野の医者は笑う: 心の治療とは何か? (日本語) 単行本(ソフトカバー) – 2015/8/20
東畑 開人
(著)
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本の長さ302ページ
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言語日本語
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出版社誠信書房
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発売日2015/8/20
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ISBN-104414400961
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ISBN-13978-4414400960
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
著者について
臨床心理士、白金高輪カウンセリングリーム
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
1983年生まれ。2005年京都大学教育学部卒業。2010年京都大学大学院教育学研究科博士課程修了。2013年日本心理臨床学会奨励賞受賞。沖縄の精神科クリニックでの勤務を経て、十文字学園女子大学専任講師。博士(教育学)・臨床心理士。元マインドブロックバスター(2015年8月更新忘れのため資格失効)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
出版社より

野の医者は笑う 心の治療とは何か?
私たちは今、軽率でないと息苦しい時代に生きている。
だから、軽率なものが癒やしになる。(本文より)
ふとしたきっかけから怪しいヒーラーの世界に触れた若き臨床心理士は、「心の治療とは何か」を問うために、彼らの話を聴き、実際に治療を受けて回る。次から次へと現れる不思議な治療! そしてなんと自身の人生も苦境に陥る……。それでも好奇心は怪しい世界の深奥へと著者を誘っていく。武器はユーモアと医療人類学。冒険の果てに見出された心の治療の本性とはなんだったのか。「心が病むってどういうことか?」「心の治療者とは何者か」そして「心が癒やされるとはどういうことか?」底抜けに楽しく、そしてほろりとくるアカデコミカル・ノンフィクション!
心理療法を根本から考える。東畑開人の本。
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心理療法家の人類学 こころの専門家はいかにして作られるか「心理療法家とは何者か?」「心理療法家になるとはどういうことなのか?」本書はこの問いに対して人類学的に答えようとする。人類学者であり、心理療法家でもある著者は、訓練機関の本格的フィールドワークを行い、心理療法家に人類学の光を当てることを試みた。すると見えてきたのは、心理療法の「神話」が内面の奥深いところにまで浸透していくプロセスである。「心理療法家になる」とは、人間としての「変容」を含んでいるのである。従来とは異なる視点から心理療法家を読み解く本書は、こころの専門家になろうとしている人、こころの専門家を指導する人に、新しい心理療法像をもたらすだろう。加えて、本書では心理療法の人類学や社会学のこれまでの研究が広くレビューされており、絶好の入門書にもなる。 |
日本のありふれた心理療法 ローカルな日常臨床のための心理学と医療人類学心理療法は必ず文化の中で行われる。だから、欧米で生まれた心理療法は、日本文化に合わせて変形したし、教科書に描かれる心理療法は、それぞれのローカルな現場の事情に合わせて妥協されざるをえない。そうやって、私たちのありふれた心理療法は営まれる。本書は、臨床心理学と医療人類学の二つの視点から、そのような文化と心理療法のダイナミズムを明らかにする。臨床心理学の専門性が問われる今、刺激的な心理臨床論が誕生。 |
野の医者は笑う 心の治療とは何か?ふとしたきっかけから怪しいヒーラーの世界に触れた若き臨床心理士は、「心の治療とは何か」を問うために、彼らの話を聴き、実際に治療を受けて回る。次から次へと現れる不思議な治療! そしてなんと自身の人生も苦境に陥る……。それでも好奇心は怪しい世界の深奥へと著者を誘っていく。武器はユーモアと医療人類学。冒険の果てに見出された心の治療の本性とはなんだったのか。「心が病むってどういうことか?」「心の治療者とは何者か」そして「心が癒やされるとはどういうことか?」底抜けに楽しく、そしてほろりとくるアカデコミカル・ノンフィクション! |
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心理療法家の人類学 こころの専門家はいかにして作られるか | 日本のありふれた心理療法 ローカルな日常臨床のための心理学と医療人類学 | 野の医者は笑う 心の治療とは何か? | |
著者 | ジェイムス・デイビス 著 | 東畑 開人 著 | 東畑 開人 著 |
訳 | 東畑 開人 監訳 中藤 信哉 訳 小原 美樹 訳 | ||
