しい言い訳をしています。
『既に第三段階へと突入したMMT批判と松尾匡』
因みに本著の第2版序文には、MMTは次の3つの段階を経るだろうと書かれています。レイ曰く『ウォーレン・モズラーは、アルトゥル・ショーペンハウワーの格言を引いて、MMTは次の3つの段階を経るだろうと長い間予言していた。すなわち、最初は嘲笑される。次に激しく反対される。最後は自明のものとして受け入れられる。MMTを構成する構成する諸理論の多くが、既に第3段階に達している かつての批判者たちは今や、そんなことは初めから分かっていたとうそぶいている。』と、ここでもレイは、松尾さんのシンクロ率0%の解説文を一刀両断しています。
『ケインズ経済学とMMTは同じ道を歩むのか?』
世間には「喧嘩せずみんな仲良くしたら良いのに?」と語る方も多いでしょう。しかし、松尾匡さんらの『偽装MMT』を私が警戒しているのは、歴史の教訓からです。かつてケインズ革命と呼ばれたケインズ経済学ですが、70年代には衰退し新自由主義に取って代わられました。これが格差と貧困の21世紀となった原因で、ケインズ経済学は死んだ!と揶揄されたのですが、60年代に全盛だったケインズ経済学とは、ケインズが生きていた頃とは似ても似つかぬ偽装ケインズ経済学となっていたのです。つまり学問的に主流派経済学に乗っ取られて、換骨奪胎され使い物にならなくなっていました。要するにケインズ経済学は、新自由主義に殺される前に70年代には既に死んでいたのです。これがMMTでも起きる可能性は十二分に有ります。
『ひろゆきレベルのMMT批判が暗示する危険性』
余りにも低レベルとの声はありますが、ひろゆき氏のMMT批判は、ある種のテンプレ批判となっており大変興味深いです。つまり曰く『MMTが、税が政府の財源でないとするなら、無税国家にして、ベーシックインカムを導入して給付金を国民に配れば良い!そうすれば日本はハイパーインフレになって財政破綻する!』との指摘です。MMTは、無税国家も、給付金もベーシックインカムも主張していないので、MMT批判ですら無いのですが、この手の無税国家論と、給付金の財源としてのMMTの誤用は、今後も続くでしょう。
『俺のMMTが大量発生し、MMTを誤用する』
実際、令和初の経済評論家を自認し、故宍戸駿太郎氏の薫陶を受けた自称山本太郎のブレーン池戸万作さんは、MMTと絡めて無税国家や、給付金や、ベーシックインカムを語る「困ったさん」です。表現者クライテリオンのMMT特集では、誰が書かせたか知りませんが、何とケルトン教授のレポートを寄稿し、ステファニー・ケルトンをセリーヌ・ディオンになぞらえ、現実を徹底的に追求したリアリズム経済学であるMMTを、ロマン派経済学とまで勝手に命名するなど「俺のMMT」を吹聴し暴走を続けています。同じく、れいわ新選組の候補者になった大西つねき氏も、給付金や政府紙幣発行など、全くMMTと違う貨幣観を持ちながら間違った「俺のMMT」を吹聴し信者を増やしています。
『給付金や無税国家にMMTを悪用する輩』
恐らく、松尾匡さんも井上智宏さんも池戸万作さんも大西つねき氏も、「貨幣=負債」とするMMTの貨幣観を全く理解していないから間違うのでしょう。現代貨幣理論なのですから、貨幣が何か理解しない限り、MMTを理解するのは、不可能です。恐らく彼らの貨幣観は、MMTが忌み嫌い全否定する「貨幣=商品」とする商品貨幣論だと思うのですが、給付金やベーシックインカムの根拠として、MMTを利用したいのでしょう。この旧態依然とした商品貨幣論は、主流派経済学の貨幣観そのものであり、MMTが生き残るには、給付金やベーシックインカムや無税国家を唱える夢想論者に過ぎない偽装MMTを排除できるかに掛かっています。無能な味方は、むしろ害悪です。
『真に困った存在は、MMT原理主義者』
しかし「俺のMMT」を語る「偽装MMT論者」より、もっと厄介な存在が、日本におけるMMTのパイオニアである「MMT原理主義者」と呼んで良いネットの住民です。例えば、ランダル・レイがNHKのインタビューに応じて「政府は支出を増やして国の借金を減らすべき」などと発言した際は、ブーイングの嵐でした。私は参与時代の藤井聡さんみたいな発言をレイもするのだな?と思った程度なのですが、非常に厄介な連中です。レイなどのMMTの提唱者より、こよなくMMTを愛し信奉するカルト教団の過激派と呼んで良いでしょう。
『MMT原理主義者は、デフレを軽視する』
問題なのは、MMT原理主義者は、日本における最大の問題であるデフレを軽視しています。理由は簡単で、レイやケルトンやミッチェルやモズラーなどのMMT論者が、デフレについて多くを語らないからです。正にMMT原理主義者の面目躍如ですが、海外のMMT論者がデフレを語らないのは当たり前で、レイやケルトンやモズラーの母国アメリカや、ミッチェルの母国オーストラリアは、デフレでは無くマイルドなインフレが続き、名目GDPも順調に成長し、政府支出も拡大し、貿易赤字で、景気が良くかつ日本より失業率が高いという、全く真逆の経済環境だからです。海外のMMT論者が、日本の現状と問題意識が異なるのは、むしろ当然です。
