赤松流の下座観での抽出力には頓首します
映画、楢山節考・東北の神武たちは、現代人のつい先々代の出来事です。
よく、色、食、財の三欲とは言われますが、笹川良一氏の「食って、寝て、やって、糞して、死ぬ」至言が想い起されます。
世俗は人格とは何の関係もない附属性価値である、地位、名誉、財力、学校歴で装飾されますが、口減らしと性欲は死への諦観に添える、ある意味では逆らうことのできない短い生への宿命感なのでしょう。
「宿命感は怠惰を生ず」ともありますが、体裁のよい研究やそれを装う文体や文字遣いは、誰にでもある祖(素)の姿をオボロゲニさせます。
思策は出発点(座標)の在り様の確認がなければ、いずれ亡羊の淵で戸惑い、停滞します。
男にないものは女が持ち、女にないものは男が持っている、といった隣国の陰陽の交歓と循環は、枯渇し循環が止まったら死滅します。
それを陋習とした営みは、政体は滅んでも民族は不滅です。
赤松氏の切り口は、文化とか文明の各論の危うさに対して人間の明け透けな欲を切り口としています
官製学校のカリキュラムにはない内容だからこそ、物珍しさと覗き好奇に晒されますが、学舎の体裁をはぎ取るパワーが、現代人の種々内心に抱く煩悶を掃う作用があります。
何よりも読後感でおもうのは、我らの祖の死生観と歓喜と工夫に安堵を感ずることです。
「古教照心 心照古教」は、著書を読むのか、読まされるのか、と内心に問いかけます。
その意味では、゛内心で読む゛良書でもあります。
くれぐれも、゛知った覚えた゛類の読後感ではないことは云うまでもありません。
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