写真史に残る名高い名作の数々が、スタジオでジオラマによって再現された。そして制作の裏側とともに、ふたたび一枚の写真となっていく。
この写真集を見るまで、私の中で考える写真とは、「真実を誠実に写すもの」という意識が強かった。
でも写真のおもしろさは、それだけではない。
写真は「真実」である。
写真は「何かを真実のように見せる」ことができる。
写真は「真実」であると同時に「嘘」でもある。
でも一体、その境界線とは何なのだろうか?
「この絵だ!」と感じてシャッターを押した瞬間に、もしかしたらそれは作られた事実(写真)として、残ってしまうのかもしれない。
たとえ自分が直接手を加えていなくとも。
入念に真実を作ることもできれば、期せずして嘘を作ってしまうこともできる。
写真のおもしろさとは、その両極端かのような二面性なのではないだろうか?(もちろん見る・撮る、どちらの立場からも)
「この写真は本物か?」という作者2人の問いを通して、名作を新たな眼で見る喜びがここにある。
考えるほどにはまり込んでしまう写真の魅力。写真好きはぜひ読んでほしい。
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DOUBLE TAKE −再現された世紀の一枚− 大型本 – 2018/4/20
ヨアキム・コーティス
(著),
エイドリアン・ゾンダーレッガー
(著)
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写真史に残る「世紀の瞬間」をジオラマで完全再現
写真の「真実」と「虚構」を問い直す、衝撃の作品集が誕生
アンリ・カルティエ=ブレッソンの「サン=ラザール駅裏」。
ロバート・キャパの「人民戦線兵士の死」。
ジョー・ローゼンタールの「硫黄島の星条旗」など……
写真史に残る名作の数々は、どのように生まれたのか?
二人のスイス人写真家が、歴史的な作品をジオラマで再構築。39枚の “メイキング"を通し、名作が生み出された「裏側」に迫る……。
さて、私たちが見てきた写真は本物か? この偶然の景色でさえ、実は作り出されたものかもしれない。
写真が持つ力を、いま新たな思考で問い直してゆく。
写真の「真実」と「虚構」を問い直す、衝撃の作品集が誕生
アンリ・カルティエ=ブレッソンの「サン=ラザール駅裏」。
ロバート・キャパの「人民戦線兵士の死」。
ジョー・ローゼンタールの「硫黄島の星条旗」など……
写真史に残る名作の数々は、どのように生まれたのか?
二人のスイス人写真家が、歴史的な作品をジオラマで再構築。39枚の “メイキング"を通し、名作が生み出された「裏側」に迫る……。
さて、私たちが見てきた写真は本物か? この偶然の景色でさえ、実は作り出されたものかもしれない。
写真が持つ力を、いま新たな思考で問い直してゆく。
- 本の長さ168ページ
- 言語日本語
- 出版社青幻舎
- 発売日2018/4/20
- ISBN-104861526558
- ISBN-13978-4861526558
商品の説明
出版社からのコメント
<推薦コメント>
世界最古の写真であるニエプスの「ル・グラの窓からの眺め」から、ロバート・キャパの「倒れる兵士」、ネス湖の恐竜、硫黄島の星条旗、アポロ11号の月面着陸のドキュメントまで、スイスの2人組の写真家たちが、写真の歴史に残る名作・傑作をジオラマで再現しようとした破天荒な試みである。写真好きはもちろんだが、そうでない人にとっても充分に楽しめる。この写真集をきっかけにして、ぜひ「写真の森のピクニック」に出かけてほしいものだ。
飯沢耕太郎(写真評論家)
世界最古の写真であるニエプスの「ル・グラの窓からの眺め」から、ロバート・キャパの「倒れる兵士」、ネス湖の恐竜、硫黄島の星条旗、アポロ11号の月面着陸のドキュメントまで、スイスの2人組の写真家たちが、写真の歴史に残る名作・傑作をジオラマで再現しようとした破天荒な試みである。写真好きはもちろんだが、そうでない人にとっても充分に楽しめる。この写真集をきっかけにして、ぜひ「写真の森のピクニック」に出かけてほしいものだ。
飯沢耕太郎(写真評論家)
内容(「BOOK」データベースより)
写真が切り取るのは「真実」か、「虚構」か?写真史に残る「世紀の瞬間」をジオラマで完全再現。キャパ、カルティエ=ブレッソン、アポロ11号の月面着陸、硫黄島の星条旗…スイス人写真家の二人組が仕掛ける39点の“メイキング”。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
コーティス,ヨアキム
フリーランス写真家、講師。1978年にドイツのアーヘンで生まれ、2001年からスイスのチューリッヒに住む。チューリッヒ芸術大学(ZHdK)で写真を学び、在学中、エイドリアン・ゾンダーレッガーと共同制作を始める。2006年に卒業し、フリーランスとして活動。2009年からZHdKでテクニカルアシスタントと講師を務めている
