私は、小川国夫氏の作品は『或る聖書』と『聖書と終末論』を読んだだけなので、大したことは言えない。このたび、奥さんつまり「からめて」から見た小川氏を知りたいと思って、本書を開いた。小川氏はクリスチャンであり、青春時代 (昭和30年頃) にフランスに私費留学し、オートバイでスペイン、北アフリカ、イタリア、ギリシア等の地中海諸国を旅した作家であるから、私は、憧れと妄想を膨らませて本書のページをめくった次第である。そうしたら、予想外のショックを受けてしまった。いくつか印象的な章を紹介しよう (要約):
「かげろう」から
< かげろうがゆらゆら立ちのぼっている。そのかげろうの先に、小さな黒い点が見えた。向こうから下りてくる人影のように見える。・・・・・
夫だった。
・・・・・夫が近付くのを待った。あたりが一瞬白い光に満たされた。だれもいない真昼の坂の上で、そのとき私は夫に抱かれたかった。
夫は何も言わず視線を少し落として背を丸め、私の横を通り過ぎて坂を下りていったのだ。
確かにあの人は私を見ていた筈だった。でも本当は見ていないんだ。あの眼は私を通り過ぎて、何か別のものを見ているんだわ。いつもあんな眼をして私を見るんだ。・・・・・
私の体に炎が燃え始め、ゆうべのことが思い出された。素足がほてり、さっきから気になっていた着物の衿元を左右に大きく拡げてふき出す汗を拭い、そのまま右手を押し込んで、乳房に触れた。体じゅうが煮えたぎっていた。・・・・・>
「蚊帳のなか」から
<・・・・・
廊下を隔てた向こう側の右の方に突き出た六畳間では、お酒の勢いもあってか、まだ編集者達が騒めいている。国夫さんが依頼された小説を〆切までに書き上げていないので、数人の若い編集者がわざわざ東京からやって来て、こうして出来上がるのを待っているのである。なかには、この小川家の待合い酒宴が楽しくてお相伴に与るだけの客もいる。
・・・・・
電灯を消し、浅黄色の蚊帳のなかに月あかりが差し込んでくると少し涼しくなり、子供たちの小さな寝息を聞きながら、私はほっと疲れが出て、向こうの部屋の編集者達の騒めきを、遠く近く聞きながらまどろみ、眠りに落ちていった。
明け方、薄明りのなか、ふと私のそばに人の気配がした。オカッパの形にしている私の髪を、静かにやさしく撫でている手があった。そっと抱いてくれている人の影。背広の硬い衿先が私の頬に触れ、覚えのない煙草の移り香がかすかに漂い、その人が左腕に抱えている原稿の入った紙袋の、パリパリと押し潰される小さな音がした。
・・・・・だれかが蚊帳をくぐって傍らに横たわり、そっと抱いてくれている。髪を撫でてくれている。久しぶりに触れる男の人の大きな手。息をこらし、気づかぬふりをしてじっとしていた。
・・・・・
暫くすると、玄関のあたりで押しころしたような人の声がして戸が閉まり、数人の靴音が遠ざかっていった。涙がすーっと枕に落ち、思わず掛け布団を頭の上まで被り、口を押えて、子供のように泣きじゃくった。>
「続・二丁目のこおろぎ」から
<・・・・・
その頃夫は一旦外出すると二、三泊して来るようになった。売れぬ小説を毎夜書いたが、週に二回ほど神田の方にある会社の「フランス・アジア」という雑誌の翻訳を頼まれて出かけた後、必ずどこかへ泊ってきた。私もまだ若く、妊娠六ヶ月の身で、ただただ淋しく不安で、ふと思い出した三浦氏の住所を手掛かりに訪ねてみた。夫は古いアパートの二階の三浦氏の部屋に泊っていた。階下から大声で三浦氏の名前を呼ぶと、パジャマ姿の女が現れ、階段の下でうずくまっている私の姿を見下ろして、「オーさん、若妻がお迎えよ」と言ったのだ。姿を見せない夫は、「すぐ帰るから」と、その部屋の方からやっと聞えるような小さな声で言い、私はあまりの辛さにアパートの外へ転がり出て雑草を握りしめ、慟哭した。結局その夜も夫は帰ってこなかった。
