金融界隈の専門家たちは、「国内外の規制のスキマ」「顧客の知らないことを知っている情報格差」「取引を膨らませるための他人の金」を自分自身の利益に変える、金融ゲームの構造をよく理解している。仮に構造を理解していなくとも、目の前の収穫機会は決して見逃さない。
その意味での確信犯事例が、高い見識と深い教養に裏打ちされた筆致で、数多く例示されている。感銘と興奮の中で書かれたようなレビューが多いことにも、納得できる。
一方、より良い金融機能に向けての提言は、クラシカルで、シンプルである。
①良い事業を見極めて、出資せよ
②出資後も、良い事業になるよう力添えせよ
自分のお金であれ、他人のお金であれ、上記2点に集中する行動主体を多数派にすることが、行政側で行える最善のサポートであろう。
そのような示唆が、本邦資本市場の方向性にも影響を与えたのだと思われる。
金融に未来はあるか―――ウォール街、シティが認めたくなかった意外な真実 (日本語) 単行本 – 2017/6/22
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本の長さ400ページ
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言語日本語
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出版社ダイヤモンド社
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発売日2017/6/22
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ISBN-104478068402
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ISBN-13978-4478068403
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
「ケイ・レビュー」で日本の金融庁をも動かした最強エコノミストが書きおろした世界的問題作。金融主義の終焉を告げる。
著者について
ジョン・ケイ(John Kay)
1948年スコットランド生まれ。エジンバラ大学、オックスフォード大学を卒業後、同大で講師として経済学を教えた。その後、英国で最も信頼されるシンクタンクである財政政策研究所でディレクター、オックスフォード大学のサイード・ビジネス・スクールの初代ディレクターなどを務める一方、多くの企業の取締役を歴任した。英国政府から請われて証券市場改革案(ケイ・レビュー)を作成するなど専門家の立場から公共政策に関わり、大英帝国勲章を受章している。フィデューシャリー・デューティー、ガバナンス・コード、スチュワードシップ・コードなどを提唱し、日本の金融庁などにも大きな影響を与えたことでも知られる。現在、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス客員教授、オックスフォード大セント・ジョンズ・カレッジ・フェロー。20年間フィナンシャル・タイムズ紙に寄稿し続けたコラムニストとして、経済全般に関する鋭い洞察力と筆力で世界的に尊敬を集める世界最高のエコノミストの一人である。
薮井真澄(やぶい ますみ)
共同通信社経済部 担当部長
慶応義塾大学文学部仏文科卒業、地方テレビ局、外資系銀行を経て共同通信社に入社。経済記事の翻訳に携わる他、ロンドン支局勤務を含めて主に金融市場の取材を担当。
1948年スコットランド生まれ。エジンバラ大学、オックスフォード大学を卒業後、同大で講師として経済学を教えた。その後、英国で最も信頼されるシンクタンクである財政政策研究所でディレクター、オックスフォード大学のサイード・ビジネス・スクールの初代ディレクターなどを務める一方、多くの企業の取締役を歴任した。英国政府から請われて証券市場改革案(ケイ・レビュー)を作成するなど専門家の立場から公共政策に関わり、大英帝国勲章を受章している。フィデューシャリー・デューティー、ガバナンス・コード、スチュワードシップ・コードなどを提唱し、日本の金融庁などにも大きな影響を与えたことでも知られる。現在、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス客員教授、オックスフォード大セント・ジョンズ・カレッジ・フェロー。20年間フィナンシャル・タイムズ紙に寄稿し続けたコラムニストとして、経済全般に関する鋭い洞察力と筆力で世界的に尊敬を集める世界最高のエコノミストの一人である。
薮井真澄(やぶい ますみ)
共同通信社経済部 担当部長
慶応義塾大学文学部仏文科卒業、地方テレビ局、外資系銀行を経て共同通信社に入社。経済記事の翻訳に携わる他、ロンドン支局勤務を含めて主に金融市場の取材を担当。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
