著書は社会学者でもなければ、哲学者でもない。
本のタイトル世代である1983年に生まれた一人であり、冒頭で断っているように誰もが入手可能な書籍や文献を元に年表形式でこの世代が生まれ、育ち、青春や社会人として過ごした凡そ30年という時間を振り返っていて内容はとてもよくまとめられている。
そのためこの本の中に明確な答えや新しい答えを求めるのであればこの本は退屈な一冊に成り下がる。
一方でこの本のタイトルである同世代から語られる彼らの育った環境は、確かに前後の世代と比して特にマスコミやメディアとの接し方や論じられ方が現在に至るメディアの変質の起点になり、異様だったとの指摘は実に的確だと思えた。
アメリカでも世代をカテゴリー化して呼ぶ文化があるが、アメリカではこの世代を「ジェネレーションY」または「New Lost Generation」と呼ぶ。冷戦〜ソ連崩壊、ITバブル勃興、911同時多発テロを幼い頃から観てきた世代。社会主義の崩壊を横目に、新しい資本主義、自由主義(新自由主義と作中では説明されている)、オバマ大統領の就任などを後押しした世代でもある。
しかし日本ではこの世代に確かに「団塊の世代」「ロスジェネ世代」「ゆとり世代」「さとり世代」のように定着した呼び方を持たない。
「キレる17歳」のように一括りにされるのは一時期だけで、まるで雲をつかむような時代の節目に彼らは生まれて育ち、社会への不満や閉塞感をなんとか打破しようと今でももがき続けている。
著者が指摘するように彼らの多くは未だ思春期にいるのかもしれない。
作中で紹介された言葉の中になるほどと頷いたのは「デジアナ世代」
これが明確な答えにはならないかもしれないが、彼らは確かにレコードやカセットテープからLD、CD、MD、DVD、MP3のようにアナログからデジタルへの変遷を見た最後の世代と言える。
また家庭用の固定電話が黒電話からプッシュ式に変わり、コードレスになり、携帯電話に変化した事によるコミュニケーションの変化にも多感な時代に触れた世代だ。
固定されたパソコンの中でインターネットに接続する、そしてそれがもたらしたネット文化の普及に青春時代を過ごしたものも多い。
彼らの世代が生きる時代は前後の世代と比べて決して平坦ではないが、時代の節目に生きる彼らが現在は30代半ばとなり、豊かだった親世代が引退をして、崩壊しかけている社会のツケを払う形になるのは何とも皮肉めいているが、そこには前例のない、ゼロからイチを生み出す可能性が大いにある挑戦の世代なのではないかと思った。
私自身は1980年生まれだが、高校・大学で留年・浪人したので彼らと高校以降は共に過ごしてきた。この世代の抱える闇というよりも靄のようなものが理解でき、方向性に気づけたのは本書との出会いのお陰だと思う。
この世代と接する会社の上司や親世代、また前後の世代にも触れて決して無駄になる内容ではない良書だと思う。
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1982 単行本 – 2016/4/20
「少年A」、「ネオむぎ茶」、加藤智大、片山祐輔、そして小保方晴子――。
ロスジェネ世代とゆとり世代に挟まれた、1982年前後生まれの彼らの世代には、しかし名前がない。
『絶歌』(元少年A)や『あの日』(小保方晴子)で再び注目を集める彼ら「名前のない世代」たちに、
時代が名前を付け損なったのはなぜなのか?
彼らと、彼らが生きてきた昭和から平成にまたがる激変の時代を、自らも世代の当事者である著者が鮮やかに描ききる!
なぜ「彼ら」は違うのか。はじめて教えられた。自己露出のない、透明人間めいた語り口が、新しい。――加藤典洋
ロスジェネ世代とゆとり世代に挟まれた、1982年前後生まれの彼らの世代には、しかし名前がない。
『絶歌』(元少年A)や『あの日』(小保方晴子)で再び注目を集める彼ら「名前のない世代」たちに、
時代が名前を付け損なったのはなぜなのか?
