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閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済 (集英社新書) 新書 – 2017/5/17
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生き残るのは閉じた帝国!
「資本主義の終焉」を看破したエコノミストが描く、瞠目の近未来図。
資本主義の終焉によって、世界経済の「常識」が逆転した。経済成長を追求すると、企業は巨大な損失を被り、国家は秩序を失う時代になったのだ。生き残るのは、「閉じた経済圏」を確立した「帝国」だけである。「長い21世紀」という五百年ぶりの大転換期に始まる、新しい「帝国」システム。そのもとで、米英・欧州・中露の経済はどう変わるのか? 日本を救い出す方策とは何か?
ベストセラー『資本主義の終焉と歴史の危機』で高い評価を受けたエコノミストが描く、瞠目の近未来図!
[著者情報]
水野和夫(みずの かずお)
一九五三年、愛知県生まれ。法政大学法学部教授(現代日本経済論)。博士(経済学)。埼玉大学大学院経済科学研究科博士課程修了。三菱UFJモルガン・スタンレー証券チーフエコノミストを経て、内閣府大臣官房審議官(経済財政分析担当)、内閣官房内閣審議官(国家戦略室)などを歴任。主な著作に『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書)、『終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか』(日本経済新聞出版社)など。
- 本の長さ272ページ
- 言語日本語
- 出版社集英社
- 発売日2017/5/17
- ISBN-104087208834
- ISBN-13978-4087208832
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商品の説明
メディア掲載レビューほか
経済成長は終わった
アベノミクスでわかったのは、景気がよくなってもぼくらの幸福には直結しないということ。まあ、失業率の低下は喜ぼう。たとえ短期間の非正規雇用ばかりでも。ところが、大企業は儲けても給料を上げないし、休日が増えるわけでもない。なぜだろう。
水野和夫『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』を読んで、そのカラクリがわかった。もう経済成長は終わってしまったのだ。終わったのだから「次」を考えるしかないのに、政府や経済界は、昔の夢にしがみついている。
本書は『資本主義の終焉と歴史の危機』の著者による新刊である。利子率に注目し、資本主義と近代の終わりを宣告したのが前著だった。本書は前著のおさらいをした上で、これからを考える。
近代システムの理念は「より遠く、より速く、より合理的に」。これでお金や情報や人を集めた。船に乗って「未開の地」に乗り出し、南北アメリカ大陸やアフリカ大陸から簒奪していった。だが、もうフロンティアはない。
拡大できないなら、閉じていくしかない。では、グローバリズムの次はナショナリズムか。英国のEU離脱決定や、米国のトランプ政権誕生を見るとそう思えてくる。しかし、そう単純ではない。「国民国家」というものもまた、古びてしまったのだ。
著者は過去の歴史を参照した上で、次は「閉じた帝国」になっていくだろうと予言する。EUのように地続きの「帝国」の中で、成長を求めない定常状態が続く。お金がものいう世界ではなく、「より近く、よりゆっくり、より寛容な」社会である。うん、そっちのほうが楽しそうだ。
評者:永江朗
(週刊朝日 掲載)内容(「BOOK」データベースより)
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登録情報
- 出版社 : 集英社 (2017/5/17)
- 発売日 : 2017/5/17
- 言語 : 日本語
- 新書 : 272ページ
- ISBN-10 : 4087208834
- ISBN-13 : 978-4087208832
- Amazon 売れ筋ランキング: - 213,865位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- カスタマーレビュー:
