古い時代の作品に触れる機会そのものが少ない。作者が兵庫県教育委員になって,いろいろ発言されているとのことを聞いたことがあった。それなら、ご本人はどんな立場の人なのか興味がわいた。
女性が主人公との見方が解説でもあったが、男性から見て必ずしも賛成しない。話のテンポも速く、その先の展開に本当に興味がわいた。その点でも、古い内容と思って読まない人が多いと思うが、そんな人にも是非読むことを進めたい作品です。ただ、成人前の人が読むことにはそれなりの抵抗もあり、元来、どんな読者を想定しているのかは興味深い。私の世代では、これほど強烈な興味がわいて一気に読んだので他にも進めたい。
銀のみち一条〈下巻〉 (日本語) 単行本 – 2008/11/1
玉岡 かおる
(著)
著者の作品一覧、著者略歴や口コミなどをご覧いただけます
この著者の 検索結果 を表示
あなたは著者ですか?
著者セントラルはこちら
|
その他 の形式およびエディションを表示する
他の形式およびエディションを非表示にする
-
本の長さ316ページ
-
言語日本語
-
出版社新潮社
-
発売日2008/11/1
-
ISBN-104103737123
-
ISBN-13978-4103737124
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ: 1 / 1 最初に戻るページ: 1 / 1
Kindle 端末は必要ありません。無料 Kindle アプリのいずれかをダウンロードすると、スマートフォン、タブレットPCで Kindle 本をお読みいただけます。
1分以内にKindleで 銀のみち一条(下)(新潮文庫) をお読みいただけます。
Kindle をお持ちでない場合、Get your Kindle here Kindle 無料アプリのダウンロードはこちら。
Kindle をお持ちでない場合、Get your Kindle here Kindle 無料アプリのダウンロードはこちら。
商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
常に死と隣り合わせの暗く冷たい銀山の地底で、恵まれた体躯を元手に鉱山一の稼ぎをあげてきた雷太を襲った忌まわしい暴力。旧制度を守ろうとする部屋主たちと職人肌の坑夫たちの対立。幼馴染みの芳野の気高い想いと、ひたむきな志真の求めたささやかな幸せ。そして…すべてを失った雷太が、真っ暗闇の中から見つけ出したひとすじの道は―。古い体制の中で懸命にあがきながら生きた明治の人々を描く傑作長篇。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
玉岡/かおる
1956(昭和31)年、兵庫県生れ。神戸女学院大学文学部卒。87年『夢食い魚のブルー・グッドバイ』で神戸文学賞を受賞しデビュー(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1956(昭和31)年、兵庫県生れ。神戸女学院大学文学部卒。87年『夢食い魚のブルー・グッドバイ』で神戸文学賞を受賞しデビュー(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2008/11/1)
- 発売日 : 2008/11/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 316ページ
- ISBN-10 : 4103737123
- ISBN-13 : 978-4103737124
-
Amazon 売れ筋ランキング:
- 1,336,399位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 38,404位日本文学
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
5つ星のうち4.4
星5つ中の4.4
10 件のグローバル評価
評価はどのように計算されますか?
全体的な星の評価と星ごとの割合の内訳を計算するために、単純な平均は使用されません。その代わり、レビューの日時がどれだけ新しいかや、レビューアーがAmazonで商品を購入したかどうかなどが考慮されます。また、レビューを分析して信頼性が検証されます。
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2013年7月26日に日本でレビュー済み
違反を報告
Amazonで購入
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2016年10月11日に日本でレビュー済み
読んでいる最中にこれまで読んだ様々な物語が彷彿とされ、
良質の文学作品を読んでいる喜びを感じることが出来た。
物語が緻密に構成されそれが過去を巻き込んで次々に展開していくので、
息をつく暇もなく、面白く読めたし、身につまされる部分も多々あって引き込まれた。