彼らと、彼らが生きてきた昭和から平成にまたがる激変の時代を、自らも世代の当事者である著者が鮮やかに描ききる!
なぜ「彼ら」は違うのか。はじめて教えられた。自己露出のない、透明人間めいた語り口が、新しい。――加藤典洋
- 本の長さ189ページ
- 言語日本語
- 出版社宝島社
- 発売日2016/4/20
- ISBN-104800254507
- ISBN-13978-4800254504
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
少年A、ネオむぎ茶、加藤智大、片山祐輔、小保方晴子―。社会から名前をもらえなかった世代とは何であるのか?この30年間とは何だったのか?同世代の著者が克明に描く、世代論の最終形!
著者について
佐藤 喬 (さとう たかし) プロフィール
1983年生まれ。フリーランスの編集者・ライター。著書に『エスケープ』(辰巳出版)。
1983年生まれ。フリーランスの編集者・ライター。著書に『エスケープ』(辰巳出版)。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
佐藤/喬
1983年生まれ。フリーランスの編集者・ライター(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1983年生まれ。フリーランスの編集者・ライター(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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登録情報
- 出版社 : 宝島社 (2016/4/20)
- 発売日 : 2016/4/20
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 189ページ
- ISBN-10 : 4800254507
- ISBN-13 : 978-4800254504
- Amazon 売れ筋ランキング: - 571,017位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 3,748位社会一般関連書籍
- - 22,154位社会学概論
- - 58,209位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
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2018年1月5日に日本でレビュー済み
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Amazonで購入
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2016年7月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
1982年生まれで、正にタイトルの世代であったこともあり、読んでみました。先にレビューを書かれている方が、「1500円無駄にした」と書かれていたため、中古にて購入しましたが、中古購入で正解でした。
感想は、タイトルどおり「退屈」の一言。1982年前後生まれの世代を、「名前のない世代」として、その世代の特徴を捕まえるために年表形式で文章は進んで行きますが、これがただ、その世代生まれで有名だった犯罪者達が何をしていたかなど、人物年表と化しており、途中で飽き飽きしてきます。ページをめくってもめくっても注釈と引用の嵐。著者の言いたいことは何なのか、ようやく出てきても、主張しているようで主張していないようで、なんとも宙ぶらりんな歯切れの悪い表現。これほどまでに一冊を読むのに退屈だった本は久しぶりです。
とどめに、最後の最後で、この世代がネットの匿名性に甘んじ、その中の特異者が犯罪者となり、社会にナイフで訴えた一方で、一回り下の世代はSEALDsのように、ネットで堂々と顔を出し、社会に言葉で訴えた世代になっていると評価するという何とも意味不明な賛美。あまりに主張も論点もぼんやりしているため、結局、最後のこの部分を主張したかっただけでは?と疑ってしまいます。どうせ何かを公に向かって主張するのなら、「この世代はネットの匿名性に溺れた、戦後最悪の陰湿世代」とかパンチのある表現が欲しかった。その方が、まだ腹は立つかもしれないが、一つの問題提起として面白味も出たと思う。それができないなら、大槻ケンヂのエッセイのように、「おまいら、どうせカジノコインを4Gで買ってたんだろww」とかネットスラングを使用して、面白おかしくあの時代を振り返るぐらいの軽い読み物にした方がまだ良かったと思います。
