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DXの歴史―日本から見たDX界の史実を検証 単行本 – 2004/8/20
高橋 敏夫
(著)
本書は、アマチュア無線界の戦前及び戦後から現代に至る史実を検証したもので、カラーグラビア8ページ+全6章258ページ(掲載写真850点、図表・図面50点)の大作です。
DXとは、Distance(距離、遠距離)の略号で、アマチュア無線の世界では遠距離通信、つまり、外国との通信という意味で使われるのが一般的です。
DXとは、Distance(距離、遠距離)の略号で、アマチュア無線の世界では遠距離通信、つまり、外国との通信という意味で使われるのが一般的です。
- 本の長さ256ページ
- 言語日本語
- 出版社月刊ファイブナイン
- 発売日2004/8/20
- ISBN-104990230329
- ISBN-13978-4990230326
商品の説明
著者からのコメント
〔まえがき〕
DXとは、Distance(距離、遠距離)の略号で、アマチュア無線の世界では遠距離通信、つまり外国との通信という意味で使われるのが一般的です。
DXの魅力にとりつかれて、かれこれ45年にもなりますが、こんなに永く飽きることもなく継続している要因は何でしょうか。それぞれに、理由は種々あるのでしょうが、筆者の場合は電離層の存在と異文明への興味であったように思います。具体的には、各種アワードやDXコンテストに、たいへん魅力を感じたことでした。
「DXの歴史」というタイトルは、随分と大きいタイトルだし、その重みもそして間口も広いことは認識しています。2001年秋に、CQ誌に連載の話がありました際、このタイトルのことは種々考え、編集部との話合いにおいても悩んだところでした。結局は、「オペレーティング」という切り口で筆者が書ける範囲と割り切り、編集部と合意点に達したものです。
したがって執筆内容は「オペレーティング」に照準を合わせ、無線技術などの分野につきましては、割愛することといたしました。執筆し始めて最初の難事は、古いことの調査において、各種資料の史実の発生年月に差があることでした。三つの資料があれば、勿論多数決回路ですが、資料が二つの場合は困りました。これにつきましては、種々検討のうえ最終的に筆者が採用しました出典を明記することとしました。
次に何年ごろからいつ頃までを執筆するか、という問題でした。これは、アマチュア無線の黎明期から我が国の最も局数の多かった昭和60年代より以前、つまり、まだ記憶に新しい近年は割愛し、1985年までを一応の執筆スタンスとしました。
当初、この書籍は「JA1BWA著作集」を考えておりました。昔から、時々「CQ誌」、「無線と実験」、「電波科学」、「月刊ファイブナイン」などに掲載されましたものを、CQ誌連載の「DXの歴史」を中心にまとめる予定でした。しかし、「著作集」というのは所詮二番煎じの感を免れませんので、これは別の機会とし、今回は書下ろし原稿「DXスタイルの変遷とパソコン」を加えました。そして、巻末付録資料には、本邦初の50年分のDXコンテストのJA上位局一覧や、ARRLのご協力による最新のDXCCアワード受賞リストを掲載しました。
最後に、拙著「DXの歴史」は、DX情報誌「月刊ファイブナイン」の創刊20周年記念事業の一つとして上梓できました。同誌草野編集長(JA1ELY)に心から感謝申し上げる次第です。
2004年8月 JA1BWA 高橋敏夫
DXとは、Distance(距離、遠距離)の略号で、アマチュア無線の世界では遠距離通信、つまり外国との通信という意味で使われるのが一般的です。
DXの魅力にとりつかれて、かれこれ45年にもなりますが、こんなに永く飽きることもなく継続している要因は何でしょうか。それぞれに、理由は種々あるのでしょうが、筆者の場合は電離層の存在と異文明への興味であったように思います。具体的には、各種アワードやDXコンテストに、たいへん魅力を感じたことでした。
「DXの歴史」というタイトルは、随分と大きいタイトルだし、その重みもそして間口も広いことは認識しています。2001年秋に、CQ誌に連載の話がありました際、このタイトルのことは種々考え、編集部との話合いにおいても悩んだところでした。結局は、「オペレーティング」という切り口で筆者が書ける範囲と割り切り、編集部と合意点に達したものです。
したがって執筆内容は「オペレーティング」に照準を合わせ、無線技術などの分野につきましては、割愛することといたしました。執筆し始めて最初の難事は、古いことの調査において、各種資料の史実の発生年月に差があることでした。三つの資料があれば、勿論多数決回路ですが、資料が二つの場合は困りました。これにつきましては、種々検討のうえ最終的に筆者が採用しました出典を明記することとしました。