『デフレ脱却を重視する日本版MMT』
例えば、MMT論者が重要視するJGPも、上手く制度設計しないと、失業率が低い日本では、竹中平蔵のパソナなどの人材派遣会社が、一方的に儲ける仕組みになり兼ねません。また日本のMMT論者の中野剛志さんや藤井聡さんや三橋貴明さんが、デフレ脱却の起爆剤として消費税廃止などの起爆剤としての財政出動としての根拠としてMMTを捉えているのに対し、MMT原理主義者たちは、MMTは、インフレなど望んでいない!と、うそぶくのです。「デフレ!デフレ!ウルさいよ!」と語るクズも一部にいます。
『デフレを脱却しない日本に呆れる本家MMT論者』
ただケルトンやレイやミッチェツなどMMT論者の発言を追うと、20年もデフレを続けているインフレ恐怖症の日本を、半ば嘲笑しながら呆れている風にも見え、日本の最大の問題であるデフレを軽視するMMT原理主義者にも、いい加減その惨状に気付いて欲しいものです。まあパレスチナの宗教活動家だったイエスを神の子にまで担ぎ上げたのも、キリスト教原理主義者ですから、ある思想が広がるには、熱狂的な信者が必要なのは一部認めますけどね。
『20年掛かると思っていたMMTの普及』
実は私は、1年程前に、藤井聡さんと若手官僚の方と、MMTについて意見交換した事があるのですが、その若手官僚の方は、日本で積極財政を実現するには、MMTを広めるしか無いのではないか?語っていました。ただ、それを実現するには20年は掛かるだろう、というのが、その方の予想で、私は、20年も掛かるのか?と天を仰いだのですが、それから1年足らずで、レイの著作が出版されMMTが大きな注目をされるとは、全く想定外でした。今の日本は、この10月から消費税も増税され、MMTの唱える考えとは、真逆の政策が続きますが、ケインズが語る様に、人は思想の奴隷です。偽装MMTを排除し、MMT原理主義者を押さえ付け、日本版MMTが社会に広まれば、日本が再生する可能性は、ゼロではありません。本著は、正にその主戦場としての役割を果たすでしょうし、その実現を強く希望します。
MMT現代貨幣理論入門 (日本語) 単行本 – 2019/8/30
L・ランダル・レイ
(著),
中野 剛志
(解説),
松尾 匡
(解説),
島倉 原
(監修, 翻訳),
鈴木 正徳
(翻訳)
&
2
その他
島倉 原
(監修, 翻訳)
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鈴木 正徳
(翻訳)
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本の長さ536ページ
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言語日本語
-
出版社東洋経済新報社
-
発売日2019/8/30
-
ISBN-104492654887
-
ISBN-13978-4492654880
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商品の説明
著者について
L・ランダル・レイ【著】
経済学者、ニューヨークのバード大学教授兼レヴィ経済研究所上級研究員。セントルイスのワシントン大学在籍中はハイマン・P・ミンスキーに師事。専門は、貨幣理論と金融政策、マクロ経済学、金融不安定性、雇用政策。ポスト・ケインジアンの代表的研究者・論客の一人。パシフィック大学で学士号、セントルイスのワシントン大学で修士号および博士号を取得。ローマ大学、パリ大学、ベルガモ大学、ボローニャ大学、メキシコ国立自治大学の客員教授や、ミズーリ大学カンザスシティ校の教授等を歴任し、現在に至る。著書に、Understanding Modern Money:The Key to Full Employment and Price Stability(現代貨幣を理解する─完全雇用と物価安定の鍵、1998年)、Money and Credit in Capitalist Economies(資本主義経済における貨幣と信用、1990年)、Why Minsky Matters(ミンスキーはなぜ重要なのか、2015年)がある。
中野 剛志(ナカノ タケシ) 【解説】
評論家。1971年、神奈川県生まれ。元・京都大学大学院工学研究科准教授。専門は政治経済思想。1996年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。2000年よりエディンバラ大学大学院に留学し、政治思想を専攻。 2001年に同大学院より優等修士号、2005年に博士号を取得。2003年、論文“Theorising Economic Nationalism"(Nations and Nationalism) でNations and Nationalism Prizeを受賞。著書に山本七平賞奨励賞を受賞した『日本思想史新論』(ちくま新書)、『TPP亡国論』『世界を戦争に導くグローバリズム』(ともに集英社新書)、『国力論』(以文社)、『真説・企業論』(講談社現代新書)、『日本の没落』(幻冬舎新書)、『富国と強兵─地政経済学序説』(東洋経済新報社)、『目からウロコが落ちる奇跡の経済教室【基礎知識編】』『全国民が読んだら歴史が変わる奇跡の経済教室【戦略編】』(ともにベストセラーズ)などがある。