ケイ,ジョン
1948年スコットランド生まれ。エジンバラ大学、オックスフォード大学を卒業後、同大で講師として経済学を教えた。その後、英国で最も信頼されるシンクタンクである財政政策研究所でディレクター、オックスフォード大学のサイード・ビジネス・スクールの初代ディレクターなどを務める一方、多くの企業の取締役を歴任した。英国政府から請われて証券市場改革案(ケイ・レビュー)を作成するなど専門家の立場から公共政策に関わり、大英帝国勲章を受章している
薮井/真澄
共同通信社経済部担当部長。慶應義塾大学文学部仏文科卒業、地方テレビ局、外資系銀行を経て共同通信社に入社。経済記事の翻訳に携わるほか、ロンドン支局勤務を含めて主に金融市場の取材を担当(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1948年スコットランド生まれ。エジンバラ大学、オックスフォード大学を卒業後、同大で講師として経済学を教えた。その後、英国で最も信頼されるシンクタンクである財政政策研究所でディレクター、オックスフォード大学のサイード・ビジネス・スクールの初代ディレクターなどを務める一方、多くの企業の取締役を歴任した。英国政府から請われて証券市場改革案(ケイ・レビュー)を作成するなど専門家の立場から公共政策に関わり、大英帝国勲章を受章している
薮井/真澄
共同通信社経済部担当部長。慶應義塾大学文学部仏文科卒業、地方テレビ局、外資系銀行を経て共同通信社に入社。経済記事の翻訳に携わるほか、ロンドン支局勤務を含めて主に金融市場の取材を担当(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
- 出版社 : ダイヤモンド社 (2017/6/22)
- 発売日 : 2017/6/22
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 400ページ
- ISBN-10 : 4478068402
- ISBN-13 : 978-4478068403
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Amazon 売れ筋ランキング:
- 302,026位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 243位証券・金融市場
- - 842位金融・ファイナンス (本)
- カスタマーレビュー:
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2018年7月23日に日本でレビュー済み
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2017年11月4日に日本でレビュー済み
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著者はロンドン・スクール・オブ・エコノミクス客員教授を務める、イギリス人エコノミスト。本書は、ゴールドマン・サックスなどに代表される、大手金融機関への痛烈な批判書だ。金融業の異常なほど儲かる商売の実態に対し、無意味な証券を発行してそれを仲間内で交換しあうものであり、よって新たな富を自ら創出せず、別の経済主体で産み出された富を横取りしていると著者は指摘する。そしてそのほとんどを、業界で働く一部の人々が搾取しているという実状を糾弾する。
金融業界が、経済の中でこれほどまでに支配的役割を獲得するに至った過程を著者は「金融化」と定義し、この金融化に至る歴史を解説する。ここで紹介される、金融機関の様々な儲けのカラクリが興味深い。中でも、時価会計の隙を突いた「将来利益の先取り」(ギリシャ国債などが記憶に新しい)、銀行と保険会社が受ける規制の違いを利用する「規制の裁定」(CDSはまさにこれ)などは、単に将来から借金をしているだけであるにもかかわらず、金融革新によって付加価値が生まれた利益率の高い商品であるとして、彼らは後先考えずこれらを大量に売買(トレーディング)するのだ。
規制緩和により、これらの証券化には追い風が吹く。モーゲージが債券として束ねられ、細かいトランシェに分けられ、複雑なパッケージに組み換えられていく。誰彼構わず住宅ローンは実行され、これらの証券化とそのトレーディングがますます白熱していく。(結果は、サブプライムローンの不良債権化に伴う金融危機だ)法人に対しては、課税逃れや規制裁定サービスが横行、金融機関が引き受ける証券発行の大半は「企業のお手伝い」などしていない様相だ。金融機関の人間は、金融化により、ほとんど実用性のない技能の対価として報酬をたっぷり受けとるようになり、実体経済の真のニーズには応えなくなっていく。