私がこの時受けた彼女の侮蔑的な態度と深い屈辱感は、八十歳近い老女になった今でも、はっきりと思い出すことができる。
・・・・・
もし運命の女神がいるなら、いつの日か彼女を私に会わせることにするだろう。その時、私は彼女にこう告げよう。
「私が愛した夫の、毎夜ペンを握っていたあの温かい細く華奢な指も、若々しかった頬のひげも、体を重ねる度に聞えてくる脈打つ心臓の音も、そしてあの頃、あなたも触れただろう豊かな黒い髪も、今はこの世に無いのよ」>
「最後の一葉」から
<・・・・・時折じっと前方の天井の片隅を見つめては、そこに白衣の人が数人集まっていると言い、私にもそちらを見るよう促したりした。・・・・・私は国夫さんに近く訪れる死をかすかに感じていた。
始まりは他人どうし、出合って好きなり結婚し、甘えたり拗ねたり、怒ったり涙したりした日々。やがて務めるようになり、許すようになり、すべてを受け入れるようになった永い年月。
バスタオルをまとったまま、国夫さんの傍らにすべり込んだ。右の耳たぶあたりに、懐かしい国夫さんの匂いがする。白髪まじりのあごひげが頬に当って、痛い。今夜はずっとこうして私の全身に触れていて欲しい。
・・・・・>
私のアホな感想を述べると、生身の奥さんの息遣いが迫ってくるようで、思わず腰が引ける。
「蚊帳のなか」では、明け方、小川氏から原稿を受け取った編集者が、帰りがけに、こともあろうに、蚊帳のなかに入り込み、子供に添い寝している奥さんをやさしく抱いた、と書いてある。私はこの不埒な編集者の所業に仰天し、男として理解できなくもないが、怒りを覚える。まったく、ふてえ野郎だ。また、奥さんの気持ち、女の気持ちも分からない。まだ私の人生修行が足りないということか。
「続・二丁目のこおろぎ」では、小川氏のつれない態度に、身重の奥さんは雑草を握りしめて慟哭した、とある。地面に泣き伏せた奥さんをそのまま放っておいた小川氏は、なんと冷たい旦那であろうか。「パジャマ姿の女 (三浦氏の奥さん)」に対する奥さんの敵愾心は、「正妻のプライド」であろうが、すごい執念である。
「最後の一葉」では、最晩年の小川氏は、湯上りにバスタオルを巻いて若妻にもどったような奥さんに添い寝をしてもらったが、嬉しくて昇天する思いであったろう。実にうらやましい。
本書から伺い知れることは、小川氏は気ままななボンボンであり、奥さんは長い年月に亘って抑圧的生活を強いられていたこと。だが、奥さんが味わったご苦労は、何も小説家の家庭に限ったことではなくて、いつの時代でも、どこの世界でも、多くの女性たちが経験していることだろう。「妻というものは、いつも自分と夫と、ふたり分も苦しむものではなかろうか」(バルザック)。などど、分かったようなことを書いている私も含めて、女性たちを苦しめ悲しませ泣かしているバカ野郎どもは皆、その人生の最期に独り幽冥をさ迷って地獄に落ちろ!!!それで帳尻が合うことになる。薄暗がりで必死に手を差しのべても、誰もその手を握ってくれない、ダッコもしてくれない。
小川氏とヨシモト先生 (吉本隆明) が対談した折、ヨシモト先生が「親鸞の妻の恵信尼は親鸞を「殿」と呼んでいたが、一般に夫婦という概念を考えると、自分の旦那を「殿」という呼び方をする面と、「宿六」だというふうに思っている面と二つあるが、小川さんの場合はどうですか?」と聞くと、小川氏は「やっぱり宿六です」と答えた。「宿六」とは「ろくでなしな夫を妻が他人に罵る際に使う言葉」である。だが、苦労を掛けられた奥さんは小川氏を非難していないので、小川氏は「宿六」ではないことになるが、私はやはり小川氏を「宿六」だと思いたい。格調高い宗教小説を書いた小川氏といえども、ただの「宿六」であったとすれば、親しみが湧いてくるのである。
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