次に何年ごろからいつ頃までを執筆するか、という問題でした。これは、アマチュア無線の黎明期から我が国の最も局数の多かった昭和60年代より以前、つまり、まだ記憶に新しい近年は割愛し、1985年までを一応の執筆スタンスとしました。
当初、この書籍は「JA1BWA著作集」を考えておりました。昔から、時々「CQ誌」、「無線と実験」、「電波科学」、「月刊ファイブナイン」などに掲載されましたものを、CQ誌連載の「DXの歴史」を中心にまとめる予定でした。しかし、「著作集」というのは所詮二番煎じの感を免れませんので、これは別の機会とし、今回は書下ろし原稿「DXスタイルの変遷とパソコン」を加えました。そして、巻末付録資料には、本邦初の50年分のDXコンテストのJA上位局一覧や、ARRLのご協力による最新のDXCCアワード受賞リストを掲載しました。
最後に、拙著「DXの歴史」は、DX情報誌「月刊ファイブナイン」の創刊20周年記念事業の一つとして上梓できました。同誌草野編集長(JA1ELY)に心から感謝申し上げる次第です。
2004年8月 JA1BWA 高橋敏夫
出版社からのコメント
〔編集後記〕
月刊ファイブナイン創刊20周年の特別企画として「DXの歴史」を刊行することとなりました。アマチュア無線それもDXに関する本となると、読んで頂ける対象者が限定され大変厳しい状況ですが、著者のDX界に貢献したいという情熱にうたれました。昔があって今があり、そしてその先に続きます。過去の出来事は記録して残しておかなければ、どんどん忘却の彼方に消え去ります。我々がこのDXという素晴らしい趣味を思いきり楽しんでこられたのも、先輩諸氏が著してくれた多くの出版物によるところが非常に大です。その意味で本書編集に携わることができましたことは幸いでした。
JA1ELY 草野利一
月刊ファイブナイン創刊20周年の特別企画として「DXの歴史」を刊行することとなりました。アマチュア無線それもDXに関する本となると、読んで頂ける対象者が限定され大変厳しい状況ですが、著者のDX界に貢献したいという情熱にうたれました。昔があって今があり、そしてその先に続きます。過去の出来事は記録して残しておかなければ、どんどん忘却の彼方に消え去ります。我々がこのDXという素晴らしい趣味を思いきり楽しんでこられたのも、先輩諸氏が著してくれた多くの出版物によるところが非常に大です。その意味で本書編集に携わることができましたことは幸いでした。
JA1ELY 草野利一
抜粋
〔抜粋〕P42
(2)我国の戦後初のDXCC受賞
JA1AA庄野久男氏は、JA局として初めてのDXCCアワードを、1954年11月18日付のNo.2036で受賞されました。W1FHが、No.1受賞の1947年7月から、実に7年4カ月が経過しており、この時、W1FHのDXCCスタンデングスは、2XXで、大きな差がありました。
しかし、DXing開始されまして、満2年の受賞は、当時の諸事情を勘案して、素晴らしい快挙であったと言えましょう。
庄野OMは、ご自身が担当されておりましたCQ誌「QSL News」に、控え目に次のように書かれております。
《JA1AAは10月27日にやっと101枚のQSLを発送しましたが、世界の連中の状況を考えますと、情けないの一語につきる様です。Hi! 本年こそ何十人ものJAの方々がゴールインされるよう祈って止みません。(1955年1月号)》
《戦後始めてのDXCC賞がやっと係の所に到着いたしました。戦後の番号で2036番、何と我々の立遅れている事か!(1955年2月号)》
1955年1月の、CQ誌DX欄に掲載されておりましたJA局のDXCCスタンディングスは、次のとおりでした。(自己申告)
【DXCC(100)を目指して (QSO/QSL)】
局 名 [MIX] 局名 [PHONE]
JA1AA 136/107 JA1AC 74/36
JA6AD 130/ - JA6CA 72/42
JA1CR 119/ 77 JA4BB 50/25
JA1CJ 116/ 80 JA1CB 51/ -
JA6AO 111/ 71 JA3BB 49/26
JA8AA 110/ 72 JA1CJ 37/19
JA5AB 108/ 77 JA8AA 35/20
JA1DM 108/ 68 JA6AK 32/17
JA3AF 107/ 76 JA1AX 31/20
JA3AA 102/ 72 JA1CO 29/ -
(2)我国の戦後初のDXCC受賞
JA1AA庄野久男氏は、JA局として初めてのDXCCアワードを、1954年11月18日付のNo.2036で受賞されました。W1FHが、No.1受賞の1947年7月から、実に7年4カ月が経過しており、この時、W1FHのDXCCスタンデングスは、2XXで、大きな差がありました。
しかし、DXing開始されまして、満2年の受賞は、当時の諸事情を勘案して、素晴らしい快挙であったと言えましょう。
