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鎌倉幕府抗争史 (光文社新書 1211) 新書 – 2022/7/12

4.4 5つ星のうち4.4 108個の評価

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◎内容

源頼朝亡き後、誕生したばかりの鎌倉幕府は異常ともいえる内紛と流血、
果ては将軍までもが非業の最期を遂げる時代を迎える。
その質実剛健のイメージとは裏腹に、なぜ「鎌倉武士」たちは
仲間うちで殺し合いを繰り返したのか。北条時政、北条義時、
梶原景時、和田義盛、比企能員……御家人同士の抗争劇から
浮かび上がる鎌倉時代初期の政治史と、武士たちの
リアルな生き様を活写する決定版。

**************************

◎目次

序 殺し合いの時代

第一章 十三人合議制の成立と抗争の開始
【一】頼家の鎌倉殿継承
【二】十三人合議制の成立
【三】安達泰盛討伐未遂事件と抗争の幕開け

第二章 梶原景時事件と広域武士団
【一】梶原景時事件
【二】梶原景時の滅亡
【三】梶原景時の挙兵計画
【四】後鳥羽院への疑惑
【五】北条時政の遠江守任官
【六】越後城氏の乱
【七】広域武士団の成立

コラム1 私的武力集団としての武士団

第三章 比企の乱と北条時政の独裁
【一】鎌倉殿源頼家の執政
【二】阿野全成殺害事件
【三】比企の乱
【四】北条時政のキャラクター
【五】頼家発病と後継をめぐる駆け引き
【六】小御所合戦
【七】源頼家暗殺
【八】後鳥羽院と比企の乱
【九】時政独裁と十三人合議制の崩壊

コラム2 武家政権

第四章 北条義時の台頭と和田合戦
【一】三日平氏の乱
【二】畠山事件
【三】牧氏の変
【四】宇都宮頼綱討伐未遂事件
【五】大豪族抑圧策と義時の政所別当就任
【六】泉親平反乱未遂事件
【七】和田合戦
【八】和田合戦後の事件

第五章 源実朝暗殺と承久の乱への道程
【一】政子の熊野詣
【二】同床異夢の後鳥羽院と実朝
【三】鎌倉殿暗殺
【四】敷かれたルール

コラム3 中世国家論について

第六章 承久の乱

第七章 伊賀氏の変と御家人間抗争の終焉

結 兵の道の虚実

あとがき

参考系図

参考文献


【解説編】古代・中世日本の基礎知識
【1】時代区分・領土・天皇
【2】朝廷の支配体制
【3】律令制の地方行政
【4】地域名称
【5】位階と貴族
【6】朝廷政治の変遷
【7】荘園
【8】武士
【9】平将門の乱と武士の成立

**************************

◎著者プロフィール

細川重男(ほそかわしげお)

1962年、東京都生まれ。中世内乱研究会総裁。
立正大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程満期退学。博士(文学)。
専門は日本中世政治史。著書に、『鎌倉政権得宗専制論』『鎌倉幕府の滅亡』
(ともに吉川弘文館)、『執権 北条氏と鎌倉幕府』(講談社学術文庫)、
『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」』(朝日新書)、
『論考 日本中世史 武士たちの行動・武士たちの思想』(文学通信)など多数。

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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 光文社 (2022/7/12)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2022/7/12
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 新書 ‏ : ‎ 337ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4334046193
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4334046194
  • 寸法 ‏ : ‎ 17.2 x 10.6 x 1.4 cm
  • カスタマーレビュー:
    4.4 5つ星のうち4.4 108個の評価

著者について

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細川 重男
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上位レビュー、対象国: 日本

2024年5月26日に日本でレビュー済み
カリスマであった頼朝が後継の体制を定めぬままに急死して
梶原景時が頼朝側近時代の厳しい管理体制から恨まれて追放ののち抹殺
外戚同士の後継者争いで比企氏北条氏が対立して比企氏が後継者ごと抹殺
ちょっとした行き違いから武士団同士が恐怖と憎悪に駆られて滅ぼしあいを始めてしまう
政治的な対立や感情的な行き違いがそういう方向に転落していく不毛さがある
兵の道、といっても暴走する暴力装置ですやん、という話だわな
源氏が誰もいなくなった先に、泰時が伊賀氏の乱を温和に収めて不毛な殺しあいは収まったが
やはり構造上、悲惨な抗争が起こりうる心情ってのはあるんだろうなあ
むちゃくちゃノリノリで書いてるのもあって面白い本である
2024年11月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
源頼朝を中心とする武士階層が、日本史上初めて創設した武家の政権である、いわゆる鎌倉幕府の初期、頼朝の死去に伴い発生した御家人間抗争の20年を丹念に解説した著作。
著者の細川先生は、いつも堅苦しい内容にされず、初学者でも取っ付きやすい表現をされており、この本も読みやすい。
巻末には、歴史辞典のような、用語解説もあり、入門書として優れていると思う。
一方で、自分のように先生の本を何作か読んでいる者からすると、過去の著者と重なる部分が多いのも事実で、歴史の新書なので仕方ないとはいえ、先生の本の既読者には、お勧め出来ない。
恐らくは、先年放送された大河ドラマに合わせて出版されたのだろうけれど、これから鎌倉時代史を読まれたい方の入門書としては良いと思います。
2022年11月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
鎌倉殿の13人楽しんでる目線です。