内容紹介 | 訓練機関の人類学的フィールドワークを通じて、「心理療法家になること」がもつ「人間としての変容」という側面を明らかにする。 | 欧米の心理療法モデルに対して現場レベルで妥協され、変形し、語り難いものとなった心理療法こそ日本のありふれた心理療法である。 | 若き臨床心理士が怪しいヒーラーの治療を受け、話を聴いて回る。フィールドワークで心の治療を根底から問い直す冒険譚。舞台は沖縄! |
登録情報
- 出版社 : 誠信書房 (2015/8/20)
- 発売日 : 2015/8/20
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 302ページ
- ISBN-10 : 4414400961
- ISBN-13 : 978-4414400960
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カスタマーレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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実際に治療効果があるように見える「野の医者」はひたすら小馬鹿にして直接対決は避けて、本人が一番力をいれて実体験している内容は「やる前からわかっている」的なものを選択しているように思える。タイトルは「野の医者は笑う」だけれども、内容は「野の医者を笑う」なんじゃないだろうか。
対象者をひたすら笑いものにしているのは、心理の臨床家としての自己のアイデンティティを守るためだと感じられて、そこがとても不快であった
ここで小馬鹿にされた事に気がついた人は傷ついただろうと思うが、研究、特に心理の研究は人を傷つける事があるわけで、その点はやむを得ない部分があると思う。しかし人を傷つけただけの成果がなかったら、意味はなく、その観点からはこの本に登場した人は単なる「傷つけられ損」だと思う。
どうして本気で「なぜ野の医者は治療できるのか?」という点を突っ込んでいかないのか、という事がなんとも言えず残念。
また沖縄の野の医者の事例をやるのなら「ユタ」は外すことが出来ない対象であるはずだが、それがほぼノータッチなのは何でなんだろうとも思う。
コメントを読んで追記(2019/10/25)
この本のキモは、一段上の安全圏から野の医者を笑いものにして行く爽快感なんじゃないかと思う。そして野の医者を滑稽な存在として笑ううちに、いまの臨床心理学も実は野の医者の話とそう違っていない、って事に気がつく俺カッケーに行き着くのは、何と言うか予定調和みたいなものだと思う。
野の医者を笑う一段高みにいる状態に共感する人は、爽快感があるのじゃないかと思うわけだけど、非専門家で当事者の苦闘を間近に見ている身としては、とてもじゃないけど読んでて不快。
仮に野の医者を使って臨床心理学を相対化するという主張がメインだとしたら、もう少し具体的に臨床心理学がどんだけ野の医者の主張と大差ないのかを実例をいくつか挙げて書くべきじゃないかと思う。まあ、本書は研究書ではなく心理畑の人が書いた一般向けの読み物なので、それを期待するのは違っているとは思うのではあるが。
沖縄の怪しい癒し療法を医療人類学的に調べた過程をコミカルに書いた本。読み物としてとても面白い。
・癒しを行う人は、みんな苦しい環境で育った女性(低学歴で若くして結婚、出産、離婚)で、自身が怪しい癒し療法で回復を経験したひとたち。人を癒すことで自分自身も癒えているという構造。むしろ病んでいるからこそ人を癒せると考えている。
・怪しい医者は、ブリコラージュを使う。まわりにあるものをなんでも使ってしまう。つまり流行りのリンパマッサージ、パワーストーン、心理学をごちゃまぜにして使う。時代の要請に応じて、現在の流行りがブリコラージュされ、怪しい医療のスクールを作っていく。
・精神分析は人の悲しみを取り除こうとするが、怪しい医療は患者を躁状態にしようとする。なので、セラピストはみんなハイテンション笑
・怪しい医療はなぜ効くのか:プラシーボ効果、信じることで人は救われる。
・怪しい医療は、癒しでなく患者に生き方を提示し、その生き方を通じて希望を与え治療する:スクールやセミナーで患者を弟子にして、彼ら自身が癒しを行えるようにする。なので、怪しい医者は、医者の医者(マスターセラピスト)と患者の医者(普通のセラピスト)に大別される。ネットワークビジネスと似た構造になっている(ちなみにネットワークビジネスと成功しやすいビジネスモデルの癒しが圧倒的に流行っていく)。経済的貧窮で傷つき、セラピストとなって経済的に成功することで癒される。癒しの方法は結構外地から輸入されたものが多い。
・潜在意識の説明:科学が広がると、すべての意識は脳が作り出す意識と考えられるようになり、神の存在が否定されてしまった。なので、意識の奥深くに脳が作り出さない意識という概念を創造し、それを潜在意識と呼び、そこに神がいると考えた。
・霊が見えたり、オーラが見えるのは思い込み、術者も素直にそう言ってる笑
単純に文章、話がおもしろい!
東畑さんどっかの雑誌で連載してないかしら?
文体は、この本向けかもしれないので、他の本も読んでみたい。
とにかくケタケタ笑いながら読んだ。
沖縄の野の医者(スピリチュアルな治療をする方々)の生態、
なぜ野の医者が沖縄に多いか、
スピリチュアルの治療と臨床心理学の違いは?
