第三巻を読後に思ったことは、保科正之は徳川幕府が永続的に続くようにシステムを構築した影の立役者ですが、文化や風土を背景とした制度や仕組みは長続きするものになる、というものです。
現代においても日々、国や企業によって様々な仕組みが生まれては、人知れぬ間に消えていってます。ドイツ帝国の初代宰相であるビスマルクは、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言っていますが、保科正之は歴史を基礎として日本人が持つ共通意識に訴えかけるような仕組みを、ある意味完成させたことで徳川幕府の礎としたのではないかと感じました。
昨今の政治や経済のように目の前の物事だけに反応し、歴史に学ぶことなく方向性を決めることが、将来に渡って国や経済の利益になるのか、歴史を振り返って考えていく必要もあるのではないか、そんなことを考えさせられた第三巻でした。
風雲児たち (3) (SPコミックス) (日本語) コミック – 2002/4/30
みなもと 太郎
(著)
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本の長さ279ページ
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言語日本語
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出版社リイド社
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発売日2002/4/30
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ISBN-104845801671
-
ISBN-13978-4845801671
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カスタマーレビュー
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ベスト500レビュアー
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慌ただしいが、泣きポイントも豊富な巻である。物語を強引に絞れば流れは3つ。
ついに天下を手中に収めた徳川三代の日本征服政策。2巻で語られた、真面目一方の将軍秀忠と静の子・松平正之の物語。関が原から150年後、薩摩藩に課せられた木曾三川の治水工事=「宝暦治水」。
長じて会津藩初代藩主松平肥後守となった正之は、兄家光のもとで大老として徳川初期の政治に計り知れない功績を残す一方、一代で見事な藩を築き上げる。父秀忠との再会の場面では不覚にも「うるっ」ときてしまった。晩年になっても静を想い続ける秀忠の一途さと、あくまで謙虚な正之の挙措、そして二人のセリフがものすごくいい。ギャグが入っているのにそれが感動を倍加させる不思議。是非読んでみてほしい。「将軍家に忠誠を尽くせ」という母・静の願いと、正之の頑ななまでの父と兄への忠義こそが、230年の後の会津藩の悲劇につながる―――ということで、1、2巻で描かれた関が原戦後処理の悲劇と合わせて、幕末に相見える雄藩が出揃ったことになる。ところがこのまま幕末へ飛んではいかない。4巻からはまた、長大な江戸時代が始まるのだ。この先も非常に面白いのだが、ようやくこの3巻までで、幕末への布石は押さえられたといえる。
ラスト3分の1は、幕府の猛烈な薩摩苛め「宝暦治水伝」前編。この「宝暦治水伝」は、元は別の媒体に掲載され、潮出版社版の最終巻に「外伝」として収録されたもので、ワイド版では、本来の時系列通りの場所に挿入された。後編は4巻冒頭に収録されている。
これはもう、凄まじいことになっている、としか言いようがない。そういえばギャグが全くない。4巻を開く手が震えること間違いなし。
ついに天下を手中に収めた徳川三代の日本征服政策。2巻で語られた、真面目一方の将軍秀忠と静の子・松平正之の物語。関が原から150年後、薩摩藩に課せられた木曾三川の治水工事=「宝暦治水」。
長じて会津藩初代藩主松平肥後守となった正之は、兄家光のもとで大老として徳川初期の政治に計り知れない功績を残す一方、一代で見事な藩を築き上げる。父秀忠との再会の場面では不覚にも「うるっ」ときてしまった。晩年になっても静を想い続ける秀忠の一途さと、あくまで謙虚な正之の挙措、そして二人のセリフがものすごくいい。ギャグが入っているのにそれが感動を倍加させる不思議。是非読んでみてほしい。「将軍家に忠誠を尽くせ」という母・静の願いと、正之の頑ななまでの父と兄への忠義こそが、230年の後の会津藩の悲劇につながる―――ということで、1、2巻で描かれた関が原戦後処理の悲劇と合わせて、幕末に相見える雄藩が出揃ったことになる。ところがこのまま幕末へ飛んではいかない。4巻からはまた、長大な江戸時代が始まるのだ。この先も非常に面白いのだが、ようやくこの3巻までで、幕末への布石は押さえられたといえる。
ラスト3分の1は、幕府の猛烈な薩摩苛め「宝暦治水伝」前編。この「宝暦治水伝」は、元は別の媒体に掲載され、潮出版社版の最終巻に「外伝」として収録されたもので、ワイド版では、本来の時系列通りの場所に挿入された。後編は4巻冒頭に収録されている。
これはもう、凄まじいことになっている、としか言いようがない。そういえばギャグが全くない。4巻を開く手が震えること間違いなし。
2013年7月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