やられる前に、やる。

これがこの時代を生きた武士たちの信念、と言うよりも強迫観念であったのでしょう。
北条時政の暴走は、最たるものです。牧の方は、まさに悪女的で、逆に興味が湧きます。
ファム・ファタールと言うのでしょうか。
この辺は、鎌倉殿の13人でも存分に描かれてきました。

さて、本書の中での承久の乱の解説は、惹きつけられました。(こらからの楽しみ)

後鳥羽上皇から地頭改易を命ずる院宣を突きつけられた北条義時、その返答の”仕方”により鎌倉の運命が変わるわけですが、まさに修羅場の運命の選択。大江広元ら古参の意見、北条政子や時房とのやりとり、それを連想させるように、分かりやすく状況の経過が説明されています。

そして伊賀氏の変と泰時の判断。

「父上は、間違っている」

この言葉が最後にどのように回収されるのか、とても楽しみになる第5章でした。
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2022年7月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
去年朝日新書から出た、『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」』(以下、前著と略)は2012年に洋泉社から出た頼朝時代の歴史新書を加筆訂正し、これに、時政、政子、義時時代から承久の乱までの付編(約5分の2程度)を増補した本だったが、本書はこの付編を独立させたような本である。
むろん、内容は同じではない。
一、特徴
○前著では、史料における頼朝の言葉がガラの悪いオッサン言葉で現代語訳されていて、他の鎌倉武士も同様であった。義時の言葉はもう少し上品に訳されていたが、現代風であることは同様。政子は砕けたお姉さん言葉が多かった。
○本書は、あとがきに「なるべく淡々と叙述したつもり」と書かれているとおり、史料の訳には、「ガラの悪い言葉」も「オッサン言葉」も「お姉さん言葉」も「面倒な姉を持った弟言葉」も出てこない。ほぼ普通に訳されている。
○また、前著では、頼朝と頼朝時代が「物騒」(残酷で悲惨)であったことを認めつつ、同時に「ゆるさ」や漫才にも通じるような「間抜けさ」があったとし、その空気感を「物騒とゆるさ」あるいは「残虐とほのぼの」の共存と表現していた。しかし、本書には、ゆるさ、間抜けさ、ほのぼのさを感じさせるところはほとんどない。
○本書では、著者は、鎌倉幕府は、武士団という私的武力集団の集合体で、(特に源氏三代は)それ自体が巨大な私的武力集団であったことを強調する。頼朝死後の御家人間抗争の直接の原因は、指導者頼朝が死んでしまったことだが、根源的問題は、「兵の道」というきれいごとを言っても、武士は、戦うこと、殺人を存在意義とするので、紛争解決の手段は相手を殺すことにならざるをえないことである。
二、目次
序 殺し合いの時代、第一章 十三人合議制の成立と抗争の開始、第二章 梶原景時事件と広域武士団、第三章 比企の乱と北条時政の独裁、第四章 北条義時の台頭と和田合戦、第五章 源実朝暗殺と承久の乱への道程、第六章 承久の乱、第七章 伊賀氏の変と御家人間抗争の終焉。結 兵の道の虚実。
三、私的感想
○私は前著の「ガラの悪い言葉」「オッサン言葉」「お姉さん言葉」「面倒な姉を持った弟言葉」を使った史料現代語訳がわりと気に入っていたので、今回は普通の訳になってしまったのが、ちょっと残念である。
○よくまとまって読みやすい本ではあるが、「淡々と叙述」は難しく、時々熱くなってくる。時政に関する叙述は特に熱い(冷たい?)。「・・時政は"恐怖のオーラ“を身に纏った。時政の行く道を阻む者は、何者であろうと死ぬのである」164頁「重忠が娘婿であり比企討伐に大功があったことなど、時政の野望の前には塵芥の価値もなかった」179頁「邪魔者を悉く殺して来た独裁者は、己の影に怯えた」190頁「貴族の姫君、牧方は父より年上の無教養な田舎親父(時政)の妻になるというこれ以下は無いほどの不幸に見舞われたが、結果として好き勝手な生活を送った」192頁。
○一方、和田氏を滅ぼし、頼朝の甥を討伐し、承久の乱に勝った義時には優しい。執権になったのは、周囲の状況によるもので、「時政のような独裁者ではない。合議の際の議長役であり、比喩的に言えば投票権は他のメンバーと同じ一票であった」201頁。「そもそも義時は権力の座を積極的に求めたことはない」277頁等々である。前著には、「なってしまったらキチンとやろうとするマジメな性格のために」キチンとやってきた、「姉ちゃん(政子)とあにき(頼朝)のおかげで、メンドくさいことばっかだなア」とあったが、同じことを言っているのかもしれない。
○最後の伊賀氏の変については、政子が自分の実子ではない泰時の執権継承のために、ここまで積極的に動く理由についての、歯切れのよい説明はないように思う。政子自身は、世の平和のためにと言っているが・・。
○最後に、系図・参考文献と「古代・中世日本の基礎知識」が付いており、便利である。参考文献の中に、『仁義なき戦い』、『マフィア』、『ドラキュラ伝説』が入っている
60人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2022年12月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
知っているようで知らなかった鎌倉時代。勉強になります。
2022年11月1日に日本でレビュー済み
『鎌倉幕府抗争史――御家人間抗争の二十七年』(細川重男著、光文社新書)で、とりわけ興味深いのは、梶原景時事件、阿野全成殺害事件、比企の乱――の3つです。