感想は、タイトルどおり「退屈」の一言。1982年前後生まれの世代を、「名前のない世代」として、その世代の特徴を捕まえるために年表形式で文章は進んで行きますが、これがただ、その世代生まれで有名だった犯罪者達が何をしていたかなど、人物年表と化しており、途中で飽き飽きしてきます。ページをめくってもめくっても注釈と引用の嵐。著者の言いたいことは何なのか、ようやく出てきても、主張しているようで主張していないようで、なんとも宙ぶらりんな歯切れの悪い表現。これほどまでに一冊を読むのに退屈だった本は久しぶりです。
とどめに、最後の最後で、この世代がネットの匿名性に甘んじ、その中の特異者が犯罪者となり、社会にナイフで訴えた一方で、一回り下の世代はSEALDsのように、ネットで堂々と顔を出し、社会に言葉で訴えた世代になっていると評価するという何とも意味不明な賛美。あまりに主張も論点もぼんやりしているため、結局、最後のこの部分を主張したかっただけでは?と疑ってしまいます。どうせ何かを公に向かって主張するのなら、「この世代はネットの匿名性に溺れた、戦後最悪の陰湿世代」とかパンチのある表現が欲しかった。その方が、まだ腹は立つかもしれないが、一つの問題提起として面白味も出たと思う。それができないなら、大槻ケンヂのエッセイのように、「おまいら、どうせカジノコインを4Gで買ってたんだろww」とかネットスラングを使用して、面白おかしくあの時代を振り返るぐらいの軽い読み物にした方がまだ良かったと思います。
2016年6月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
娘が1982年生まれだったので表題に興味を持ちました。著者が著者自身と同世代を語る内容なので客観的な表現と自分自身の言葉が微妙に重なった文体を興味深く読みました。世代論にはしたくないが世代論。名をつけられない世代だが名はほしい。と著者の気分が揺れているのが文体から伝わってきます。本書は幼年期、少年期、青年期、そして現在の大人を生きる著者と同世代の人生の時期の事件を時系列で追っています。丁度この1982年からの時間はこの年代を育ててきた私にとっては仕事と子育ての両立に四苦八苦していた時間と重なります。社会で何が起こっていたか大きな事件の記憶は強く残っていても振り返えって考えることなくきましたのでこの本は子供達を取り巻いていた社会の流れや空気感を考えるきっかけになりました。「深読みされる世代」・「危機が古典を求める。」などの表現は新鮮です。
この年代の人たちは今職場では責任が重くなり、家庭をもち子育ても始まる時期に差し掛かっています。職場で家庭で支える立場の60代としては一番理解したい人たちです。大きな事件を起こした人たちの背景に言及するだけでなくこの世代が多様な生き方を模索し始めた最初の世代だという見方を感じることができました。
この年代の人たちは今職場では責任が重くなり、家庭をもち子育ても始まる時期に差し掛かっています。職場で家庭で支える立場の60代としては一番理解したい人たちです。大きな事件を起こした人たちの背景に言及するだけでなくこの世代が多様な生き方を模索し始めた最初の世代だという見方を感じることができました。
2016年8月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
1983年生まれです。
酒鬼薔薇事件以降、
以後犯罪モノに興味を持っていたのですが、
この本を読んで、
酒鬼薔薇から受けた影響は、
共感でなく、
自分達の世代が、はじめて主人公になったからだった……ってことによるものだと気付けました。
当時の子供がはじめて騒がれ議論の対象になった事件。
そりゃあ、当時の子供的には、盛り上がるわ。
少年Aをヒーロー化、神格化したくもなるわ。
だって、当時の14歳にはじめてスポットライトあててくれた人なんだもん。
なんかすごく納得しました。
酒鬼薔薇事件以降、
以後犯罪モノに興味を持っていたのですが、
この本を読んで、
酒鬼薔薇から受けた影響は、
共感でなく、
自分達の世代が、はじめて主人公になったからだった……ってことによるものだと気付けました。
当時の子供がはじめて騒がれ議論の対象になった事件。
そりゃあ、当時の子供的には、盛り上がるわ。
少年Aをヒーロー化、神格化したくもなるわ。
だって、当時の14歳にはじめてスポットライトあててくれた人なんだもん。