興味深い話題が続く。
私が個人的体験から刺さったのは、ビジネスセミナーでも、スピリチュアルな治療と同じ構造で人を巻き込んでしまっている点だ。本人がどんなに正しかろうと思ってやってても、外から見ると、同じ匂いが感じられる。ここは、厳に戒めたいと感じた。
読んでよかった点、終わりのほうの9章、スピリチュアルな治療と臨床心理学の違いに関する考察だ。
私は、もともと、この本でいうスピリチュアルな効果のほうが望ましいと思っていた。
やはり渦中の人間は、苦しい。それはどんな方法でも取り除きたい。
でも、苦しさも悲しさも、その人のもの。
それを奪うのはどうか?という考えから、効果としては、その悲しみをちゃんと消化したいという臨床心理学に向かおうとしている。でも、手段はどうあれ、どちらが正しいとは、言えない。答えはないが、考えるにあたり、見通しがよくなった。
治療の効果、考え方、についての臨床心理学との比較考察は、今の自分にとって、すごく参考になった。
ライトな読み口の本は、読んでオシマイということが多いが、これは度々、戻ってきそうな気がする。
更に、スピ好き女性は、自らも誰かを癒したい人が結構多い。一種独特のポジティブマインドも特徴だ。なぜあのパターンなのか。
その答えの一つを見せてもらえたように思う。
そして臨床心理が深い意味で人の心の多様なありようを、そのまま受け止めてくれるものだということにホッとした。治る治らない、癒す癒されないでは心は捉え切れない、、、
筆者と一緒に、沖縄の心の旅を楽しめて、後半はページを手繰るのが止まらないほど面白かった。
野の医者たちの治療について「皆自由自在に色々な沖縄的要素をブリコラージュしている(p.172)」と見る著者が、翻って「精神分析もどきのユンギアンフレイヴァー溢れるロジェリアン」と表現されたという折衷的な臨床心理士のあり方に思いを致すあたり、たしかに「鏡」になっている。
「治癒とはある生き方のことなのだ。心の治療は生き方を与える。そしてその生き方はひとつではない(p.266)」。そして「臨床心理士もまた、病んだ人にある生き方を与える(p.271)」。その点では臨床心理士と野の医者は重なるが、臨床心理士は「どうすれば良くなるのか、早く良くなるのか」だけを考えるのではなく「良くなるとはどういうことなのか、私たちは一体何をしているのか。そういう前提を……真剣に問う(p.272)」点が、野の医者と異なる、というあたりが著者の結論だろうか。
個性的な野の医者たちという「素材」の良さに加えて、高野秀行を多く読んだという著者の文章の疾走感とあいまって、読み物として面白い。それでいて、著者がよってたつ臨床心理学という学問についてのかなりラディカルな考察が行われている。
私は(素人判断ながら)臨床心理学にずっとうさんくささを感じてきたのだが、本書を読んで(それが払拭されたとは言わないが)「なぜ自分がうさんくさく感じるのか」が少し分かったような気がした。
ひとつ気になったこと。p.ivに載っている著者が作成したコラージュ(の写真)はかなり不気味な印象があるのだが、コラージュの作品ってこういうものなのだろうか?
オーセンティックな精神分析家が、沖縄で、ありとあらゆる通俗治療法を体験していきます。
「ユタ」の世界から、よくわからないスピリチュアルな治療、海外から入ってきた流行の治療、その他その他を体験していって、著者の目になんとなく見えてきたのは、それらの治療が導こうとしているのが、「軽躁」状態にクライエントを持っていく、ということであること。
軽躁というのは、一見、元気でポジティブである、ということに見えますから。
それとともに、こういったお手軽でマジカルな療法というのは、高額の費用を払ってじっくりと心理療法を受けて自分と向き合っていくだけの財政的基盤がない人たちにとっては、入りやすい世界ですし、また、技法を学ぶ講座を受講した上で自分も資格を取れば、有資格者として開業でき、稼いでいくことができる、という意味でも、そんなにお金がない人たちにとっては、魅力的なものなのですね。
そういった治療法が隆盛を極める一方で、オーセンティックな心理療法が根付きにくい日本(特に沖縄)の文化的背景について、著者はいろいろと考えていきます。
文体もノリが良くて、すごく読みやすいです。
スピリチュアルな活動をしている方たちのもとへ臨床心理士の著者が飛び込み、実際にセラピーを受けたり、時には自らそうした資格を取得したりしながら、心理士や心理職の根本的・土台的な部分を深く見つめ、考察が進んでいきます。根幹にあるテーマは、心理職にとって重要なものであり、とても価値のある一冊だと思いました。
文章は読みやすく、面白いので、単純に読み物としても楽しめました。