●梶原景時事件
「景時は源義経を(源)頼朝に讒言した悪人として有名で、たしかに『義経記』を見ると景時の義経への悪口・讒言はヒドイものである。しかし、『義経記』は軍記物語、いわば戦争小説であって、そのまま記述を鵜呑みには出来ない」。

「頼朝は景時の性格をわかったうえで、その官僚としての才能を買って使っていたが、頼朝薨去の頃には、御家人たちの中での景時の評判は地に墜ちていたようだ」。

「(景時弾劾に)これだけ広範囲な、しかもタイプの異なる人々が一晩で集まったのであるから、梶原景時が御家人たちから蛇蝎のごとく嫌悪されていた事実は動かしがたい。頼朝の比類無き信頼を得て権勢を振るった景時であったが、庇護者の死によって、彼への怨嗟と憤懣が一挙に表面化した」。

「頼朝の権臣梶原景時は呆気なく滅亡した。思いがけない遭遇戦での最期であり、景時としても不本気であったろう。そして十三人合議制メンバーを含めた御家人たちは、この事件によって、自分たちの対立に因する仲間殺しを体験してしまった」。27年間に亘る御家人間抗争の幕が切って落とされたのです。

●阿野全成殺害事件
全成は、義経の同母兄にして頼朝の異母弟で、頼朝の妻・北条政子の妹・阿波局を妻とし、源頼家の弟・千幡(後の源実朝)の乳母夫となっていました。「その全成が建仁3(1203)年5月19日、謀反を企てたとして甥である鎌倉殿頼家の命を受けた甲斐源氏の伊沢(武田)信光に捕らえられた」。その後、全成は下野で八田知家に討たれてしまいます。

「謀反計画を理由に全成が頼家の命で討たれ、息子の一人も縁座で殺された。だが、全成の謀反計画は事実であったのか、大いに疑問がある。・・・頼家は外戚である北条氏、特に母政子を屈服させることを目的としていたと推定される。・・・頼家は叔父であり頼朝の弟である全成を殺害することによって、鎌倉殿としての権威と権力を確立しようとしたのではないか」。

「頼家は『人の心を掴む』という才能で、父頼朝に遥かに及ばなかった。だが、いわば『生まれながらの鎌倉殿』である頼家は、その事実に不幸にも気付けなかった」と、著者は頼家に辛辣です。

●比企の乱
「全成誅殺から3ヶ月足らずの後、建仁3年9月に比企の乱が勃発する。比企の乱は、北条氏と比企氏、より限定すれば北条時政と比企能員による鎌倉殿外戚位の争奪戦である」。

北条氏はもともと伊豆の小土豪に過ぎず、鎌倉殿外戚が唯一の政治基盤である時政に対し、頼朝の乳母・比企尼の一族である比企氏の勢力は強大でした。「ゆえに、ありていに言えば比企能員は北条時政をナメており、時政が9月2日の段階で自分を狙うとは思ってもいなかったのではないか。9月2日の能員の行動が、それをよく示している。比企の乱の結末は、比企能員が北条時政の策士としての実力を読み誤った結果と言うことができる。そして比企能員殺害の直後に小御所襲撃はなされた。比企の乱は、綿密に計画された暗殺と奇襲攻撃の合わせ技である。比企氏は有していた軍勢を集めることなく滅ぼされたのであり、本来の実力を発揮出来ないまま敗れたのであった」。