庄野OMは、ご自身が担当されておりましたCQ誌「QSL News」に、控え目に次のように書かれております。
《JA1AAは10月27日にやっと101枚のQSLを発送しましたが、世界の連中の状況を考えますと、情けないの一語につきる様です。Hi! 本年こそ何十人ものJAの方々がゴールインされるよう祈って止みません。(1955年1月号)》
《戦後始めてのDXCC賞がやっと係の所に到着いたしました。戦後の番号で2036番、何と我々の立遅れている事か!(1955年2月号)》
1955年1月の、CQ誌DX欄に掲載されておりましたJA局のDXCCスタンディングスは、次のとおりでした。(自己申告)
【DXCC(100)を目指して (QSO/QSL)】
局 名 [MIX] 局名 [PHONE]
JA1AA 136/107 JA1AC 74/36
JA6AD 130/ - JA6CA 72/42
JA1CR 119/ 77 JA4BB 50/25
JA1CJ 116/ 80 JA1CB 51/ -
JA6AO 111/ 71 JA3BB 49/26
JA8AA 110/ 72 JA1CJ 37/19
JA5AB 108/ 77 JA8AA 35/20
JA1DM 108/ 68 JA6AK 32/17
JA3AF 107/ 76 JA1AX 31/20
JA3AA 102/ 72 JA1CO 29/ -
著者について
【著者紹介】
筆者が開局(JA3AAQ)しました1956年(昭和31年)当時は、大阪(豊中市)におりました。自作の受信機や送信機で国内QSOを楽しむ一方で、JA3-1078としてSWL活動(海外放送や海外ハム局の受信)もやっておりました。 海外放送のSWLに飽き足らず、20m.や40m.バンドのハム局に対してSWLリポートを送っておりました。当時、CQ誌のDXエディターはJA1AA、庄野さんで、このページから多くのDXに関する知識を得ることができました。
私は、1958年に転勤のため東京へ移住し、コールサインはJA1BWAに変わりました。私の海外局との初QSOは、1958年8月の6m.バンドにおけるVK4NGでした。1959年からは、HFにおけるDXCCハンティングと、DXコンテストにクレージーとなり、現在では10バンド(160m~6m)でDXCCを完成してしまいました。そして、1993年には、DXCC #1楯(全エンティティとのQSO)を受賞しました。また、DXコンテストでは、好んでCQ WW DXコンテストや、ARRL DXコンテストに多く参加し、中でも我が国におけるARRL DXコンテストの3連覇(1980年~1982年のCW部門)は、私にとりまして大きな成果でしたし、想い出に残るDXアクティビティでした。
1960年に、JA1BK、溝口氏などと共に、DXクラブFEDXP(Far East DX-Ploiters)創立に参画し、初代会報エディターを担当しました。そして、第2代、第4代、第10代会長を努めました。また、1962年1月から1967年6月まで、「無線と実験」誌のDXエディターを担当しました。
1935年(昭和10年)、兵庫県生まれ。第1級アマチュア無線技士。著書に電気学会から「コンピュータ・システム」がある。
筆者が開局(JA3AAQ)しました1956年(昭和31年)当時は、大阪(豊中市)におりました。自作の受信機や送信機で国内QSOを楽しむ一方で、JA3-1078としてSWL活動(海外放送や海外ハム局の受信)もやっておりました。 海外放送のSWLに飽き足らず、20m.や40m.バンドのハム局に対してSWLリポートを送っておりました。当時、CQ誌のDXエディターはJA1AA、庄野さんで、このページから多くのDXに関する知識を得ることができました。
私は、1958年に転勤のため東京へ移住し、コールサインはJA1BWAに変わりました。私の海外局との初QSOは、1958年8月の6m.バンドにおけるVK4NGでした。1959年からは、HFにおけるDXCCハンティングと、DXコンテストにクレージーとなり、現在では10バンド(160m~6m)でDXCCを完成してしまいました。そして、1993年には、DXCC #1楯(全エンティティとのQSO)を受賞しました。また、DXコンテストでは、好んでCQ WW DXコンテストや、ARRL DXコンテストに多く参加し、中でも我が国におけるARRL DXコンテストの3連覇(1980年~1982年のCW部門)は、私にとりまして大きな成果でしたし、想い出に残るDXアクティビティでした。
1960年に、JA1BK、溝口氏などと共に、DXクラブFEDXP(Far East DX-Ploiters)創立に参画し、初代会報エディターを担当しました。そして、第2代、第4代、第10代会長を努めました。また、1962年1月から1967年6月まで、「無線と実験」誌のDXエディターを担当しました。