著者について

1953年生まれ。埼玉大学大学院経済科学研究科客員教授。元三菱UFJモルガン・スタンレー証券チーフエコノミスト。早稲田大学大学院修士課程経済研究科修了。(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『超マクロ展望 世界経済の真実(ISBN-978-4087205688)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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エコノミストといわれる人々の言説に触れるとき、いつも煙に巻かれたような気がしていた。例えば、政府の経済政策を支持する人と、その正反対のことを主張する人がいる。どちらも我こそは正しいと言い張る。どちらの陣営のエコノミストも食いっぱぐれはないだろうと思う。何故ならば、政府の太鼓持ちをすれば需要があるだろうし、実現しそうもない政府と正反対のことも、その正当性を主張し続けることができるからである。
エコノミストといわれる人々の主張は、資本主義社会の経済システムは完成された完璧なものという前提で、テクニカルな話をしているように思えてならない。お金や経済のシステムは、人間が作り出したもので、当然、欠陥や欠点、ほころびが生じるものであるというのが、経済学の専門家でない素人の素直な感想ではないか。人間が作り出した経済システムやお金に多くの人々が翻弄されていると。
水野さんの前作『資本主義の終焉と歴史の危機』と本作は、そうした疑問に応えてくれる貴重な著作である。特に本作では、後半の第四章からが興味深かった。本作での主張の正しさを検証する知識や能力を持ち合わせていないので専門的にどうのこうのということはできないが、少なくとも素人の私でも腑に落ちるという満足感は大きい。それは著者の学際的な視点、広範な読書体験によるものだと思う。その意味で大学教育について触れている第六章の「リベラル・アーツ重視」という主張には納得できる。第二、第三と多くの水野さんのような指導者が育ってほしい。
本作でも紹介されている、お金の意味を根源から問い直す『エンデの遺言』を読んだことがある。そう言えば、フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』も読んだな。今は気力と視力が衰えてきたので分厚い作品を読み気はしない。私と同じような人で、それでも今、世界で起きていることを大きな視点で理解したいと思う人には特にお薦めである。
第六章には、「より近く、よりゆっくり、より寛容に」という項がある。私が育った昭和三十年代の生活スタイルが当てはまる。高度成長の始動期である。東京近郊の町中でも、まだ肥桶担ぎのおじさんが歩いていた。まもなくバキュームカーに変わったが、昭和三十年代の町の様子を撮影した国土交通省の航空写真を見ると町中にも田畑が迫っていたので頷ける。母に言わせると、おじさんは「いただきます」と頭を下げてもっていったそうだ。今と同じようにデパートや商店街に行けば何でもあったが、スーパーやコンビニなどはないので商品の多様性、購入の便利さは今と比べようもない。それでも今より時間がゆったりしていたので少しも不幸せではなかった。戦争で焼けなかった古い家での生活は江戸時代に毛が生えたようなものである。鉄砲風呂に呼び出し電話、それでも生活が成り立っていたのだから有難い。子どもにとっては楽しい生活である。大人は忙しかったかもしれないが子どもたちは放っておかれたので、ランドセルを放りだして毎日暗くなるまで異年齢集団での路地遊びや自然や生き物との戯れにいそしんでいた。メダカやタナゴが稀少生物になるとは夢にも思わない。
昭和二十年代、三十年代の航空写真、それと明治時代の「迅速測図」を比べると、江戸時代の土地活用の痕跡が昭和三十年代まで残っていたことが理解できる。おそらく東京近郊の農村でも、終戦時までの戸数や人口の増加は、とても緩やかなものであったと推察される。それこそ「ゼロ成長」の「定常状態」であったと思われる。経済的合理性による昭和四十年代以降の開発、自然破壊はすさまじいものがある。物の豊かさと便利さの代償として失ったものは何か。星は見えなくなり、見られる生物の種類が減り、夏休みの日記で「今日は三十度を越えた」と驚いて記していた時代が嘘のようだ。