松尾 匡(マツオ タダス) 【解説】
立命館大学経済学部教授。1964年、石川県生まれ。専門は理論経済学。著書に河上肇賞奨励賞を受賞した『商人道ノスヽメ』(藤原書店)、『不況は人災です! 』(筑摩書房)、『「はだかの王様」の経済学』(東洋経済新報社)、『この経済政策が民主主義を救う』(大月書店)など。共著に『これからのマルクス経済学入門』(筑摩書房)、『マルクスの使いみち』(太田出版)、『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう─レフト3.0の政治経済学』『「反緊縮!」宣言』(ともに亜紀書房)などがある。
島倉 原(シマクラ ハジメ) 【監訳】
株式会社クレディセゾン主任研究員。1974年、愛知県生まれ。1997年、東京大学法学部卒業。株式会社アトリウム担当部長、セゾン投信株式会社取締役などを歴任。経済理論学会および景気循環学会会員。会社勤務の傍ら、積極財政の重要性を訴える経済評論活動を行っている。著書に『積極財政宣言─なぜ、アベノミクスでは豊かになれないのか』(新評論)がある。
鈴木 正徳(スズキ マサノリ) 【訳】
1964年生まれ。都立西高校、早稲田大学法学部卒業。1987年、第一勧業銀行入行。2002年よりローンスター・ファンド等、複数の投資ファンド系資産運用会社に勤務。現在はフリーランス。
経済学者、ニューヨークのバード大学教授兼レヴィ経済研究所上級研究員。セントルイスのワシントン大学在籍中はハイマン・P・ミンスキーに師事。専門は、貨幣理論と金融政策、マクロ経済学、金融不安定性、雇用政策。ポスト・ケインジアンの代表的研究者・論客の一人。パシフィック大学で学士号、セントルイスのワシントン大学で修士号および博士号を取得。ローマ大学、パリ大学、ベルガモ大学、ボローニャ大学、メキシコ国立自治大学の客員教授や、ミズーリ大学カンザスシティ校の教授等を歴任し、現在に至る。著書に、Understanding Modern Money:The Key to Full Employment and Price Stability(現代貨幣を理解する─完全雇用と物価安定の鍵、1998年)、Money and Credit in Capitalist Economies(資本主義経済における貨幣と信用、1990年)、Why Minsky Matters(ミンスキーはなぜ重要なのか、2015年)がある。
中野 剛志(ナカノ タケシ) 【解説】
評論家。1971年、神奈川県生まれ。元・京都大学大学院工学研究科准教授。専門は政治経済思想。1996年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。2000年よりエディンバラ大学大学院に留学し、政治思想を専攻。 2001年に同大学院より優等修士号、2005年に博士号を取得。2003年、論文“Theorising Economic Nationalism"(Nations and Nationalism) でNations and Nationalism Prizeを受賞。著書に山本七平賞奨励賞を受賞した『日本思想史新論』(ちくま新書)、『TPP亡国論』『世界を戦争に導くグローバリズム』(ともに集英社新書)、『国力論』(以文社)、『真説・企業論』(講談社現代新書)、『日本の没落』(幻冬舎新書)、『富国と強兵─地政経済学序説』(東洋経済新報社)、『目からウロコが落ちる奇跡の経済教室【基礎知識編】』『全国民が読んだら歴史が変わる奇跡の経済教室【戦略編】』(ともにベストセラーズ)などがある。
松尾 匡(マツオ タダス) 【解説】
立命館大学経済学部教授。1964年、石川県生まれ。専門は理論経済学。著書に河上肇賞奨励賞を受賞した『商人道ノスヽメ』(藤原書店)、『不況は人災です! 』(筑摩書房)、『「はだかの王様」の経済学』(東洋経済新報社)、『この経済政策が民主主義を救う』(大月書店)など。共著に『これからのマルクス経済学入門』(筑摩書房)、『マルクスの使いみち』(太田出版)、『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう─レフト3.0の政治経済学』『「反緊縮!」宣言』(ともに亜紀書房)などがある。
島倉 原(シマクラ ハジメ) 【監訳】
株式会社クレディセゾン主任研究員。1974年、愛知県生まれ。1997年、東京大学法学部卒業。株式会社アトリウム担当部長、セゾン投信株式会社取締役などを歴任。経済理論学会および景気循環学会会員。会社勤務の傍ら、積極財政の重要性を訴える経済評論活動を行っている。著書に『積極財政宣言─なぜ、アベノミクスでは豊かになれないのか』(新評論)がある。
