スタッフロールだと「職業・殺し屋。」は原案という事になっていましたので、それを免罪符に好き勝手にやったのか、原作である職コロへのリスペクトがまるで感じられない内容でした。原作ファンからすればそれだけで不愉快な気持ちになります。
原作の「職業・殺し屋。」から拝借してきたキャラクターへの設定改変は「現実的な存在に変えた」と好意的にとらえて目を瞑る事ができるとしても、
(ただ、'死織'の設定がガッツリ改変されていて徒手空拳で戦う殺し屋として登場しているところは、素直に'死条誠'でやれば原作に忠実なキャラのままでいけたのでは?とは流石に思いましたが)
・主人公'KIRI'は「職業・殺し屋。」に所属している殺し屋ではなく、別の組織に所属する殺し屋。(作中では’兵士’とか呼称されていましたが、やっていることは普通に暗殺者・殺し屋の類です。)
・組織としての「職業・殺し屋。」よりも、'KIRI'が所属している組織の方が強さ的な意味で”上位”の存在だと思わせる描写。
・外部の存在である'KIRI'が「職業・殺し屋。」の殺し屋に対してどういう感情を抱くかどう思うか、といった描写は何もない。
・そもそもストーリー展開に「職業・殺し屋。」は何の関係・関連というか必要性自体もない。(せいぜい主人公の敵が「職コロ」を利用した程度。)
・原作主人公’蜘蛛’と映画主人公'KIRI'とのバトルでは、いきなり’蜘蛛’が腹を刺される。(穿った見方ですが「もしも万全な状態の'KIRI'だったら原作主人公なんざ瞬殺してましたよ」という事を見せつけたかったのでは?ともすら思えました。)
といった具合に「職業・殺し屋。」の世界で『ぼくがつくったさいきょうのキャラクター、しゅじんこうよりつよいよ』的な映画制作側の妄想を見せつけられる内容でして、全くの別作品として企画した映画に「職業・殺し屋。」の要素をとってつけたような感じです。
蛇足ですが映画をみた後の感想として、原作を知らない人がこの映画をみた場合『映画のタイトルは「殺し屋の仕事で日々戦う美女'KIRI'が、殺し屋としてではない別の理由で戦う外伝ストーリー」という意味なのだろう。』と勘違いするのでは?ということを思いました。