なんかすごく納得しました。
2016年6月5日に日本でレビュー済み
結論から言うと、1500円を無駄にしました。
本書では、佐藤氏の一番伝えたいことは2種類あり、交互に文章の節々に表現され、時には交わり合います。
伝えたいことのひとつは「この世代(1980年代)がいかにして生まれたか。そしていつ"社会”に現れたか」です。
そしてもう一つは「ゲーム、そして漫画、アニメ、ネットは日本のその世代に少なからず影響を与えた」です。
前者は本書のタイトルにもある通りで、シンプルに淡々とその時代背景を語ります。
問題は後者で、あまりにも幼稚で、短絡的な考え方に思わずため息が出ました。
淡々とその世代が起こした事件や、問題について語った後、とってつけたように、ゲームや漫画、インターネットの問題が論理付けがされます。
ご丁寧に各文末には毎度言葉を変え「インターネットや、ゲーム等の影響の話をしたいわけじゃないけどね」とつけられ、'じゃあ今まで話した内容はなんだったんだよ。'と読者を翻弄します。
100ページを超えたところで、不器用なつなぎとともに「ネット右翼」についての議題を持ち立ち、インターネットが右傾化の一翼を担っている。
と第三者の発言を交えながら突然に作者の主観に話がすり変わります。
終盤にはインターネットに傾倒する人間を”精神疾患"扱いするなど、見るに堪えない人形劇です。
名前のない世代というレイヤーに包括された作者の思惑は隠しきれず、幼稚な論理と客観視できる自己に酔いしれる愚かな一作と言えるでしょう。
私の意見としては左も右もそれぞれの意見があるので、もしも世代を語るのであれば、淡々と事実+両翼の主張を共存させてほしかったです。
そうでなければ、まるで作者の言うこの世代はインターネットとポルノと暴力、貧困と没落にまみれたネットによって作り出された右翼主義の塊と解釈されてしまいます。
ハードカバーで1500円前後なので、この程度の内容であればギリギリ許容範囲ではあります。
現在(2016年6月)は中古価格もそこそこですが、佐藤氏の語る"社会"が適切な評価を下し"ネット"が妥当な価格帯に最適化してくれるでしょう。
余談ではありますが120ページ辺りに誤植があります。
初版だったのでよくあることとは思いますが、内容が内容ということもあり、本棚の横積みタワーへの移住は避けられません。
本書では、佐藤氏の一番伝えたいことは2種類あり、交互に文章の節々に表現され、時には交わり合います。
伝えたいことのひとつは「この世代(1980年代)がいかにして生まれたか。そしていつ"社会”に現れたか」です。
そしてもう一つは「ゲーム、そして漫画、アニメ、ネットは日本のその世代に少なからず影響を与えた」です。
前者は本書のタイトルにもある通りで、シンプルに淡々とその時代背景を語ります。
問題は後者で、あまりにも幼稚で、短絡的な考え方に思わずため息が出ました。
淡々とその世代が起こした事件や、問題について語った後、とってつけたように、ゲームや漫画、インターネットの問題が論理付けがされます。
ご丁寧に各文末には毎度言葉を変え「インターネットや、ゲーム等の影響の話をしたいわけじゃないけどね」とつけられ、'じゃあ今まで話した内容はなんだったんだよ。'と読者を翻弄します。
100ページを超えたところで、不器用なつなぎとともに「ネット右翼」についての議題を持ち立ち、インターネットが右傾化の一翼を担っている。
と第三者の発言を交えながら突然に作者の主観に話がすり変わります。
終盤にはインターネットに傾倒する人間を”精神疾患"扱いするなど、見るに堪えない人形劇です。
名前のない世代というレイヤーに包括された作者の思惑は隠しきれず、幼稚な論理と客観視できる自己に酔いしれる愚かな一作と言えるでしょう。
私の意見としては左も右もそれぞれの意見があるので、もしも世代を語るのであれば、淡々と事実+両翼の主張を共存させてほしかったです。
そうでなければ、まるで作者の言うこの世代はインターネットとポルノと暴力、貧困と没落にまみれたネットによって作り出された右翼主義の塊と解釈されてしまいます。
ハードカバーで1500円前後なので、この程度の内容であればギリギリ許容範囲ではあります。
現在(2016年6月)は中古価格もそこそこですが、佐藤氏の語る"社会"が適切な評価を下し"ネット"が妥当な価格帯に最適化してくれるでしょう。
余談ではありますが120ページ辺りに誤植があります。
初版だったのでよくあることとは思いますが、内容が内容ということもあり、本棚の横積みタワーへの移住は避けられません。