本日郵便にて商品受け取りました。
商品の状態は告知よりも良い状態で新書店で並んでいても
おかしくないほどの美品でした。感謝です。
書籍への愛情を感じる業者さんに出会えるのはとても嬉しいですね。
また機会があれば是非にもお願いしたいです。
随筆 女ひと (岩波文庫) (日本語) 文庫 – 2009/5/15
室生 犀星
(著)
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本の長さ258ページ
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言語日本語
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出版社岩波書店
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発売日2009/5/15
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ISBN-104003106644
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ISBN-13978-4003106648
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
「夏になると女の人の声にひびきがはいり、張りを帯びてうつくしくなる」。声、二の腕、あくび、死顔、そして蛇。老作家が抱き続ける「女ひと」への尽きぬ思いを、哀しみとおかしみを交えて軽やかに綴る。晩年の犀星ブームを導いた豊潤なエッセイ集。
登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2009/5/15)
- 発売日 : 2009/5/15
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 258ページ
- ISBN-10 : 4003106644
- ISBN-13 : 978-4003106648
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Amazon 売れ筋ランキング:
- 474,883位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 2,980位岩波文庫
- - 13,990位エッセー・随筆 (本)
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
5つ星のうち4.4
星5つ中の4.4
9 件のグローバル評価
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2011年5月22日に日本でレビュー済み
「僕もああいうかますの干物のような奥さんはご免だ」と
ある夫人が犀星に会った印象を伝えたところの反論だそうだ。
あとがきで小島千加子氏がそう書かれている。
この一文で腑に落ちた。
犀星の顔はかますである。
ゲゲゲの漫画に出てくる人物のようである。
それだけではない。
本編、「女ひと」も味わいがあるのかないのか、とりあえず塩が利いていて、咬んだものの、毎日食べたいと思うようなものにあらず。
だが、女性へのまなざしは他者が論評するまでもなく、本人独自の骨をもっておられるように感じられる。
それが、強くて邪魔になるかと言えば、そうではない。
一通り、読める。
特に前半の随筆はなかなか読ませるものである。
だが、女性の肌を鯖に喩えたり、二の腕を「夏のすすみかたによって、あかね鳶色の焦げた色をおびてゆくが、
裏側の白さはおかされずに渓谷のゆきをたたえている」の箇所は自分の女性的主観と相容れない。
客観的に見ようとしても、モノの喩えにコントラストが強すぎるように感じるのである。
それだけに、そこのところが犀星のユニークさと言われれば、それは譲歩して評価は出来よう。
私の評価は渋い。
谷崎のようなエロさと読みやすい、うまい日本語とも言えず、
宮城道雄のような調べがあるわけでもなく、
菊池寛や太宰のようなさらけだしもない。
カトイエバ・・・
安吾の毒があるわけでもなく、
寺田寅彦や内田百ケンのような読み返したくなる名文さがあるわけでもない。
特に後半戦、「君は一たい何を言っているのだ」以降、
腹に力がないのか、だらだらと説明調で、ぶつぶつともの言い足り得ぬ老人の哀しみのようにすら感じてしまう。
犀星この時分、はなはだ胃を悪くし、鳥の餌のごとく、すりつぶしたものを口にしていたそうである。
そして、わたしにとって、この書評が致命的なものになったのは、
女性に対する考え方、形容の仕方、童貞から思い起こす姉への思慕、
ヒットラーに対する一部、英雄視感など、
不肖、私も考えていたことなのである。
あるいは、(オトコなら)皆さんも考えたことのある事柄かもしれない。
そこの先をどう広げるのか。
料理していくのかがなく、ろうそくの明かりが消えるかのごとく、筆を置いてしまったのが残念でならない。
あるいは、短めにインパクトをつけ、簡潔さが求められたことであろう。
これも、それが、犀星の味わいと言われてしまえば、もはや私と犀星は相容れないのかもしれない。
老人のぶつぶつは、しかし、決して、暗い色彩をおびたり、不平に終わっている訳ではない。
ちゃんと距離感は保たれており、私はわらわなかったが、ユーモアもある。
だが、高揚感に乏しく、人を随筆の世界へと誘う要素に欠けている気を強くしているのである。
優秀な読者投稿欄を読んでいるような具合である。
随筆「女ひと」という、やわらかな物腰が想像できる日本語とその世界イメージ。
それがほどよく表されているなという意味では、この本は無難であるが、
いろいろと比較してしまうと、少々物足りない。
文章を書くのはやはり難しい。
本人曰く「女性を書くのは難しい」そうである。
「栗のようかん、頂きました、栗くうて一生を終る小鳥も居りますが、われもまた栗つつきて
