ジャケットには定番のサイフォンやミル等の綺麗に並ぶ恒例の店内のカウンター、そしてギンガム迷彩柄のシャツを着た近影も見える、カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュの店主である堀内隆志さんの手掛けたコンピレーション『鎌倉のカフェから コーヒー&ビスケッツ』は、アルバムのサブタイトルやジャケットの澁谷玲子さんのイラストにも引っ掛けてあるビスコイト・フィーノのレーベル音源を全編で使った編集盤です。既に二十年以上続く鎌倉の喫茶店「カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ」で実際に流れる音楽を使ったものとのことで、家に居ながらにして店内の雰囲気も味わえる寛ぎの一枚に仕上がっていますが、使用曲の性格上、特に場所には関係なく聴けると思います。これ一枚で、所謂実力派から新進気鋭の若手までボサノヴァ~MPB~サンバを網羅した数々の名演が楽しめます。
オリンピック後に企画された今回の編集盤のテーマである、ビスコイト・フィーノはリオデジャネイロにあるレーベルで、新作だけでなく過去の作品の発掘にも力を入れる優れたレーベルですが、同レーベルの偉業として先ず記憶すべきは、シキーニャ・ゴンザーガやピシンギーニャの歴史的な音源を編集した画期的なショーロ編集盤、或いは名盤のリイシューにも力を注いで、パウリーニョ・ダ・ヴィオラ&エルトン・メデイロス『夜明けのサンバ』やアントニオ・カルロス・ジョビン『ミニャ・ アルマ・カンタ』を始め、時にはアマリア・ロドリゲスのファドやアルトゥール・ネストロフスキのジョビン作品集を拾ったり、本コンピレーションではモニカ・サルマーゾの取り上げた原曲が収録されている、エドゥ・ロボとシコ・ブアルキが連名でリリースした1983年のミュージカル作品の傑作と評される名盤の再発も行っています。同時にレーベル自身が手掛けるリリースでは、コンサート盤『ジョビン・シンフォニコ』に代表される豪華盤を筆頭に、本盤にも収録されているエドゥ・ロボやホーザ・パッソス等の有名アーティストの新作だけでなく、マリオ・アヂネーの娘アントニア・アヂネー、マルチーニョ・ダ・ヴィラの娘マルチナリアとマイラ・フレイタス、カルリーニョス・ヴェルゲイロの娘ドラ・ヴェルゲイロ、エグベルト・ジスモンチの娘ビアンカ・ジスモンチ、ジョアン・ジルベルトの娘ベベウ・ジルベルトといった彼女たちのアルバムまで幅広く取り扱っています。そのようなレーベル音源から選ばれた、本コンピレーションアルバムは以下の全15曲が51分29秒で収められています。
1 Tintim por Tintim - Antonia Adnet 2015
2 Diz Que Fui Por Aí - Rosa Passos 2011
3 Pranto de Poeta Part. Especial Marcelinho Moreira - Carlinhos Vergueiro 2011
4 Candeias - Edu Lobo 1995/2011
5 Maybe One Day, Maybe In Vain (Lembra de Mim) feat. Chiara Civello - Ivan Lins 2013
6 Ela Faz Cinema - Chico Buarque 2006
7 Batuira - Sergio Santos 2009
8 Wave - Yamandu Costa & Dominguinhos 2007
9 Ciranda de Bailarina - Mônica Salmaso 2007
10 Êta - Maíra Freitas 2015
11 O Badabadá do Talarico - Moyseis Marques 2012
12 Ela É Minha Cara - Mart'nália 2008
13 Divina Mangueira feat. Beth Carvalho - Moacyr Luz 2009
14 Tive Sim - Luiz Melodia 2007
15 Súplica - Soraya Ravenle 2011
この『コーヒー&ビスケッツ』では堀内さんのコンパクトな各曲のライナーノーツが然り気無く収められていますが、お気に入りを詰め込んだ彼の選曲と同等の音楽への愛情がここにもまたパッケージされています。優美で愛らしく、ジャジーで親しみやすい、ムーディーで繊細、ファンタジックでピュア、艶のある響き、シンプルにして独特の音像の醸成といった詰め合わせで、日本人の好きなブラジル音楽でも上質な雰囲気を巧みに演出しています。あくまでカフェで流れる音楽なので基本的には聴いていて心が晴れる明るめの曲調が並びます。
先ず冒頭を飾るアントニア・アヂネー、かつてジョアン・ジルベルトの名盤『イマージュの部屋』で取り上げられた曲で、同曲のソングライター作品数点を同盤で彼女は取り上げていますが、更にこれらはジョアンが来日時にカバーした楽曲だったことが思い出されます。続いて先頃ビスコイトからライブ盤をリリースしたホーザ・パッソスはナラ・レオンやエリゼッチ・カルドーゾの歌ったゼー・ケチの名曲。 ギリェルミ・ヴェルゲイロの兄カルリーニョス・ヴェルゲイロ、彼のネルソン・カヴァキーニョのトリビュート盤より、マルセリーニョ・モレイラを迎えてのサンバの名曲。
エドゥ・ロボは1995年作品をビスコイトが再発した名盤からエレンコ時代の「カンデイアス」を。同盤では先のエドゥ&シコのアルバム曲も披露しています。そしてイタリアではブルーノートから発売のインヴェンタリオ&イヴァン・リンス名義の作品より、イヴァンとヴィトル・マルチンスによる「レンブラ・ジ・ ミン」は90年代にテレビ番組の主題歌としてヒットした名曲をキアラ・シヴェロをフィーチャーした女性物のジャズに仕立てています。ブラジル音楽の精髄、そして哀切さが格別のシコ・ブアルキの小品。胸狂おしくなるシコでしか味わえない感覚でしょう。ミナスの遅咲きの才人セルジオ・サントス「バトゥイラ」所収のアルバムはアンドレ・メマーリの編曲も冴え渡るジャケットと内容ともに名作です。続いてはブラジルのスタンダードカバー曲集より、ガットギターとアコーディオンの名手達による「波」。幕間の小休止的な、モニカ・サルマーゾによるシコ・ブアルキ作品集から「シランダ・ヂ・バイラリーナ」。原曲所収のサウンドトラック盤は数度の再発が為される人気盤ですが、その後同盤はビスコイトからも再発されています。
軽快な中にも柔軟な力強さを感じるマイラ・フレイタス、絹ごしのように滑らかなモイゼス・マルケスの歌声。マルチナーリア~モアシル・ルースと安定感のあるサンバが続きます。モアシルのベッチ・カリバーリョとのマンゲイラ。ルイス・メロヂーアのカルトーラのカバー曲を経て、ラストのソラヤ・ハヴェンリによる「スープリカ」は女性ボーカルの美しい歌声でエンディングに相応しい爽快な曲です。
どの曲も適度な収録時間で男女の比率や演奏のバランス、曲調の流れも申し分ありません。再度のビスコイト選曲シリーズに期待が膨らみます。改めて、本コンピレーションにはカフェで流れる音楽やそのひとときを愛する方が重宝したい現代のブラジル音楽が集められています。また過去に縁のなかったリスナーにも良好なコンピレーションで、膨大な点数を誇るビスコイト作品をこれから聴いてみたい方への道しるべとなる日本人仕様のお試し盤になっています。どうか一人でも多くの耳の肥えたリスナーに、素晴らしい音楽の宝庫であるにも関わらず、多くは埋もれてしまいがちなその世界の一端に触れてみて欲しいと思います。