「史上最強の哲学入門」も哲学の勉強を始めるのにオススメの本ですが、本書のテーマであるニーチェは、哲学入門の鉄板ネタというだけあって、とても引き込まれてしまいました。
社会、世間が作った架空の価値観に惑わされることなく、「今この瞬間」を肯定して生きていくことが大切だと学びました。
【人間は誰しも「力への意志(より優れたものを目指したいという想い)」を持っており、それを芸術に昇華させることが「幸運」にいたる道である】
という言葉も、グッときました。今に満足してしまう部分もありますが、上を目指すのは自然なことなようです。
いい勉強になりました。
飲茶の「最強! 」のニーチェ (日本語) 単行本 – 2017/11/30
飲茶
(著)
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本の長さ256ページ
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言語日本語
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出版社水王舎
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発売日2017/11/30
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寸法18.8 x 12.8 x 2.5 cm
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ISBN-104864700915
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ISBN-13978-4864700917
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
対話形式&1コママンガでいちばんわかりやすいニーチェ入門書の決定版!明日役立つ哲学がこの一冊に。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
飲茶
東北大学大学院修了。哲学作家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
東北大学大学院修了。哲学作家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
- 出版社 : 水王舎 (2017/11/30)
- 発売日 : 2017/11/30
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 256ページ
- ISBN-10 : 4864700915
- ISBN-13 : 978-4864700917
- 寸法 : 18.8 x 12.8 x 2.5 cm
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Amazon 売れ筋ランキング:
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2019年1月2日に日本でレビュー済み
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10人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2020年9月15日に日本でレビュー済み
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ニーチェをもう少し知りたいと思って、CDのオーディオブックを買いましたががっかりです。
軽薄な女性と飲茶先生の問答形式になっていて、その女性が小学生の子供レベルです。
一体この本のターゲットは子供なのでしょうか?
子供にわからせる余計な話に悪乗りが重なって、ニーチェについて何を語ろうとしているのかさっぱりわかりません。
しかもナレーションに余計な演出が入るので、気が散って仕方がありません。
ニーチェにフォーカスできないのです。
オーディオブックの企画としては失敗でしょうね。
飲茶さんの本は「史上最強の哲学入門東洋の哲人たち」が面白くて、結構深いところまでわかっているので驚きました。
般若心経の解説などは巷の解説書より面白かったです。
次に読んだ「史上最強の哲学入門」は、西洋哲学自体がつまらないという印象しか残りませんでした。
この本でもニーチェはつまらないという印象しか残っていません。
ところがYouTubeで「ツァラトストラはかく語りき」を見てみたら、面白いばかりかニーチェはすごい!じゃないですか。
「神は死んだ」も「超人」も「永劫回帰」も、表現こそ極端ですが真理と矛盾しません。
YouTubeとだいぶ印象が違うので別の本も読んでみようと思います。
やはり「アキコちゃん」は失敗でしょうかね。
軽薄な女性と飲茶先生の問答形式になっていて、その女性が小学生の子供レベルです。
一体この本のターゲットは子供なのでしょうか?