1935年(昭和10年)、兵庫県生まれ。第1級アマチュア無線技士。著書に電気学会から「コンピュータ・システム」がある。
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登録情報
- 出版社 : 月刊ファイブナイン (2004/8/20)
- 発売日 : 2004/8/20
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 256ページ
- ISBN-10 : 4990230329
- ISBN-13 : 978-4990230326
- Amazon 売れ筋ランキング: - 964,147位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 117位アマチュア無線 (本)
- - 61,290位科学・テクノロジー (本)
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
5つ星のうち5.0
星5つ中の5
7 件のグローバル評価
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全体的な星の評価と星ごとの割合の内訳を計算するために、単純な平均は使用されません。その代わり、レビューの日時がどれだけ新しいかや、レビューアーがAmazonで商品を購入したかどうかなどが考慮されます。また、レビューを分析して信頼性が検証されます。
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2007年3月13日に日本でレビュー済み
個人の力で20年以上にもわたり作り続けられている月刊誌「ファイブナイン」。 アマチュア無線の世界でも、DXの話題に特化したその内容を、凝縮し1冊に纏め上げたのが本書です。
タイトルが指し示す通り、オペレーティング技術やHowto的な解説を省き、 “未知の外国と話がしたい!” という純粋な欲求を、ハム達が如何に求め追い続けて来たのかが書かれています。
現在世界に名だたるコンテストやアワードが、どのようにして始められたか?という話も必読ですが、わたしにとって最も興味深かったのは、戦前から戦争直後の先達が、機器の製作から法の整備まで苦心惨憺して “アマチュア無線の地位” を築き上げていった経緯でした。 平易になった資格試験と簡単に手に入る無線機の揃った今だからこそ、再び読み返してみる必要があるのではないでしょうか。
本書の底流には、「DX活動はミニ国際親善である」との著者の信念が強く存在します。 それを端的に述べた91ページの一節は、我意を得たりとばかり絶賛せずには居られません!
タイトルが指し示す通り、オペレーティング技術やHowto的な解説を省き、 “未知の外国と話がしたい!” という純粋な欲求を、ハム達が如何に求め追い続けて来たのかが書かれています。
現在世界に名だたるコンテストやアワードが、どのようにして始められたか?という話も必読ですが、わたしにとって最も興味深かったのは、戦前から戦争直後の先達が、機器の製作から法の整備まで苦心惨憺して “アマチュア無線の地位” を築き上げていった経緯でした。 平易になった資格試験と簡単に手に入る無線機の揃った今だからこそ、再び読み返してみる必要があるのではないでしょうか。
本書の底流には、「DX活動はミニ国際親善である」との著者の信念が強く存在します。 それを端的に述べた91ページの一節は、我意を得たりとばかり絶賛せずには居られません!
2008年7月24日に日本でレビュー済み
ノスタルジア大好きな私にとって,この本はかけがいのない本となり
ました。日本および世界のDX界の詳細な歴史と豊富な写真は
何度見ても飽きのこない充実した内容でした。またDX界の入
り口に入ったばかりの私のような若輩者にとても興味深い消滅
カントリーやプリフィックスの変遷の章は単にエンティティ紹
介にとどまらず各国の歴史を勉強できるすばらしい内容でした。
最後に私のような弱アンテナ・パワー局でもこのような本に勇
気付けながら末永くアマチュア無線およびDXを細々続けて行
くことができると確信したしだいです。
自信を持ってお勧めできます。
ました。日本および世界のDX界の詳細な歴史と豊富な写真は
何度見ても飽きのこない充実した内容でした。またDX界の入
り口に入ったばかりの私のような若輩者にとても興味深い消滅
カントリーやプリフィックスの変遷の章は単にエンティティ紹
介にとどまらず各国の歴史を勉強できるすばらしい内容でした。
最後に私のような弱アンテナ・パワー局でもこのような本に勇
気付けながら末永くアマチュア無線およびDXを細々続けて行
くことができると確信したしだいです。
自信を持ってお勧めできます。