鈴木 正徳(スズキ マサノリ) 【訳】
1964年生まれ。都立西高校、早稲田大学法学部卒業。1987年、第一勧業銀行入行。2002年よりローンスター・ファンド等、複数の投資ファンド系資産運用会社に勤務。現在はフリーランス。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
レイ,L.ランダル
経済学者、ニューヨークのバード大学教授兼レヴィ経済研究所上級研究員。セントルイスのワシントン大学在籍中はハイマン・P・ミンスキーに師事。専門は、貨幣理論と金融政策、マクロ経済学、金融不安定性、雇用政策。ポスト・ケインジアンの代表的研究者・論客の一人。パシフィック大学で学士号、セントルイスのワシントン大学で修士号および博士号を取得。ローマ大学、パリ大学、ベルガモ大学、ボローニャ大学、メキシコ国立自治大学(UNAM、メキシコ市)の客員教授や、ミズーリ大学カンザスシティ校の教授等を歴任し、現在に至る
島倉/原
株式会社クレディセゾン主任研究員。1974年、愛知県生まれ。1997年、東京大学法学部卒業。株式会社アトリウム担当部長、セゾン投信株式会社取締役などを歴任。経済理論学会および景気循環学会会員。会社勤務の傍ら、積極財政の重要性を訴える経済評論活動を行っている
鈴木/正徳
1964年生まれ。都立西高校、早稲田大学法学部卒業。1987年、第一勧業銀行入行。2002年よりローンスター・ファンド等、複数の投資ファンド系資産運用会社に勤務。現在はフリーランス(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
経済学者、ニューヨークのバード大学教授兼レヴィ経済研究所上級研究員。セントルイスのワシントン大学在籍中はハイマン・P・ミンスキーに師事。専門は、貨幣理論と金融政策、マクロ経済学、金融不安定性、雇用政策。ポスト・ケインジアンの代表的研究者・論客の一人。パシフィック大学で学士号、セントルイスのワシントン大学で修士号および博士号を取得。ローマ大学、パリ大学、ベルガモ大学、ボローニャ大学、メキシコ国立自治大学(UNAM、メキシコ市)の客員教授や、ミズーリ大学カンザスシティ校の教授等を歴任し、現在に至る
島倉/原
株式会社クレディセゾン主任研究員。1974年、愛知県生まれ。1997年、東京大学法学部卒業。株式会社アトリウム担当部長、セゾン投信株式会社取締役などを歴任。経済理論学会および景気循環学会会員。会社勤務の傍ら、積極財政の重要性を訴える経済評論活動を行っている
鈴木/正徳
1964年生まれ。都立西高校、早稲田大学法学部卒業。1987年、第一勧業銀行入行。2002年よりローンスター・ファンド等、複数の投資ファンド系資産運用会社に勤務。現在はフリーランス(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
出版社より

MMTによる経済学の「科学革命」
MMTの登場は、やはり、革命的で、スキャンダラスな事件だと言わざるを得ない。
それは、世界中の経済学者や政策担当者が大きな間違いを犯していることを、MMTが暴いてしまったからである。
しかも、単なる間違いではない。貨幣の理解からして間違っているというのである。
経済学とは、貨幣を使った活動についての理論だと考えられている。しかし、その「貨幣」について、主流派経済学は正しく理解していなかったというのだ。もし、そうだとしたら、主流派経済学の理論はその基盤から崩れ去り、その権威は地に堕ちるだろう。これ以上スキャンダラスなこともないではないか。
(中野剛志氏による巻頭解説より)
登録情報
- 出版社 : 東洋経済新報社 (2019/8/30)
- 発売日 : 2019/8/30
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 536ページ
- ISBN-10 : 4492654887
- ISBN-13 : 978-4492654880
-
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現代貨幣理論を本当に理解するには、複式簿記の原理と日銀当座預金の性格と機能を十分に理解しておく必要がある。
現代貨幣理論とは、結局のところ、国家全体の資金の流れと蓄積を複式簿記で眺めた時に得られる客観的真実である。そこには曖昧性は全く存在しない。お金は有体物の紙幣のイメージが強すぎて、紙幣による支払いで資金の流れを見てしまうことから、お金に対する考え方は大きな誤解を生じてきた。例えば、銀行に預金する場合に、紙幣を銀行窓口に持ち込んで預金通帳に金額を記帳してもらい、その持ち込んだ紙幣は別の人に貸し出されると考えてしまう。また、売上や給与所得は自分の銀行口座に他人の銀行口座から振り込まれる。その時に振り込まれた通貨は、どこで誰が発生させたものかを考えてこなかった。まるで労働の対価として紙幣や預金通貨が発生したかのように考えてしまう。