人間が動物であるという視点やお金に換算しにくい価値をもっと見直してもよい。動物である人間が生きるためには酸素が必要で、酸素を供給する雑木林はとても大切だ。こんなことを、あれこれ考えていると、水野さんの描く「近未来図」がとても重要であることに気づく。昭和三十年代の生活を知っている者として、このままで今のような生活スタイルが未来永劫続くとは、とても思えない。
私の理解では逆説的だが、「グローバリゼーション」は、グローバルにちっともよくなく、「閉じてゆく」ことが、グローバルによい、ということ。余計なことをもう一つ思い出した。著書の中で、「寛容の大切さ」の手本としてエラスムスが紹介されていた。このエラスムス、三浦按針が乗ってきたリーフデ号に木像として取りつけられていて、その像が国立博物館や佐野のお寺さんに納められていると記憶している。この像を破棄せず、大切にお寺に納めたご先祖様たちの価値観や生き方に学びたい。おそらく異郷の人間であっても尊い人であるからという寛容さがあったのであろう。きっとエラスムスも喜んでいるに違いない。
元気で知的好奇心旺盛な方は、本作の「註」にある、あれこれの書物を繙いてみるのもよいかもしれない。
『私たちがグローバリズムに異を唱えるだけでは、「資本主義の終焉」という「歴史の危機」から脱することにはなりません。つまり、向かい合うべき真の問いは、「もはや、国民国家を維持することはできない。では、どうするのか」ということなのです。』
という問題提起の前半は、納得感もあり、わくわく感があった。特に、資本主義の終焉に関する説明は説得力があり、資本主義に代わる何かを期待してしまうぐらいであった。
実際、自分が必要だと思わないものを生産し、無駄に消費することで、経済が回っている現実を目の当たりにしているし、その恩恵(あるいは影響)を受けている身でもある。だから、資本主義の終焉と言われながらも、まだまだ続くだろうと思う。逆に、続かせなければ人類70億人以上が食べてそれなりに楽しんで生きていくことはできないだろうし、この壮大な無駄も必要なのではないかと思ったりする。
一方、モノを大切にしなさい、と叱られながら生きてきた世代なので、この現代は確かに違和感がある。地球環境が破壊されれば、そもそも人類は立ち行かないわけであって、本当は無駄のない、もっとよい世界があるはずだという根拠のない希望もある。
だから、ポスト近代がどのようなものか、答えを本当に知りたいと思った。
しかし、『国民国家システムがそうであるように、じつは資本主義も「過渡的」に存在するシステムです。』と記述しているものの、あくまでも、ポスト資本主義が出てくるわけではない。『世界が有限であるという条件のもとで、「閉じた帝国」をつくり、そのなかで定常状態の経済を目指していく。』という方向性で、国民国家システムではなく、『日本、ASEAN、オセアニア諸国は、イギリスやアメリカに比べてユーラシアに近いため、これらの国々と、日本海から南シナ海までの「海」を「陸」から囲むことで世界秩序を維持していく方策を目指すべきです』と述べている。結局、資本主義の終焉についての答えはなく、私としては、肩透かしをくらったような気がした。
結局、今のところ、答えがないことだと思うし、当面は、安全保障の観点(先日読んだ「米中もし戦わば」)からも、著者が言うように、東アジア、東南アジア地域で協力体制を築いていくことが大事なんだと思う。つまり、見える範囲で、異なる観点からの考察が、同じ答えということは、それなりに意味があるのかもしれないし、単に普通の答えなのかもしれない。
とても示唆に富んだ本です。
特に,超低金利政策と,資本主義,安全国家のくだりは,うすうす感じている危機感をズバリ述べていて素晴らしいと感じました。
ただ,過去の歴史と現代を当てはめるときに,論理の飛躍が時折感じられます。
ピケティを引用している場所もあり,できれば出典元と合わせて読むのが良いとは感じましたが,そこも含めて
今後を考えていくのに素晴らしい本です
目指すべき方向は、
ー政治的には地域帝国
ー経済的には定常状態
―生活上めざすものは真善美
トランプが目指すのはレーガノミックスの追随であり、貨幣収拾の新自由主義である。政策としては
―公共投資バラマキ、軍備増強
―アメリカ資本帝国
安倍政権がそれに追随しているので、日本が衰退するばかり。
関連して感じたこと:原発はハイリスクを冒して資本が儲ける仕組み。資本はもうけを独占するが、危険は周辺に押し付けるから遂行するに値する。
素晴らしい本でした。