では、金融システムをどう直すか。金融機関、とりわけ銀行は、集めた預金の安全性を守りつつ流動性を調整し、それを住宅購入者などの長期的な資金需要者へ貸し付けることが、本来の果たすべき役割である。他の金融仲介業者の活動を把握することや、既にある資産の組み替えにエネルギーを注ぐのではなく、決済の円滑化、住宅購入資金の提供、大型建設プロジェクトの管理、高齢者のニーズや中小企業の育成といった、大多数の人が必要とするサービスに力を入れる金融機関を復活させるべき、というのが本書の主張である。
2008年の金融危機前後に起こっていたことは、『リーマン・ショック・コンフィデンシャル』(アンドリュー・ロス・ソーキン)や『世紀の空売り』(マイケル・ルイス)を読んで把握していた。本書は、欧米の投資銀行がいかに無意味なことを行い、かつ多額の報酬を得ているかという実状が分かりやすく解説されている。金融機関は儲かっているのではなく、「儲かっているように見える」だけということが、よく分かる。証券化の最低限の知識は必要とするが、とても読みやすい1冊だ。
金融業界が、経済の中でこれほどまでに支配的役割を獲得するに至った過程を著者は「金融化」と定義し、この金融化に至る歴史を解説する。ここで紹介される、金融機関の様々な儲けのカラクリが興味深い。中でも、時価会計の隙を突いた「将来利益の先取り」(ギリシャ国債などが記憶に新しい)、銀行と保険会社が受ける規制の違いを利用する「規制の裁定」(CDSはまさにこれ)などは、単に将来から借金をしているだけであるにもかかわらず、金融革新によって付加価値が生まれた利益率の高い商品であるとして、彼らは後先考えずこれらを大量に売買(トレーディング)するのだ。
規制緩和により、これらの証券化には追い風が吹く。モーゲージが債券として束ねられ、細かいトランシェに分けられ、複雑なパッケージに組み換えられていく。誰彼構わず住宅ローンは実行され、これらの証券化とそのトレーディングがますます白熱していく。(結果は、サブプライムローンの不良債権化に伴う金融危機だ)法人に対しては、課税逃れや規制裁定サービスが横行、金融機関が引き受ける証券発行の大半は「企業のお手伝い」などしていない様相だ。金融機関の人間は、金融化により、ほとんど実用性のない技能の対価として報酬をたっぷり受けとるようになり、実体経済の真のニーズには応えなくなっていく。
では、金融システムをどう直すか。金融機関、とりわけ銀行は、集めた預金の安全性を守りつつ流動性を調整し、それを住宅購入者などの長期的な資金需要者へ貸し付けることが、本来の果たすべき役割である。他の金融仲介業者の活動を把握することや、既にある資産の組み替えにエネルギーを注ぐのではなく、決済の円滑化、住宅購入資金の提供、大型建設プロジェクトの管理、高齢者のニーズや中小企業の育成といった、大多数の人が必要とするサービスに力を入れる金融機関を復活させるべき、というのが本書の主張である。
2008年の金融危機前後に起こっていたことは、『リーマン・ショック・コンフィデンシャル』(アンドリュー・ロス・ソーキン)や『世紀の空売り』(マイケル・ルイス)を読んで把握していた。本書は、欧米の投資銀行がいかに無意味なことを行い、かつ多額の報酬を得ているかという実状が分かりやすく解説されている。金融機関は儲かっているのではなく、「儲かっているように見える」だけということが、よく分かる。証券化の最低限の知識は必要とするが、とても読みやすい1冊だ。
2017年8月20日に日本でレビュー済み
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沢山引用したいところだが、読後感のみ記すことにする。
20世紀の終わりから21世紀の初めに大きく膨れ上がった「金融」を、産業経済の歴史として客観的に捉えることは、今現在その中に居る人には難しいことだろう。本書を読む人にはそういう人が多いだろうから読者の評価は微妙なことになるだろう。
金融関係者は色々言いたいことがあるだろうが、世の中の多くの人がこの本に賛同することは事実と受け取って損はないと思う。
「金融の未来」に、つまり後世に、この間に起こったサブプライムローン、ITバブルなどの崩壊が昔あった事件として語られる時、「金融」はいったいどのようなものになっているのだろうか。今、昔のチューリップバブルや大恐慌が語られるような形で語られるとき、今世紀これまでの「金融の進歩」が科学や技術、そして文明の輝かしい進歩として語られることはないだろう。
本書に記されている数々のことは、必ずしも金融の世界だけで起きていることではない。例えば「透明性と規制の要求が強くなるのは、事業が大きくなり、仕事の連鎖経路が長く複雑化し、真の顧客と責任の在りかがわからなくなり、事業者への信用と信頼が失われているためである」ということは今日ありとあらゆるところに当てはまる。そのことが膨大な中間の仲介者や専門家のコストを正当化して収穫逓減を加速する。金融ではそれがとくにひどく惨事に至った。自分の理解力の範囲で誤解を恐れずまとめると、著者はこの「連鎖経路を長く複雑にする中で仲間内で価値を偽造してきた、あるいは創造したと錯覚してきた」のが今日の金融の病巣だと言っている。