誰かが通貨を生成させている。
まず、売上や所得として振り込まれた預金通貨は、何時、誰が発生させたものか。第1の発生機構は銀行の貸出であり、第2の発生機構は政府の国債発行による。これ以外には預金通貨を発行することはできない。
平成30年末における預金取扱金融機関(以下、単に「銀行」という)における全円預金(預金通貨)の総額は1437兆円である。この預金通貨の内783兆円は銀行の貸出により発生し、651兆円は政府による国債発行とそれにより得た資金の政府支出により発生している。
銀行は783兆円の借受人の借用証書を手元において、借受人の銀行預金通帳に783兆円と記載するだけで預金通貨を生成している。783兆円のお金をどこからか持ってきて、貸出している訳ではない。銀行は無から有の預金通貨を生じさせている。すなわち、貸付を資産とし、預金を負債とする仕分けが行われている。銀行預金は銀行にとっては負債である。何故ならば、銀行は借受人が望むなら紙幣を払い出す責務(債務)がある。預金通貨の発生とは、債権(貸付)と債務(預金)とを対で生成する行為に過ぎない。
借受人が783兆円の借金を銀行に返済すると、預金通貨783兆円が瞬時に消滅して、全体として1437兆円あった預金通貨は654兆円に減少する。783兆円の有形の通貨が銀行に戻されるのではない。貸出しは無から有を生じさせた行為(債権と債務の契約行為)であるので、返済されると銀行預金の数値が消され借用証書が戻されて、無に戻る。通貨は金や銀のように、それだけで価値のある物であると長年刷り込まれてきたので、お金が生れたり消えたりすることは、理解し難いかも知れないが、これは真実である。
借金が返済されて預金通貨が減少することは、経済縮退になり借金が増加して預金通貨が増加することは経済拡大につながる。したがって、経済活動において借金は悪ではなく必然である。誰かが借金をし続けていないと経済は回らないという、ただそれだけのことである。
預金通貨の第2の発生機構は、中央政府による国債発行である。平成30年末における日銀の保有国債は464兆円、銀行の保有国債は186兆円である。残りの国債約460兆円は生命保険会社や証券会社等の銀行以外の部門(以下、「非銀行」)が保有している。日銀と銀行とが保有する国債総額651兆円の大部分(一部、非銀行からの日銀の買取がある)は、中央政府が現在までに銀行に売った国債である。銀行が政府から国債を購入する原資は、銀行にとって資産の日銀当座預金であって、負債である銀行預金ではない。当然ながら銀行にとっては負債の銀行預金を貸し出すことはできない。
日銀当座預金とは、銀行が日銀に持つ預金口座の預金である。国民が銀行に対して持つ銀行預金と同じ関係において、銀行が日銀に対して持つ預金が日銀当座預金である。中央政府も日銀に日銀当座預金(銀行の日銀当座預金と区別するために政府預金という)を有している。
例えば、日銀当座預金が10兆円あったとする。日銀当座預金残高は、実際には平成6年までは6兆円以下、平成19年で12兆円である。銀行が中央政府発行の国債を5兆円購入する場合には、日銀の操作により日銀当座預金の5兆円が政府預金に振り替えられ、5兆円の国債は銀行の手元に移転される。銀行は5兆円の日銀当座預金資産を失う代わりに5兆円の国債資産を得ることになる。中央政府は得た5兆円を1年かけて、公共事業などの政府支出として使う。すなわち、5兆円は事業者の銀行預金に振り込まれる(さらに従業員等の預金に流れる)。すなわち、5兆円の預金通貨が新規に生成されたことになる。このとき同時に、政府預金の5兆円はこの銀行の日銀当座預金に振り替えられる。これでこの銀行は日銀当座預金資産が5兆円増加し、預金負債が5兆円増加して資産と負債とが同額となりバランスする。結局、日銀当座預金は銀行が国債を購入する前の額の10兆円に戻る。これらの事実を認識することは、通貨や経済を認識する上において極めて重要である。
銀行による政府発行の国債の買取りを毎年繰り返すことで、日銀当座預金は10兆円のままで減少することなく、銀行は651兆円の国債を購入することができ、中央政府は通算で651兆円の政府預金を得ることができる。651兆円は公共事業などに政府支出されて、国民の預金通貨が651兆円新規に生成されることになる。
銀行の保有国債は現在186兆円であるので、日銀が464兆円分の国債を銀行から今までに購入してきたことになる。日銀の国債の購入においては、日銀は464兆円の国債資産を得て日銀にとって負債である日銀当座預金を464兆円だけ増加させている。これにより、日銀は資産と負債とを同額だけ増加させ、資産と負債とをバランスさせている。重要なことは日銀が国債を銀行から購入して日銀当座預金が増加しても銀行預金は増加しない。すなわち、銀行による国債の買取により預金通貨は既に発生しているので、日銀の国債買取によっては預金通貨は発生しない。