登場人物それぞれが、皆うまく描き分けられていて、それぞれの特徴が
それぞれに魅力的だと思う。
雷太は、誠意もあり性格も頭脳も良く、おまけに体格も体力も秀でている、という
申し分のない登場人物として描かれているが、
女性に対してはどうだろう?と、若干違和感を覚える部分もあった。
一例を挙げれば、妻が命がけで産んだ子供より、目の前の女性を取る辺り。
描き方がそれを抑制しているので判りにくくはあるが、結局は、好きな人のことしか考えていない。
そして、何人もの女性に悲しい思いをさせつつ、最終的には目的の人と結ばれてしまう辺り。
(そもそも雷太は咲耶子の何が好きなのか、正直言って解らない。)
咲耶子も、何だかんだ言っても、いつも衝動的で、いつも自分が被害者でしかないと思っているという、
ある適度の甘えと我儘さを持つ「お嬢さん」の域を出ていない。
その影で、たくさんの人が傷ついたり、人生を棒に振ったり悲しい思いをしている人がいても、
いつでも守られているばかり。
咲耶子が真に「自由」になりたいのであれば、その第一歩は、
人に「医者のお嬢さん」と呼ばせないだけの自立した行き様をするこだと思うが、
雷太に「お嬢さん」と呼ばれることを厭わず、仕えて守ってもらう立場を崩すこともないようなので、
「自由」と言いながら、自由の厳しさは知らないままに守られた生き方を今後もするのだろう。
それに比べ、芳野は見事と言うしかなく、あっぱれだと思う。
しかし、芳野は誰に守られることもなく、自分こそが全てを守って行かなければならない運命、
それでも愛ゆえに、そんな雷太を受け入れ許すという生き方は、凄みもあり厳しく、
それ故に芳野は美しく、真に自由である。
「恋慕」だけで動けてしまえる咲耶子や雷太よりも孤独で、「愛」があると感じる。
下賤な人間として登場して来た様々な男たち、特に伊作にはやはりもっと幸せになってもらいたかった。
咲耶子が捨てた江藤にも、幸せになってもらいたい。
結局は、力のある者、権威の傘の下にある者が自分の思いを遂げて幸せになる、というふうに描くのではなく、
本当に哀しみを持った人間にこそ、もう少し多くの優しい風を吹かせて物語を締めくくってもらえれば、
もっと腑に落ちる満足感が得られたように思う。
良質の文学作品を読んでいる喜びを感じることが出来た。
物語が緻密に構成されそれが過去を巻き込んで次々に展開していくので、
息をつく暇もなく、面白く読めたし、身につまされる部分も多々あって引き込まれた。
登場人物それぞれが、皆うまく描き分けられていて、それぞれの特徴が
それぞれに魅力的だと思う。
雷太は、誠意もあり性格も頭脳も良く、おまけに体格も体力も秀でている、という
申し分のない登場人物として描かれているが、
女性に対してはどうだろう?と、若干違和感を覚える部分もあった。
一例を挙げれば、妻が命がけで産んだ子供より、目の前の女性を取る辺り。
描き方がそれを抑制しているので判りにくくはあるが、結局は、好きな人のことしか考えていない。
そして、何人もの女性に悲しい思いをさせつつ、最終的には目的の人と結ばれてしまう辺り。
(そもそも雷太は咲耶子の何が好きなのか、正直言って解らない。)
咲耶子も、何だかんだ言っても、いつも衝動的で、いつも自分が被害者でしかないと思っているという、
ある適度の甘えと我儘さを持つ「お嬢さん」の域を出ていない。
その影で、たくさんの人が傷ついたり、人生を棒に振ったり悲しい思いをしている人がいても、
いつでも守られているばかり。
咲耶子が真に「自由」になりたいのであれば、その第一歩は、
人に「医者のお嬢さん」と呼ばせないだけの自立した行き様をするこだと思うが、
雷太に「お嬢さん」と呼ばれることを厭わず、仕えて守ってもらう立場を崩すこともないようなので、
「自由」と言いながら、自由の厳しさは知らないままに守られた生き方を今後もするのだろう。
それに比べ、芳野は見事と言うしかなく、あっぱれだと思う。
しかし、芳野は誰に守られることもなく、自分こそが全てを守って行かなければならない運命、
それでも愛ゆえに、そんな雷太を受け入れ許すという生き方は、凄みもあり厳しく、
それ故に芳野は美しく、真に自由である。
「恋慕」だけで動けてしまえる咲耶子や雷太よりも孤独で、「愛」があると感じる。
下賤な人間として登場して来た様々な男たち、特に伊作にはやはりもっと幸せになってもらいたかった。
咲耶子が捨てた江藤にも、幸せになってもらいたい。
結局は、力のある者、権威の傘の下にある者が自分の思いを遂げて幸せになる、というふうに描くのではなく、
本当に哀しみを持った人間にこそ、もう少し多くの優しい風を吹かせて物語を締めくくってもらえれば、
もっと腑に落ちる満足感が得られたように思う。
2013年1月27日に日本でレビュー済み
この作者の作品を読んだのは初めてだったが、内容の濃い秀作だった。なぜ何の賞も得ていないのか、不思議なくらいである。有名な賞の選考委員となっているお偉い作家の先生方とはあまり意見が合わないと前々から思ってはいたが、この佳作はもう少し評価・注目されてもよいのではないかと思う。
