“ ゲート試験で合否を決めるのは発走委員だが、試験時に彼らがよく言うのが
「もう一回見せてよ」
要するに「不合格」という意味だが、これを言われると僕は、
「やだよ、見せたくない。なんでもう一回やらなきゃいけないんだよ」。
と言って喧嘩になってしまうので、最近ではゲート試験には僕が行かずにスタッフが行くことになっている。”
(本書208頁より)
上の文章を書いたのは、ゴールドシップでもルーラーシップでもラニでもない。
奇しくも彼らの思想を代弁する形になった「僕」とは、矢作芳人調教師。なんと馬思いの先生ではないか。
昨年6月、末期癌の母が他界する数日前に、入院先の病室のテレビで第60回宝塚記念を一緒に観た。デビュー当時から母が応援していた牝馬が出走したからで、母は同馬の優勝の喜びを最期の思い出として永眠し、「リスグラシュー」の単勝馬券(1000円)と百合の花束を手にこの世に別れを告げた。
同年暮れに喪中ハガキの宛名を書きながら、有馬記念の大舞台でも同じ馬が劇的な強さで勝利する姿を観た。バレエならば、間違いなく「稀代の名花」と称えられるであろうこんなサラブレッドを育てたのは、だれ?
と好奇心が湧いて手に取ったのが、本書である。
読んでみると、名花の育ての親はなかなか複雑な人物である。
革新性と保守性。合理主義と経験主義。義理と人情あるいは冷血と熱血。打算とロマン。テンガロンハットと浪花節(的な人脈作り)。。。
一人の人間の中に、これほど多くの両極端が矛盾なく同居しているケースも珍しい。
矢作調教師は、ゲート試験の他にも、たとえばトレセンの坂路に屋根がないことに苦言を呈し、JRAの番組編成に改善を求めて「カーニバル・デー」を提案し、外厩制はもちろん馬の預託料の完全自由化や外国人調教師の受入れにも前向きで、要するに、職場環境の整備や制度改革のための斬新なアイデアをたくさん持っている。(「低酸素馬房」は馬の拷問室になるからやめてくださいね)
本書は看板に偽りなく「仕事」に特化した著作なので、厩舎経営の理念が明快に述べられていて、内容は具体的で実用性に富み、非常にわかりやすい。厩舎における商品(馬)の仕入れ、入れ替え、棚卸しのノウハウから、タニマチ(馬主)対応のツボやスタッフ教育の極意、セールス・トーク(いわゆる「厩舎コメント」)における禁句まで、ビジネス・ホースマンに役立つヒントが満載である。競馬を「産業」、調教師を「中小企業の社長」と割り切って、中途半端な愛馬精神のアピールに紙幅を割かないところは、むしろ潔いとさえ思う。
その反面、競走馬が「商品」であり「消耗品」である現実を直視させられるのが少し辛かった。
サラブレッドの価値は、寿命およそ30年ほどの生き物が、特定の短期間に特定の能力をどれだけ発揮できたかで決まる。とはいえ、このブリードの生物学的な進化はすでに頭打ちになっていて、競走能力をさらにもう一段階向上させるためには、(突然変異への期待も込めて)むしろ他種(クオーターホースや一部の野生種)の血を入れた方が理にかなうという説もあるほどだ。
個人的には、特定の商品価値の限界が見えたアイテムに別の価値を見出して新たなビジネスにつなげることの方にやりがいを感じるので、サラブレッドには競走や繁殖目的以外にも社会的な有用性が十分あると信じて、引退馬の余生支援を続けている。
そしてリスグラシューが子育てを卒業した暁には、真っ先にフォスター・ペアレントの名乗りを挙げようと今から虎視眈々であるが、こうした支援活動を安定的に続けるためには、逆説的ではあるが、競馬の「節度ある発展と存続」が不可欠であるとも思っている。そこから生まれる億単位の利益を、人だけでなく馬たちにもダイレクトに還元する仕組みを確立することが重要なのだ。
だから、矢作調教師には今後も「よく稼ぎ、よく遊べ」の精神で競馬事業の活性化に尽力していただきたいし、真紅のバラとシャンペンが溢れる華やかな「カーニバル・デー」の創設にも賛成である。
ただし、「G1レースばかりの一日」ではなく、たとえば12レース全てを美々しい協賛レース(ポニー出走可)にしてファンが思い思いの名前を付け、その売り上げを全国各地の引退馬たちに贈るという「チャリティ・レースばかりの一日」であってもいいと思う。
本書は、競馬というイベントの楽屋裏の紹介本として、厩舎マネジメントの参考書として、矢作芳人調教師の独創的な個人史として、いろいろな読み方で楽しめる。
昨今の「おうち競馬」のお供に一冊、お奨めします。
開成調教師の仕事 (日本語) 単行本(ソフトカバー) – 2014/2/14
矢作 芳人
(著)
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本の長さ219ページ
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言語日本語
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出版社ガイドワークス
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発売日2014/2/14
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ISBN-104865350225
-
ISBN-13978-4865350227
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商品の説明
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
矢作/芳人