子供にわからせる余計な話に悪乗りが重なって、ニーチェについて何を語ろうとしているのかさっぱりわかりません。
しかもナレーションに余計な演出が入るので、気が散って仕方がありません。
ニーチェにフォーカスできないのです。
オーディオブックの企画としては失敗でしょうね。
飲茶さんの本は「史上最強の哲学入門東洋の哲人たち」が面白くて、結構深いところまでわかっているので驚きました。
般若心経の解説などは巷の解説書より面白かったです。
次に読んだ「史上最強の哲学入門」は、西洋哲学自体がつまらないという印象しか残りませんでした。
この本でもニーチェはつまらないという印象しか残っていません。
ところがYouTubeで「ツァラトストラはかく語りき」を見てみたら、面白いばかりかニーチェはすごい!じゃないですか。
「神は死んだ」も「超人」も「永劫回帰」も、表現こそ極端ですが真理と矛盾しません。
YouTubeとだいぶ印象が違うので別の本も読んでみようと思います。
やはり「アキコちゃん」は失敗でしょうかね。
2019年3月21日に日本でレビュー済み
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対話形式で言いたいポイント(神は死んだ,永劫回帰,力への意志...etc)がはっきりと伝わってきた。
哲学を専門にやっている人からすれば,安易な表現のせいでニーチェの言いたいことが正確に伝わってないだろ,とクレームをつけるかもしれないが,もし入門者にいきなり『善悪の彼岸』やら『ツァラトゥストラ』と読ませても何も理解できず,哲学嫌いになるだけだろう。本書は”哲学入門者”,”哲学の本読んだけどチンプンカンプン”という読者を対象としている。
哲学を専門にやっている人からすれば,安易な表現のせいでニーチェの言いたいことが正確に伝わってないだろ,とクレームをつけるかもしれないが,もし入門者にいきなり『善悪の彼岸』やら『ツァラトゥストラ』と読ませても何も理解できず,哲学嫌いになるだけだろう。本書は”哲学入門者”,”哲学の本読んだけどチンプンカンプン”という読者を対象としている。
2020年12月22日に日本でレビュー済み
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ニーチェによれば、人は社会から与えられた価値観の中で生きていて、その価値観と現実とのギャップに苦しんでいるのだという。
例えば養鶏場のニワトリには、次の価値観が与えられているとする。
1.たくさんタマゴを産むのが良い
2.動けないくらい太るのが良い
3.鳴かずに静かに生きるのが良い
いずれも養鶏場にとって良いとする価値基準であるが、果たしてニワトリ本来の自然な欲求だろうか。
またニワトリ自身が、「タマゴを産めない自分」や「太れない自分」に悩むことは適切だろうか。
私たちも、社会からおよそ次の価値観が与えられている。
1.正社員で働くのが良い
2.結婚するのが良い
3.子どもを持つのが良い
いずれも社会にとって良いとする価値基準であるが、果たして私たち本来の自然な欲求だろうか。
また私たち自身が、「結婚できない自分」や「子どもを持てない自分」に悩むことは適切だろうか。
ニーチェは「どこかの誰かが考えた架空の価値観に苦しむ必要などない」と喝破する。
続けて「生物本来の自然な欲求(より強く成長したいという思い)を芸術に昇華させよ」と主張する。
しかし実際問題として、架空の価値観であってもそれが現実に作用している以上、無視して生きることは難しいように思える。
また仮に「結婚せず子どもを持たず、一生独身で気ままに生きるのが良い」という価値観を選択しても、それは単にマイナーな架空の価値観を選んだにすぎないのではないか。
そんな風に考えると、どのようにしても架空の価値観から逃れられない。
だから架空の価値観(目標)は幻想であると意識しつつ、実現のために努力する。
努力が実らず実現できなかったとしても、そもそも幻想なのだから苦しむ必要もない。
これが架空の価値観との上手な付き合い方ではなかろうか。
そんなことを考えさせられる一冊だった。
例えば養鶏場のニワトリには、次の価値観が与えられているとする。
1.たくさんタマゴを産むのが良い
2.動けないくらい太るのが良い
3.鳴かずに静かに生きるのが良い
いずれも養鶏場にとって良いとする価値基準であるが、果たしてニワトリ本来の自然な欲求だろうか。
またニワトリ自身が、「タマゴを産めない自分」や「太れない自分」に悩むことは適切だろうか。