時は明治、国を挙げての殖産興業の真っ只中、近代鉱業の中心となった但馬生野銀山を舞台にした大河小説である。真摯に生きる鉱夫の雷太と、その人生を彩る3人の女――雷太の幼馴染で貧困から芸妓となった美貌の芳野、町一番の良家の娘・咲耶子、雷太に一途に思いを寄せる咲耶子の小間使い、志真。女には何の力もなく、男にすがることでしか生きていけなかった時代だった。女という立場の弱さに泣き、運命に、男に翻弄されてゆく。その人生には3人3様の悲しみがあり、節の通し方があった。貧乏家族を養うために見も心も犠牲にしながらも、自分の道を切り開いていった芳野の身の振り方は、哀れながらもあっぱれだと思った。誰よりも恵まれて、新しい明治の女として希望に燃えていたはずの咲耶子も、結局はその特権的な身分ゆえに、社会の作った女という枷に誰よりも苦しみ、挫折してゆく。それでも彼女をかばう人間がいつもいたことは、やはり彼女の恵まれた生い立ちゆえで、幸運といわざるを得ない。芳野にはそんな人間もなく、全て自分の力で創り上げていかなければならなかったのだから。
また、この物語で、恵まれない境遇に育ちながらも人を助け、まっすぐに生きていく雷太とは対照的に描かれている、幼馴染でフランス人のクウォーター、北村伊作の存在も見逃せない。多くの人の厚意を受けながらも自らの不運を嘆くことしかせず、人を恨み、自滅していった男。そのほかにもこの物語には、激動の時代に翻弄されながらも抗い、自分の道を歩んでいった人間が幾人も登場する。そして、傷つきながらも希望の光を見出していった登場人物の姿に励まされるのだ。
この物語の表向きの主人公は鉱夫である雷太だが、私はこれは3人の女の物語だと思っている。社会的に何の力もなかった時代に懸命に生きる女の話。自分の話になってしまうが、以前、私の仕事ぶりを写真つきで祖母に説明したことがある。そのときの祖母の言葉「あんた、こんな人たちに相手にしてもろうちょるのかいね。」私はかなりムッと来た。私は自分の努力で現在の立場を勝ち取ってきたと思っていたからである。しかし思えば、祖母は女が何の相手にしてもらえない時代を生きてきたのだった。女は男に庇護されてやっと生きていける「もの」であり、自分の権利を主張することさえままならなかった時代。能力さえあれば認めてもらえることを当たり前と思っている私は、間違いなく恵まれているのだ。今なら笑って祖母に言えるだろう。「そうよ、私ちゃんと相手にしてもらってるのよ」と。
時は明治、国を挙げての殖産興業の真っ只中、近代鉱業の中心となった但馬生野銀山を舞台にした大河小説である。真摯に生きる鉱夫の雷太と、その人生を彩る3人の女――雷太の幼馴染で貧困から芸妓となった美貌の芳野、町一番の良家の娘・咲耶子、雷太に一途に思いを寄せる咲耶子の小間使い、志真。女には何の力もなく、男にすがることでしか生きていけなかった時代だった。女という立場の弱さに泣き、運命に、男に翻弄されてゆく。その人生には3人3様の悲しみがあり、節の通し方があった。貧乏家族を養うために見も心も犠牲にしながらも、自分の道を切り開いていった芳野の身の振り方は、哀れながらもあっぱれだと思った。誰よりも恵まれて、新しい明治の女として希望に燃えていたはずの咲耶子も、結局はその特権的な身分ゆえに、社会の作った女という枷に誰よりも苦しみ、挫折してゆく。それでも彼女をかばう人間がいつもいたことは、やはり彼女の恵まれた生い立ちゆえで、幸運といわざるを得ない。芳野にはそんな人間もなく、全て自分の力で創り上げていかなければならなかったのだから。
また、この物語で、恵まれない境遇に育ちながらも人を助け、まっすぐに生きていく雷太とは対照的に描かれている、幼馴染でフランス人のクウォーター、北村伊作の存在も見逃せない。多くの人の厚意を受けながらも自らの不運を嘆くことしかせず、人を恨み、自滅していった男。そのほかにもこの物語には、激動の時代に翻弄されながらも抗い、自分の道を歩んでいった人間が幾人も登場する。そして、傷つきながらも希望の光を見出していった登場人物の姿に励まされるのだ。
この物語の表向きの主人公は鉱夫である雷太だが、私はこれは3人の女の物語だと思っている。社会的に何の力もなかった時代に懸命に生きる女の話。自分の話になってしまうが、以前、私の仕事ぶりを写真つきで祖母に説明したことがある。そのときの祖母の言葉「あんた、こんな人たちに相手にしてもろうちょるのかいね。」私はかなりムッと来た。私は自分の努力で現在の立場を勝ち取ってきたと思っていたからである。しかし思えば、祖母は女が何の相手にしてもらえない時代を生きてきたのだった。女は男に庇護されてやっと生きていける「もの」であり、自分の権利を主張することさえままならなかった時代。能力さえあれば認めてもらえることを当たり前と思っている私は、間違いなく恵まれているのだ。今なら笑って祖母に言えるだろう。「そうよ、私ちゃんと相手にしてもらってるのよ」と。