小鳥のごとし、人曰く、あはれ、栗で世をすごすとか。 九月九日 (昭和三十三年)」
「原稿料うけとりました、ありがたう、柿はとって置きます、ことりは悪いことをしないでせう、
ごあんしんください、 (十月二十七日付)」
など、書簡文などの方が味わいがある。
よって、★2つとさせて頂いた。
ある夫人が犀星に会った印象を伝えたところの反論だそうだ。
あとがきで小島千加子氏がそう書かれている。
この一文で腑に落ちた。
犀星の顔はかますである。
ゲゲゲの漫画に出てくる人物のようである。
それだけではない。
本編、「女ひと」も味わいがあるのかないのか、とりあえず塩が利いていて、咬んだものの、毎日食べたいと思うようなものにあらず。
だが、女性へのまなざしは他者が論評するまでもなく、本人独自の骨をもっておられるように感じられる。
それが、強くて邪魔になるかと言えば、そうではない。
一通り、読める。
特に前半の随筆はなかなか読ませるものである。
だが、女性の肌を鯖に喩えたり、二の腕を「夏のすすみかたによって、あかね鳶色の焦げた色をおびてゆくが、
裏側の白さはおかされずに渓谷のゆきをたたえている」の箇所は自分の女性的主観と相容れない。
客観的に見ようとしても、モノの喩えにコントラストが強すぎるように感じるのである。
それだけに、そこのところが犀星のユニークさと言われれば、それは譲歩して評価は出来よう。
私の評価は渋い。
谷崎のようなエロさと読みやすい、うまい日本語とも言えず、
宮城道雄のような調べがあるわけでもなく、
菊池寛や太宰のようなさらけだしもない。
カトイエバ・・・
安吾の毒があるわけでもなく、
寺田寅彦や内田百ケンのような読み返したくなる名文さがあるわけでもない。
特に後半戦、「君は一たい何を言っているのだ」以降、
腹に力がないのか、だらだらと説明調で、ぶつぶつともの言い足り得ぬ老人の哀しみのようにすら感じてしまう。
犀星この時分、はなはだ胃を悪くし、鳥の餌のごとく、すりつぶしたものを口にしていたそうである。
そして、わたしにとって、この書評が致命的なものになったのは、
女性に対する考え方、形容の仕方、童貞から思い起こす姉への思慕、
ヒットラーに対する一部、英雄視感など、
不肖、私も考えていたことなのである。
あるいは、(オトコなら)皆さんも考えたことのある事柄かもしれない。
そこの先をどう広げるのか。
料理していくのかがなく、ろうそくの明かりが消えるかのごとく、筆を置いてしまったのが残念でならない。
あるいは、短めにインパクトをつけ、簡潔さが求められたことであろう。
これも、それが、犀星の味わいと言われてしまえば、もはや私と犀星は相容れないのかもしれない。
老人のぶつぶつは、しかし、決して、暗い色彩をおびたり、不平に終わっている訳ではない。
ちゃんと距離感は保たれており、私はわらわなかったが、ユーモアもある。
だが、高揚感に乏しく、人を随筆の世界へと誘う要素に欠けている気を強くしているのである。
優秀な読者投稿欄を読んでいるような具合である。
随筆「女ひと」という、やわらかな物腰が想像できる日本語とその世界イメージ。
それがほどよく表されているなという意味では、この本は無難であるが、
いろいろと比較してしまうと、少々物足りない。
文章を書くのはやはり難しい。
本人曰く「女性を書くのは難しい」そうである。
「栗のようかん、頂きました、栗くうて一生を終る小鳥も居りますが、われもまた栗つつきて
小鳥のごとし、人曰く、あはれ、栗で世をすごすとか。 九月九日 (昭和三十三年)」
「原稿料うけとりました、ありがたう、柿はとって置きます、ことりは悪いことをしないでせう、
ごあんしんください、 (十月二十七日付)」
など、書簡文などの方が味わいがある。
よって、★2つとさせて頂いた。
2009年6月7日に日本でレビュー済み
詩人のぱくきょんみさんの紹介で知り、筑摩書房の抄略版をはじめて読んでみました。
「・・・ともかく、人間が最初に女を見出し、生涯そこの世界でじたばたをやりながらも、
なほ、最後に女の人を見直して美しいと思ふところに、いのちといふものがやはり
女の中にあったことを、見出さずにいられない、人間の道にそむくことは不愉快
であるが、生涯のぎりぎりにも眼をさへぎって過ぎるものは、月のある山河水色の
光景ではなく、われわれの最初にながめた、女といふ最後のものがそれであったことが、
判ってくるのである。」
「えもいはれざる人」の最後の一節です。自分の醜い容貌を嘆くネガティブな文章が、一変して
美しい女性への嘆賞に鮮やかに、みずみずしく変貌するさまに私は感動しました。
購入しようと思います。
「・・・ともかく、人間が最初に女を見出し、生涯そこの世界でじたばたをやりながらも、
なほ、最後に女の人を見直して美しいと思ふところに、いのちといふものがやはり
女の中にあったことを、見出さずにいられない、人間の道にそむくことは不愉快
であるが、生涯のぎりぎりにも眼をさへぎって過ぎるものは、月のある山河水色の
光景ではなく、われわれの最初にながめた、女といふ最後のものがそれであったことが、
判ってくるのである。」
「えもいはれざる人」の最後の一節です。自分の醜い容貌を嘆くネガティブな文章が、一変して
美しい女性への嘆賞に鮮やかに、みずみずしく変貌するさまに私は感動しました。
購入しようと思います。
VINEメンバー
室生犀星晩年のエッセイ。全編女性ネタで、お姉さんのこと、女の人の顔や手足のこと、女の人に関わる身近な出来事、自分の過去の事などなど。
解説は、半世紀前に『新潮』で「女ひと」の連載を担当した小島千加子さん。
「私はつねづね六十歳を過ぎたら、女のことなぞ気になるまいと思っていた。そしてその年齢にとどいてみると女という女のひとは、りょうらんとふたたび開花の状態を見せて来た。(『えもいわれざる人』より)」
解説は、半世紀前に『新潮』で「女ひと」の連載を担当した小島千加子さん。
「私はつねづね六十歳を過ぎたら、女のことなぞ気になるまいと思っていた。そしてその年齢にとどいてみると女という女のひとは、りょうらんとふたたび開花の状態を見せて来た。(『えもいわれざる人』より)」