多くの人は「払う人、負担しようとする人がいる限り自分の取り分(コスト)は付加価値である」と主張する。だがその報酬の正当性が疑われている時、この結果論は自分をも誤らせる本末転倒の言い訳だ。詐欺や情報の非対称性を悪用した暴利でなくても、産業の歴史において技術革新やビジネスの変革で、これまで付加価値だと主張できたものが、瞬く間にコストどころかただの無駄に変わってしまう、ということが繰り返されてきた。その時に嘆いて言い訳を重ねても自分は救えない。自分の価値を評価してくれるのは理屈ではなく現実であり、あくまでも他人なのだから。畢竟金融の価値を決めるのは金融の仲間内の理屈では無いということだ。
最近の雑誌記事などで「森長官が変われば」とか「中小地場企業支援で成果をあげろという無理難題を押しつけられている」というような言葉が業界内で語られているような話を読むと心配にはなるものの、昨今本屋に並んでいる新刊本のタイトルを見る限り金融の世界の人々にも一定の危機感はあるようだ。しかし「無理難題」というのを、疲弊した分野の実体経済の無理難題の中で苦労して生きている人が聞いたらどのように思うのか、わかっているのだろうか。このような視野狭窄の発言は、今日の仕事の連鎖の長大化、複雑化の中で監督官庁も含めた仲間内だけの世界に閉じこもることから出てくるのだろう。
人はどのような業界でどのようなポジションにあろうとも「自分の付加価値、つまり自分の行動の結果がどのような効用につながり、最終的に誰のどのような幸福に貢献するのか」を「客観的」に問い続けることが肝要だ。お金は常に他人からもらうものであり、その正当性はその答えの中にある。常に答えははっきりさせておかねばならない。
その答えに願望や屁理屈が含まれているかどうかは、自らの内にある良心と他人の言葉に謙虚でなければわからない。自己実現と誤解した自己満足の中にも答は無い。答は一言で単純でなければ、自分も他人も納得しない。自分の仕事に詳しく無い家族に理解してもらえるかどうかがまず一つの試金石だ。そして何よりも最終顧客に胸を張って語れるものかどうかだ。
金融の未来を作るのもまずそこからなのだろう。
資本主義経済が終わろうとしているとすら言われる世の中で、「投資にカネをまわさない日本の預金者は世界一賢い、または直感に優れているのではないか」と思えば、私達は既存の全てを疑い「価値」を見つめ直して新しい経済と金融をつくって行く絶好の機会を得ているのだと思う。たとえ成功せずとも自らもその試行錯誤の開発の一端に挑戦して行きたい。
20世紀の終わりから21世紀の初めに大きく膨れ上がった「金融」を、産業経済の歴史として客観的に捉えることは、今現在その中に居る人には難しいことだろう。本書を読む人にはそういう人が多いだろうから読者の評価は微妙なことになるだろう。
金融関係者は色々言いたいことがあるだろうが、世の中の多くの人がこの本に賛同することは事実と受け取って損はないと思う。
「金融の未来」に、つまり後世に、この間に起こったサブプライムローン、ITバブルなどの崩壊が昔あった事件として語られる時、「金融」はいったいどのようなものになっているのだろうか。今、昔のチューリップバブルや大恐慌が語られるような形で語られるとき、今世紀これまでの「金融の進歩」が科学や技術、そして文明の輝かしい進歩として語られることはないだろう。
本書に記されている数々のことは、必ずしも金融の世界だけで起きていることではない。例えば「透明性と規制の要求が強くなるのは、事業が大きくなり、仕事の連鎖経路が長く複雑化し、真の顧客と責任の在りかがわからなくなり、事業者への信用と信頼が失われているためである」ということは今日ありとあらゆるところに当てはまる。そのことが膨大な中間の仲介者や専門家のコストを正当化して収穫逓減を加速する。金融ではそれがとくにひどく惨事に至った。自分の理解力の範囲で誤解を恐れずまとめると、著者はこの「連鎖経路を長く複雑にする中で仲間内で価値を偽造してきた、あるいは創造したと錯覚してきた」のが今日の金融の病巣だと言っている。
多くの人は「払う人、負担しようとする人がいる限り自分の取り分(コスト)は付加価値である」と主張する。だがその報酬の正当性が疑われている時、この結果論は自分をも誤らせる本末転倒の言い訳だ。詐欺や情報の非対称性を悪用した暴利でなくても、産業の歴史において技術革新やビジネスの変革で、これまで付加価値だと主張できたものが、瞬く間にコストどころかただの無駄に変わってしまう、ということが繰り返されてきた。その時に嘆いて言い訳を重ねても自分は救えない。自分の価値を評価してくれるのは理屈ではなく現実であり、あくまでも他人なのだから。畢竟金融の価値を決めるのは金融の仲間内の理屈では無いということだ。
最近の雑誌記事などで「森長官が変われば」とか「中小地場企業支援で成果をあげろという無理難題を押しつけられている」というような言葉が業界内で語られているような話を読むと心配にはなるものの、昨今本屋に並んでいる新刊本のタイトルを見る限り金融の世界の人々にも一定の危機感はあるようだ。しかし「無理難題」というのを、疲弊した分野の実体経済の無理難題の中で苦労して生きている人が聞いたらどのように思うのか、わかっているのだろうか。このような視野狭窄の発言は、今日の仕事の連鎖の長大化、複雑化の中で監督官庁も含めた仲間内だけの世界に閉じこもることから出てくるのだろう。