ゾンダーレッガー,エイドリアン
フリーランス写真家、講師。1980年にスイスのビューラハで生まれ、2001年からチューリッヒに住む。ZHdKで写真を学び、2006年に卒業。以後、フリーランスとして活動している。2007年から2011年までアーティスト、ジュール・スピナッチのアシスタントを務め、2010年から2011年までスクール・フォー・アート・アンド・デザイン・チューリッヒ(SKDZ)で講義を担当した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
フリーランス写真家、講師。1978年にドイツのアーヘンで生まれ、2001年からスイスのチューリッヒに住む。チューリッヒ芸術大学(ZHdK)で写真を学び、在学中、エイドリアン・ゾンダーレッガーと共同制作を始める。2006年に卒業し、フリーランスとして活動。2009年からZHdKでテクニカルアシスタントと講師を務めている
ゾンダーレッガー,エイドリアン
フリーランス写真家、講師。1980年にスイスのビューラハで生まれ、2001年からチューリッヒに住む。ZHdKで写真を学び、2006年に卒業。以後、フリーランスとして活動している。2007年から2011年までアーティスト、ジュール・スピナッチのアシスタントを務め、2010年から2011年までスクール・フォー・アート・アンド・デザイン・チューリッヒ(SKDZ)で講義を担当した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
- 出版社 : 青幻舎 (2018/4/20)
- 発売日 : 2018/4/20
- 言語 : 日本語
- 大型本 : 168ページ
- ISBN-10 : 4861526558
- ISBN-13 : 978-4861526558
- Amazon 売れ筋ランキング: - 787,280位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 2,902位写真家の本
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
5つ星のうち2.1
星5つ中の2.1
3 件のグローバル評価
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2018年5月18日に日本でレビュー済み
近現代史は写真の歴史でもある。そして、その写真史に燦然と輝く写真たちを、写真家の二人組がジオラマで再現するというのが本書のコンセプト。スタジオに建て込んだジオラマを、その「舞台裏」ごと画面におさめ、その写真が撮られた歴史的な背景事情を添えて紹介している。
なぜそんなことをするのか?それは序文にある通り、「すべての画像は作り物である」という宣言なのだろう。そうすると、画像によって語られてきた歴史だってある意味で「作り物」ということになる。
とはいえ、それによってメディアの虚偽を暴くような意図はない。彼らはブレッソンの決定的瞬間も、悲惨な航空事故写真も、ネッシーも、等価に「作り物」として再現する。再現されたジオラマは作り物でありつつも、圧倒的な実在感を伴う。それを写真に収めることで、またひとつレイヤーが追加される。良し悪しではなく、写真は作り物であることから逃れられない。ならば、その構造を織り込んで遊んでやろうというのが、写真史に対する彼らなりの真摯な向き合い方なのだろう。
この作品の虚実を論じようとすると、ただどこまでも入れ子構造に迷い込む。しかし、人は結局写真のそういうところが好きだから、なにやら語らずにはいられない。そしてなにより、こんな楽しい遊びを見つけた二人が羨まくて仕方ない。本当に厄介な悪戯である。
なぜそんなことをするのか?それは序文にある通り、「すべての画像は作り物である」という宣言なのだろう。そうすると、画像によって語られてきた歴史だってある意味で「作り物」ということになる。
とはいえ、それによってメディアの虚偽を暴くような意図はない。彼らはブレッソンの決定的瞬間も、悲惨な航空事故写真も、ネッシーも、等価に「作り物」として再現する。再現されたジオラマは作り物でありつつも、圧倒的な実在感を伴う。それを写真に収めることで、またひとつレイヤーが追加される。良し悪しではなく、写真は作り物であることから逃れられない。ならば、その構造を織り込んで遊んでやろうというのが、写真史に対する彼らなりの真摯な向き合い方なのだろう。
この作品の虚実を論じようとすると、ただどこまでも入れ子構造に迷い込む。しかし、人は結局写真のそういうところが好きだから、なにやら語らずにはいられない。そしてなにより、こんな楽しい遊びを見つけた二人が羨まくて仕方ない。本当に厄介な悪戯である。