私たちも、社会からおよそ次の価値観が与えられている。
1.正社員で働くのが良い
2.結婚するのが良い
3.子どもを持つのが良い
いずれも社会にとって良いとする価値基準であるが、果たして私たち本来の自然な欲求だろうか。
また私たち自身が、「結婚できない自分」や「子どもを持てない自分」に悩むことは適切だろうか。
ニーチェは「どこかの誰かが考えた架空の価値観に苦しむ必要などない」と喝破する。
続けて「生物本来の自然な欲求(より強く成長したいという思い)を芸術に昇華させよ」と主張する。
しかし実際問題として、架空の価値観であってもそれが現実に作用している以上、無視して生きることは難しいように思える。
また仮に「結婚せず子どもを持たず、一生独身で気ままに生きるのが良い」という価値観を選択しても、それは単にマイナーな架空の価値観を選んだにすぎないのではないか。
そんな風に考えると、どのようにしても架空の価値観から逃れられない。
だから架空の価値観(目標)は幻想であると意識しつつ、実現のために努力する。
努力が実らず実現できなかったとしても、そもそも幻想なのだから苦しむ必要もない。
これが架空の価値観との上手な付き合い方ではなかろうか。
そんなことを考えさせられる一冊だった。
ベスト500レビュアーVINEメンバー
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手に取ってみてよかったと思えた一冊。ニーチェの著作を読みたいと思い、肩慣らしというか本番前のウォームアップ、ないしは本チャンへの橋渡しとして一読。これまで俗流的にしか理解していなかったニーチェ哲学の基本概念である「奴隷道徳」や「永劫回帰」、「超人」などについて、まずは簡潔にして明快な捉え方を理解。特に、最後の第五章は、著者自身がなぜニーチェを学び始めたのかを自らの原体験を軸に説明する構成となっており、心に響くとともに、ニーチェ哲学のもつ起爆力に気づかされましたね。
「黒哲学(実存哲学)は、「本質についてばかり考える既存の哲学(白哲学)」を批判するために生み出された反逆の学問である」(41頁)。
「人間は実存(現実の存在)であり、生まれながらの「生きる意味」など持っていないが、すべてに意味(価値)がないとしてしまうと、人間は「ニヒリズム(虚無主義)に陥って「生の高揚(充実感)」を失ってしまう」(71頁、背後世界=社会から押し付けられた常識とか価値観、末人=忙しく働いて暇を潰すだけの人間)。
「神は死んだ。神は死んだままだ。そして我々が神を殺したのだ」(66頁、ニーチェの言葉、神を信じられなくなった=人間に生きる意味を与えるような絶対的な価値観は、遅かれ早かれ、いつか壊れるということ)
「たとえば、ユダヤ教の聖典である「旧約聖書」をみても、最初の頃は、とても怒りっぽくて復讐する神さまだったけど、時代が新しいページになるにつれて、「神の名のもとに苦しみを受け入れましょう」という受苦の神さまに変わっていく。・・・ 彼らは「現実世界での復讐」を諦めて、「空想上の世界での復讐」で憂さ晴らしをするようになったんだ。それはたとえば、こんなふうに。「ああ、自分たちを迫害している人々は、なんて暴力的で醜い人間なのだろう。かわいそうに、きっと死後、天罰が下りますね(笑)。それに比べて自分たちは、なんて無害でつつましい人間なのだろう。きっと死後、神さまにほめられて天国に導かれますね(笑)」・・・ ともかく、そんなユダヤ教の「受苦の教え(設定変更)」を引き継いで、キリスト教が誕生する」(86~89頁、道徳はルサンチマンから生じた歪んだものということだが(酸っぱい葡萄=自分をごまかすのではなく、もっと高く飛び上がろうと前向きに努力するというのが本筋のはず)、こうした苦難の神義論とその後の『プロ倫』における議論との類縁性は興味深い)。
「奴隷にされている弱い民族がいた。その民族は弱いため、強いものに復讐できなかった。そこでその弱い民族は、空想上で復讐を果たすため「強いのが悪い、弱いのが善い」という価値観を作り出し、この架空の価値観が宗教を通して世界に広まってしまった。これが道徳の起源である」(93頁、道徳の起源としてのルサンチマンとキリスト教によるその伝播)。
「したがって、我々のいう道徳の正体とは、実は「奴隷(弱者)を善いとする歪んだ価値観」にもとづくものであり、「奴隷道徳」だと言うことができる。この道徳観は、「嫌なこと、惨めなことに文句を言わず受け入れる人が善い」という不自然なものであるため、道徳にとらわれている人間は、「人間本来の生き方」ができなくなってしまう」(同頁、自分の気持ちをごまかして生きていないかという振り返りが重要)。
