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醜い日本の私 (新潮選書) 単行本 – 2006/12

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商品の説明

内容紹介

頭上には電線がとぐろを巻き、街ではスピーカーががなりたてる、ゴミ溜めのような日本。美に敏感なはずの国民が、なぜ醜さに鈍感なのか? 客への応対は卑屈で、「奴隷的サービス」に徹する店員たち。その微温的「気配り」や「他人を思いやる心」など、日本人の美徳の裏側に潜むグロテスクな感情を暴き、押し付けがましい「優しさ」に断固として立ち向う。戦う哲学者の反・日本文化論。 --このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。

内容(「BOOK」データベースより)

なぜ日本人は「汚い街」と「地獄のような騒音」に鈍感なのか?我々は美に敏感な国民である。欧米人に比べても、心使いが細やかで洗練されている―。しかし、いや、だからこそ、この国には騒音が怖ろしいほど溢れかえり、都市や田舎の景観は限りなく醜悪なのだ!「心地よさ」や「気配り」「他人を思いやる心」など、日本人の美徳に潜むグロテスクな感情を暴き、押し付けがましい「優しさ」と戦う反・日本文化論。

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登録情報

  • 単行本: 205ページ
  • 出版社: 新潮社 (2006/12)
  • 言語: 日本語
  • ISBN-10: 4106035731
  • ISBN-13: 978-4106035739
  • 発売日: 2006/12
  • 梱包サイズ: 19.2 x 12.8 x 2.2 cm
  • おすすめ度: 5つ星のうち 3.6 16件のカスタマーレビュー
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形式: 文庫
『醜い日本の私』、『私の嫌いな10の人びと』、『私の嫌いな10の言葉』・・なんて本を出してきた哲学者だといえば、この本もまた「偏屈じじい」による、クレーム本だろうと思っていた。暇つぶしのために買ったこの文庫本、読んでいたら意外と内容がまともで読むに耐えるというより、平易に書かれているが非常に内容の濃い本だとわかった。

タイトルは、川端康成の『美しい日本の私』、大江健三郎の『あいまいな日本の私』という、いずれもノーベル文学賞受賞講演のタイトルをもじったものだが、本人いわく「人一倍、不快なもの、醜いものに感受性の強い」(!)著者の分析は非常に鋭い。中島先生、単なる偏屈者ではないな、と気がつかされた。
著者の分析そのものは、おおかた当たっていると思う。日本人は美意識がきわめて高いが、醜いものがすぐ隣にあっても居心地がよければまったく違和感を感じない、心のもちよう一つで見えても見えないこととする、聞こえてもきかないことにする、という訓練を受けた・・・こんな分析が全体に散りばめられていて、読んでいてな〜るほどと納得させられる。
とはいえ、私自身はさすがに、著者と一緒になって、あらゆることにクレームつけたりする気にはならないなー。著者の分析は正しくても、無意識のうちに「世間」にどっぷりつかっている日本人の大半は、もちろん私も含めて著者の価値観とは
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形式: 単行本
 日本人の「私」とはみずから、おのずからな「自分」であり、それは状況的にいえば、人為と微妙に融合した副詞的な「自然に」なる。電柱と看板があふれ騒音がかしましい繁華街は、田舎の田んぼの風物のように自然なのであり、そこに違和感なく慣(馴)れあえるのが自分なのだ。
 中島が苛立っているのは、街の騒音や景観ではあるのだが、より正確に本質的にいえば、それを自然にできる自分に、である。そこを見過ごせば本書は凡庸なアンチ日本文化論として読み捨てられるしかない。中島はいう。自分とは一個の自己=実存である(はずだ)。その自然さとは蓄積された人為、人工の別名である(はずだ)。人工であるならば、人智により、その自己らの言葉の対話により、さらによきものに改善されるはずだ。かような信念により動機づけられているのが本書なのである。
 つまり大多数の自分とは同数の自己の集合であることを忘却し、あふれかえる自然さは人為的な因習の堆積であることを覆い隠している、そのことを指弾しているのだ。きみの自分の自然さは、きみの自己のあくまでも人為なのである。
 そのうえでこの街の風物がどこまで自己の人為として、好悪、快不快、真偽、善悪……として選択されてあるかが問われる。無自覚な不作為もまた、自己の人為へのかかわり方の一種なのはいうまでもない。そうであるからこそ、言葉による対話が根本的に信頼され
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形式: 単行本
「うるさい日本の私」の延長線上にある本であるが、いまや先生の苦しみは「耳」だけでなく「目」にも「接客」にも広がっており、以前にも増して大変なことだ。

先生はこの「醜い日本」について思考を深め、「日本人にとっての自然」について考察する。

その結果、日本人が自然だと思ってきたものはすべて人為的なもの、「個」として「自然」と向き合うことをしてこなかったので、田んぼも電柱も自然である。「これは自然」「これは人の手が加わっているもの」という分け方をしないで生きているので、周囲のものはすべて自然、看板も電線も、そこにあるなら自然として認識するのだそうだ。

また、「醜いものが見えなくなるほど集中せよ」という利休後の茶の湯の教えについても、「日本が醜くなった原因のひとつではないか」とされているが、いくらなんでもこれは、一部の求道的な芸術家にしか当てはまらないだろう。

中島先生には悪いが、景観の醜さについては私は井形慶子の「土地所有感」が正しいように思う。俺のものだから、どうしようと勝手だ、というような。

本書でも、「ウチ」と「ソト」という形で触れられているが、もっとずばり「土地」ということに目を向けたほうがいいと思う。なぜなら、「土地」とは日本人が命の次にこだわって(時には命よりも)きたも
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形式: 単行本
第一印象は、とにかくげらげら笑いながら読める日本文化論。
どうでもよさそうなことに義憤というか自爆している筆者が
ドンキホーテのように見える。

でも、ちょっと考えて見ると、なかなか鋭いかも。
そう、自分の家の中だけきれいで、とにかく謝っていればい
いんだと、日本人のずるさはそのとおりだよねと思う。

さらに読み進むと、「このおっさん、めんどくさい」と反感をいつの
まにか感じている自分がいる。
哲学なんか勉強して、ヨーロッパ化しているから、非寛容
なんだ。
やっぱり、自分は日本人かと思い知らされた。
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