読んでいて、とてもわかりやすい。漫画の特徴をうまく使っている。
2006年12月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
大阪の陣での徳川vs豊臣の一大決戦を予感させながら
第2巻は終了したわけだが、
この第3巻は、戦いのプロセスは一切描かずに
あっさりと大阪の陣が終了したところからスタートする。
そのような、普通の歴史モノとは違う「省略の仕方」は、
著者独特の歴史観が見て取れるだけでなく、
それをギャグとして消化するセンスも秀逸である。
逆にこの巻で丁寧に描かれるのが、
江戸幕府の安定に大いに貢献した保科正之の善政と、
100年余り後の幕府崩壊の遠因となる宝暦の治水だ。
ちなみに「宝暦の治水」とは、江戸幕府が薩摩藩への「いやがらせ」として、
命じた木曽・長良・揖斐の木曽三川の治水工事のこと。
これによって薩摩藩は財政面で壊滅的な被害を被り、
幕府への恨みをさらに募らせる。
名古屋出身の私は、宝暦の治水ののことを
小学校の社会見学で教えられてはいたが、
ここまで大きなドラマが含まれていることは、
この本を読むまで知らなかった。
宝暦の治水のドラマは、第4巻にも続く。
今から楽しみだ。
第2巻は終了したわけだが、
この第3巻は、戦いのプロセスは一切描かずに
あっさりと大阪の陣が終了したところからスタートする。
そのような、普通の歴史モノとは違う「省略の仕方」は、
著者独特の歴史観が見て取れるだけでなく、
それをギャグとして消化するセンスも秀逸である。
逆にこの巻で丁寧に描かれるのが、
江戸幕府の安定に大いに貢献した保科正之の善政と、
100年余り後の幕府崩壊の遠因となる宝暦の治水だ。
ちなみに「宝暦の治水」とは、江戸幕府が薩摩藩への「いやがらせ」として、
命じた木曽・長良・揖斐の木曽三川の治水工事のこと。
これによって薩摩藩は財政面で壊滅的な被害を被り、
幕府への恨みをさらに募らせる。
名古屋出身の私は、宝暦の治水ののことを
小学校の社会見学で教えられてはいたが、
ここまで大きなドラマが含まれていることは、
この本を読むまで知らなかった。
宝暦の治水のドラマは、第4巻にも続く。
今から楽しみだ。
2009年5月11日に日本でレビュー済み
豊臣家を滅ぼした家康は、大名が皇室と関係を結ぶことを禁じたが、
毛利家が朝廷から賜った「朝臣」の官位だけは特例として許可した。
このことが、幕末に吉田松陰の思想を動かしていくことになる。
三代将軍家光の死後、大老となった保科正之は、一六五七年、江戸時代最大の悲劇といわれる、
明暦の大火(振袖火事)からの復興に優れた政治手腕を発揮し、徳川三百年の基盤を作り上げる。
しかしその頃、尊皇攘夷にかぶれた水戸の光圀が「大日本史」編纂に着手し、
結果的に徳川幕府を瓦解に導く思想を育んでいたのは、歴史の皮肉といえる。
一方、関ヶ原の敗者の中で唯一所領を召し上げられなかった薩摩藩は、
宝暦四年(一七五四)、濃尾平野にまたがる木曽川、長良川、揖斐川の
いわゆる「木曽三川」の治水工事を幕府から命じられる。
莫大な工事費用をすべて自前で賄わなければならないだけでなく、見ず知らずの
土地で、武士がただの人夫となって働かなくてはならないという理不尽で横暴な
幕命を、薩摩は涙を呑んで受け容れざるをえなかった――。
毛利家が朝廷から賜った「朝臣」の官位だけは特例として許可した。
このことが、幕末に吉田松陰の思想を動かしていくことになる。
三代将軍家光の死後、大老となった保科正之は、一六五七年、江戸時代最大の悲劇といわれる、
明暦の大火(振袖火事)からの復興に優れた政治手腕を発揮し、徳川三百年の基盤を作り上げる。
しかしその頃、尊皇攘夷にかぶれた水戸の光圀が「大日本史」編纂に着手し、
結果的に徳川幕府を瓦解に導く思想を育んでいたのは、歴史の皮肉といえる。
一方、関ヶ原の敗者の中で唯一所領を召し上げられなかった薩摩藩は、
宝暦四年(一七五四)、濃尾平野にまたがる木曽川、長良川、揖斐川の
いわゆる「木曽三川」の治水工事を幕府から命じられる。
莫大な工事費用をすべて自前で賄わなければならないだけでなく、見ず知らずの
土地で、武士がただの人夫となって働かなくてはならないという理不尽で横暴な
幕命を、薩摩は涙を呑んで受け容れざるをえなかった――。
2006年4月23日に日本でレビュー済み
大坂夏の陣で、ついに豊臣家を滅ぼした家康は、翌年の死に至るまで幕府の基盤をより磐石なものにするための政策を次々に実行した。そして、三大将軍家光は外様大名を集めて宣言する。「余は生まれながらの将軍である」。ここに徳川幕藩体制は完成を見る。
2巻で登場した秀忠の庶子・幸松は成長し、ついに秀忠と感動の対面。その後、家光を補佐する腹心として、家光亡き後は大老として幕政を取り仕切る。名君として知られた会津藩主・松平(保科)正之である。特に、明暦の大火における彼の政治手腕の見事さ。現在は皇居となっている江戸城に天守閣がないのには、このような歴史があったのだ。
薩摩の悲劇を描いた宝暦治水伝や水戸学による勤皇思想等、盛りだくさんの内容。すでに、この頃から作者は編集部に進行の遅さを突っつかれていることもわかる。
2巻で登場した秀忠の庶子・幸松は成長し、ついに秀忠と感動の対面。その後、家光を補佐する腹心として、家光亡き後は大老として幕政を取り仕切る。名君として知られた会津藩主・松平(保科)正之である。特に、明暦の大火における彼の政治手腕の見事さ。現在は皇居となっている江戸城に天守閣がないのには、このような歴史があったのだ。
薩摩の悲劇を描いた宝暦治水伝や水戸学による勤皇思想等、盛りだくさんの内容。すでに、この頃から作者は編集部に進行の遅さを突っつかれていることもわかる。