宗教に詳しくはないのだけど、チベット仏教という言葉の響きから来る神秘さには、以前から魅かれていた。今回の著書「鳥の仏教」は、初めて紹介された仏教経典でもある(平成2年11月初出)。
この書は2つの話から構成されている。一つは『鳥のダルマの素晴らしい花環』というタイトルで、カッコウがほかの鳥たちに教えを説く話。もうひとつが、『人間圏の仏教から生命圏の仏教へ』というもの。後者は、日本に初めて紹介される前者の経典の周辺環境を、アニミズムを絡ませながら解説したものである。
後者の文章の中にこんな一節がある。
動物たちの行動を注意深く観察していた古代の人々は、動物たちの中に人間とは異なっているが、自然の中で間違いない働きを見せる高度な『理性』の働きを見いだしてきた。(中略)動物には人間と同じように心があり、その心にはしばしば人間を凌駕する特性が宿っている。
これがアニミズムの発想の原点であろうと思われるが、神話の世界にはこの考えをもっと進めて、「人間対自然」以前の人間も自然と同格だとの視点での物語が繰り広げられる。前者の『鳥のダルマの素晴らしい花環』はそんなアニミズムを根底に、仏教の教えが繰り広げられている。民間に伝わっていたというだけあって、とてもわかりやすい親しみやすい文章となっている。この文章を読んで私たちは、「チベットではこういう物語で仏教が広まっていたのか」という第三者的な鑑賞もできよう。しかし、アニミズムにもとづく物語というワードならば日本にも昔からあったことに気付くのはたやすい。桃太郎の家来たち、金太郎の相撲の相手。例を上げれば枚挙に暇はない。最近では、宮崎駿のアニメはどれもアニミズムが根底にあると言っていいのではないか。宗教の絡んでいる日本のアニミズム的物語が容易に思い浮かばないが、それは日本の戦後教育のせいか、文化的な背景があるのかはわからない。
閑話休題
ダルマとは、「宇宙と法の秩序」のことである。つまりは私たちを取り巻く、変えようにも変えることのできない秩序である。このダルマに従うしかないのだから、現世での執着は全て捨てなさいという。地位、名誉、財産、友人…。
執着しない気持ちが大切なことは分かるのだけど、実践となるとさすがにむずかしい。
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