読んでいると、平易な言葉にもかかわらず、何のことかすぐにはわからない言葉が出てきます。
たとえば「感情の奴隷」。相手を気遣うばかりに自分の気持ちを押し殺していませんか? その「相手の気持ち」とはただの自分勝手な憶測で決めつけているだけなのに。コレ、若いときにエライ悩んだモヤモヤを一刀両断。即、自分に奴隷解放宣言しました。
あるいは「自分の感情の責任を持つ」とは? これも読み進めていくうちに、自分の心の奥深くにある望みが何なのか探るということだとわかりました。
この本は夫婦、親子、仕事場、国家間まで、対立する人間がどうお互いの気持ちを表現し、お互い自分の本当に望んでいることを相手に伝えることができるかということ、妥協ではなく共感を持ってお互いを尊重しあう紛争解決の方法について説いています。
ただ、本文と対話部分の文体をわざと違えて書いてあり、対話の文章は直訳っぽくて、実際の日本語の会話にはなじみにくいです。それは、この考え方は英語をベースに考えられているからだと思います。「わたしは」とか「あなたは」とか、主語をはっきり言わない日本語とこの考え方はそもそもののところでかなり異なっています。それで違和感を感じてしまう人もいるかもしれません。わたしたちが住んでいる「相手を慮る」忖度社会は、そもそもこの考え方と相反しているんじゃないか。
でもさ、それが息苦しいから、この本を手にとったんじゃないか。考え方も文化の背景も異なる人とどうやって(我慢しないで)一緒に生きていくことができるかということがこの本のテーマだし、だから読み始めたんじゃないの?と、そこで読むスピードが落ちた人に言いたいです。この「文法」がとても大事だから、直訳にしてあるんだと途中でわかりました。(でも、やっぱり、これを日本語で、たとえば関西弁で言ってみたらどうなるんだろう、と自分の頭のなかで翻訳してみる)
どうしてわたしのことをわかってくれないのか、と思うあなた自身がそもそも自分の本当に欲していることを知らない、心にフタをしてしまっている。そのフタをとる方法は、簡単ではなく、まるで修行するみたいな訓練と忍耐が必要でしょう。でも、「感情の奴隷」という今まで名付けらなかった心の鎖に名前をつけることができて、本当にスッとしました。
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