非銀行の保有する国債460兆円は預金通貨を生成していない。何故ならば、日銀当座預金を有さない生命保険会社等が国債を政府から購入しても、国債購入費だけ預金通貨が減少し、政府支出により預金通貨は元の額に戻されるだけであるので、預金通貨は増加しない。日銀当座預金を有さない非銀行の保有する国債を銀行又は日銀が購入するとき、預金通貨が初めて新規に生成される。銀行が購入する時に銀行では、国債は資産に非銀行の預金が負債に仕分けされるので、非銀行が保有していた国債は、この時に初めて預金通貨を発生したことになる。日銀が購入する時には、非銀行の口座を有する銀行の日銀当座預金が買取国債の額の分だけ増加し、非銀行の預金が同額だけ増加するので、預金通貨が新たに生成されることになる。
すなわち、銀行が過去に保有していた国債と現在保有している国債は、既に預金通貨を生成した国債であり、非銀行が保有する国債は預金通貨を生成する能力を有した国債ということになる。
国民が預金を下ろして紙幣を手にする場合には、銀行は負債である預金を減少させると共に資産である日銀当座預金を下ろして日銀から紙幣を手にして、この紙幣を預金者に渡している。日銀当座預金のうち109兆円が現金として市中に出回っている。すなわち、日銀当座預金の全額は紙幣に変換できる。言い換えれば、中央政府が発行してきた国債は、最終的に日銀が買い取ることで日銀当座預金を増加させることができる。その日銀当座預金は全て紙幣に変換できる。ということは中央政府が今までに発行してきた国債の全ては、紙幣に変換できるということである。
現在の預金通貨と現金とを合わせた通貨1546兆円は、銀行の貸出と中央政府の国債の発行により生成されたものである。銀行は国債を政府から幾ら購入しても日銀当座預金は減少しない。したがって、銀行が中央政府から利付国債を購入する資金が欠乏することは有り得ない。銀行は日銀当座預金で資金を保有するよりは安全な利付き国債を購入したいという動機が存在する。現に国債の応札倍率は額にして4.5倍程度と大きい。また、銀行の民間への預金通貨の融資は貸付により発生させている。したがって、民間の資金需要が拡大しても銀行が政府発行の国債を購入する資金不足に陥ることはありえない(クラウディングアウト論は完全な誤りである)。また、銀行が国債を購入する資金不足に陥ることがない以上、国債の金利の上昇も国債の暴落も有り得ない。現に10年国債はマイナス金利である。
国債の発行は借金の積み上げではなく、国民の預金という金融資産の積み上げである。しかも中央政府の発行国債は全て紙幣に変換できる。この認識は極めて重要である。労働市場を拡大(需要を拡大)させて社会資本を充実させ、国民の預金を増大させることがどうして財政破綻になるのか。
もう一つ重要なことは、中央政府の負債の増加は、それ以外の部門(国民など)の金融資産の増加を意味する。家計(国民)、政府、企業、金融機関、海外などの経済部門における純金融資産(金融資産-金融負債)の総和は零である。この関係を純金融資産定理と私は名付けている。中央政府とそれ以外の非中央政府との2部門に分けると、中央政府の純金融資産+非中央政府の純金融資産=0である。純金融資産の絶対値は家計と中央政府が圧倒的に大きい。したがって、非中央政府は家計と見做すことができる。
純金融資産定理が成立しているので政府のプライマリーバランスの黒字化は、国民(家計)の収支(所得-支出)の赤字化を意味し、収支の累積が資産・負債であるので、国民の金融資産を減少させることを意味する。すなわち、緊縮財政をとり国債を償還する行為は、国民の金融資産を消滅させる行為である。国民の純金融資産が正値(資産超過)であるためには、いずれかの経済部門の純金融資産が負値(負債超過)でなければ経済循環は成立しない。その重要な役割を中央政府が果たしているというだけのことである。
重要なことは、全通貨1546兆円は多過ぎるのか否かという問題である。多過ぎなければ、中央政府は国債を発行して必要な政府支出を拡大して、国民の預金を増大させても構わない。通貨が多過ぎるか否かの判断基準は、需要に生産が追いつかずに、極端なインフレ傾向になったか否かである。極端なインフレにならない限り、政府の支出を拡大させても構わないとうのがMMTの結論である。財政破綻など考えられないのであるから、政府はMMTを十分に理解し、国民が安全で豊かな生活が送れるように、将来のGDPの基盤となる社会資本への投資(科学技術・教育投資、安全保障投資、地方活性化投資など)を拡充させて懸命な経済政策を採るべきである。
日本の将来を考えるならば、一人でも多くの人が本書を読んで、通貨と経済政策についての真実を理解することが望まれる。
