このアルバムがLPとして1970年代の終わりにリリースされたとき、世評はすこぶるよかった。
それまで、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトのドイツ・オーストリアものを中心とした
演奏でその名を轟かせていたブレンデルが、珍しくもバッハの鍵盤曲を弾いてみせたのである。
本CDの録音は1976年ロンドンとなっており、当時としては極めて録音環境は優れている。
曲目は以下のとおり。
(1) イタリア協奏曲
(2) コラール・プレリュード「イエスよ、わたしは主の名を呼ぶ BWV639(ブゾーニ編)」
(3) プレリュード(幻想曲)BWV922
(4) 半音階的幻想曲とフーガ BWV903
(5) コラール・プレリュード「来たれ、異教徒の救い主よ BWV659(ブゾーニ編)」
(6) 幻想曲とフーガ BWV904
ここでのブレンデルのピアノ音は、極めて美しい粒立ちの良い鍵盤音に満ちており、
一曲一曲すべてが、素晴らしい魅力を備えて聴き手を惹き付ける。
最初のイタリア協奏曲からして実に明解な美音であり、次のBWV639のコラールは、
LPリリース当時もっとも話題になった演奏であったが、静謐で心にしみるような新鮮な感動を
呼ぶ見事なパフォーマンスである。「半音階的幻想曲とフーガ」では、卓越した技巧、
ディナミーク、アゴーギクのバランスが驚異的に素晴らしい。
時折、ブレンデルの演奏を「凡庸」と評価する方がいるが、それは大きな誤りである。
「凡庸」というのは「感動を呼ばない」という意味で使うべきである。
テクニックを誇張したり、変則的な演出を凝らした演奏に対して、素晴らしいものと誉めそやす傾向が
時としてあるが、それは正しくないように思われる。
ブレンデルの音楽は、ピアノ音のコントロールにおいて、異常なほど神経が行き届いており、
常に音楽全体を見渡しながら、音のバランスへの配慮を実現している。
だから、決して奇抜な演奏にはなり得ないのである。素晴らしい才能のピアニストと言える。
このバッハの小品においても、そのようなブレンデルの見事なパフォーマンスがはっきりと示されている。
是非お聴きいただきたいものである。