第四章は読む価値がある。「競走馬って、引退したあとどうなるの?」が、具体的に説明されている。
他の章はノンフィクションにありがちな構成で、凡庸な内容。
馬喰 (日本語) 単行本 – 2013/12/17
松林 要樹
(著)
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本の長さ228ページ
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言語日本語
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出版社河出書房新社
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発売日2013/12/17
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ISBN-104309022421
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ISBN-13978-4309022420
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
原発という国策に踏みにじられ、逃げ惑うことになった馬たち。食用として奪う命と、餓死させてしまった命。私は「食って供養する」ことに無自覚だった―。国策に踏みにじられた馬たちの叫び。
著者について
1979年福岡県生まれ。映画監督。東京の三畳一間を拠点にアジア各地の映像取材をして糊口をしのぐ。作品に『花と兵隊』、『相馬看花』、『311』(共同監督)などがある。2013年12月に『祭の馬』が公開。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
松林/要樹
1979年福岡県生まれ。福岡大学中退後、日本映画学校(現・日本映画大学)へ。卒業後、映像ジャーナリスト遠藤盛章のアシスタントを経て、東京の三畳一間を拠点にアジア各地の映像取材をして糊口をしのぐ。2009年に戦後、タイやビルマ国境付近に残った未帰還兵を追ったドキュメンタリー映画『花と兵隊』を発表、第1回田原総一朗ノンフィクション賞奨励賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1979年福岡県生まれ。福岡大学中退後、日本映画学校(現・日本映画大学)へ。卒業後、映像ジャーナリスト遠藤盛章のアシスタントを経て、東京の三畳一間を拠点にアジア各地の映像取材をして糊口をしのぐ。2009年に戦後、タイやビルマ国境付近に残った未帰還兵を追ったドキュメンタリー映画『花と兵隊』を発表、第1回田原総一朗ノンフィクション賞奨励賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
- 出版社 : 河出書房新社 (2013/12/17)
- 発売日 : 2013/12/17
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 228ページ
- ISBN-10 : 4309022421
- ISBN-13 : 978-4309022420
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Amazon 売れ筋ランキング:
- 335,625位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 33,023位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2014年2月21日に日本でレビュー済み
タイトルの「馬喰」とは、博労が一般的で、伯楽とも書くそうである。元は、馬の良し悪しを見分ける人のことだが、現在では馬の売買や仲介をする人たちを示す言葉である。
全体の4分の3は、福島県相馬地方の馬の話である。ドキュメンタリー映画を撮っている著者は、原発事故後の福島県に取材に入り、放射能に汚染されたとして、食肉の価値すら否定された馬たちに出会う。その馬、そして彼らを飼育する人々に取材を重ねながら、馬と人間の関係、さらには人と人との関係などを描いている。
相馬の馬は、食用だけでなく、「相馬野馬追」という祭事のために飼われている馬もいる。勇壮で野趣あふれる祭のようだが、原発事故後の祭に降りかかった難事とともに、そこに参加する人たちの思惑、プライド、嫉妬などが丁寧に辿られる。地方の結びつきとしての祭事が大切なことは分かるが、どこか、本来の祭事の意味合いからずれていっており、何とも言いようがない(ほかの地方の祭事についても、同じような“根”を持つ問題を聞いたことがある)。
そして、九州の屠場を訪れ、そこにある人間と馬との関係に触れ、「食って供養すること」を知る。
さらには、取材先の縁故から、ブラジルに渡り、そこで日本とは違う形で人間と接する馬にも出会っている。
書名に博労ではなく「馬喰」が使われたのは、馬刺しとして人間に「喰われる」ことがあるのはもちろんだが、それ以上に現在の日本における馬が持つ意味についての著者のメッセージであろう。
全体として、やりきれない気持ちになることが多いのだが、それでも取材過程で厩舎に入り世話をした馬たちが、著者が後に訪れたときも、そのことを覚えていて、寄ってくる部分には、何かしら救われる思いがする。
そして、末尾に、2013年11月26日の日付入りで書き加えられた4行も深い部分で「喰」という字と関わっている気がしてならない。
全体の4分の3は、福島県相馬地方の馬の話である。ドキュメンタリー映画を撮っている著者は、原発事故後の福島県に取材に入り、放射能に汚染されたとして、食肉の価値すら否定された馬たちに出会う。その馬、そして彼らを飼育する人々に取材を重ねながら、馬と人間の関係、さらには人と人との関係などを描いている。
相馬の馬は、食用だけでなく、「相馬野馬追」という祭事のために飼われている馬もいる。勇壮で野趣あふれる祭のようだが、原発事故後の祭に降りかかった難事とともに、そこに参加する人たちの思惑、プライド、嫉妬などが丁寧に辿られる。地方の結びつきとしての祭事が大切なことは分かるが、どこか、本来の祭事の意味合いからずれていっており、何とも言いようがない(ほかの地方の祭事についても、同じような“根”を持つ問題を聞いたことがある)。
そして、九州の屠場を訪れ、そこにある人間と馬との関係に触れ、「食って供養すること」を知る。
さらには、取材先の縁故から、ブラジルに渡り、そこで日本とは違う形で人間と接する馬にも出会っている。
書名に博労ではなく「馬喰」が使われたのは、馬刺しとして人間に「喰われる」ことがあるのはもちろんだが、それ以上に現在の日本における馬が持つ意味についての著者のメッセージであろう。
全体として、やりきれない気持ちになることが多いのだが、それでも取材過程で厩舎に入り世話をした馬たちが、著者が後に訪れたときも、そのことを覚えていて、寄ってくる部分には、何かしら救われる思いがする。
そして、末尾に、2013年11月26日の日付入りで書き加えられた4行も深い部分で「喰」という字と関わっている気がしてならない。