現代貨幣理論とは、結局のところ、国家全体の資金の流れと蓄積を複式簿記で眺めた時に得られる客観的真実である。そこには曖昧性は全く存在しない。お金は有体物の紙幣のイメージが強すぎて、紙幣による支払いで資金の流れを見てしまうことから、お金に対する考え方は大きな誤解を生じてきた。例えば、銀行に預金する場合に、紙幣を銀行窓口に持ち込んで預金通帳に金額を記帳してもらい、その持ち込んだ紙幣は別の人に貸し出されると考えてしまう。また、売上や給与所得は自分の銀行口座に他人の銀行口座から振り込まれる。その時に振り込まれた通貨は、どこで誰が発生させたものかを考えてこなかった。まるで労働の対価として紙幣や預金通貨が発生したかのように考えてしまう。
誰かが通貨を生成させている。
まず、売上や所得として振り込まれた預金通貨は、何時、誰が発生させたものか。第1の発生機構は銀行の貸出であり、第2の発生機構は政府の国債発行による。これ以外には預金通貨を発行することはできない。
平成30年末における預金取扱金融機関(以下、単に「銀行」という)における全円預金(預金通貨)の総額は1437兆円である。この預金通貨の内783兆円は銀行の貸出により発生し、651兆円は政府による国債発行とそれにより得た資金の政府支出により発生している。
銀行は783兆円の借受人の借用証書を手元において、借受人の銀行預金通帳に783兆円と記載するだけで預金通貨を生成している。783兆円のお金をどこからか持ってきて、貸出している訳ではない。銀行は無から有の預金通貨を生じさせている。すなわち、貸付を資産とし、預金を負債とする仕分けが行われている。銀行預金は銀行にとっては負債である。何故ならば、銀行は借受人が望むなら紙幣を払い出す責務(債務)がある。預金通貨の発生とは、債権(貸付)と債務(預金)とを対で生成する行為に過ぎない。
借受人が783兆円の借金を銀行に返済すると、預金通貨783兆円が瞬時に消滅して、全体として1437兆円あった預金通貨は654兆円に減少する。783兆円の有形の通貨が銀行に戻されるのではない。貸出しは無から有を生じさせた行為(債権と債務の契約行為)であるので、返済されると銀行預金の数値が消され借用証書が戻されて、無に戻る。通貨は金や銀のように、それだけで価値のある物であると長年刷り込まれてきたので、お金が生れたり消えたりすることは、理解し難いかも知れないが、これは真実である。
借金が返済されて預金通貨が減少することは、経済縮退になり借金が増加して預金通貨が増加することは経済拡大につながる。したがって、経済活動において借金は悪ではなく必然である。誰かが借金をし続けていないと経済は回らないという、ただそれだけのことである。
預金通貨の第2の発生機構は、中央政府による国債発行である。平成30年末における日銀の保有国債は464兆円、銀行の保有国債は186兆円である。残りの国債約460兆円は生命保険会社や証券会社等の銀行以外の部門(以下、「非銀行」)が保有している。日銀と銀行とが保有する国債総額651兆円の大部分(一部、非銀行からの日銀の買取がある)は、中央政府が現在までに銀行に売った国債である。銀行が政府から国債を購入する原資は、銀行にとって資産の日銀当座預金であって、負債である銀行預金ではない。当然ながら銀行にとっては負債の銀行預金を貸し出すことはできない。
日銀当座預金とは、銀行が日銀に持つ預金口座の預金である。国民が銀行に対して持つ銀行預金と同じ関係において、銀行が日銀に対して持つ預金が日銀当座預金である。中央政府も日銀に日銀当座預金(銀行の日銀当座預金と区別するために政府預金という)を有している。
例えば、日銀当座預金が10兆円あったとする。日銀当座預金残高は、実際には平成6年までは6兆円以下、平成19年で12兆円である。銀行が中央政府発行の国債を5兆円購入する場合には、日銀の操作により日銀当座預金の5兆円が政府預金に振り替えられ、5兆円の国債は銀行の手元に移転される。銀行は5兆円の日銀当座預金資産を失う代わりに5兆円の国債資産を得ることになる。中央政府は得た5兆円を1年かけて、公共事業などの政府支出として使う。すなわち、5兆円は事業者の銀行預金に振り込まれる(さらに従業員等の預金に流れる)。すなわち、5兆円の預金通貨が新規に生成されたことになる。このとき同時に、政府預金の5兆円はこの銀行の日銀当座預金に振り替えられる。これでこの銀行は日銀当座預金資産が5兆円増加し、預金負債が5兆円増加して資産と負債とが同額となりバランスする。結局、日銀当座預金は銀行が国債を購入する前の額の10兆円に戻る。これらの事実を認識することは、通貨や経済を認識する上において極めて重要である。
銀行による政府発行の国債の買取りを毎年繰り返すことで、日銀当座預金は10兆円のままで減少することなく、銀行は651兆円の国債を購入することができ、中央政府は通算で651兆円の政府預金を得ることができる。651兆円は公共事業などに政府支出されて、国民の預金通貨が651兆円新規に生成されることになる。