(キルケゴールの「絶望は死に至る病だ」について)「「死にいたる」は、「致命傷」って意味じゃなく「死ぬまで続く」という方の意味ね。つまり、人間は、絶望という病を死ぬまで抱えて生きている存在なんだ」(110頁、単なる実存=その辺に転がっている「石ころ」と同じで、いつかは死んで消えていくだけの存在)。
「「生に意味がないなら、死のう」という発想自体、「死に対して意味を見出している」よね。たとえば、「死はこの無意味な生から解放してくれる唯一の救いだ」みたいな感じ。でもね、ニーチェは、死の意味すら否定しているんだ!」(113頁)
「「永劫回帰」は、「最強最悪のニヒリズムの世界」であり、宇宙全体が永遠に同じことを繰り返すことである」(175頁、シーシュポスの神話、人類誕生から最後の審判へという単線の時間ではなく円としての時間論、それにしても評者は本書で「ビッグクランチ理論」(137頁)というのを初めて知りました)。
(すべてのことに有難味のない)「「永劫回帰」を乗り越えるには、「今、この瞬間を力強く肯定して生きよう」という強い意志が必要である。また、そういう意思を持つ人間を「超人」と呼ぶ」(同頁)。
「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである」(199頁、ニーチェの言葉、環世界論とも通底か)
「人間は誰しも「力への意志」(より優れたものを目指したいという想い)うぃもって」いる(251頁、そして、すべての価値観(影)が消滅する「大いなる正午」を迎えるのである)。
尤も、永劫回帰の議論に従うと、生の充実を得るという一過程もまた無限に繰り返され(得)ることになり有難味はあるのか(未来は依然として無価値ではないか)という話になりそうだが、この議論そのものがニーチェいわく「聖なる虚言」(141頁)とのことなので、その境地にまで至れば、「自分の人生を肯定し、もう、一度同じ人生を繰り返してもかまわない、そう思えるまでになれ」る(246頁、即ち、無限ループの外に出る)ということなのでしょうね。ということで、私も生の充実を得るべく、『善悪の彼岸』から取り組んでみようかなと。
「黒哲学(実存哲学)は、「本質についてばかり考える既存の哲学(白哲学)」を批判するために生み出された反逆の学問である」(41頁)。
「人間は実存(現実の存在)であり、生まれながらの「生きる意味」など持っていないが、すべてに意味(価値)がないとしてしまうと、人間は「ニヒリズム(虚無主義)に陥って「生の高揚(充実感)」を失ってしまう」(71頁、背後世界=社会から押し付けられた常識とか価値観、末人=忙しく働いて暇を潰すだけの人間)。
「神は死んだ。神は死んだままだ。そして我々が神を殺したのだ」(66頁、ニーチェの言葉、神を信じられなくなった=人間に生きる意味を与えるような絶対的な価値観は、遅かれ早かれ、いつか壊れるということ)
「たとえば、ユダヤ教の聖典である「旧約聖書」をみても、最初の頃は、とても怒りっぽくて復讐する神さまだったけど、時代が新しいページになるにつれて、「神の名のもとに苦しみを受け入れましょう」という受苦の神さまに変わっていく。・・・ 彼らは「現実世界での復讐」を諦めて、「空想上の世界での復讐」で憂さ晴らしをするようになったんだ。それはたとえば、こんなふうに。「ああ、自分たちを迫害している人々は、なんて暴力的で醜い人間なのだろう。かわいそうに、きっと死後、天罰が下りますね(笑)。それに比べて自分たちは、なんて無害でつつましい人間なのだろう。きっと死後、神さまにほめられて天国に導かれますね(笑)」・・・ ともかく、そんなユダヤ教の「受苦の教え(設定変更)」を引き継いで、キリスト教が誕生する」(86~89頁、道徳はルサンチマンから生じた歪んだものということだが(酸っぱい葡萄=自分をごまかすのではなく、もっと高く飛び上がろうと前向きに努力するというのが本筋のはず)、こうした苦難の神義論とその後の『プロ倫』における議論との類縁性は興味深い)。
「奴隷にされている弱い民族がいた。その民族は弱いため、強いものに復讐できなかった。そこでその弱い民族は、空想上で復讐を果たすため「強いのが悪い、弱いのが善い」という価値観を作り出し、この架空の価値観が宗教を通して世界に広まってしまった。これが道徳の起源である」(93頁、道徳の起源としてのルサンチマンとキリスト教によるその伝播)。