1961年生まれ。名門・開成高校出身という異色の経歴を持つJRA調教師。2005年の開業以来、着実に成績を伸ばし、2008年にJRA史上最速での通算100勝を達成(当時)。2009年に関西リーディングを獲得すると、翌2010年にグランプリボスで朝日杯フューチュリティステークスを制してG1初勝利。そして、2012年にはディープブリランテで日本ダービーを制し、ダービートレーナーの称号を手に入れた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1961年生まれ。名門・開成高校出身という異色の経歴を持つJRA調教師。2005年の開業以来、着実に成績を伸ばし、2008年にJRA史上最速での通算100勝を達成(当時)。2009年に関西リーディングを獲得すると、翌2010年にグランプリボスで朝日杯フューチュリティステークスを制してG1初勝利。そして、2012年にはディープブリランテで日本ダービーを制し、ダービートレーナーの称号を手に入れた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
- 出版社 : ガイドワークス (2014/2/14)
- 発売日 : 2014/2/14
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 219ページ
- ISBN-10 : 4865350225
- ISBN-13 : 978-4865350227
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Amazon 売れ筋ランキング:
- 139,796位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 132位競馬 (本)
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
5つ星のうち4.6
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2018年4月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
これを読めば矢作先生が調教師という仕事をどういう風に考えているかよくわかる良書です。
調教師の仕事で一番大事なのは仕入れ、仕入れに力を入れよい馬を集めるために、調教の現場は担当に任せる。
特に担当に責任をもって任せるには調教師が現場を離れるのが一番という部分が印象に残り他の仕事でも応用できるのではないかと思いました。
また、勝率より勝ち星や賞金を稼ぐために調教よりレースへの出走を重視、出走回数にこだわる姿勢にも共感を受けました。
ここまで明かしてもいいのかなと思いましたが、読み終わって頭はいいし彼の人間力が成功した要因として一番大きかったとは思います。
調教師の仕事で一番大事なのは仕入れ、仕入れに力を入れよい馬を集めるために、調教の現場は担当に任せる。
特に担当に責任をもって任せるには調教師が現場を離れるのが一番という部分が印象に残り他の仕事でも応用できるのではないかと思いました。
また、勝率より勝ち星や賞金を稼ぐために調教よりレースへの出走を重視、出走回数にこだわる姿勢にも共感を受けました。
ここまで明かしてもいいのかなと思いましたが、読み終わって頭はいいし彼の人間力が成功した要因として一番大きかったとは思います。
2014年2月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者の作品はすべて読んでいます。
確かに前著と内容が重複するところはありますが、一貫した姿勢に好感が持てますし、エピソードも増えているので買って損はないと思います。
著者自身が「調教師は中小企業のトップ」というように、まさに彼の仕事は経営者そのものと思います。
そしてその経営スタイルは非常に合理的であり、「競馬」や「調教師」という狭い世界ではなく、広くビジネスマンにも参考となるような考え方・姿勢だと感じます。
私も昔はずいぶん競馬に親しんだものでしたが、いまではすっかりご無沙汰になりました。
著者のような、イノベーターが活躍し、業界が活性化することを望んでいます。
今後の著者の「仕事」っぷりも楽しみです。
確かに前著と内容が重複するところはありますが、一貫した姿勢に好感が持てますし、エピソードも増えているので買って損はないと思います。
著者自身が「調教師は中小企業のトップ」というように、まさに彼の仕事は経営者そのものと思います。
そしてその経営スタイルは非常に合理的であり、「競馬」や「調教師」という狭い世界ではなく、広くビジネスマンにも参考となるような考え方・姿勢だと感じます。
私も昔はずいぶん競馬に親しんだものでしたが、いまではすっかりご無沙汰になりました。
著者のような、イノベーターが活躍し、業界が活性化することを望んでいます。
今後の著者の「仕事」っぷりも楽しみです。
2014年2月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
これはなかなか面白い。
ただし、馬券には全く役に立たない。
っていうか、馬券本じゃない。
ディープブリランテと岩田騎手のエピソードとか、青い鳥的にはけっこう興味のある話が掲載されている。
競馬王新書と被っているね。
Amazon.co.jp で目次だけ読んだだけだけど。と、思ったら、この本の前著が競馬王新書「開成調教師」(2008年発行)。
これは増補改訂版が出ているが、青い鳥が読んだこの本(開成調教師の仕事)も前著は2008年発行の新書と同じ。被っていて当然か。価格が高くなってるのはいただけない(o'・∀・`o)アヒャ♪
特に氏のファンとかでない限り、どちらか1冊でいいんじゃないかな?