人はどのような業界でどのようなポジションにあろうとも「自分の付加価値、つまり自分の行動の結果がどのような効用につながり、最終的に誰のどのような幸福に貢献するのか」を「客観的」に問い続けることが肝要だ。お金は常に他人からもらうものであり、その正当性はその答えの中にある。常に答えははっきりさせておかねばならない。
その答えに願望や屁理屈が含まれているかどうかは、自らの内にある良心と他人の言葉に謙虚でなければわからない。自己実現と誤解した自己満足の中にも答は無い。答は一言で単純でなければ、自分も他人も納得しない。自分の仕事に詳しく無い家族に理解してもらえるかどうかがまず一つの試金石だ。そして何よりも最終顧客に胸を張って語れるものかどうかだ。
金融の未来を作るのもまずそこからなのだろう。
資本主義経済が終わろうとしているとすら言われる世の中で、「投資にカネをまわさない日本の預金者は世界一賢い、または直感に優れているのではないか」と思えば、私達は既存の全てを疑い「価値」を見つめ直して新しい経済と金融をつくって行く絶好の機会を得ているのだと思う。たとえ成功せずとも自らもその試行錯誤の開発の一端に挑戦して行きたい。
ベスト500レビュアー
本書から得るものは多々あるが、共通して云えることは、これまで当たり前のこととして疑いを持っていなかったことでも、改めて冷静な眼を向ける必要がある、ということである。
約10年前の金融危機(リーマンショック)で云われた、“too big to fail”は大き過ぎて潰せないのではなく、複雑過ぎたから潰せなかったということ。優れたイノベーションとは人々の暮らしを一変させるものであるが、金融業界のイノベーションはそれと同質のものではないということ。ROEの向上を追求するあまり、ドイツ銀行の自己資本比率は2%未満にまで低下していたこと。住宅金融危機の根本原因は、貸し手と借り手の結びつきが弱まったことであり、仲介の連鎖が伸び、セカンダリーの市場が拡大したことで、住宅ローンの精査・管理が雑になったこと。大企業に資金需要はなく、銀行の収益源が株式やトレーディングという本来の銀行の役割期待から離れた業務になっており、手数料ビジネスのインセンティブが金融機関の仕事を歪めていること。
筆者は金融システムの主要な機能として、サーチとスチュワードシップを挙げる。サーチとは新規の投資機会の探査であり、スチュワードシップとは、既存の事業資産を長期的に守り、育てることを指す。
また、金融は本来4つの機能(決済システム、借り手と貸し手の引き合わせ、家計の管理、リスク制御)を通じて社会と経済に貢献するものと考えられて来たが、そもそも現在の大手金融機関はこれらを自らのミッションと捉えているのか、或いはこれらの役割を果たす為に、現在のような「構え」が必要なのか、ということは甚だ疑問である。
原題の「Other People’s Money」に対して、本書の終章「金融の未来はどこに」というのが邦題の礎になっているものと思われるが、まさに「金融に未来はあるか」が問われる時代であると感じる。
約10年前の金融危機(リーマンショック)で云われた、“too big to fail”は大き過ぎて潰せないのではなく、複雑過ぎたから潰せなかったということ。優れたイノベーションとは人々の暮らしを一変させるものであるが、金融業界のイノベーションはそれと同質のものではないということ。ROEの向上を追求するあまり、ドイツ銀行の自己資本比率は2%未満にまで低下していたこと。住宅金融危機の根本原因は、貸し手と借り手の結びつきが弱まったことであり、仲介の連鎖が伸び、セカンダリーの市場が拡大したことで、住宅ローンの精査・管理が雑になったこと。大企業に資金需要はなく、銀行の収益源が株式やトレーディングという本来の銀行の役割期待から離れた業務になっており、手数料ビジネスのインセンティブが金融機関の仕事を歪めていること。
筆者は金融システムの主要な機能として、サーチとスチュワードシップを挙げる。サーチとは新規の投資機会の探査であり、スチュワードシップとは、既存の事業資産を長期的に守り、育てることを指す。
また、金融は本来4つの機能(決済システム、借り手と貸し手の引き合わせ、家計の管理、リスク制御)を通じて社会と経済に貢献するものと考えられて来たが、そもそも現在の大手金融機関はこれらを自らのミッションと捉えているのか、或いはこれらの役割を果たす為に、現在のような「構え」が必要なのか、ということは甚だ疑問である。
原題の「Other People’s Money」に対して、本書の終章「金融の未来はどこに」というのが邦題の礎になっているものと思われるが、まさに「金融に未来はあるか」が問われる時代であると感じる。