「したがって、我々のいう道徳の正体とは、実は「奴隷(弱者)を善いとする歪んだ価値観」にもとづくものであり、「奴隷道徳」だと言うことができる。この道徳観は、「嫌なこと、惨めなことに文句を言わず受け入れる人が善い」という不自然なものであるため、道徳にとらわれている人間は、「人間本来の生き方」ができなくなってしまう」(同頁、自分の気持ちをごまかして生きていないかという振り返りが重要)。
(キルケゴールの「絶望は死に至る病だ」について)「「死にいたる」は、「致命傷」って意味じゃなく「死ぬまで続く」という方の意味ね。つまり、人間は、絶望という病を死ぬまで抱えて生きている存在なんだ」(110頁、単なる実存=その辺に転がっている「石ころ」と同じで、いつかは死んで消えていくだけの存在)。
「「生に意味がないなら、死のう」という発想自体、「死に対して意味を見出している」よね。たとえば、「死はこの無意味な生から解放してくれる唯一の救いだ」みたいな感じ。でもね、ニーチェは、死の意味すら否定しているんだ!」(113頁)
「「永劫回帰」は、「最強最悪のニヒリズムの世界」であり、宇宙全体が永遠に同じことを繰り返すことである」(175頁、シーシュポスの神話、人類誕生から最後の審判へという単線の時間ではなく円としての時間論、それにしても評者は本書で「ビッグクランチ理論」(137頁)というのを初めて知りました)。
(すべてのことに有難味のない)「「永劫回帰」を乗り越えるには、「今、この瞬間を力強く肯定して生きよう」という強い意志が必要である。また、そういう意思を持つ人間を「超人」と呼ぶ」(同頁)。
「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである」(199頁、ニーチェの言葉、環世界論とも通底か)
「人間は誰しも「力への意志」(より優れたものを目指したいという想い)うぃもって」いる(251頁、そして、すべての価値観(影)が消滅する「大いなる正午」を迎えるのである)。
尤も、永劫回帰の議論に従うと、生の充実を得るという一過程もまた無限に繰り返され(得)ることになり有難味はあるのか(未来は依然として無価値ではないか)という話になりそうだが、この議論そのものがニーチェいわく「聖なる虚言」(141頁)とのことなので、その境地にまで至れば、「自分の人生を肯定し、もう、一度同じ人生を繰り返してもかまわない、そう思えるまでになれ」る(246頁、即ち、無限ループの外に出る)ということなのでしょうね。ということで、私も生の充実を得るべく、『善悪の彼岸』から取り組んでみようかなと。
2020年9月16日に日本でレビュー済み
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ニーチェを全く知らない人にも、彼なりの「ニヒリズムからの脱却法」を分かり易く解説してくれています。
本作は、著者自身の境遇も混ぜて、個人的ですが熱く書いてある印象でした。さすが、実存を解説するのだから、もちろんそれも一つの伝える方法でしょうね。
ビリヤード台による永劫回帰の説明は、非常に分かり易かった。対話形式も読み易いですね。1~2時間ほどで読めると思います。
※この手の哲学入門・哲学を借りた自己啓発本によくあることですが、出典情報がほとんど無いのは少し気になりました。最後に出典をまとめておくなり、ニーチェの著作へのガイドなどがあると、もっと良かったかなあと。
どの言葉が本当のニーチェのもので、どの言葉が著者の解釈にすぎないのかは微妙にハッキリしない(あえてさせない)仕様だったりします。一気に読み進めてもらうための配慮でしょうが。ですので、当然ですが、これがニーチェの全てではないということだけ注意。
本作は、著者自身の境遇も混ぜて、個人的ですが熱く書いてある印象でした。さすが、実存を解説するのだから、もちろんそれも一つの伝える方法でしょうね。
ビリヤード台による永劫回帰の説明は、非常に分かり易かった。対話形式も読み易いですね。1~2時間ほどで読めると思います。
※この手の哲学入門・哲学を借りた自己啓発本によくあることですが、出典情報がほとんど無いのは少し気になりました。最後に出典をまとめておくなり、ニーチェの著作へのガイドなどがあると、もっと良かったかなあと。
どの言葉が本当のニーチェのもので、どの言葉が著者の解釈にすぎないのかは微妙にハッキリしない(あえてさせない)仕様だったりします。一気に読み進めてもらうための配慮でしょうが。ですので、当然ですが、これがニーチェの全てではないということだけ注意。