比企の乱により、妻・若狭局の父・能員を失った頼家は鎌倉を追放され、配流された伊豆国修禅寺で、23歳で死去します。「『愚管抄』巻六・『保暦間記』によれば、配所の風呂場で睾丸を掴まれ、首を紐で絞められるという斬殺であった」。

自分の考えを鮮明に記述するという著者・細川重男の流儀が本書でも貫かれているので、爽快な読後感を味わうことができます。
カスタマー画像
5つ星のうち5.0 源頼朝死去後の、血で血を洗う御家人間抗争の実態
2022年11月1日に日本でレビュー済み
『鎌倉幕府抗争史――御家人間抗争の二十七年』(細川重男著、光文社新書)で、とりわけ興味深いのは、梶原景時事件、阿野全成殺害事件、比企の乱――の3つです。

●梶原景時事件
「景時は源義経を(源)頼朝に讒言した悪人として有名で、たしかに『義経記』を見ると景時の義経への悪口・讒言はヒドイものである。しかし、『義経記』は軍記物語、いわば戦争小説であって、そのまま記述を鵜呑みには出来ない」。

「頼朝は景時の性格をわかったうえで、その官僚としての才能を買って使っていたが、頼朝薨去の頃には、御家人たちの中での景時の評判は地に墜ちていたようだ」。

「(景時弾劾に)これだけ広範囲な、しかもタイプの異なる人々が一晩で集まったのであるから、梶原景時が御家人たちから蛇蝎のごとく嫌悪されていた事実は動かしがたい。頼朝の比類無き信頼を得て権勢を振るった景時であったが、庇護者の死によって、彼への怨嗟と憤懣が一挙に表面化した」。

「頼朝の権臣梶原景時は呆気なく滅亡した。思いがけない遭遇戦での最期であり、景時としても不本気であったろう。そして十三人合議制メンバーを含めた御家人たちは、この事件によって、自分たちの対立に因する仲間殺しを体験してしまった」。27年間に亘る御家人間抗争の幕が切って落とされたのです。

●阿野全成殺害事件
全成は、義経の同母兄にして頼朝の異母弟で、頼朝の妻・北条政子の妹・阿波局を妻とし、源頼家の弟・千幡(後の源実朝)の乳母夫となっていました。「その全成が建仁3(1203)年5月19日、謀反を企てたとして甥である鎌倉殿頼家の命を受けた甲斐源氏の伊沢(武田)信光に捕らえられた」。その後、全成は下野で八田知家に討たれてしまいます。

「謀反計画を理由に全成が頼家の命で討たれ、息子の一人も縁座で殺された。だが、全成の謀反計画は事実であったのか、大いに疑問がある。・・・頼家は外戚である北条氏、特に母政子を屈服させることを目的としていたと推定される。・・・頼家は叔父であり頼朝の弟である全成を殺害することによって、鎌倉殿としての権威と権力を確立しようとしたのではないか」。

「頼家は『人の心を掴む』という才能で、父頼朝に遥かに及ばなかった。だが、いわば『生まれながらの鎌倉殿』である頼家は、その事実に不幸にも気付けなかった」と、著者は頼家に辛辣です。

●比企の乱
「全成誅殺から3ヶ月足らずの後、建仁3年9月に比企の乱が勃発する。比企の乱は、北条氏と比企氏、より限定すれば北条時政と比企能員による鎌倉殿外戚位の争奪戦である」。

北条氏はもともと伊豆の小土豪に過ぎず、鎌倉殿外戚が唯一の政治基盤である時政に対し、頼朝の乳母・比企尼の一族である比企氏の勢力は強大でした。「ゆえに、ありていに言えば比企能員は北条時政をナメており、時政が9月2日の段階で自分を狙うとは思ってもいなかったのではないか。9月2日の能員の行動が、それをよく示している。比企の乱の結末は、比企能員が北条時政の策士としての実力を読み誤った結果と言うことができる。そして比企能員殺害の直後に小御所襲撃はなされた。比企の乱は、綿密に計画された暗殺と奇襲攻撃の合わせ技である。比企氏は有していた軍勢を集めることなく滅ぼされたのであり、本来の実力を発揮出来ないまま敗れたのであった」。

比企の乱により、妻・若狭局の父・能員を失った頼家は鎌倉を追放され、配流された伊豆国修禅寺で、23歳で死去します。「『愚管抄』巻六・『保暦間記』によれば、配所の風呂場で睾丸を掴まれ、首を紐で絞められるという斬殺であった」。

自分の考えを鮮明に記述するという著者・細川重男の流儀が本書でも貫かれているので、爽快な読後感を味わうことができます。
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