銀行の保有国債は現在186兆円であるので、日銀が464兆円分の国債を銀行から今までに購入してきたことになる。日銀の国債の購入においては、日銀は464兆円の国債資産を得て日銀にとって負債である日銀当座預金を464兆円だけ増加させている。これにより、日銀は資産と負債とを同額だけ増加させ、資産と負債とをバランスさせている。重要なことは日銀が国債を銀行から購入して日銀当座預金が増加しても銀行預金は増加しない。すなわち、銀行による国債の買取により預金通貨は既に発生しているので、日銀の国債買取によっては預金通貨は発生しない。
非銀行の保有する国債460兆円は預金通貨を生成していない。何故ならば、日銀当座預金を有さない生命保険会社等が国債を政府から購入しても、国債購入費だけ預金通貨が減少し、政府支出により預金通貨は元の額に戻されるだけであるので、預金通貨は増加しない。日銀当座預金を有さない非銀行の保有する国債を銀行又は日銀が購入するとき、預金通貨が初めて新規に生成される。銀行が購入する時に銀行では、国債は資産に非銀行の預金が負債に仕分けされるので、非銀行が保有していた国債は、この時に初めて預金通貨を発生したことになる。日銀が購入する時には、非銀行の口座を有する銀行の日銀当座預金が買取国債の額の分だけ増加し、非銀行の預金が同額だけ増加するので、預金通貨が新たに生成されることになる。
すなわち、銀行が過去に保有していた国債と現在保有している国債は、既に預金通貨を生成した国債であり、非銀行が保有する国債は預金通貨を生成する能力を有した国債ということになる。
国民が預金を下ろして紙幣を手にする場合には、銀行は負債である預金を減少させると共に資産である日銀当座預金を下ろして日銀から紙幣を手にして、この紙幣を預金者に渡している。日銀当座預金のうち109兆円が現金として市中に出回っている。すなわち、日銀当座預金の全額は紙幣に変換できる。言い換えれば、中央政府が発行してきた国債は、最終的に日銀が買い取ることで日銀当座預金を増加させることができる。その日銀当座預金は全て紙幣に変換できる。ということは中央政府が今までに発行してきた国債の全ては、紙幣に変換できるということである。
現在の預金通貨と現金とを合わせた通貨1546兆円は、銀行の貸出と中央政府の国債の発行により生成されたものである。銀行は国債を政府から幾ら購入しても日銀当座預金は減少しない。したがって、銀行が中央政府から利付国債を購入する資金が欠乏することは有り得ない。銀行は日銀当座預金で資金を保有するよりは安全な利付き国債を購入したいという動機が存在する。現に国債の応札倍率は額にして4.5倍程度と大きい。また、銀行の民間への預金通貨の融資は貸付により発生させている。したがって、民間の資金需要が拡大しても銀行が政府発行の国債を購入する資金不足に陥ることはありえない(クラウディングアウト論は完全な誤りである)。また、銀行が国債を購入する資金不足に陥ることがない以上、国債の金利の上昇も国債の暴落も有り得ない。現に10年国債はマイナス金利である。
国債の発行は借金の積み上げではなく、国民の預金という金融資産の積み上げである。しかも中央政府の発行国債は全て紙幣に変換できる。この認識は極めて重要である。労働市場を拡大(需要を拡大)させて社会資本を充実させ、国民の預金を増大させることがどうして財政破綻になるのか。
もう一つ重要なことは、中央政府の負債の増加は、それ以外の部門(国民など)の金融資産の増加を意味する。家計(国民)、政府、企業、金融機関、海外などの経済部門における純金融資産(金融資産-金融負債)の総和は零である。この関係を純金融資産定理と私は名付けている。中央政府とそれ以外の非中央政府との2部門に分けると、中央政府の純金融資産+非中央政府の純金融資産=0である。純金融資産の絶対値は家計と中央政府が圧倒的に大きい。したがって、非中央政府は家計と見做すことができる。
純金融資産定理が成立しているので政府のプライマリーバランスの黒字化は、国民(家計)の収支(所得-支出)の赤字化を意味し、収支の累積が資産・負債であるので、国民の金融資産を減少させることを意味する。すなわち、緊縮財政をとり国債を償還する行為は、国民の金融資産を消滅させる行為である。国民の純金融資産が正値(資産超過)であるためには、いずれかの経済部門の純金融資産が負値(負債超過)でなければ経済循環は成立しない。その重要な役割を中央政府が果たしているというだけのことである。
重要なことは、全通貨1546兆円は多過ぎるのか否かという問題である。多過ぎなければ、中央政府は国債を発行して必要な政府支出を拡大して、国民の預金を増大させても構わない。通貨が多過ぎるか否かの判断基準は、需要に生産が追いつかずに、極端なインフレ傾向になったか否かである。極端なインフレにならない限り、政府の支出を拡大させても構わないとうのがMMTの結論である。財政破綻など考えられないのであるから、政府はMMTを十分に理解し、国民が安全で豊かな生活が送れるように、将来のGDPの基盤となる社会資本への投資(科学技術・教育投資、安全保障投資、地方活性化投資など)を拡充させて懸命な経済政策を採るべきである。
日本の将来を考えるならば、一人でも多くの人が本書を読んで、通貨と経済政策についての真実を理解することが望まれる。