新書のほうはスーパーホーネットのエピソードが載ってて、こちら単行本のほうはダービー馬ディープブリランテのエピソードが載っている。
この新書も面白そうだけど、こっちを買ってしまったからね。
普段あまり知らない調教師の仕事の内容がまるわかり。
ただ、新書で出してもよかったんじゃないかなあ?(・_・;?
内容が似たようなものであれば、新書のほうを買えばよかったかも?
(青い鳥の馬券本マニアより抜粋)
ただし、馬券には全く役に立たない。
っていうか、馬券本じゃない。
ディープブリランテと岩田騎手のエピソードとか、青い鳥的にはけっこう興味のある話が掲載されている。
競馬王新書と被っているね。
Amazon.co.jp で目次だけ読んだだけだけど。と、思ったら、この本の前著が競馬王新書「開成調教師」(2008年発行)。
これは増補改訂版が出ているが、青い鳥が読んだこの本(開成調教師の仕事)も前著は2008年発行の新書と同じ。被っていて当然か。価格が高くなってるのはいただけない(o'・∀・`o)アヒャ♪
特に氏のファンとかでない限り、どちらか1冊でいいんじゃないかな?
新書のほうはスーパーホーネットのエピソードが載ってて、こちら単行本のほうはダービー馬ディープブリランテのエピソードが載っている。
この新書も面白そうだけど、こっちを買ってしまったからね。
普段あまり知らない調教師の仕事の内容がまるわかり。
ただ、新書で出してもよかったんじゃないかなあ?(・_・;?
内容が似たようなものであれば、新書のほうを買えばよかったかも?
(青い鳥の馬券本マニアより抜粋)
2016年12月14日に日本でレビュー済み
矢作さんの人柄がこの一冊に全て詰まっている。
読み手(ファン)を忘れず、ひとりひとりの馬主を大切にするその書き方にも、ぜひ触れてほしい。
読み手(ファン)を忘れず、ひとりひとりの馬主を大切にするその書き方にも、ぜひ触れてほしい。
2014年2月20日に日本でレビュー済み
既刊『開成調教師』よりも内容はかなり充実している。作中で矢作師が指摘するように若干重複する部分もあるが、それは同師の仕事ぶりがブレていない証左。競馬ファンなら買って損はないと思う
馬券のみならず、一口馬主という形で競馬を楽しんでいる立場からすれば、第1章の「牧場編 仕入れの実態」は参考になった。いかに回収し、利益を生むか。(当然だが)高馬が必ずしも走るわけではなく、重要なのはバランスという。作中にあるデビュー前種牡馬の活躍を見抜くくだりはさすがの相馬眼というべきか。馬産地・日高の人脈の豊富さなども興味深かった
ほかにもディープブリランテとの出会いから岩田騎手との「確執」を乗り越えての日本ダービ-制覇、信頼する厩舎スタッフへの思い、徹底的に勝ちにこだわる番組選択、(すでにお馴染みとなった?)JRAへの批判・提言など、どれも読み応えあり
馬券のみならず、一口馬主という形で競馬を楽しんでいる立場からすれば、第1章の「牧場編 仕入れの実態」は参考になった。いかに回収し、利益を生むか。(当然だが)高馬が必ずしも走るわけではなく、重要なのはバランスという。作中にあるデビュー前種牡馬の活躍を見抜くくだりはさすがの相馬眼というべきか。馬産地・日高の人脈の豊富さなども興味深かった
ほかにもディープブリランテとの出会いから岩田騎手との「確執」を乗り越えての日本ダービ-制覇、信頼する厩舎スタッフへの思い、徹底的に勝ちにこだわる番組選択、(すでにお馴染みとなった?)JRAへの批判・提言など、どれも読み応えあり